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招かれざる者1*

 浜に打ち上げられていたのは、いつ沈没してもおかしくない有様のみすぼらしい小型船だった。


 ここは島の北方、島内で最も美しいと言われている砂浜。

 夏は国中の海水浴客で賑わうが、今は冬。

 人の姿もなく、波音だけが寂しく絶え間なく響いている。


 ところどころ朽ちかけた船体、帆には穴が空き、帆桁も折れかかっている。これでは思うように進めなかっただろう。

 この島まで流れ着いたのは、幸運というより他ないと思った。


 しかも、この船の船尾には、わが国のものではない国旗がはためいている。

 よくもまあ、あの国からはるか遠く離れたこの島までたどり着けたものだ。


「あの中にいるんですか」

「そのようだな」


 必要のない私の確認に、伯爵はいつもの明るい口調で応えると、単身その漂着船に向かって歩き出した。


 堂々としている伯爵の背中を見ていると、この人といれば安心かなと思ってしまいがちなのだが、どんなアクシデントが起こるかわからない。私も兵士たちも急いで後を追う。


 兵士たちが盾となるように周りを囲もうとしたのを、伯爵は片手で制した。

 仕方なく伯爵から少し離れた位置を取って進む兵士の一人に、最後尾にいらしてくださいと諫められ、おとなしく後方に下がった。その道のプロに逆らってよいことなど一つもない。


