ユグナ・ノエルと大錬金釜
遥か昔のお話です。栄華栄耀の時代と云われる時代、西の大陸では多くの国が次々と繁栄し、強大な力を誇る大国になっていきました。そのうちの1つ、錬金術と魔法で栄えた国、リマイアル王国の辺境にある森の入口に、ユグナ・ノエルという少女が住んでいました。
ボフッ。
何かが爆発した音と共に、「うわっ」と驚いたユグナの声が小さな小屋から聞こえると、近くで囀っていた小鳥たちも、背を叩かれたように驚いて、どこかに飛んで行ってしまいました。
黒い煙の中、つぎはぎだらけのローブを着た少女は、ゴホゴホと咳込みながら煤だらけの釜の中を覗き込みました。
「ふえー、今日も失敗かぁ……」
がっくりと少女は肩を落とすと、頭にかぶっていた三角の頭巾を机の上にポイッと脱ぎ棄て、小屋の窓を開きました。
ユグナの母親は、ユグナを産んだ時に亡くなり、錬金術師であった父も、ユグナが物心ついた時に不治の病に倒れてしまいました。
ユグナに残されたのは、家族と過ごした小さな家と、父親の使い古した錬金釜と道具くらいでした。
貧しい生活でしたが、それなりにユグナは満足していました。ユグナには、父のように一人前の錬金術師になりたい、という夢があったのです。
しかし、その才能は目を伏せたくなるようなものでした。
簡単な魔法薬を作る時でさえも、錬金釜はガタガタと癇癪を起こしたように煮えたぎり、最後には暴発してしまう始末。
この日もまた、初級錬金の薬で失敗し、釜を爆発させてしまったのでした。
そのため、錬金の依頼をしてくる人は滅多におらず、ユグナのもとに訪れる人はふた月に一度、あるかないかくらいでした。
そんなユグナでしたが、とても優しい心の持ち主でした。
ユグナは煤だらけになった部屋を掃除し終えると、一皿にパンくずを乗せ、寝室へと向かいました。ユグナが部屋の扉を開くと、ふかふかの布の入った果物かごの中から、ピィーピィーと小鳥が顔を覗かせました。
この小鳥は、数日前森に木の実を取りに行った時、怪我をしていたところをユグナに助けられたのです。
ユグナの手当てで小鳥の怪我は今では良くなり、もうすぐ飛べる状態にまで回復していました。
「もうすぐで森に帰してあげるからね」
パンくずを美味しそうに啄む小鳥を見つめながら、ユグナが微笑むと、小鳥も先程の鳴き声を再び響かせ応えました。
その夜のことです。
もう森の動物たちもすっかり眠りについた頃、扉を叩く音でユグナは目を覚ましました。
コンコン。
その音のする木でできた扉に向かって、ユグナは少し怪訝そうな声で訊ねました。
「誰ですか?」
すると、扉の向こうから帰って来たのは、弱弱しい掠れたような声でした。
「このような夜に申し訳ありません。
決して怪しい者ではありませんが、扉を開けば貴方はきっと驚かれることでしょう。
どうかお願いです。パンの一切れでも構いません、扉の隙間から私に食べ物を恵んではもらえませぬか。
もう何日も食べていないのです」
その声を聞くと、ユグナはますます眉を顰めました。
「怪しくないのであれば、別にお会いしても大丈夫でしょう」
ユグナがそう言うと、扉の向こうにいる来客は慌てた様子で、
「おやめくだされ。私の姿を見れば、きっと貴方は驚かれてしまいます」
ユグナは、「わざわざそんな事を言う人に、悪い人はいません」と扉を開くと、目を丸くしました。
月の光に照らされ、急に扉を開いたユグナに驚き腰を抜かしたそれは、ユグナの身長よりも遥かに低く、毛の一つも生えてはおりません。
