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招かれざる者2

 世界でも有数の大国であるこの国……ブランアズール王国の王女に生まれたならば、大抵は同盟を結んでいる(もしくは、これから仲良くしたいと考えている)国に嫁がされるのが普通だから、政略結婚の話があってもおかしくはなかった。


 だが、私はこの見てくれなので、そんな機会は絶対にないと信じ切っていたのだ。


 にも関わらず、なぜか王宮は私を政略結婚の駒に使い、しかもとんでもない恥をかかせてくれた。

 嫁いだ翌日には離縁を宣告され、母国に送り返されたのである。


 理由は至極単純。

 私の容姿が、相手側に送られた絵姿と似ても似つかないものだったから。


 新婚初夜、豪華な寝台で新郎たる王子から投げつけられた絵姿には、金髪碧眼、明るく美しい容貌で、女性らしい体型の完璧な美女が描かれていた。

 どこからどう見ても私ではなかったから、申し訳ありませんとしか言えなかった。


 新郎新婦が寝室で二人きりになるまでは、花嫁の顔を誰にも晒さずに婚礼の儀式を行うという、あの国の不条理なしきたりが招いた悲劇だった。


 当然ながら、これは国家同士が進めた縁談なので、どんな絵姿があの国に送られたのかなんて、私が知るはずもなかった。

 閨で自分とは別人としか思えない絵姿を投げつけられ、私も心底驚き、憤慨したのだが、新郎はもっとお怒りだったので黙っていた。


 今にして思えば、冷静に話し合えればよかったのかもしれないが、あのとき、新郎から浴びせられた暴力はいまだに忘れられないし、その痕は完全に身体から消えないこともわかっている。


 新郎の反応はごもっともなのだが、まさか自分の国が、これほど幼稚であからさまな嘘をついているとは、夢にも思っていなかった。


 従って私を責め、なじり、手を挙げられても困るのだが、抵抗はしなかった。

 正当防衛になる可能性が高いとはいえ、一国の王子に傷をつければひと悶着起きただろう。

 私のせいで、わが国に悩みの種を増やすことになったかもしれない。


 当たり前だろうが、これ以来、わが国とあの国は疎遠な仲となってしまった。


 私の縁談の責任者が罰せられたという話は耳に入ってこない。

 だから今では、あの国と縁を切るために、わざと私を嫁がせたのではないかと考えている。

 そう考える以外に説明がつかないのだ。

 なぜ、今まで放置してきた不吉な姫を、この時とばかりに他国へ嫁がせたのか、その理由が。

 少なくとも私にとっては。


 この珍事から一年半の後、いわくつきまくりの出戻り女(私のことだ)を引き取ってくれたのが、このカシルダ島の領主レイスタット伯爵だったのである。




 あの国の新郎の立場になれば、それは文句の一つや十や百くらい言いたくなるだろう。

 気持ちはよくわかる。


 新郎を見てすぐにわかった。

 この人の品性は、夫としても将来の統治者としても、敬愛できる人ではないと。


 常軌を逸した声でわめきながら暴力をふるうあの姿は、精神に異常をきたしたのではないかとすら感じた。


 だからこそ、私はあの時抵抗しなかった……できなかった。

 明らかに私より脆い人間だと察してしまったから。




 私の顔と身体が、どうにか見られる状態に戻るまで、丸一年が必要だった。




 しかし、見た目は勝手に治っていっても、心はそうはいかなかった。

 一年を過ぎても、何をするでもなく王宮の自室に引きこもっていた。あれほど好きだった、大学に復学しようという気にもなれなかった。


 私の世話をしてくれていた侍女たちは、嫁いでから解雇されたらしく、王宮に戻ってきたときには一人も残っていなかった。

 それならばなおのこと大学に戻ればよかったのだが、どうしてもできなかった。

 大学には圧倒的に男性が多い。アイスラー教授の研究室に行くまでの道のりを、男子学生に会わずに行くことなど不可能だった。


 私は同年代の男性を極度に恐れるようになっていた。




 顔と身体が治った後も、何もできず無為に過ごしていたある日、信じられない書簡が届いた。

 差出人はアイスラー教授だった。




 南端のカシルダ島の領主、レイスタット伯爵が優秀な書生を紹介してほしいとのことでしたから、あなたを推薦しておきました。

 まもなく王宮に彼からの書簡が届くでしょう。

 王宮もあなたがカシルダ島へ赴くことに異論はないと思います。


 レイスタット伯爵は、私の優秀な教え子で信頼できる方です。

 あなたなら彼の書生として十分に務められるでしょう。

 大丈夫、私が保証します。


 そろそろ、勇気を出して外に出てみてはどうですか?




