『最後の楽園 ネルドリ』より
ネルドリ。
あなたは、この言葉の意味をご存じだろうか。
『ネル』とは、ネルドリ語で『一つ、一人』を表わし、『ドリ』とは、ネルドリ語で『人間』を示す。
つまり『ネルドリ』とは、『一人の人間』という意味なのだ。
国民全体を一人の人間と捉え、全ての人々が与えられた役目を全うすることで、初めて国を動かすことができる国家、それがネルドリなのである。
国民一人一人、誰が欠けても成り立たない。
だから、誰一人取り残すことなく、全員が一つとなって歩む。
それがしなやかで猛き国ネルドリなのだ。
この紛うことなき平等平和精神を構築されたのが、今の大総統オウロ・ゾラータ閣下だ。
大総統閣下自ら構築されたこの思想は、他人を慈しみ、尊重することによって、国民全体が一つになれるということを、体現化したものである。
今回の旅は、それを目の当たりにできる、またとない機会となった。
私がネルドリ随一の港町ベルゾに着いたとき、地元の人々は私たちを大歓迎してくれた。
首には幾重にも美しい花輪をかけてくれ、歓迎の意を示す抱擁も老若男女から受けた。
それだけで、とても暖かな気持ちになれた。
みな、とても礼儀正しく身なりがよく清潔で、抱擁の際には上品でいい香りが私の鼻孔をくすぐった。
そして、彼らは非常に優しかった。
ベルゾから二時間、馬車に揺られて旅をすると、首都ネルドリグランダだ。
首都に着くまで楽しみにしていてもらいたい、ということで、外の景色は見られないようになっていたが、それもまた旅の醍醐味である。
馬車の中では案内人と護衛者が、ネルドリの人々の心清らかな話をたくさん聞かせてくれた。
詳しい話は後の章で紹介しよう。
ネルドリを旅するためには、必ず案内人と護衛者と共に旅をしなくてはならない。
これはネルドリの法律で定められており、旅人が守るべき義務である。
案内人がネルドリの全てを余すところなく旅人に伝え、護衛者が万が一の危険もないよう、旅人を守るためだという。なんと訪れる者に優しい国だろう。
案内人と護衛者の数が限られているため、多くの人々が訪れることはできないが、その分訪れた者には、いかにネルドリが素晴らしい国であるかを、広く伝える義務がある。私がこの本を書くことにしたのも、それが理由だ。
馬車の外から窓の覆いが外されると、いよいよ首都ネルドリグランダだ。
既に中央大門をくぐり、首都ネルドリグランダに入った馬車は、そのまま一直線に伸びる、偉大なるオウロ・ゾラータ大通りを進んでいた。
偉大なるオウロ・ゾラータ大通りの両側に並ぶ、政者(政治に携わる要職に就く者をこのように呼ぶ)たちの邸宅は、どれもとても豪奢な門構えをしていた。
しかし、門をくぐれば、屋敷は驚くほど質素だという。
政者も庶民も、等しく清貧な暮らしをしている……それがネルドリという国だ。
しばらくすると、案内人に馬車を降りるよう言われ、私は初めてネルドリの地に足をつけた。
そこはまさに理想郷……一国の首都とはこうあるべき、という見本のような姿であった。
偉大なるオウロ・ゾラータ大通りの石畳は、非常に美しく磨かれており、塵一つ落ちていない。
毎日数回、決まった時間に庶民がボランティアで清掃するというのだ。
等間隔に並ぶ、手入れの行き届いた街路樹と、色とりどりの花々。
こちらも庶民が自発的に手入れをしているという。
無給で働くという心の余裕があるせいだろうか、歩道を歩く人々は非常に優雅で、それでいて親しみやすい雰囲気を醸し出していた。
ふと、我が国の王都が喧噪と埃にまみれ、しかめ面の人々が足早に往来していることを思い出し、思わず目頭が熱くなってしまった。
生まれて初めて自分の国を心から恥じたのが、この日であった。
(フレデリック・デナリー著『最後の楽園 ネルドリ』序章より抜粋)