ボロボロの布きれを羽織った緑色の体。充血したような目に尖った耳。
そこにいたのは、1匹のゴブリンでした。
目をパチクリさせた少女に、ゴブリンは、それは驚いた顔をしていましたが、すぐに嘆くように顔を覆い隠すとオヨオヨとし、
「お嬢さん、どうか私を痛めないで下され。この醜悪な姿は貴方にとって、とても悍ましいものでありましょう。ですが、どうか、どうか私を責めないで下され。決して貴方には害を加えませんゆえ」
ゴブリンがそう言うと、ユグナはまだ心臓をドキドキとさせていましたが、すぐに穏やかな笑みを浮かべ、
「ちょっとビックリしたけど、もう大丈夫。さあ、どうぞ中におあがりください」
思いがけない言葉に、ゴブリンは目を点のようにし、「なんと仰いましたか? 私を中へ入れて下される、と?」と思わずユグナに訊き返しました。
ユグナの頷く顔を見ると、ゴブリンはポロポロと大粒の涙を流し、「なんということにございましょう」と何度も何度も感謝を伝えました。しかしゴブリンは涙を拭うと、ユグナに言いました。
「私のようなものを家にあげたとあらば、きっと貴方に不幸がかかることでしょう。町の者に知られれば、魔族の手先と思われるやもしれません。どうか、パンの一切れで構いません。それだけで私の心には十分なものにございます」
ゴブリンの言葉に、ユグナは棚からパン1斤と林檎1つを抱え持ってくると、ゴブリンに渡しました。
「ありがとう、お嬢さん。あなたの親切なお心、決して忘れはしません」
ゴブリンが深く頭を下げ、逃げるようにそそくさと去って行くと、ユグナは扉を閉め、再びベッドの中に入りました。
その次の晩、また扉を叩く音に、ユグナは目を覚ましました。
「誰でしょう?」
ユグナが眠たそうな声で訊ねると、今日は力無い少女の声が返ってきました。
「た、頼む……何か飯をおくれ。腹ペコでもう歩けないのじゃ」
ユグナが扉を開くと、そこには身の丈に合わない白いローブを身に付けた幼女が倒れていました。
ユグナはすぐに幼女を家の中に入れると、できる限りの料理を振る舞いました。
「ふぅ、有難い、有難い。お主のお蔭で、何とか正気を保てたわい」
幼女が満足げに言うと、ユグナも「それは良かった」と微笑んで返しました。
「ところで、あなたは旅人さんなのですか?」
ユグナが訊ねると、幼女は答えました。
「まあ、放浪の身であるから、そんなところじゃな。時には賢者と呼ばれることもあるが、そんな大したものではない」
「賢者様!?」
ユグナは思わず大声を上げました。この時代、賢者は錬金術師や魔法使い達の頂点に立つもので、お会いしたのは、この時が初めてでした。
しかし、ユグナは眉を逆さにしてあげると、「……本当に賢者様なのですか?」と疑わしそうに首を傾げました。
それもそのはず。こんなにも幼い少女の賢者など聞いたことがありません。
ユグナの質問に、幼女も「ま、そう思われてもしかたないのぉ」と腕を組むと、「どれ、では良い物をお見せしよう」と何やらローブの中にゴソゴソと小さな手を回しました。
幼女はぶかぶかのローブの中から、どこから取り出したとばかりの大きさの釜を取り出すと、机の上にそれを置き、ユグナに見せました。
その見た目、どうやら錬金釜なのですが、ユグナが持っているものとは違い、丈夫な金属で造られ、金の装飾や緑や赤の宝石が施された豪奢なものでした。
物珍しそうにユグナが見つめていると、幼女は、コホンと咳ばらいをして言いました。
「これは大錬金釜と云われる、世界にまたとない代物じゃ。今では賢者の宝とされ、賢者達の中で秘密にされてきた物じゃ。高名な錬金術師や魔法使いでさえも、この存在を知らぬ。
聞いて驚くな。この釜は、あらゆるものからあらゆる物質を生成することができる魔法の釜じゃ! どうじゃ、凄いじゃろ?」
ユグナがキョトンとしているのを見ますと、幼女は「疑っておるな。では、実際にお見せしよう」と、外に出て、そこらへんに落ちていたなんの変哲もない石ころを取ってきました。
幼女は釜の中に取って来た石ころを入れ、ふたを閉めると、釜はすぐ様にグツグツと音を立て、勢いよく湯気を吹きあげました。
幼女が釜のふたを開けると、ユグナはその中を見て、声を失いました。
先程の石が、金の塊に変わっていたのです。
光り輝く金塊を幼女は取り出すと、ユグナにそれを手渡しました。
ユグナはそれをしばらく見つめていましたが、その光沢は金貨のように眩く、滑らかな触り心地で、それは紛れもない正真正銘の金でした。
「どうじゃどうじゃ、凄いじゃろ? 信じてもらえたかの? ん?」
幼女が訊ねると、ユグナはまだ点のような瞳をしながら、コクコクと頷きました。
「おお、それは良かった」と喜ぶ幼女に、「ほ、本当に、本物の賢者様なんですね?!」とユグナが改めて驚くと、幼女は痒そうな顔を浮かべました。
「賢者様などと呼ぶでない。わしのことは、シャンジャーニと呼んでおくれ」
ユグナとシャンジャーニは長い間、他愛もない話をしていました。
シャンジャーニとの話があまりに楽しく、窓の外を見ればもう空は白みがかっている頃でした。
シャンジャーニが「ついつい長居してしまった」と立ち上がると、ピーピーと部屋の中にどこからか小鳥が飛んできました。
目を覚まし、扉の開けっぱなしになっていたユグナの部屋から飛んできたのでしょう。その小鳥の元気な姿を見ると、ユグナは「良かった。もうすっかり元気になったんだね」と嬉しそうに言いました。
「その小鳥は?」
シャンジャーニが訊くと、ユグナは指にとまった小鳥を見つめながら答えました。
「森の中で怪我をしていたので、この家で手当てをしていたんです。この様子なら、今日にも森に帰す事ができそうです」
そうか、そうか、とシャンジャーニも微笑ましそうに言いますと、何かを思いついたように声をあげました。
「そうじゃ。飯の礼と言っては足りぬが、お主にこの釜を送ろう。
心優しいお主ならば、わしが持つよりも、きっと正しい使い方ができるに違いない。
ただし一つだけ注意をしておくれ。
この釜は、ありとあらゆるものから万物を作ることができるが、決して他者を傷つけるような使い方をしてはならぬ。
まあ、お主であれば要らん話じゃったか」
幼女はユグナに錬金釜を手渡すと、ユグナにお礼をもう一度告げ、そのまま朝日の中に去ってしまいました。
◇◆◇
それからというもの、大錬金釜のお蔭でユグナの錬金術の技術は見違えるようなものになりました。度々訪れる旅人の傷を癒す事から始まり、町で難治とされる病を治すと、ユグナの噂は国中に広がっていきました。
もちろん、目もあてられないような酷い錬金術を使っていた少女がこんなにも変化を見せたのですから、町人の中には彼女に「魔物や悪魔と何か契約を交わしたのでは?」と、疑いの目を向ける者もおりました。しかし、人一倍親切で優しい彼女の性質が幸いし、その疑いはすぐに雪のように解けていきました。