 音信不通な私のことを心配してくれてのことだと思うのだが、私にとってはただの拷問だった。

 前半を読んだ時点で目の前が真っ暗になり、しばらく続きに目を通せなかった。


 怯える私の心を目覚めさせたのは、勇気を出して読み進めた末に現れた最後の一行だった。


「そろそろ、勇気を出して外に出てみたらどうですか?」


 長い間、凍り固まっていた心が、尊敬する師の言葉でようやく溶け始め、自分の心に向き合う勇気をくれたように感じた。


 ずっと部屋に閉じこもりながらも、このままではだめだと、いつも心の奥底でもがいていた。

 だが、向き合う力すら残っていなかった。

 そんな弱り切った私の心に、勇気を注いでくれたのがこの一言だった。


 レイスタット伯爵のことは、以前アイスラー教授から聞いたことがあった。

 貴族というより武人として知られており、大国が狙っているわが国の豊かな南の海を守ってくれている。

 領民思いの施政をする、能力と優しさを兼ね備えた方だ。


 その一方で、彼に対する王宮の評価はあまり芳しくなかった。

 有能であることと王宮の覚えがめでたいことは、決して同義にはならないらしい。


 隣国からの牽制に対して、あまりに敏感に反応しすぎているというのが、王宮でのレイスタット伯爵に対する評価だった。


「奴は常に大げさなのだ。武力にものを言わせ過ぎなのだよ。

 かの国を怒らせるなど言語道断、重要な南の要を守る領主として不適切な行為だ。

 そのうち、王宮に対して叛旗を翻すのではあるまいな?」

「あのように苛烈な砲撃を放ちおって。

 もしも、万が一にもの話だが、かの国が怒って、わが国に侵攻してきたらどうするつもりなのだ。下手にかの国を刺激しない方がよいというのに」


 このようにわめき散らす貴族たちの声も、聞いたことがあった。


 レイスタット伯爵が「苛烈な砲撃」を隣国の海軍に行ったのは二年前のことだが、先に攻撃してきたのは隣国側だった。

 しかも、この砲弾で伯爵が率いていた船団のうちの一隻が沈められ、多数の部下が亡くなっている。


 もしレイスタット伯爵が反撃していなければ、より多くの彼の部下が……わが国の民の命が失われていたかもしれないのだ。


 そのような状況で、下手にかの国を刺激せず、黙って攻撃を受け続けていればどうなるか。

 カシルダ島の海軍は壊滅し、島が直接攻撃を受けることになっただろう。

 そうなれば最悪、カシルダ島は隣国の手に落ちたかもしれない。


 念のために言っておくと、この隣国は、私が出戻りを余儀なくされた国とはまた別の、より大きな国である。


 王宮の中枢で、日々政治に携わっているはずの貴族たちの見識に、わが国の危機管理能力を激しく疑ったものだが、書生の話を貰った時の私が危険視したのは、そんな国家レベルのことではなかった。

 レイスタット伯爵はなんと、私と四歳しか年が離れていないというではないか。


 ようやく溶けてきた心が、不安と恐怖に覆われてまた凍ってしまいそうになった。


 レイスタット伯爵と対峙して、身動きできなくなったらどうすればいいのか。

 もしくは、伯爵の方から私に近づいてきたらどうしたらいいのか。

 今度こそ錯乱して、暴力をふるってしまうかもしれない。

 そんな乱行を働いた末に、王宮に送り返されるようなことになれば……立ち直れる自信はなかった。


 この状況だと、私はほぼ確実にカシルダ島へ行くことになる。

 なぜなら、王宮にとっても、私を厄介払いできるいい機会だからだ。

 もし、私がレイスタット伯爵から送り返されても、私の外見と奇行のせいにして、王族の資格を剥奪すればよい。


 つまり、いくら考え込んでも、私に選択権はないということだ。


 その結論に達すると、諦めの境地に立てたのか、ただの開き直きかはわからないが、心が軽くなれた。


 ……レイスタット伯爵はさほど私のことを知らないのだろう。

 私を一目見れば、速攻で帰れと言うに決まっている。

 そうなったら、今度こそ大学に戻ろう。

 王宮もこんな私をいつまでも手元に置いてはおくまい。

 住むところだけ与えて、追い出してほしいものだ。

 王女をのたれ死にさせたら、さすがに国民に顔向けできないのだし。

 いずれにしても、私と縁を切ることができるいい機会ではないか。


 決めた、王宮が何と言おうと、あそこはもう出よう。

 できるだけ大学に近い家を借りて、男どもに鉢合わせせずに登校できるようにすればいい。

 そして、男どもと関わらずに済む副業も探して、生活費の足しにするのだ。


 大丈夫、レイスタット伯爵が帰れと言うまでの間だけ、耐えればいいのだから。

 きっとほんの数分で済む。


 とりあえず、カシルダ島に行こう。

 そして、また返品されてこよう。話はそれからだ……


 私の頭の中は、王宮に戻されること前提の未来で一杯になった。

 正しい予想、正しい将来設計かどうかはともかく、これほど何かに思いを巡らせたのは久しぶりだった。


 案の定というべきだろう。

 王宮はレイスタット伯爵からの申し出をありがたく受け入れ、私を書生としてカシルダ島へ送り出すことにしたのである。




 その一週間後。


 緊張というより、決死の思いでカシルダ島に降り立った私の前に、新たな私の主は立ちはだかった。


「エステリーゼ王女殿下、ようこそわがカシルダへ」


 これがレイスタット伯爵……


 私が見上げなくてはいけないほど長身の人には、ほとんどお目にかからないのだが、伯爵はまさに立ちはだかるという言葉がぴったりの、どっしりとした身体つきと、同年代の男性の割には落ち着いた声の持ち主だった。


