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藤の迷宮  作者: 緋月
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目覚め

 二月になると瑠奈が目覚める時間はますます少なくなった。そんな中でバレンタインデーに潤と優里が瑠奈を訪れた。

「瑠奈、来たよ―。潤も一緒。」 

「おい、瑠奈、聞いてくれよ。今日はバレンタインデーだっていうのに、優里ったら俺にチョコレートくれないんだぜ。酷いと思わないか?」

「何を言ってるのよ。凌君は瑠奈からのチョコがないんだもん。潤もなしよ。当然じゃない。ねえ、瑠奈そう思わない?」

「そんなこと言うんだよ。付き合って初めてのバレンタインデーなのにさ。」

「この後、チョコバナナのクレープご馳走してあげるから。バレンタインチョコは我慢よ。瑠奈と凌のためにね。」

「わかったよ。俺、ちょっとトイレに行ってくる。」

潤が病室を出て行くのを見送った優里が瑠奈に語り掛けた。

「瑠奈、貴女なら凌君にどんなチョコを用意した?二人で作りたかったな。」

瑠奈は静かに眠っている。

「だからね、代わりに私が作って来たよ。昨日の晩、頑張って作ったの。我ながら、上手にできたわよ。実はちゃんと潤の分もある。このあと渡すの。凌君の分はここに置いていくね。もしも、もしも、目が覚めたら、凌君に渡してあげてね。」

 優里は瑠奈の枕元に可愛らしくラッピングした小箱を置いた。すると、その時、瑠奈の手がピクリと動いて、次の瞬間、優里は急に気が遠くなって瑠奈の身体の上に倒れ込んだ。

そして、

『優里、優里、お願いがあるの。あのね・・・。』

優里の頭の中に瑠奈の声が響いた。その次に聞こえたのは潤の声だった。

「優里、おい優里、どうした?」

潤の声で優里は起きた。

「え?私寝ちゃってたの?」

「みたいだな。おれのトイレ、五分もかかってないぞ。」

「うん。なんだかよくわからないけど、昨日、遅かったから、寝ちゃったんだわ。きっと。」

「そっか。遅くまでなにしてたんだ?」

「内緒。」

「じゃあ、そろそろ行こうか。」

「そうね。あ、潤、ちょっと待って。」

優里は立ち上がると、ベッドの脇の床頭台のロッカーの暗証番号を押して扉を開けて、中に会った紙袋を取り出すと、枕もとに置いた。

「じゃね。瑠奈また来るね。」

病室を出ると潤が聞いた。

「優里、今の紙袋、なんだ?」

「ああ、あれ?瑠奈に頼まれたのよ。あそこに入ってるあの紙袋を取り出して枕元に置いてくれって。」

「え?瑠奈、目を覚ましたのか?」

「ううん。」

「だったら、いつ頼まれたんだ?それにあのロッカーの暗証番号もなんで知ってた?」

「え?あれ?でも、『優里、ロッカーの中に入ってる紙袋を私が作ってきたチョコレートの箱の隣に置いてほしいって、ロッカーの番号は瑠奈の誕生日だって。』ってはっきり言われたの。」

「おかしいな。夢でも見たんじゃないのか?」

「夢だったのかなぁ。それにしても暗証番号まで?」

「え?今、チョコって言った?瑠奈の枕元にあった?」

「あ、ばれちゃった。」

優里はバッグの中から瑠奈の処に置いてきたのと同じようにラッピングされた小箱を取り出すと、

「はい。潤、バレンタインチョコ。」

「やったー。ありがと優里。」

 

 二人の声の余韻がまだ残る瑠奈の病室に凌がやってきて、いつものようにベッドの脇の椅子に腰かけて、ふと目の前のオーバーテーブルに目をやると、テーブルの真ん中に、チョコレートの箱と紙袋が置かれていた。『ハッピーバレンタイン。凌。』と書かれた手紙と一緒に。

 「瑠奈、目が覚めたのか?いつ?そうなら待っててほしかったな。」

 凌は紙袋を手に取るとそっと中身を取り出した。それはクリスマスの時に出来上がっていなかったオフホワイトのマフラーだった。凌は首に巻き付けるとふんわりとして温かい。

 「瑠奈、いつの間に仕上げたんだい?ありがとう、とても暖かいよ。」

 凌はマフラーを巻いたまま、いつものように問題集を広げ、問題を解いては、瑠奈を見つめ、話しかけまた、問題を解いてを何度も繰り返し、消灯時間には瑠奈の手を握って名残惜しそうに帰路に着いた。