病や怪我を治すことから魔法や鍛冶に扱う道具の強化に至るまで、様々な分野で人々を助けたユグナの生活は以前よりずっと裕福なものになりましたが、相変わらずの小さな家に暮らしておりました。
お洒落にも気を遣うようにはなったものの、人並みのものにとどまらせ、決して贅沢なものに手をつけることはありませんでした。
大錬金釜さえあれば、そこらへんに落ちている石を金塊に変えて大富豪になることなど容易いことです。実はユグナも、あの賢者から釜を譲ってもらってから数日のうちに、何度か金塊を錬金しました。しかし、釜から面白いように出て来る金を見ているうちに、父が口癖のように言っていた言葉を思い出したのです。
「楽をして手に入れた幸せなんざ、砂で建てた城のようなものだ。どんな立派なものでも、ひと吹きしちまえば、崩れっちまう。ましてや、ふいご吹きなんざ、ご法度だ」
ユグナは大錬金釜の使い道を一晩考えました。そして辿り着いたのは、この錬金釜を人助けの為だけに使おう、という答えです。
しかしユグナはもう一つ、自身への約束ごとを決めました。
それは、どんなものからも万物を生成することができるという、この錬金釜の性質を秘密にしておくことでした。もし他人に知られてしまえば、それを利用しようとする悪人が近づいてくることでしょう。
この決まりを守って、ユグナは日夜、釜を炊いては万能薬や魔法道具を必要とする人に売りました。
ユグナの噂はやがて国の城下町まで届き、王の耳にも入りました。
「あらゆる病や怪我を癒し、優れた道具を生成する錬金術師がおると言うのか! そのような優秀な錬金術師は見たことがない。是非とも一目その素晴らしい錬金を見たいものだ。その者を城に連れて参れ」
ふさふさの白鬚をはやした国王が命令を出すと、一筋の線に振動が駆けるように、遣いの者がユグナの住む家を訪れました。
扉を開くなり、立派な光沢ある鎧に身を包んだ騎士達を前にユグナが口をパクパクとしていますと、特に立派な鎧をした精悍な騎士の一人が言いました。
「陛下の命により馳せ参じた。貴殿がユグナ・ノエルか?」
騎士が訊くと、ユグナは目を丸くしたまま頷いた。
そして、ようやく出た震えた声で、
「あの、私は何か王様に対して無礼をしてしまったのですか……?」
ユグナの質問に、騎士は眉を上げ、一笑すると、首を横に振った。
「そうではない。陛下は貴殿の錬金術に大変な関心をお持ちになられている。是非とも城に、とのお達しだ」
ユグナは、まるで夢でも見ているかのように大そう驚きました。
まだ、夢かもしれない、と疑いつつも、数日後、ユグナはしっかりとしたローブを身に付け、あの錬金釜を抱えると、用意された馬車に運ばれ、王様のいる王宮へと向かいました。
城下町への大きな石造りの門をくぐると、ユグナは馬車の中から感嘆した声を漏らしました。
子どもの頃に読んだ絵本の中に出てきたような、お洒落な建物がきちんと並び、祝祭のようなにぎやかな雰囲気にユグナは舌を巻きました。
ユグナにとって城下町に来たのはこれが初めてのことです。
そして、どんな建物よりもキラキラとした立派な城に着くと、ユグナは後ろに倒れてしまいそうになるほど、王宮を見上げました。
瑠璃色の大きなたまねぎ屋根には黄金の蔓のような装飾。雪のように白く滑らかな外壁。
何もかもが輝いている、その建物に入ると、ユグナは王のいる広間に案内されました。
蒼い絨毯の奥に座していた王様は、広間に入って来た少女を見るとぱあっと顔を晴れさせました。
「おお、其方がユグナ・ノエルか! 待っていたぞ!
其方の噂は兼ねてより聞いておる。何でも、類稀なる錬金術の才を持っているとな。
どれ、早速わしに見せてみよ」
「おい」と王が声をかけると、兵士達は大小ゴツゴツとした石や濃い色をした草花、ひび割れたりかけたりしている魔法道具の並べられた、車輪付きの机を運んで参りました。
「ではまず、そこにある石を用いて金を作ってみせよ」
金をつくらないように心掛けていたユグナは顔を少し曇らせると、王にその旨を伝えました。それを聞いた王は「生成した金については其方の好きにしてよい」と、生成後に元の石に戻す事を約束しました。
ユグナは丁寧に改めてお辞儀をすると、大錬金釜の蓋を開け、手に取った拳ほどの石をその中に入れました。
そして、呪文を唱えます。
もちろん、呪文など唱えずとも錬金釜は依頼通り金を作り出すことでしょう。しかし、錬金の際には誰もが錬金釜に術をかけるのが常識。それでは、この錬金釜に錬金の秘密があることがばれてしまいます。広間には王以外にも、ユグナの錬金術を一目見ようと、国で有名な錬金術師たちも集まっていました。
ユグナの呪文と共に錬金釜は光ると、薬缶のように音を立てました。
釜から出て来た金の塊を見ると、広間は驚きと興奮の声があがりました。
「何という事だ。あれ程の大きさの金の生成には普通3日間は要するというのに、あの少女は数秒でやってのけたぞ!」
「凄い錬金術の持ち主だ。これは将来が楽しみだ」
王も歓喜のあまり拍手をし、次々とユグナにお題を出しました。
ユグナは王に言われた通り、錬金釜に材料を入れてはその通りの品を生成していきます。
そして王は近くの家臣に声をかけると、家臣は何やら紫の布に包まれた細長い物を持って参りました。
その布がはがされると、その中から現れたのは、錆付きボロボロとなった剣でした。
落としてしまえばポッキリと折れてしまいそうな剣を、ユグナは両手で丁寧に受け取りました。
「ユグナよ、最後にお主にひとつ頼まれてもらいたい。それはこの王家に伝わる大切な剣だ。しかし、何百年の時を経て、見ての通りの有様。わしはその剣の真の姿を一目見てみたい。お主の手で、それを以前の姿に戻してはもらえぬだろうか?」
王の頼みをユグナは快く返事をしました。
ユグナはその剣を釜に入れると、剣は釜の中に溶けるように入っていってしまいました。
そして、ユグナは呪文を唱えます。
今までよりも時間がかかりましたが、釜はピィーッと汽笛のような息を吹きました。
その蓋を開けると、太陽のように眩い光が広間に広がりました。
その光が淡くなると、それを見ていた人達は思わず「おお」と声を漏らします。
白銀の刃には鏡のように広間が映り、その柄からは黄金の輝きが放たれています。あの腐った木のような剣の大変化に、大きな拍手の雨がユグナに降り注ぎました。
しかしどうしたことでしょう。
人々がユグナの偉業を讃える中、すぐれない顔でその様子を見つめている者がおりました。
ユグナよりも遥かに立派な錬金術師のローブを身に付けたこの少女、名をエリザ・アメシスタと申します。エリザはこの国一番の錬金術師の名家、アメシスタ家の娘でした。エリザはユリのように美しいというよりは、苺のように可愛らしいという美貌の持ち主でしたが、我侭で嫉妬深く、宮廷錬金術師であった父を亡くしてからというもの、傍若無人の振る舞いがよく目立つようになりました。
錬金術は名家育ちという通り、その年齢以上の技量の持ち主でした。そのため、周囲から何かとちやほやとされては名声を高めておりましたが、ユグナの噂を聞くようになってからというもの、彼女が鬱陶しくて仕方がありませんでした。
その夜、一等地にある屋敷に戻ると、エリザは地団太を踏みました。
「悔しっ! くやしっ! 悔しいー!!
田舎鼠のくせに、この私より目立つなんてなんてことですの!
あーもう! 悔しっ! くやしっ! 悔しいー!!
ペト! コンパ! 来なさい!!」
エリザが怒鳴るように呼ぶと、エリザと同じ15,6歳程の錬金術師の衣装をした男達が部屋に入ってきました。
金髪の幼さの残る顔立ちをした、ペト。赤毛で少しそばかすのある、コンパ。
彼らはエリザの弟子のうちの2人で、住み込みでエリザの屋敷で修行をしていましたが、その師弟関係は昔ながら厳しく、忠実でした。
「アンタ達も今日見たわね? あのユグナとかいう変な女よ」
エリザに言われると2人は一瞬、何のことだ、と顔を合わせましたが思い出すとすぐに、「ああ!」と声を揃えました。
「大変見事な錬金術でございましたが、エリザ様のものにはかないませんよ」
コンパが言うと、ペトも、うむうむと頷きます。しかし、
「当然でしょう。けど世間様は私よりあの娘に夢中。あろうことか、あの陛下でさえも、あの女に見惚れておられましたわ。
このままではアメシスタ家当主である私が、あの口うるさいお父様が遺した、栄誉ある宮廷錬金術師の座に就くことも危ういですわ。
貴方達、どんな手を使っても構いません。あのユグナとかいう娘を消して来なさい!」
エリザが言うと、なんと2人は驚きもためらいもせず、二つ返事をしました。
それもそのはず。エリザは自身の気に入らない者がいれば、弟子達を遣わせて亡き者にしていたのです。
エリザの父はとても厳格で誠実な人物でしたが、エリザの悪事には気付くことができませんでした。
数日後、ペトとコンパは、僕である鷹を使い、ユグナの居場所を探しました。そして、ついに国の辺境にあるユグナの家を突き止めたのです。
ペトとコンパは目元を覆う銀仮面をつけ、黒い衣装に身を包むと、ユグナの家に向かって馬を走らせました。
◇◆◇
それは、とても静かな夜でした。
宝石のような満月がとても高く上がり、散りばめられた光の屑たちがいつもよりたくさん見えます。
仕事をひと段落終えたユグナは、薬缶にお湯をくみ、温かい茶を飲んでいました。
コンコンコン。
ゆっくりとリズムよく鳴った扉の音に、ユグナはコップを机に置いて、立ち上がりました。
夜が更けて、これを飲み終えたら床につくつもりでしたが、一体こんな時間に誰でしょう。
シャンジャーニという賢者が訊ねて来た時以来の晩の客です。
「……どちら様ですか?」
ユグナが訊くと、透き通っていますが少し力のない声が扉の向こうから返ってきました。
「夜分遅くに恐れ入ります。放浪の民(:旅人のこと)にございます。
町の宿はすでに扉を閉めてしまい、こんな時間ですから灯りのある家もございません。
どうか一晩泊めては頂けませんか?」
とても礼儀の正しい言葉です。
この時ユグナは、そういうことであれば、と快く旅人を迎い入れることにしました。
しかし、扉を挟んだ外では2人の男がほくそ笑みながら、今に出て来るであろう少女を待ち構えていたのです。
黒い衣装に身を包んだ、ペトとコンパです。
コンパの腕には、南の大陸に住む大サソリの毒の塗られた短剣が不気味に白い光を輝かせていました。
「今、開けますね」
扉の向こうから近づいてきた少女の足音が止まると、コンパは短剣を構えます。
ペトも銀色の仮面の下から、悪魔のような微笑みを浮かべています。
扉を開いたが最後。3秒もかからないだろう。
ガチャリ。
ユグナと銀仮面の下のコンパの目が合うと、コンパの腕はもう動き出していました――
ビュッと風を斬る音が立つ瞬間、ほんのわずか一瞬前のことです。
太陽のような黄金色の強烈な光が家の奥から駆けます。
机の上に置かれていた大錬金釜が、ユグナを護るように蓋をポカーンと高く上げ、中から光を発したのです。
ユグナも背後から浴びせられた光に驚き思わず声を上げ目を伏せましたが、その光を直接見てしまったペトとコンパには堪りません。
「うわああああああ!!!」と声を上げ、コンパが後ろにひっくり返ると、音を立てて短剣が地面に手から落ちました。
それを見ていたユグナは、光がおさまると、怯えた顔ですぐに錬金釜のそばに走りました。
「あ、あ、あなたたちは一体誰なのですか!?」
恐怖で震えた声でユグナが叫ぶと、仮面をはずし目を擦りながら2人はユグナの方を睨みつけました。
「クソッ! 早く片づけるぞ!」
ペトの声に「おう!」とコンパが答えると、2人は腰に携えていた鞘から今度は剣を引きぬきました。
ユグナは、早くここから逃げないと、と心の中で叫びましたが、腰が抜けて体が動きません。
涙も出ていましたが、恐怖のあまりユグナはそれにすら気づきませんでした。
床に腰を抜かした少女に、ゆっくりと2人は近づくと、コンパは声と共に剣を振り上げました。
「きゃあああああああああああッ!!」
ユグナは目の前の悪夢を無理やりかき消すかのような、激しい悲鳴を上げると、持っていた錬金釜を2人に向けました。
すると、錬金釜は先程よりは弱いですが、一瞬光を放ちます。
しかし、その光を振りきると、コンパはついに、その剣をユグナに振り下ろしました。
ぐにゃり。
ユグナは首元に何かが当たった感触を感じましたが、その瞼を開くまでには時間がかかりました。
ようやく目を開くと、目の前の男達も何が起こったのか理解できないような、金魚のような目をしています。
コンパの剣はゴムでできた、おもちゃのように柔らかく頭を垂れています。
「な、なんだこれは!?」
コンパがヒステリックな声を上げると、ペトも自身の剣を見ました。
逞しかった、その剣も芯を抜かれたように頭を垂れています。
その場にいた3人は、しばらく何とも言えない沈黙を保っていましたが、ハッとしたのはユグナでした。
ユグナは、抱えていた大錬金釜を2人に強く向けました。
「これ以上酷いことをしようとしてみなさい! 今度はあなた達をその剣のようにしちゃいますからね!」というような少女の目に、今度は2人が「ヒッ」と怯えた顔になります。
ユグナがもう一度錬金釜を向けると、2人は剣を投げ捨て、「ヒイイイイイイッ!」と魔物にでも出遭ったかのような声をあげ、一目散に逃げて行ってしまいました。
2人が去った後、ユグナは体から力が抜け、そのまま床に倒れてしまいました。
◇◆◇
それから何日か経った頃のことです。
ユグナのことを大そうお気に召された王は、親交のある国々から王族の人達を招き、ユグナの錬金術のお披露目会をしようと考えました。
話はすぐに進み、国中で風のように走りました。
しかし、アメシスタ家のお屋敷には相変わらず暗雲が立ち込めていました。
その話が入ると、エリザの機嫌は嵐のように頗る悪いものになりました。
ユグナの暗殺に失敗した役に立たない弟子たちを魚に変えて、腹を膨れさせても、自身の欲は満たされません。
「あー、もう! 悔しっ! くやしっ! 悔しいー!!
本当であれば、この私が陛下から見事な会を贈られるはずでしたのに!」
クッションをバンバンと叩きつけても、怒りは収まりません。
しかしこの時、エリザはもう腹の中に入ってしまった弟子たちが言っていた事を思い出しました。
「確か、錬金釜に邪魔をされたとか言っていましたわね……」
もしや――。
エリザは頭の中で、何かが結びつくと、しめしめと微笑を浮かべました。
その頃、主役として王に招かれたユグナは、物思いにふけていました。
手紙には、催しが成功すれば、ユグナを宮廷錬金術師として迎い入れたい、と王のお言葉が添えられていたのです。
それは、ユグナにとってはこの上ないほど嬉しいものでした。
もしお父さんが生きていたら、どんなに喜ぶことだろう。
しかし、そう思う心はすぐに、ある葛藤で水をかけられた鉄のように黒々とシュンとしてしまいました。
王はきっと、ユグナ自身の、錬金術師としての実力と認めて下さって、このようなお言葉を下さったのでしょう。
大錬金釜のことさえ秘密にしておけば、宮廷錬金術師として、きっとこの先ずっと幸せに生きていくことができます。
大錬金釜さえあれば、君はいつでも最高の錬金術師でいることができる。けれど、君は本当にそれを望んでいるのかい?
もうひとつの声が、ユグナに星づく夜の中から問いかけてきました。
ユグナはふと窓を開け、外の景色をぼんやりと見つめました。
空には黄金のような丸い月が、優しい光で蒼い大地を撫でています。
その彼方から、涼しい夜風が駿馬のように駆けてくると、ユグナの白い頬と、艶やかな髪に触れました。
ユグナはふと昔のことを想いました。
遠い景色の向こうには、錬金術に励む父の姿がありました。
毎日汗だくになり、人々の役に立てようと、錬金釜に向き合ってきた父。父も、きっとそんなに才能はなかったに違いありません。錬金釜をボヤかしては、真っ黒になっていたのをよく見ていたからです。
しかし、くじけた姿を見たことは一度もありませんでした。
「クソッ、次こそは」
それを口癖のように言っては、釜や本に、睨めっこをするように向き合っていたのです。
ユグナは、ふと釜を手にする前の自分の姿を、そんな父の姿に照らし合わせました。
失敗ばかりして、町の人達にも何かと言われていましたが、「よし、次こそは」と失敗と勉強を繰り返し、それが出来上がった時には、胸が躍り上がるほどの嬉しかったのです。
釜が来てからというもの、すっかり忘れていた気持ちを、ユグナは思い出しました。
埃まみれのボロボロになっていた父の錬金釜は、まるでそんなユグナを長い間待っていたように、棚の横からひっそりと彼女を見つめていました。
◇◆◇
そして、お披露目会の日がやってきました。
城下町はいつも以上に人で賑わい、全てが色鮮やかに飾られていました。雪のようにハラハラと紙吹雪の舞う町を眺めるような王宮では、すでに催しが華やかに始められていました。
金銀煌びやかに輝く広間では、他国の王様や妃、高名な貴族や錬金術師、魔法使い達が集い、催しを楽しんでおられます。
舞踏の国、カナン大国の世界的な脚光を浴びる舞手が、花々の花弁の上で羽を広げる蝶のように見事な踊りをしますと、床を揺さぶるように大きな歓声が沸き起こりました。
その間、ユグナは用意された控え部屋で、いそいそと準備をしていました。
水晶のような鏡にうつる自分の身だしなみを細やかに確認すると、「よし」と頷きました。
出番までまだ少し時間があります。
よほど緊張をしていたのでしょう。
ユグナが花摘みに部屋を出て行きますと、空っぽになった部屋に黒い影が覗き込みました。
それは、錬金術師の正装をしたエリザでした。
アメシスタ家の当主として、エリザもお披露目会に招待されていたのです。
エリザはキョロキョロと部屋の外を、誰もいない事をもう一度確認すると、机の上にあげられている錬金釜のそばに駆け寄りました。
「まぁ、なんて綺麗なで神々しい釜なの!? こんな錬金釜、見たことがないわ」
珍しい宝石を見るような眼差しで、エリザはしばらく釜に見惚れていると、すぐにハッとし、釜に手を伸ばしました。
この釜がペト達の言っていた大錬金釜に違いありません。
「これさえなければ、あの女は……
せいぜい、陛下たちの前で国宝級の大恥をさらすと良いわ」
エリザは大錬金釜を抱えると、そそくさと部屋を逃げるように去って行きました。
そして、エリザが去ってからしばらくすると、ユグナが戻ってきました。
ユグナの顔はすぐに真っ青になりました。
机の上に置いてあった大錬金釜がなくなってしまっているのです。
部屋の中をあちこちと探しましたが、見つかるはずもありません。
時間は刻々と迫っています。あの釜がなければ、見事な錬金術などできるはずがありません。
「どうしよう、どうしよう!」
もうどうしたらよいか、頭の中が色々な色でