遺物の語ること3*
アリスさんとの会話を書き連ねると余計に長くなるので、またこちらでまとめさせてもらった。
できるだけ長尺にならないよう努めたつもりだが、重要な事柄も多く、そのような事柄は省けないことも察してもらえたらと思う。
ミデルファラヤの隣に、とある国……Z国がある。
(Z国の名前は直接話に関係ないので出さないことにする。これ以上固有名詞が増えると覚えきれないだろう)
Z国はZ人が大多数を占める単一国家と言ってよい国だったが、A人と呼ばれる少数民族も住んでいた。
(Z人、A人についても正式名には触れないでおく)
A人はZ国とミデルファラヤの双方と国境を接する国、Y国から移動してきた民だ。
(Y国に関してもこのまま話を進める)
移動してきたと言うと聞こえがいいが、太古の昔、A人が住んでいたY国で内乱が起き、A人は敗北した。
そのため国を離れることを余儀なくされたのである。
A人にとっては屈辱的な結果となってしまったが、残念ながら弱肉強食のこの世界ではままあることだ。
このあたりの歴史は、A人の間では口伝で語り継がれているだけだった。
史料などはA人の手元に残されていない。A人は文字は使うものの、過去を記録するという文化を持っていなかった。
逃げ込んだ先のZ国で、A人はZ人の同情を集めた。
Z人はA人を追ってきたY国の軍隊と戦ってA人を守り、そのために命を落とした者も少なからずいた。
Z人自身、自らの国を守るために戦ったのだとは思うが、A人をY国に引き渡したりしなかった点を見ると、Z人は良心的な民族と言ってもいいだろう。
ともかく、A人の出自はこのように明らかだった。
ところが、二十年前くらいからA人の出自について、次のような説が唱えらえれるようになった。
「実はA人はZ人よりも古くからZ国の土地に住んでいたのです。
しかし、後から来たZ人がA人を迫害して辺境の地へ追いやり、とうとうZ人は国境を越え、Y国へ逃れるしかなくなってしまいました。
ところが、Y国にとってはよそ者であるA人は、Y国からも退去を求められたのです。
とはいうものの、地形の関係上逃れられるのはZ国しかなく、A人はZ国に戻らざるを得なかった。その際、Z国はA人を追い出しにかかっていたY国に剣を向けたのです」
「確かに、Z国とY国の間に戦いはありました。
ですがZ国がY国と戦ったのは、A人を守るためなどではありません。Z国自身がY国の勢力を削ぎたかったのです。
当時、Z国はY国を目の上の瘤とみなしており、Y国を攻撃するきっかけが欲しかった。そのためにZ国に戻って来たA人を利用したのです。A人を迫害した血も涙もないY国を許さない、という大義名分でY国を攻撃するために。
血も涙もないのは、先にA人を迫害したZ人ではありませんか……」
という見解を語る人々が現れたのである。
真実の中に絶妙な嘘を溶け込ませ、まことしやなに偽りの歴史を作り、唱え出したのは誰なのか。
最初に述べたのが誰なのかは、今となってはわからないが、歴史学者、民族の研究者といったその道の専門家から、政治や宗教に携わる者たち、慈善家など、複数の分野の人々がこの説を唱え出したようだ。
そして遂には、当のA人だけでなく、濡れ衣を着せられたはずのZ人までもがこの説を信じ始め、A人に対して謝罪をする者まで出る始末だった。
そんなばかな、A人は戦いに敗れ祖国を追われた不幸な民族、それをZ人が救ったのではないか……そう記憶している人々も多くいた。
A人を追い出した当事者であるY国には、A人との争いの記録が残っているはずだが、不運なことにZ国とY国との仲は険悪だった。
とてもではないが、A人の歴史に関する史料を拝借できる間柄ではなかったのだ。
A人をめぐって戦った過去を考えると、不仲なのは当然と言っていいだろうが、A人はもちろんのこと、Z国にとっても不幸でしかなかった。
口伝でA人の出自が伝わっていても、その記憶を証明できる文献がなくては、彼らの説が正しいことを完全には証明できなかった。
国際少数民族育成協会が設立されたのは、ちょうどこのような事柄が起きた時期だった。
ある時、A人はZ国に対し、自分たちの伝統と権利を保護するよう求め始めた。
一例を挙げると、A人の間で代々受け継がれてきたと言われる器とその製法を、A人固有の伝統工芸として認めよ、とZ国に請願したのである。
昔からA人は土を使った焼き物を作ってはいたものの、それは彼らがZ国に来てからZ人が作っているものを真似て作ったものだった。
従って、伝統工芸に指定するような希少価値のあるものではなかった。
それでもA人は「我らA人が代々伝承してきたものに、付加価値をつけないとは何事か」「この製法はA人固有のものである」「Z人にこの製法を使う権利はない」などと、ひたすら自らの伝統工芸であることを主張した。
この粘り強い(あるいは狂信的な)主張に根負けしたZ国は、なんとその器と製法をA人固有の伝統工芸と認定してしまったのである。
結果、Z人の陶芸家たちはこの器と製法が使えなくなってしまった。
Z人の陶芸家たちにとっては単に迷惑で済む話ではない。死活問題だ。
また、A人は次のようなことも主張しはじめた。
自分たちは今までZ人に差別され、迫害を受けてきたため、自らをA人だと名乗れないまま、ひっそりと暮らしてきた者もいる。
そういう人々は申請さえすれば誰でもA人だと認める法を作れ、そして自らの出自を名乗れなかった人々の心の痛みに対する補償をせよ、というのだ。
これは明らかな嘘だった。Z人がA人を差別した事実はない。命を賭してまでA人を守ったZ人にしてみれば、言いがかりもいいところだろう。
とはいうものの、A人の中に自らの出自を明らかにしていない人がいるのは事実だった。
だがそれは、A人が差別されているからではなかった。
もともと、Z国がほぼZ人のみの単一民族国家であったこと、そのZ人に命を賭して守ってもらったことに恩義を感じ、自らもZ人として生きていこうと心に決めた人々が、あえてA人という素性を明かそうとしなかったのだ。
これはアリスさんがA人の末裔に直接話を聞いて知ったという。
しかしZ国はこのA人の要求も飲み、無茶な法律と補償も認めてしまった。
すると、自らをA人だと名乗る人々が続々と現れた。
当然のことだろう。『申請さえすれば誰でもA人と認められる』この言葉の意味は大きい。
身体にA人の血が一滴も流れていなくとも、A人だと宣言すればA人と認められ、『心の痛みを補償』してもらえるのだ。
当時、Z国の経済状況は決してよいとは言えなかった。
片方に自らの真の出自と良心、もう片方に補償を秤にかけた結果、補償の側に天秤が傾く人が少なからず現れてもおかしくない状況だった。
その他にもA人は、このような無謀としか言いようのない要求を立て続けに行ったが、それらは全て自ら考案したものではなかった。
国際少数民族保護協会からの、助言という名の入れ知恵だった。
A人を保護対象と認定した国際少数民族保護協会は、善人の仮面を被ってA人の生活圏に入って来た。
彼らはA人に、A人の独自性をZ国に主張し、民族の誇りを取り戻すようA人を激励……というよりも扇動した。
A人は差別を受けていた訳ではなかったし、自らをA人というよりZ人だという意識を持っている人々も少なくなかったが、彼らが多数従事していた林業や山間部の河川での漁業は、この当時斜陽の様相を見せていた。
収入も他の産業で得られるものより少なかったため、無意識のうちに肩身の狭い思いを抱いていたのかもしれない。
そのような境遇にあるA人を、国際少数民族保護協会は言葉巧みに誘導した。
「今のあなた方が貧しいのは、Z人が豊かになれる職を独占しているからだ」「A人にも豊かになる権利がある、A人こそZ国を支える民族なのだ」などなど。
それと同時に国際少数民族保護協会は、言い伝えられているA人の歴史には誤りがあると彼らに告げた。
ミデルファラヤに残っている文献には、そもそも先にZ国の地で暮らしていたのはA人であり、最初にあなたがたを迫害したのはZ人であると記されている、と。
彼らはミデルファラヤで製作した偽りの史料をA人に見せながら、真摯に訴えるその裏で、A人やZ人が見つけられずにいた、A人についてのごく僅かな史料をしらみつぶしに探し出し、密かに焼却処分していたのである。
国際少数民族保護協会はZ国の政権中枢にも工作していた。
例えば、A人の作る器はとても品質がよいからA人が独占して作るべきだ、そうすればミデルファラヤはZ国の器を高値で買うだろう、などと政権の有力者に囁いた。
また、いまやZ国にしか存在しないA人の希少価値は高い、彼らを保護し、その暮らしぶりや伝統芸能を観光に活かせば、行き詰っているZ国の経済も潤うのではないか、とも助言した。
当然ながら、A人の『心の痛みを補償』する法律も協協力に後押しした。
少し考えれば……否、考えるまでもなく、この『助言』がいかに的外れなものか、判断できない方がおかしいのだ。
器については、少し気をつけて見ればわかることだった。
A人の器とZ人の器、どちらも優劣をつけがたい品質だった。同様の材料と製法で作っているのだから当たり前だ。
A人の希少価値というのにも首を傾げてしまう。
『申請さえすれば誰でもA人と認められる』などという制度を作れば、補償目当てでA人を名乗る者が増えると、予想できなかったのか。
そもそも、このような制度でA人が激増すれば、A人の希少価値とやらはすぐになくなってしまう。
となれば、A人による観光効果で得られる利益より、A人への補償額の方がが大きくなるだろう。
こういったことを、当時のZ国政権は想像できなかったのだろうか。
常識のある政治家は想像できていた。
しかし、国際少数民族保護協会ことミデルファラヤの魔の手は、政権の最高責任者にまで及んでいた。
その決定には誰も逆らえなかった。
いつの頃からか、Z国の国家元首は傍にミデルファラヤ人の美女を侍らせるようになっていた。
好みど真ん中の女性をあてがうのは、ネルドリの専売特許ではなかったということか。
かつて、Z国の中でA人が占める割合は百人に一人いるかいないかだったが、現在では三人に一人までになっている。
そのうちの半数近くが貧困層のZ人、残りはなんとZ国の国籍を取得したミデルファラヤ人だという。純粋なA人の末裔はほんの僅かしかいない。
現在、彼ら『A人』の補償は、ミデルファラヤからの貸付金で行われている。
Z国はその貸付金を得るために、最大の港を百年に渡って独占して使用できる権利をミデルファラヤに与えた。
Z国がこの港を使用する際には、ミデルファラヤに使用料を支払わなくてはならない。
おかげでZ国の貿易による利益は半減しているという。
これではいつ貸付金を返済できるのか、目途は立てられないだろう。
そして直近の選挙の結果、Z国の国家運営は『A人』に委ねられることになった。
Z人が政治を担っていた頃は、どの国とも友好的な関係を保っていたZ国だったが、『A人』が政権を取った現在は親ミデルファラヤ国となり、隣接する国々に高圧的な態度を見せている。
心あるA人は、本来喜ぶべき同胞の激増に涙しているという。
「……現在わかっていることは、このくらいです」
Z国とA人、彼らにまつわる過去と現在を話し終えると、アリスさんは赤銅色の瞳を改めて私に向けた。
以前『慈愛と勇敢の国』と称されていたZ国が、現在では『ミデルファラヤの犬』と呼ばれていることは知っていた。
しかしこのような背景があったことは全く知らなかった。
決して当たって欲しくない、思い過ごしであってほしい考えだが、もしもZ国とA人に起きたことが、ドナーク島のマキ人にも始まろうとしているのだとしたら。
部屋は暖かいにも関わらず、冷たいものが背筋を降りていった。
いくつもの不安と疑問が頭をよぎる。
「つまりミデルファラヤは、マキ人をA人のように利用してドナーク島を手中に入れようと」
していますか、と続けようとしたが、それ以上声が出せなかった。
「そうなって欲しくはありませんが、可能性は捨てきれないかと思います。あのミデルファラヤですから、用心に越したことはないと思うのですが……」
アリスさんがここで台詞を止めた理由は、なんとなく汲み取れた。
「ドナーク島はあの『最後の楽園 ネルドリ』の著者が領主ですものね。どこまで用心しているか……あるいは全く気付いていない可能性も」
私の嘆息混じりの声に、アリスさんは沈痛な面持ちで頷いた。私は更に疑問を口にのぼらせた。
「Z国がたどった経緯がドナーク島にも当てはまるとしたら、次は何が起きるのでしょう?
今はマキ人のよい印象を崩さないまま、彼らがミデルファラヤに近しい民族であるという印象を、音楽によって固めようとしているように見えますが」
そう、音楽のことも疑問だ。
「マキ人が奏でていた音楽は、誰が彼らに教えたのでしょう?
お話を聞く限り、昔から彼らに受け継がれていたものとは、到底思えないのですが」
言い終えた直後に、話題を異なる方向へ飛ばしてしまったことに気がついた。自分で自覚している以上に動揺しているのだろう。
慌てて謝罪すると、アリスさんは笑って許してくれた。
「いえいえ、音楽のことはとても重要ですし、お話したいことの一つでしたから、お気になさらないでください。
現在マキ人が演奏している音楽は、国際少数民族保護協会の職員と共同で作ったもののようです」
「ということは、マキ人の伝統音楽も少しは入っているのですか?」
「私が聞いた限りですが、ほぼ入っていないように思います。ですからより心配なのです」
マキ人の音楽制作にマキ人自身が入っているにも関わらず、その音楽の中にマキ人の音楽要素が入っていないということは、
「それはつまり、マキ人が国際なんとか協会に逆らえない立場になっているのか、あるいはマキ人自身が国際なんとか協会と手を組んでいる可能性も」
ここまで話に聞いた限りだが、はっきり言って害悪でしかない組織の正式名称など、呼んでやる気は完全に失せていた。そのため、臆面もなく適当に呼んでしまったが、
「そうです、そうなっているとしたら事態はより深刻です」
アリスさんの表情は深刻だった。
マキ人と彼らが住まうドナーク島を憂う思いが現れている気がした。
「私は以前、マキ人に代々伝わる歌を聞かせてもらったことがあるのです。
音の種類は多くありませんでしたが、素朴で懐かしさを感じる歌でした。
ですが、先日聞いたあれは、明らかに違います。あの国の音楽です。
出土した楽器も見せてもらいましたが、あの素朴な造りの楽器に、あれほど複雑な音階は出せないだろうと、友人も申していたのです」
「アリスさんは、本当のマキ人の伝統音楽をご存知なのですね」
それならば、ドナーク島でマキ人の演奏を聞いて一層驚いただろう。
しかし、ふと思いついたことがあったので、訊ねてみることにした。
「では、演奏している方が使われている復元された楽器は、発見された物とは異なる形や構造をしているということになりますね? 出せる音が違うということは」
「ええ、そうです。似せて作ってある物もありましたが、全く違う形の楽器を演奏している方もいました」
「そういった調査班の人々の意見や、調査結果などを、あの組織は知らないのでしょうか。
知らないとしたら認識不足もいいところですし、知っているとしたら……」
そう、マキ人の伝統音楽をミデルファラヤのものに似せてたところで、実際に発見された楽器でそれが演奏できないとしたら、すぐに偽の伝統音楽だとばれてしまう。
にも関わらず、そういったことをしているということは、そのうちばれる可能性を考えて、発見された楽器を抹消しかねないのではないだろうか。
だとしたら、A人についた記された数少ない史料を燃やしたのと同等の、とんでもない所業だ。
「知っているはずです。その上で黙殺しているのだと」
アリスさんの返答を聞いた瞬間、私は心の中で国際(中略)協会を極悪組織に認定したが、口には別のことを喋らせた。
「調査班の人たちが、マキ人の人々に演奏を止めるよう指導することはできないのでしょうか?
誤った伝統を伝える可能性があると注意喚起すれば、マキ人の人々も聞いてくれるのではないでしょうか」
「マキ人への指導は、調査班の権限には含まれていないのです。
先住民族の文化や慣習は、誰にも犯すことのできない彼ら自身の所有物だ、というのが国際少数民族保護協会の言い分で。
彼らの保護認定を受けた先住民族には、その土地の支配層ですら指導が難しくなることもあるようです」
なんということだろう。
この極悪組織は、国際社会公認の組織でないにも関わらず、他国の先住民族を守るという名目の下に、彼らを支配下に入れるというのか。
しかも厄介なのは、先住民族だけでなく彼らが住まう国さえもわが物にしようとする点だ。
「では、マキ人にはデナリー侯爵ですら言うことを聞かせるのが難しい、ということですか」
「全く無理ではないと思いますが、デナリー侯爵は遺跡の調査であの協会から支援を受けていますから、その分余計に難しいかもしれません」
なるほど、支配層には恩を売ることで口を封じるという訳か。
極悪組織、ひいてはミデルファラヤのやり口に、あのデナリーさんがどこまで気付いているのかいないのか。
気付いているとしても、どのくらい対抗できるのか。
あるいは、既に極悪組織に協力する側に回っているとしたら、ドナーク島とわが国にとって、想像したくない未来が待っている。
事の重大さに改めて打ちのめされて、しばらく一言も発することができなかったが、やがてアリスさんが何か思い付いたように両手を合わせた。
「そうだ、エリーさまさえよろしければ、明日マキ人の末裔の方のお宅を訪ねてみませんか? 以前私が聞いたのも、その方の歌なんです」
マキ人の末裔の方は、私にとって当然初対面であり、本来ならお断りすべきお誘いのはずだった。
しかし「もしかしたら、マキ人の本来の音楽を聞かせてもらえるかも!?」という歴史的好奇心に火がついた結果、
「よ、よろしいのですか、ご一緒させてもらっても」
気が付けばお供する気まんまんの返答をしていた。
「はい、この話はその方にも近々聞いてもらうつもりでいましたので。もちろん、エリーさまの素性は明かしません」
「お、お気遣いありがとうございます、では、よろしくお願いします」
こうして私は、引きこもり生活に入って以来、伯爵以外の人とは初めて、自分の意思で初対面の人に合うことを決意したのだった。
*2024.9.3一部改訂しました。
*2024.9.10一部加筆しました。