 しかし、その堂々たる身体の上に乗っていたのは、身体つきとは真逆の印象を持ったお顔だった。

 全身から発する屈強ぶりから対局にある、端正と言っていいお顔で、こう申し上げると非常に失礼だが、少なからず違和感があった。


 うまく表現できないが、毛むくじゃらの恐ろしい獣の着ぐるみを着た人が、顔の被り物だけ取った状態で常に生活している感じ、というのが私の正直な第一印象だった。


 そうは言っても、違和感の原因である容貌には、負の印象は全くなかった。

 武人としての強さの内にある、穏やかで暖かな心が表れている面差しに見受けられた。


 身体と顔の印象が一致しないのも、個性の一つと言える。

 しかも、どちらも悪い個性ではないし、見慣れてくれば違和感も次第になくなるだろう。


 羨ましさすら感じた。

 武人としての屈強な身体も、逞しさと知性の双方を感じる声も、日に焼けて健康的な褐色の肌も、柔らかな中にも秘めた意志を感じる緑青色の瞳も、短く整えられた癖のない椚色くぬぎいろの髪も。


 悪い人には見えなかった。

 異性としての圧力も感じなかった。

 おかげで固まったり失神したり、まして発狂して暴力をふるわずに済んだ。


 それでも、なぜこの人が、私を見てこれほど笑顔なのかわからなかった。

 「白髪の不吉な出戻り姫」の噂は、国じゅうに広まっているはずなのに。

 私を見て、微塵も驚いた顔をしないばかりか、満面の笑みで出迎えてくれるなんて、思いも寄らなかった。


「すみません、ふつつか者ですが、どうぞよろしくお願い致します」


 伯爵が悪い人に見えなかった……むしろいい人だと直感で見抜けただけに、ひどく申し訳ない気持ちになって頭を下げた。


「何を言い出すかと思えば謙遜など。

 なにせあなたは、私の後輩で、アイスラー教授の一番弟子ですからな。これほど信頼できる書生はおりません、頼りに致しますぞ」


 伯爵が差し出した手の大きさと、暖かそうな雰囲気は、私の恩人たちから感じたものと同じだった。

 なにより「アイスラー教授の一番弟子」という称号は、私にとって最高の誉め言葉だった。


 それでも、すぐには伯爵の手を取れなかった。

 伯爵の声が音量を抑えて優しくなったのもわかってはいたが、久しぶりに男性に面と向かった私にとっては、高くて厚い、越えがたい壁が立ちはだかっていた。


 勇気を出して、少しずつ上げようとしている私の手を、伯爵は無理に取ろうとはしなかった。

 しばらくの間、黙って見守っていてくれたが、周りの目を気にしてくれたのだろう。壊れ物に触れるようにそっと私の手を取ると、私にしか聞こえない小さな声で、


「恐れながら、ある程度の話は王宮と教授から聞いています。

 まずはここの自然を満喫するところから始めましょう。書生の仕事はそれからですな」


 ごつごつした見た目からは想像できないほど、伯爵の手は優しかった。

 声にも顔にも、失礼な違和感を覚えたことを、心から申し訳ないと思う暖かさに満ちていた。

 あの王宮で過ごしてきたおかげと言うべきか、上辺だけ善人面をした人間は、見ただけでわかるようになっていた。


 伯爵は私の手を離すと、私が足元に置いていた荷物鞄を軽々と肩に担いで、先に立って歩き出したが、しばらくすると振り返って、


「迷ったときは、焦らず騒がず。

 カシルダの自然はすべてを癒し、大地と海に還してくれる……ここは万事こんな調子の、のんびりしたところです。気楽にいきましょう」


 私に向けられた伯爵の笑顔には、アイスラー教授の面影があった。


 時が学生時代に戻った気がした。

 あの出来事が起こる前の時間と私に。


 この人のそばにいれば、私は元に戻れるかもしれない……


 不意にそんな思いが芽生えたとき、自分の愚かさに愕然とした。


 こんなことだから、私の心はあの出来事が起こった時のままなのだ。

 自分の力で立ち直れない、立ち直ろうとしていないから。


 そのことに気づかされた衝撃は、強烈な自己嫌悪になって心に深く爪を立てた。




 伯爵の屋敷に到着し、用意してもらった自室に通されるまでは、カシルダ島の青い空と海を瞳に映して、霞みそうになる視界をごまかした。

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