告知
翌日、葛城高校は凌達の活躍で県大会の一回戦を快勝した。凌はその足で瑠奈の処に向かったが、瑠奈には会えなかった。瑠奈が会ってくれなかったのだ。仕方なく帰る途中で瑠奈にメールをした。
具合、悪いのか?一回戦、勝利したよ。瑠奈の言う通り頑張った。二点目のミドルシュートは見せたかったな。瑠奈が惚れ直すくらいかっこよかったのに。二回戦は応援に来られるといいな。」
まもなく瑠奈から返信が来た。
『凌君、来てくれたのにごめんね。今朝から検査、検査でまだ終わらないの。会えるようになったら、連絡するね。』
と。凌は文中の見慣れた絵文字に安堵した。
その晩、凌の携帯に再び瑠奈からメールが届いた。瑠奈の母親から、会って話がしたいという内容だった。
翌日、凌は瑠奈の家を訪ねた。
「凌君、この前はありがとう。貴方が一緒に居てくれなかったらと思うと・・・。本当にありがとう。」
「いえ、傍にいたのにあんなことになってしまって、すみませんでした。」
「貴方のせいじゃない。貴方はすぐに救急車を呼んでくれたじゃない。おかげで瑠奈はすぐに病院に運んでもらえた。感謝しているのよ。」
「なら、いいんですが・・・。それで、お話ってなんですか?」
「ああ、ごめんなさいね。お呼び立てして。瑠奈の事をお話ししておかなくてはいけないと思ってね。いいかしら?」
凌は瑠奈の母親の目の奥の暗い光にその場を逃げ出したくなった。十秒ほどの沈黙の後、覚悟を決め、瑠奈の母親の目をまっすぐに見るとゆっくりと頷いた。
瑠奈の母親は重い口を開きゆっくりと話始めた。
「貴方も知っていると思うけど、瑠奈は病気で二年の休学を余儀なくされた。葛城高校に入学した夏に体調を崩してね。脳腫瘍だった。我慢強い瑠奈は私たちを心配させまいとして我慢をしていたみたいで、わかった時にはかなり進行していた。それでも今の主治医の大原先生に巡り合って、普通の生活が送れるくらいに二年かけて回復した。先生はこのまま完治する可能性と再発の可能性は半々だと言った。私たちが瑠奈にそのことを伝えると瑠奈は、学校に戻って普通の高校生活を送り、再発しなければ、大学に行きたいというので、復学させたの。毎日、はれ物に触れるように瑠奈を見守っていたわ。病気の事はもちろん、同じく入学した友人たちがいなくなってしまった学校でうまくやっているのかとかね。元々、内気な子だったから余計に心配だった。でも、そんなことは余計な心配だった。復学して二ヶ月もしないうちにサッカー部のマネージャーをやるなんて言い出して・・・。私たちは楽しそうに高校に通う瑠奈の姿にこのまま病気が治るんじゃないかって、勝手に期待してた。」
瑠奈の母親は、言葉を切ると、部屋の天井を見上げてから、凌をもう一度しっかりと見てから続けた。
「昨日の晩、大原先生に呼ばれたの。昼間の検査結果が出たってね。凌君には話しておかなきゃならないと思って来てもらった。しっかり、聞いてくれる?」
凌は、ごくりと喉を鳴らしてから頷いた。
「ありがとう。検査の結果はね。転移というのか再発というのか・・・。脳にまた腫瘍がみつかったの。それも、かなり進行しているらしいの。まあ、発見が早かったとしてもオペのできない場所らしくて・・・。瑠奈の命の期限はもうあまりないのよ。」
静かに淡々とでもしっかりとした瑠奈の母親の言葉が凌にはひとつずつ重石を重ねられているように感じた。
「今はまだ、頭痛やめまいや吐き気などの症状だけれど、腫瘍が大きくなって脳を圧迫するようになると、昏睡状態になり、最期は生命維持の中枢をやられてそのままで死に至ると。瑠奈はそう遠くない時期に昏睡状態になってしまうの。命の期限が迫っているの。」
凌は唇を噛みしめた。
「瑠奈はまだこのことを知らない。親としてはこんなことは娘に知らせたくはないけれど、いずれは知らせないとならないでしょう。症状が進んでくればごまかしきれなくなる。でも知らせないで済むなら、このまま見守りたい。瑠奈には今と変わらない生活を送らせてあげたい。あの子ったら今日も学校に行くって先生や看護師さんを困らせてたの。」
一旦言葉を切って、大きく息を吸い込むと、
「そこでお願いなんだけど、学校で瑠奈を見守ってほしいの。サッカーも勉強も忙しいのはわかっているけれど、お願いできないかしら?」
と言った。
凌は瑠奈の身に起きていることが理解できないわけでも、瑠奈の母親のいうことがわからないわけでもなかったが、頭の中が混乱してなにも考えられなかった。
長い沈黙の中、瑠奈の母親が立ち上がって言った。
「あら、ごめんなさいね。お茶も出してなかったわね。凌君、コーヒーでいいかしら?冷たい方がいいわね。」
そう言うとキッチンに姿が消えた。凌は身じろぎひとつせず目の前のテーブルの薄いシミをじっと見つめていた。しばらくして、瑠奈の母親がトレイにアイスコーヒーを乗せて持って来てくれた時、凌は顔をあげて言った。
「わかりました。話してくれてありがとうございます。瑠奈のこと守ります。」
瑠奈の母親は泣きながら
「ありがとう。凌君、よろしくね。あとどのくらい普通に過ごせるのかわからないけれど、よろしくね。」
と、言うと、凌の手を握った。
凌は、瑠奈の母親と別れた後、瑠奈にメールをした。
「瑠奈、会いたいな。」
すぐに返信が来た。
「うん、会いたい。凌に会いたい。」
凌は瑠奈の処に急いだ。
病室に入ると、瑠奈はベッドの上に座って髪を梳かしていた。
「瑠奈。」
凌が声を掛けると、瑠奈は笑顔で振り向いた。
「なんだ、顔色もいいし、元気じゃん。」
「そうなのよ。全然元気なのに、先生が帰っていいって言ってくれなくてさ。」
「そんなにわがまま言うんじゃないよ。あんな風に倒れたんだ。ちゃんと調べてもらわなきゃだめだよ。」
「わかってるよ。それより、凌、二回戦進出おめでとう。大活躍だったんでしょ?次は応援に行きたいな。」
「ああ、そうだな。来てほしいな。優里も一人じゃ大変そうだし・・・。」
「次の試合はいつだっけ?先生の頼んでみる。退院できなくても外出できるように。」
そこへ主治医の大原が入ってきた。
「瑠奈ちゃん。晩ご飯食べられた?」
瑠奈は少しふくれっ面をして答えた。
「あんまり・・・。美味しくないし。」
「そうか、じゃあ、これは?」
そう言って、大原医師は小さな紙袋を瑠奈の前に差し出した。瑠奈が受け取って中を覗くと、
「わっほ、ロールケーキ。」
「どう?スィーツなら食べられそう?」
「うん。」
瑠奈は袋からロールケーキを取り出すと、封を開けて、ほおばった。
「おいひぃ。先生ありがと。」
「お、食べられるね。さっき言ってたサッカーの応援、行けそうだよ。ちゃんと食べて、薬もちゃんと飲むなら、明日退院してもいいよ。」
「ほんと?学校も行っていい?」
「ああ、但し、無理はしないこと。」
「うん、うん。」
瑠奈は二人の見ている前でロールケーキを平らげた。
大原医師と凌はそれを見届けると部屋をでた。
「じゃあ、瑠奈、明日、迎えに来るよ。」
「うん。あ、凌、傘持ってる?」
「いや。」
「じゃあ、急いで帰った方がいいわ。もうすぐ雨が降ってくるから。」
「また、瑠奈の第六感かい?わかった、急いで帰るよ。じゃあな。」
凌は大原医師と共に瑠奈の部屋を出た。
「先生、少しお話ししてもいいですか?」
「ええ、じゃあ、面談室に行きましょう。」
大原医師はナースセンター脇の面談室に凌を連れて行った。
「先生、瑠奈ことですけど・・・。本当に手の施しようがないんですか?」
「お母さんから聞いたんだね?ああ、私もとても残念なんだ。月に一回の血液検査にも、三ヶ月に一回の画像検査にも引っかかっていなかったのに、一昨日の検査では再発していたなんて。見つかりにくい場所だった上に、大分前から症状があったはずなのに、瑠奈ちゃんは診察で何も言わなかった。頭痛とかめまいとか随分前からあったはずなんだが・・・。我慢してたんだな、きっと。」
「八月初めに二人で出かけた時、めまいを起こしてふらついてました。その翌日、先生の診察に来たはずですよ。」
「え?八月の始め?そうですか。その頃から症状はあったんですね。」
「じゃあ、その時にちゃんと検査していてくれれば・・・。」
「凌君と言ったっけ?瑠奈ちゃんとお付き合いしてるの?残念だけど・・・、たとえ、その時に見つかったとしても、答えは同じなんだ。腫瘍は脳の奥深い生命維持を司る領域にあって、手術で脳にダメージなく摘出することは不可能なんだ。脳を傷つければ、いわゆる植物状態になってしまう。場所が悪すぎるんだよ。同僚のドクターがこう言っていた。もう少し違うところだったら、オペのできる場所だったらよかったのに・・・って。」
大原医師の悔しさを言葉に滲ませた。凌は大原医師を責める言葉を用意していたが、それを飲み込んだ。
「先生、脳腫瘍になると、こう、勘がよくなるなんてことありますか?」
「はあ?どうしてそんなこと?」
凌は窓の外を見て言った。
「先生、降ってきましたよ。さっき、瑠奈が言っていた通りです。最近、こんなことが多いんです。この前も、夕立ちの前に傘を持たせてくれたり、瑠奈がヤマを掛けたところが全部試験問題として出題されていたりすることが多いんです。」
「そんなこと、非科学的な話だね。」
「そうですよね。やっぱり偶然ですよね?先生に否定してもらってスッキリしました。じゃ、瑠奈の事、よろしくお願いします。」
会釈をして立ち去ろうとする凌の背後で大原医師が呟いた。
「でも、人の脳についてはいまだ解明されていないことが多い。例えば、言葉を話す中枢は左脳にある。左脳に出血などを起こすと、失語症になるが、リハビリで話すことが出来るようになる患者もいる。このとき、右脳にはなかったはずの言語野ができる。だから、前例がないことがすべてあり得ないと決めつけるのはよくないな。でも、仮に瑠奈ちゃんが腫瘍によって勘が良くなったとしても、病気の進行とはおそらく関係ないだろう。治らない事実は変わらないさ。」
「そうですね。先生、お時間、ありがとうございました。」
凌は一礼をして出て行った。
大原医師は急に降りだした雨に慌てる人や街を窓から眺めていた。
退院した瑠奈は、心配する凌をよそに、毎日、学校の授業とサッカー部のマネージャーを続けた。瑠奈の病気の事は瑠奈の両親と凌だけの秘密になっていたが、瑠奈は知っているかのように貪欲に日々を過ごしていた。
凌たちは二回戦を辛くも勝利した。瑠奈はまるで優勝したかのように喜んだ。次の三回戦に勝利すれば葛城高校は初の四回戦に進出の快挙となる。七日後の三回戦に向けて強化練習が行われることになり、マネージャーの瑠奈と優里も忙しくなった。凌は瑠奈の身体を心配しながらも、勝利を瑠奈と分かち合いたいと練習に励んだ。瑠奈はそんな凌の傍にいられることを素直に喜んでいた。体調に変わりなさそうな瑠奈に凌は少し安堵していた。そして、いよいよ三回戦の日の朝。試合会場のグラウンドでウォーミングアップをしながら瑠奈の姿を待っていた凌に優里が知らせを持ってきた。
「凌、瑠奈のお母さんから今、電話があって、瑠奈が病院に運ばれたって。凌君にも電話したらしいけど、繋がらなかったからって、私の処に・・・。」
「えっ。何があったって?」
「詳しいことはわからない。凌、今まで聞けなかったけど、瑠奈は病気が再発してるんじゃ・・・?」
「優里、もう隠しておけないな。試合が終わったら話すよ。」
「わかった。後で聞くわ。それより、凌、瑠奈の処に行かなくて大丈夫なの?」
優里の言葉に凌は少し迷ってから、控室に駆け込んで携帯を手に取った。画面には三件の不在着信が表示されていた。凌はその表示されている番号に折り返し電話を掛けた。
「凌君?ごめんなさいね。家を出ようとして、急に倒れて・・・。でも意識あるし、今、先生が診てくれて処置してくれたから大丈夫よ。慌てて貴方に電話しちゃったけど、貴方に連絡したなんて瑠奈に知れたら叱られるから、試合はちゃんと出場して頂戴ね。試合、頑張ってね。何より瑠奈が一番そう願ってるはずだから。」
凌は、怒りなのか、悲しみなのかわからない体の奥からこみ上げてくる抑えようのない感情を試合にぶつけた。瑠奈に勝利の報告をしに行くために死に物狂いで直径二十二センチのボールを追いかけた。しかし、相手は何度も全国大会へコマを進めたことのある県内屈指の強豪校だった。さすがの拓也も三点を失点、潤と拓也も必死で攻撃したが、あと一歩及ばず一点差で惜敗した。試合の後、凌は潤と優里と拓也に瑠奈の病状を話した。優里は泣くのを必死に堪えていたが、最後は堪えきれずに潤の肩に頬を寄せて声を殺して泣いき始めた。潤と拓也も呆然として立ち尽くしていたが、
「凌、早く瑠奈の処に行けよ。」
拓也の絞り出したような言葉に凌は走りだした。
「瑠奈!」
「びっくりした。凌君、病院なんだから、そんな大声出さないで。もう少し静かにしないとだめじゃない。」
瑠奈は左腕に点滴を繋がれてはいたが、ベッドから上体を起こして凌に向かってにっこりと笑った。
「心配したんだぞ。」
「ごめんなさい。」
「よかった。落ち着いたみたいで・・・。」
凌は肩で大きく息をして、瑠奈に近づき、ベッドの脇の丸椅子に腰を掛けた。
「瑠奈、四回戦には進めなかった。ごめんな。」
「ううん。私こそ応援に行けなくてごめんなさい。でも、凌君、来年また、県大会に出られるように頑張ってよ。私、また応援に行きたい。凌君のシュートをもう一回見なくちゃ。」
「そうだな。来年はまた地区予選からだが、来てくれよ。」
二人はそれぞれに次の言葉を捜して、沈黙が流れた。
「凌君、今回のすぐには帰れそうにないの。大原先生がしばらく安静にしてなさいって。」
「そうか。気持ちはわかるけど、先生の言うことは聞いた方がいいよ。そうだ、退院したら、約束した通り、ディズニーランドに行こう。」
凌の言葉に瑠奈は目を輝かせて頷いた。
「うん。そうだね。約束だったよね。早くいきたいな。」
瑠奈が凌と約束のディズニーランドに行けたのは、それから一ヶ月後の事だった。十一月半ばのディズニーランドは、昼間でも吹き付ける海風が冷たかったが、ミッキーマウスのバースデーイベントでにぎわっていた。
瑠奈はキャラメルポップコーンやチュロスをほおばりながら次々とアトラクションやショップを回り、少し痩せたことを心配していた凌は笑顔ではしゃぐ瑠奈を見て胸を撫でおろした。
「よかった。今日は来られて、ちょっと不安だったの。」
「何が?」
「だって、なにかイベントがある日は必ず体調が悪くなってたから・・・。凌の県大会の時もそうだったから。」
「そうだったな。でも、今日は調子よさそうで安心したよ。」
「うん。でも、陽が落ちて、寒くなって来たわ。」
瑠奈は肩をすぼめて二の腕を手でさすった。凌は近くに会ったレストランに瑠奈を連れて行き、ホットドリンクを飲んで身体を温めた。
「冷えて来たな。風強いし、身体に障るからそろそろ帰ろう。」
「夜のパレードも見たかったけど、少し疲れちゃったし、そうする。」
立ち上がった時に少しふらついた瑠奈を凌が慌てて支えて椅子に座らせた。
「大丈夫か?」
「うん。大丈夫ちょっと休めば良くなるわ。すこしこのままで。」
と、耳元で囁くと瑠奈の弱々しい声と身体を凌は受け止めた。ここのところ増えてきた軽いめまい発作のようでしばらくすると落ち着き、瑠奈は歩けるようになった。
「今のうちに帰ろう。」
また発作が来る前にと瑠奈の支えながら駅に向かうと、ワールドバザールのところまで
来た時、瑠奈がウィンドーの中を指さして言った。
「凌、あれ。」
凌は、瑠奈を近くのベンチに座らせると、急いで、それを買うとすぐに戻って来て、瑠奈にそれを渡した。包みを開けるとダッフィーとシェリーメイが顔をだした。
「カップルで買ってくれたの?」
「ああ、ぬいぐるみだって一人じゃかわいそうだから。」
瑠奈の目から大粒の涙あふれた。