「おい、中にいるんだろう、いい加減出てきたらどうだ? その船内が快適とは、到底思えないんだがな」


 私がこの声で語りかけられたら、のこのこ船から出てしまうであろう、至ってのんびりとした声だ。


「取引をしようじゃないか」


 足を進めながら伯爵は続けた。


「おまえらの命と人間として最低限の権利は、私が保証してやる。その代わりだ」


 急に厳しくなった伯爵の声色に、船内の張り詰めた空気がこちらまで伝わった気がして、軽く身震いした。あの国の輩と何を取引しようというんだろう。


「おまえらは、二度と故郷の地を踏むことはない。

 おまえらの尊敬する大総統閣下にまみえることも、金輪際永遠にない。異論は認めん!」


 次に何が起こったのかわかるまで、少しの時間がかかった。


 伯爵が歩みを止めた瞬間、兵士たち全員が目で追えない早さで朽ちかけた船に乗り込んだ。

 後方に追いやられた私にはわからなかったが、恐らく伯爵が何か合図をしたのだろう。


 立て続けて鳴り響く破壊音、怒号と奇声、明らかに人を殴打している音も数知れず。


 さして長くない時間の後、訪れた静寂のなか船から姿を現したのは、猿ぐつわをされ、厳重に縛られた異国の民数名と、彼らをこづいて歩かせる無傷の兵士たちだった。


「どうやら、開けたくもない贈答物が流れ着いたようだな」

「笑いごとではないですよ」


 伯爵は嬉しそうに笑いながら言ったけれど、一緒になって笑う気にはなれかった。


「このくらいのことで怯えていては、カシルダの領主は務まらん。そうではないか、エリー?」

「それはそうですけど」


 伯爵の緑青色の瞳がいつになく輝いている。

 その輝きに頼もしさと少しの不安を感じたものの、もちろん口にはしない。


 私が不安げな顔をしていたのだろう。

 伯爵は屈強な身体の割には細面の顔に、一層笑みを深く刻むと、


「さあ忙しくなるぞ、次は尋問だな。どんな拷問をかけてやろうか……楽しみでならん」


 前言撤回する。そういう理由の笑顔だったとは。


「嬉しそうにおっしゃるの、やめてもらえますか」

「これが喜ばずにいられるか」

「失礼ですが、変質者にしか見えません」

「それこそ失礼な言い草だ。私ほど、この国を憂いている貴族はおらんというのに」


 こんな軽口を叩いて、誰かと並んで歩けるようになるなんて、半年前には想像もできなかった。


 私は今までの人生のなかで最も危険な場所にいるはずなのに、最も幸せなのかもしれない。







 生まれてからずっと、私は招かれざる存在だった。


 エステリーゼ・マティルダ・ブラント・サラ・ジーナ・ブランアズール。


 これが私の正式な名前なのだが、なぜこれほど仰々しい名前なのかといえば、私がこの国、ブランアズール王国の王女だからだ。


 王家に生まれた者には、よほどの重罪を犯さない限りブランアズールを名乗る権利があるのだが、わざわざ自分から名乗る気にはならないし、二度と王宮へ戻るつもりもない。


 母に早く先立たれた私は、王宮では有力な後ろ盾のない厄介者でしかなかった。

 母は北方でひっそり暮らしている少数民族の出身で、父王が旅先で出来心のまま妾にした人だった。


 母との思い出はない。

 残された母の絵姿を見るに、私とは違ってとても美しい人だったから、父王に魔が差したのもわからなくはない。


 だが、父のせいで母の人生は大きく変わってしまった。

 北方の大らかで自然豊かな土地で育ったという母は、あんな権力闘争と陰謀の渦巻いた王宮にいても、一切ありがたいとは思わなかっただろう。小耳に挟んだ某貴族のお言葉によると、


「あんな北の田舎少数民族の娘など、政治的にも使い道がない役立たず」


 だそうで、母は他の王族にも貴族にも、全く相手にされなかったそうだ。

 亡くなる寸前まで、故郷のことを恋しがっていたらしい。


 そして当然のように、私も誰からも相手にされなかった。


 実父である国王も、母の死は悲しんだようだが、母に似ていなかった私には興味がなかったようだ。

 面と向かって会ったこともなければ、直に声をかけられたこともない。

 だから、どんな顔だったのか記憶がおぼろげになっている。まして声など覚えてもいない。


 私が心身共に、どうにかまともに生きてこられたのは、母のお世話もしてくれていた、私の侍女たちのおかげだった。


 侍女たちは、とても親身に私の面倒を見てくれた。

 王宮の中でうまく立ち振る舞う術は教われなかったが、「本当の」世間一般の常識を教えてくれたのは彼女たちだ。今でもとても感謝している。


 幼少の頃の記憶で最初に浮かんでくるのは、他の王子や王女に指をさされ笑われ、石を投げられている自分の姿だ。


 物心つき始めた頃、原因不明の高熱にうなされた私の髪は、熱が下がったときには金色から白色に変わっていた。

 生まれつきの白髪というのは、よその国には若干いるらしいが、この国では老人以外にまず見かけない。


 そんな珍奇な私の髪が、自分たちの暴力で朱に染まるのを見て、彼らはより一層笑い声を大きくした。

 何をどう言っても、やめてと必死に訴えても、彼らは聞く耳を持たなかった。


 白金でも白銀でもない、ただひたすら白く、極端に伸びるのが遅い私の髪は、他の王子や王女だけでなく、王宮の大人たちにも奇怪で不吉なものに見えたようだ。

 国にとって……というより、王族や貴族にとってよからぬことが起きたときは、私のせいにされることがしばしばだった。


 こういう面からも、私は遠ざけられたのである。




 ばけものけだもの

 疫病神死神悪霊妖怪

 おまえが生まれて以来この国にはいいことが何一つない

 この国がどんどん貧しくなっているのもおまえのせいだ


 気持ち悪い白髪あっち行け

 栄光あるわが国の恥さらし汚物一刻も早くここから出ていけ

 おまえが歩いた後の床を踏むこと自体汚らわしい

 同じ空気を吸うのもいや菌が感染する

 寄るな触るなこっちに来るな


 おまえさえいなければ

 おまえなんて




 私はそういう存在だった。




 普通のご婦人より頭一つ分以上高い背丈。

 肉付きがよくないくせに、骨太で柔らかさのない身体。

 切れ長といえば聞こえはいいが、淑女にしては鋭すぎる目つき。

 下手をすれば声の高い男性よりも低い声。

 そして、幼い頃の病気がもとで真っ白になり、なかなか伸びない毛髪には、どう手を加えても直らない癖があり、あちこちにうねっておさまりが悪いことこの上ない。


 これが私の容姿だ。


 政治的に大きな後ろ盾もなく、政略結婚の駒としても利用価値がないと判断された私は、ある意味で他の王子や王女よりはるかに自由だった。


 社交界に出る代わりに、王立女子学院に通うことが許されたときは、心の中で飛び上がって喜んだ。

 わが国で王女にとって重要なことは、美しく着飾り、華麗に歌い踊り、素晴らしい絵や植物を愛でることだった。学問など、生まれながらに高貴な淑女の心を汚す、余計で邪魔なだけのものとされていた。


 私に学問が許されたということは、(私にとっての)自由が与えられた代わりに、女として将来を絶たれたということに他ならなかったが、異性との交際や結婚など、期待するどころか苦痛としか思えなかったから、いっこうに気にならなかった。


 王立女子学院で、私は幾人かの友を得ることができた。

 男前な見てくれと中身のせいで、「姐さん」というやや不本意なあだ名をつけられたが、私への親しみからそう呼んでくれていたのはわかっていたので、文句をつけはしなかった。


 王女や貴族のご令嬢にとって学問は邪魔なものかもしれないが、それ以外の頭脳明晰な女子にとって、学問は自分の価値を高められる最大の武器だった。

 優秀な者なら、さすがに大臣までは無理だろうが、頑張れば官僚にだってなれるからだ。


「家が貧しくて……父と母に楽をさせてあげたいの」

「私、昔から本が好きでね。将来教師になりたいんだ」

「女が男と対等にやりあおうと思ったら、学問しかないでしょ? 一泡吹かせてやりたい男がいるのよ。そいつに絶対復讐してやるんだから」


 友人たちが学問を志した動機はそれぞれだったが、みんな熱意があって楽しい個性を持っていた。


 毎日のように、学院帰りに商店街の露店で食べ物を買い、河川敷で食べながら、さまざまなことを語り合った。趣味のこと、将来の夢、家庭のこと、恋愛事情などなど。

 後の二つは私に話せることは一切なかったが、話を聞いているだけでも勉強になった。


「姐さんはどうしてここに入ったの? 王女さまなら、家庭教師とか雇ってもらえたんじゃない?」


 ある日の友人からの問いにはこう答えた。


「そういう話もあったんだけどね、ずっと王宮にいては世の中のことがわからないから、外に出て勉強なさった方がいいですよって、侍女に言われたの」


 しばらくの間、友人たちはぽかんとしていたが、やがて一人が納得したように首を縦に振った。


「そうよね、確かにあんなご立派なとこにずっといたら、価値観おかしくなっちゃうかもしれない」

「でも、姐さんこれでも一応姫よ? ずっと王宮で育ってきたんなら、姫は姫らしく育ってもよかったんじゃない?」


 これでも一応とはなんだ、と思ったが、それだけ私が彼女たちといても違和感なく過ごせていたのは、


「それでいいと思ってたら、姐さん今頃ここにいないわよ。

 もしかして姐さんの侍女さんって、姐さんに『私は王女さまよ、偉いのよ、オーホッホッホッホ!』って感じのお姫さまには、ならないでほしいんじゃないかな? 姐さんもそう思ってるんじゃない?」


 こういうことだろうと、自分でもわかっていた。


「なるほど、平民感覚をわかってくださるお姫さまってことね」

「そうよ。侍女だって、礼儀とかはきちんとしてるだろうけど、地位は私たちと同じただの平民じゃない。

 普通の王女さまなら、平民の侍女の言うこと素直に聞いて、わざわざ学校にまで通って、学問しようって考えないと思うんだよね……違う、姐さん?」


 やっぱり外に出たのは正解だと、改めて思った。


「そういうこと」


 友人たちとは、残念ながら今は連絡を取れていない。元気でいるだろうか。

 きっと彼女たちのことだから、夢を叶え元気で暮らしていると信じている。




 王立女子学院を首席で卒業した私は、国立大学に入ることも許された。

 ただし、教えを乞う師と分野を自分で選ぶことはできなかった。


 本当は、直接世のため人のためになるような学問……農業や社会、経済のことを学びたかったのだが、認められなかった。これが王女としての限界だった。

 もしも、これらの分野で私が大きな功績を挙げたら、私に政治的な発言権がつく可能性もあるからだ。

 女に、まして私などに権力がつくことを、王宮が許すはずがなかった。


 それでも王宮の中に閉じ込められているよりは、はるかにましだったから、どんな学問をするにしても全力で取り組もうと決意した。本当に学びたい分野のことは、自力で学べばいい。


 しかし、こう言ってはその道の方にとても失礼だが、当時はどんな無味乾燥で味気ない学問をさせられるのだろう、といささか暗い気持ちで、王宮側から指示された教授の部屋を訪ねた。