 

 その後、瑠奈が目覚めることがないまま季節は春を感じるようになった。病室の窓からの挿し込む陽射しも温かさと明るさを日に日に増していた。ある暖かい日、凌が病室の窓を開けると初春の風がカーテンを揺らして優しく瑠奈と凌の頬を撫でて吹き込んできた。部屋の温度より少しひんやりとしたフレッシュな空気に刺激されたのか瑠奈が大きく息を吸い込み、瞼の下で眼球が動いた。凌はハッと息を飲んで瑠奈をじっと見守った。首がゆっくりと左右に動いた後、ゆっくりと目を開け、心配そうにのぞき込む凌の顔を焦点の合わない目で見つめ、やがて、しっかりと意識を取り戻し、笑顔を見せた。

 「瑠奈、おはよう。」

 「凌君。」

 瑠奈はかすれた声だがはっきりと答えた。

 「今、先生を呼ぶよ。」

 瑠奈は首を横に振って、凌の手を握った。

 「どうした?」

 「話があるの。もう、次はないかもしれないから・・・。」

 「瑠奈・・・。」

 凌は、一瞬躊躇ったが、すぐにナースコールを押して先生を呼んだ。

 「凌、大事な話なの・・・。

 「大丈夫、先生の診察の後で話す時間は必ずある。お母さんにも連絡しないと。」

 瑠奈は少し悲しげな表情をすると黙って横を向いた。

 大原医師の診察はすぐに済んだ。瑠奈の母もこちらに向かうと連絡が入った。

 瑠奈と凌はクリスマス以来、ひさしぶりに二人きりになった。

 「もう三月なんですってね。私はそんなにずっと眠っていたの?凌たちはもう春休み?」

 「ああ、もうすぐ春休みだ。先週、卒業式で、先輩たちを送ったよ。」

 「そう、私も送りたかったな。潤君たちはどうしてる?」

 「潤と拓也は毎日サッカーしてるよ。拓也は五センチも身長が伸びてさ、キーパーとしての貫禄がでてきてさ。うちのゴールはより鉄壁になったんだ。」

 「そう、じゃあ、今年も県大会に行けるわね。」

 「そうだな。そうあってほしいな。」

 「大丈夫。行けるわよ。凌、そのマフラーしてくれているのね?」

 「当たり前だよ。瑠奈が編んでくれたんだから。とても気に入ってる。」

 凌は、瑠奈と話したいことがたくさんあったはずなのに目を覚ました瑠奈を目の前にして何を話したらいいのか、頭の中が真っ白でなにも浮かんでこない。

 「瑠奈、話があるって言ってたけど?」

 「ああ、そうだったね。ちょっと長くなるけど、聞いてくれる?」

 凌はゆっくりと頷いた。

 「そう、じゃあ、驚かないで聞いてね。」

 瑠奈が大きく深呼吸をして話し出そうとしたその時、病室のドアが開いて瑠奈の母親が入ってきた。

 「瑠奈。」

 「お母さん。」

 凌は静かに部屋を出て行った。

 十分程が過ぎると瑠奈の母親が凌を呼びに来てくれた。

 「凌君、瑠奈が話しがあるって。さっき大原先生に会ったら、『次はないかもしれません。』って言われたわ。覚悟はしてるつもりでもこれ以上、辛くて瑠奈と一緒に居られないからこれで帰るわ。悪いけど、後はよろしくね。」

 哀しい微笑みで凌の肩をポンポンと叩き、振り向くことなく後ろ手を振りながら遠ざかる瑠奈の母親の姿が廊下の突き当りの角を曲がるまで見送ると、瑠奈の病室のドアを開けた。

 

 瑠奈は少しヘッドアップされたベッドに身体を預け、窓が切り取った少し霞のかかった空を見上げていた。

 「瑠奈、疲れてないか?」

 「うん、大丈夫。それより早くここに来て座って。」

凌の問いかけに瑠奈は笑顔を向けて言った。傍の椅子に座った凌は、すぐに瑠奈の手を握った。

「冷たいね。」

「凌君の手は温かいね。ずっと繋いでいられたらいいのに。」

凌は指先に力を入れて瑠奈の手をギュッと握った。

「ねえ、葛城藤は今年もきれいに咲くかしら?あの下で貴方に初めて会ってからどのくらいになるかしら・・・?その時から私はずっと凌君が好きだった。」

瑠奈はうつろな目で、少し辛そうに息を継いだ。

「どのくらいって?瑠奈と僕が出会ったのは去年の春じゃないか。」

凌の言葉は行き場なく掻き消えた。

「そう、貴方の中では1年ね。私は五年?八年?いえ、十年かしら?」

「え?瑠奈、それってどういうこと?」

凌の言葉は再び掻き消えた。

 「ねえ、少し寒いわ。凌君、窓を閉めてくれる?」

 「あ、ああ。」

 凌が繋いでいた瑠奈の手を解いて立ち上がろうとすると、瑠奈の手が名残惜しそうに凌の指に絡みついた。その指を優しく解いて立ち上がり静かに窓を閉め、鍵を掛け、カーテンを引いて、

 「瑠奈、さっきの話しだけど・・・。」

 と、凌が振り向くと、瑠奈の目は閉じられ、 

手は力なくベッドの上に置かれていた。

 「瑠奈、瑠奈、起きてくれ。まだ話をきけてない。僕も君に話したいことがたくさんあるんだ。瑠奈。」

 凌は瑠奈の手を握り、肩を揺らして叫んだが瑠奈は手を握り返してはくれなかった。

 凌の声を聞いて大原医師が入ってきた。

すぐに瑠奈の様子を診て、聴診器を耳から外しながら凌に向かって言った。

 「また眠ってしまったね。」

 「先生。瑠奈はまた目を覚ましますよね?

まだ何にも話していないんです。瑠奈の話も聞いてないんです。」

 「目覚めてくれればいいね。こればっかりは医者でもわからない。でも、もう、そんなに時間がないのは事実だ。もう、意識が戻らないままかもしれないし、明日また、目覚めるかもしれない。せめてもう一度会えるといいね。僕も願っているよ。」

 凌は、柔らかい瑠奈の手を包み込むように握った。

 

 春休みになると凌は、受験用の参考書や問題集を持ち込み、目を閉じたままの瑠奈に語り掛けながら一日中瑠奈の傍で過ごすようになった。

 「瑠奈、今年は暖かくなるのが早いな。三月の末だけど、桜がもう満開なんだ。これじゃ、入学式の頃には散っちゃうな。」

 凌はふと前に瑠奈が目覚めた時の事が脳裏をよぎり、窓を開けた。室温よりほんのり冷たい春の風が吹き込んできた。少し埃っぽいいようなふんわりした空気が部屋の中に満ちていくのを凌は肌で感じていた。

 「瑠奈、少し風が強いかな?」

 思った以上に吹きこんで来る風が強く、凌は開けた窓を半分くらいに閉めた時、桜の花びらが一枚舞い込んできて、凌が花びらの行先を目で追いかけると、瑠奈の頬の上に落ちた。瑠奈の白い肌と淡い桜色が眩しくて凌はしばらくその場に釘付けになった。

 「瑠奈、透き通ってるね。」

 すると、瑠奈の眼球が瞼の下でゆっくりと動き、大きく呼吸をした。

 「瑠奈、起きるのか?」

 凌の胸は早鐘のように脈を打ち瞬きするのも忘れて瑠奈を見つめた。しかし、瑠奈の目は開くことはなかった。

 凌が肩を落として瑠奈の脇にどっかりと座り込んでいると、大原医師が診察に訪れた。

 「あ、先生、今、瑠奈の目が瞼の下で動いたんです。大きく深呼吸もして・・・。目覚める兆しですよね?」

 「そうか、窓からのきれいな空気が少し刺激になったんだね。そうしていれば、また目覚めるかもしれないよ。凌君、辛いけど、まだ可能性はある。見守ってあげよう。」

 凌は黙って頷いた。

 大原医師が出て行くと、凌はじっと瑠奈を見つめ、しばらくしてからおもむろに問題集を広げると勉強を始めた。時々動く指先や深呼吸ひとつに目を配りながら、辺りが暗くなってきて、開けた窓から入ってくる風が冷たくなってきたので、凌は立ち上がって窓を閉めた。

 「瑠奈、今日はもう帰るよ。明日は、予備校の模試を受けることになっているから、来るのは夕方になる。待っててくれるね?」


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