伏魔殿4
お申し出にすかさず快諾し、意気揚々と馬車に乗り込んだ伯爵と私に、秘書官どのはいささか驚いた様子だったが無理もない。
伯爵はともかく、先刻の私は秘書官どのの存在に気づかなかったほど憔悴していたのだ。
そのような女が威勢よく馬車に乗り込んだのである。驚かない方がおかしいだろう。
念のため言っておくと、個人的には嬉しくもなんともない。伯爵の立場を考えなくともよいのなら、すぐにでも上屋敷に戻りたい。
私が嬉々としているように見えるのであれば、他人の目に触れることなく、楽をしてキラキラ皇子の元へ行けるからだ。いわゆる不幸中の幸いに喜んでいるだけである。
馬車が走り出すと、秘書官どのは事の経緯を話してくれた。秘書官どのの話を多少味つけしてまとめるとこうなる。
我々が北離宮を去ってしばしの間、王侯貴族の皆さまは呆然としていたようだったが、次第に我を取り戻すと舞踏会を楽しみ始めたそうだ。
それがいい、折角舞踏会に来たのだ。私の存在なぞ忘れて楽しむのが一番である。
一方、颯爽と去っていったはずの王子は、少し歩いたところで立ち止まり、こちらを振り返ったそうだ。
私(と伯爵)を眼力ででも呪い殺したくなったのだろう。過去の経験から容易に想像できた。
もっとも私は、あの王子から向けられた怨念に気づく余裕はなかったが。
負の感情をまき散らしている王子の元へやって来た人物がいた。レオン皇子である。
同族と臣下に恥をかかされ、怒りに震えている王子に、キラキラ皇子はこの上なく上機嫌な声をかけたらしい。
王子の神経は逆撫でされたこと間違いないだろうが、キラキラ皇子は伯爵や私とは比べ物にならないほど格上だ。
王子は洗練された笑顔(と秘書官どのはおっしゃっていたが、ひきつった愛想笑いであったに違いない)をキラキラ皇子に向けたそうだが、心中穏やかではなかったはずだ。
「どうなされたのですか、何やら大声が聞こえてまいりましたが?」
キラキラ皇子の問いに、王子はおのれの心中を事細かに吐露した……という表現で、秘書官どのはあの王子が言ったことをぼやかした。伯爵と私に配慮してくれたものと思われるが、
「呪われた血の者が、厚顔にもこの地へ戻ってきたのです!
あのような金髪のかつらなど被っておりますが、実のところ、地毛は目にするのもおぞましい穢れた白髪でして。
それを追い出そうとしましたら、無礼にも横の田舎貴族が邪魔だてをしてきまして……」
相手がレオン皇子であるから、ここまで直接的な表現はしなかったかもしれないが、このような内容をのたまったのではないかと推察する。
互いに国家の最高支配者階級であるという同族意識も働いたのだろう。レオン皇子も自分の心情を理解し、共感してくれるに違いないと考えたのではなかろうか。
王子は自身の振る舞いは正当なものであったと熱弁し、奴が熱く語れば語るほど、キラキラ皇子の表情も同情的なものとなった。
それを見てますます調子に乗って語り散らかす王子……という秘書官どのいわく「地獄絵図」が展開されていった。
レオン皇子が不機嫌そうではないにも関わらず、なぜ「地獄絵図」なのか。
秘書官どのの表現に心の中で首を傾げたが、黙って話を聞くことにした。
事の一部始終をご丁寧に語り終えた王子が、満足げに口を閉ざすと、レオン皇子は赤子を諭すような声を発せられたという。
そういえば、これに類似する展開をつい最近聞いたような……気のせいだろうか。
(このあたりから、私の反応を見ながら話していた秘書官どのが、ある程度あけすけに語っても問題なさそうだと判断されたようだ。従って、以降二人の様子をより具体的に表現する)
「つまり卿は、同じ王族の妹君を呪われた悪魔の化身と思っておいでだと」
「はい、あやつはわが王族、ひいてはわが国に災厄をもたらす存在なのです。老人でもないのに白髪など、どう見ても悪魔の呪いとしか思えません」
「そうか、姫は白髪なのだな」
「はい、しかも、これがまた見苦しく縮れた短髪でして」
「ほう、癖が強めの短髪であると」
「そうでございます、なぜか存じ上げませんが、髪が伸びないのだそうで。それもこれも悪魔の呪いに違いありません」
レオン皇子の確認のような台詞に、王子は得意げに応じた。
「だからエステリーゼ姫をここから追い出したと?」
「はい、そうでございます、わたくしめが追い出しました。
あやつがいては、この舞踏会が呪われたものになってしまいます。レオン殿下もいらっしゃるというのに、そのようなこと、決してあってはなりません。
殿下が呪われてしまっては、アステールの皆さまに申し訳が立ちません」
このような皇子と王子の会話が繰り広げられている間に、伯爵と私は北離宮から姿を消したわけだ。
もしかすると、伯爵は背後の異変に気づいていたかもしれないが、私はそれどころではなかった。
王子の嘘と見栄が丸出しの主張に、秘書官どのは「色々と物申したくなりました」と感想を述べたが、気持ちはよくわかる。
私も「おまえ伯爵に腕掴まれて情けない声出してたし、捨て台詞吐いて逃げたのはそっちだろうが!」と言ってやりたいからだ。
それはさておき、自分が呪われると聞いたところで、レオン皇子はついに本音を暴露することにしたようだった。
人目を憚らず爆笑した後、先程からの同情顔を引っ込めると、青い瞳に鋭い冷気の剣を宿らせ、こうおっしゃった。
「つまるところ、卿はアステール帝国の皇子であるこの私が、貴国のいち姫君の呪いとやらに対抗できないと言いたいのか?」
「え、あ、そ、そそそ、そんなことは」
「エステリーゼ姫の呪いがそれほど凄まじいものであるならば、今頃貴国はこのような豪勢な舞踏会を開催できていないと思うが、それでも私が姫の呪いを受けて無様に倒れると?」
「いえいえいえ、とんでもありません、そんなことは」
ここからが「地獄絵図」の本番だった。
震えあがって言葉を詰まらせるわが国の王子は、明らかにレオン皇子とは異なる存在だった。
秘書官どのはさすがに直接的な表現を避けたが、とてもレオン皇子と同じ、国家の最高支配者階級には見えなかっただろう。
レオン皇子が秘書官どのと同じ感想を持ったかどうかはわからないが、怯えまくっている王子を見て思うところがあったのかもしれない。眼差しと声色を柔らかいものに変えた。
「ヤート王子、私はね、今回のこの訪問を楽しみにしていたんだ」
「は、はい、それはありがとう、ございます」
「特に、貴国の王族の中でも、秀才の誉れ高いエステリーゼ姫にお会いしたいと思っていたのだよ」
「そ、そうなんですか!?」
このレオン皇子の発言には私も驚いた。
誰が秀才の誉れ高いんだ誰が。私はなんだかんだで結局大学を卒業できなかった半端者だ。
キラキラ皇子は、王女のくせに大学に通っていたという希少種を見てみたいだけだろう。
「ああそうだ。しかし、姫は王都にはいないと聞いて落胆していたのだが、今回戻ってきているというじゃないか。私がどれだけ喜んだか」
「よ、よくご存じで」
これも本当にその通りで、よくご存知でとしか言いようがない。
私のことまで調べてきているとは思わなかったので、軽く鳥肌が立ってきたし、それほど私を見たかったのかと考えると、うっすら寒気もしてきた。
「その姫が、今夜ここに来てくれるというから、今の今までとても楽しみに待っていたんだ。それを」
私との面会をそれだけ楽しみにしてくれていたのであれば、やはり意を決してキラキラ皇子に会うことにして正解だったと思う反面、どのような無茶ぶりを受けるか計り知れないという恐ろしさも湧いてきた。
秘書官どのいわく、この時、王子の顔面から血の気が引く音が聞こえそうなほど、一気に顔色が変わったそうだ。
当人である私ですら、嬉しさというよりも若干の恐怖を感じているのだ。私を呪物扱いしている奴にしてみれば尚更、レオン皇子の心情は理解できなかっただろう。
「要するに、卿が、姫を、帰らせてしまったと。
卿の主張からはそうとしか受け取れないのだが、そういう解釈でよいのかな?」
レオン皇子の声色は、再び剣呑なものになってきた。
「そそ、それはその違います! 彼らの方が勝手に退出して」
「おかしいな。先程の話だと、卿がエステリーゼ姫をここから退去させたのではなかったか?」
「それはですね、そのつまりですね、あのその」
「つまり、卿は私に嘘をついたということか?」
「いえ、それはその、あの」
慌てて弁明しようとして無残に自滅した王子に、レオン皇子は容赦なく矛盾を指摘し、かくして「地獄絵図」は際限なく広がるかと思われた。
そこへ救世主が現れた。
わが国の王太子……ヤート王子と私の異母兄に当たる人物である。
王太子は不出来な異母弟(ヤート王子)と大切な賓客の間に割って入ると、弟の無礼を詫び、レオン皇子に私とお会いになることを提案された。
但し、今宵王宮はこの舞踏会にかかりきりで、広大な王宮内で妹を探し、殿下の元へ連れて行けるほどの人員を割くことが難しい。
そこで、今夜だけ特別に貴国の人々が王宮内を自由に移動できる許可を出すから、まことに恐縮ではあるが、妹を捜索していただけないだろうか。
もし今宵妹が見つからなければ、明日早々にレイスタット伯爵の上屋敷に使者を出し、妹を殿下の元に参上させる……
王太子はこのような内容を、これより二倍は長尺の丁重な言葉遣いでのたまったという。格上の賓客のご機嫌を損ねないように、細心の注意を払ったと思われた。
異母兄のこの提案は、賓客の手を煩わせるもののように見えるが、他国の人間が異国の王宮に滞在する際は、決められた場所以外には立ち入らせないのが基本となっている。
更に、事前に出されている公的な予定にない会見や外出などをぶち込むのも、訪問先の迷惑になるのでしてはいけないというのが、暗黙の了解だ。少なくともわが国やアステール帝国が所属している地域では。
なので、レオン皇子と伯爵の間で内々に話していただけの私との面会を、王宮が手配してくださるというのは、破格の対応なのだ。
レオン皇子も伯爵も、舞踏会のどさくさに紛れて私と立ち話できればいいかな、程度の認識だっただろう。
だが、事が王太子という王宮中枢の人間に知れてしまえば、このような大事になるのは致し方ない。異母兄としては、賓客の願いをできる限り叶えて差し上げたいと考えるのは、当然のことだろうから。
私にとっては、ただのはた迷惑でしかないが……
「……というわけで、みなで王女殿下をお探し申し上げていたところ、わたくしがお二人とお会いすることができたという次第です」
秘書官どのの話に一区切りが着いた時、ちょうど馬車が目的地に到着した。
レオン皇子たちアステール帝国の人々の宿舎となっている館は、北離宮からさほど離れていない場所に建っている。外国からの賓客の宿泊施設としては、最も格式の高い場所だ。
王宮の人間である私ですら、足を踏み入れたことのない館の一室に通されると、秘書官どのはレオン皇子をお呼びしてきますと言って、いそいそと出て行ってしまった。
ついに来てしまった。
覚悟していたこととはいえ、やはり緊張する。
秘書官どのやキラキラ皇子の反応を見るに、アステール帝国の人々は、私に対してさほど負の印象を持っていなさそうだ。その点で気を遣う必要はなさそうな点は不幸中の幸いだが……と考えていたら、
「気を遣わなくていいぞ、殿下は本当に気さくな方だ。きっとあなたもお気に召すだろう」
伯爵が脳天気におっしゃった。
「そこまで感情移入をするほど、長時間会話をしなくて結構なんですが」
そう、二言三言話して終わればよいのだ。後は男同士でよしなにやってくれればよい。
「まあまあ、折角勇気を出してここまで来たんだ。どうせなら、楽しんだ方がいいとは思わないか?」
「いえ、全く思いません」
「つれないなあ。あなたにも、是非レオン皇子のよさをわかって欲しいんだが」
私が妙齢の男性恐怖症ということを理解しているはずの主が、ここまで執拗に売り込んでくるとは。
キラキラ皇子は余程できたお方なのか、単に伯爵と気が合うだけなのか……書生としての勘は後者を推している。
いずれにしても、私を巻き込むのはやめていただきたいが、はっきり物申すと角が立ちそうなので、さりげなく話を逸らせておこう。
「閣下」
「なんだ」
「今年も大変な領主会談だったと思いますが、いいお方に出会えてよかったですね」
私につれなくされて、いささかしょげていた伯爵の顔が明るくなった。
健康的善人面に満面の笑みを浮かべると、恥ずかしそうに頷いた。
そこへ、部屋の扉が叩かれたかと思うと、威勢よく開かれ、
「カール、エステリーゼ姫!」
という明るい声と共に、まばゆいばかりの輝きを放った人物が現れた。
これがレオン皇子に違いなかった。
「歩く陽気」と言ってよい雰囲気を漂わせている……否、漂わせるどころではなく、放ちまくっているレオン皇子は、会釈する伯爵と私につかつかと歩み寄った。
そして、まずは伯爵の手を取って力強く握手をし、私をまじまじと見て、
「あ、あなたがエステリーゼ姫」
そう漏らしたきり、沈黙なさってしまった。
ちょっと待て、私はまだ一言も発していないし、会釈しただけなのだが?
それでもキラキラ皇子の癇に障ったのだろうか、やはり私は異国の人にもおかしく見えるのだろうか、と内心非常に焦りながら、
「はい、レオン皇子殿下。
お初にお目にかかります、エリー・ブラントと申します。お目にかかれて光栄です」
心の震えが出ないよう、慎重に声を出した結果、どうにか淀みなく名乗ることができて安心した。
だが、安心したのもつかの間、レオン皇子の様子は更に私の不安を募らせた。
「わ、私こそきょ、今日はお会いできてまことに光栄だ。だが、あなたも疲れたであろう、今日はゆっくり休むとよい。
カール、話がある、ちょっと来てくれ。エリー姫、しばしここでお待ち願えるか?」
レオン皇子は早口でそうまくし立て、今にも伯爵を伴って部屋を出て行こうとする勢いだった。
私の中では非常に不安が増大してきたが、ここで慌ててはいけない。
私には何も非はないはずだ。
疑心暗鬼に駆られては冷静な判断ができなくなる。落ち着かなくては。
早くなる鼓動の中、できるだけ落ち着いた口調で、
「はい、どうぞごゆっくりお話なさってください」
と申し上げると、キラキラ皇子はほっとしたような表情になった。そして、首を傾げる伯爵を引っ張りながら、
「あ、ありがとう、感謝する!」
叫ぶような声でそうおっしゃると、つむじ風のような速さで伯爵と共に部屋を出て行ってしまった。
 