 なにせ、彼の教え子は私だけだと聞いていたから、どれほど偏屈で学生から人気がないのかと、不安に思っても仕方がなかったのだ。


「はい、どなたですか?」


 扉をノックすると、向こう側から明るく落ち着いた声が聞こえた。

 知性が音になったなら、こんな感じではないかと思えるほど、声の主は聡明な人だと直感した。


 私が名を告げると、扉が静かに開いた。


 中から現れた人物は、整ったロマンスグレーの髪に、深い知性を感じさせる澄んだ瞳で私を見つめると、優しく微笑んでくださった。

 顔に刻まれた皺が、私よりはるかに長い年月を歩んでこられたことを物語っていた。


 私の担当教官……アイスラー教授は、大学の中で私と同じ境遇にある方だった。

 つまり、厄介者扱いされていたのである。

 どうやら、私は例外の扱いでアイスラー教授の教え子になれたらしい……というか、厄介者同士で組まされたのだと察した。


 若かりし頃、教授は官僚だったが、頻繁に王宮の方針に逆らっていたらしい。

 その結果、あちこちを転々と左遷させられ、今の地位に落ち着いたという。


 単に王宮に逆らうだけの無能な人なら、社会的に抹殺されてもおかしくない。

 なのに、曲がりなりにも王立大学の教授になれているということは、


「どういうことだと思いますか?」


 大学に通い始めてしばらくしたある日、そんな話になった。

 このときには、教授の経歴を多少調べていたから知っていたから、すんなり答えられた。


 教授は左遷させられた先々で、ことごとくよい功績を上げていらした。

 これほどの手腕の方が、なぜ王都に留まれないのかと思うほどに。


「教授の過去の功績はとても大きいですから、あからさまに抹殺すれば、さすがに黙っていない人が多いからではないでしょうか」

「私の業績を高く評価してくれるのは、嬉しいですね」


 私の率直すぎる答えに、教授は笑った。

 講義中は痛烈な皮肉をおっしゃることもしばしばだったが、普段はとても温和な人だった。


「確かにそういうこともあるかと思います。

 手前味噌で申し訳ないですが、これでもね、勤務先を離れるときには悲しんでくれる人もいたので、そう評価していただいてもよいかと思うのですよ。ですが、それだけではありません」


 教授の口調はとても品がよくて、こういうことを言っても、不思議と自慢たらしく聞こえなかった。


「では、どういうつもりで」

「私を飼い慣らそうとしているのですよ」


 すぐに悟った。

 大学の教授という地位とそれなりの高給を与えることで、王宮は教授の牙を削ごうとしているのだと。

 もっとも、地位や金で懐柔される人なら、私とこんな話をしないだろうから、王宮の目論見は失敗しているのだが。


「この国の民の暮らしは、残念ながら年々悪くなっています。なぜだと思いますか?」

「それは私のせいだと、王宮では昔から言われています」


 自虐趣味はないのだが、一応事実だったので申し上げると、教授の表情が変わった。

 一瞬、私を憐れむようにも見えたが、すぐに厳しさがあらわになった。


「他人を平気で貶めることを言う人たちが権力を握っていること自体、おかしいことだと思いませんか」


 教授の言うことはもっともだったが、明らかに王宮に対する批判だった。

 だが、それは私の今までの発言も同様……否、それ以上といってよかった。

 なにしろ、私はこれでも王宮の一員なのだから。


 この会話が他の誰かに聞かれていたら、私も教授も、今頃命はなかっただろう。

 女子学院時代の茶飲み話とはわけが違う。


 私は黙って頷いた。

 王宮は組ませてはいけないもの同士を師弟にしてしまった。


「では、なぜ支配者たちがそのようになってしまったのでしょう」

「それは……」


 それから教授と語り合ったことは、一生忘れることはないだろう。

 教授が話してくれたことは、全て今の王宮に当てはまることばかりだった。


 以来、王宮ですれ違う貴族たちの会話が耳に入るたび、国王から発表される政策を見るたびに、教授の言っていたことは事実だと思い知らされて、暗澹たる気持ちになった。


 日々の生活で彼らが私に近づいてくることはなかったので、まだよかったのだが、王族であるがゆえに出席しなくてはならない行事のときは(これがまあ、ばからしいほど頻繁にあったのだ!)、彼らと過ごしている時間が腹立たしくてならなかった。

 もはや恒例となった罵倒や無言の嫌がらせは、痛くも痒くもなかったが、王族であること自体が恥ずかしく、厭わしくてたまらなくなっていった。


 それでも私は耐えた。

 大学を卒業したなら、王族のしきたりから解放され、一人で慎ましく暮らせるだけの家がもらえる、という約束を信じて。


 ところが、その約束は実行されなかった。

 大学卒業間近の冬、私はある国の王子に嫁ぐことになった。

 絶対にないと信じ切っていた、政略結婚の駒にされたのである。

*2025.4.21一部減筆しました。

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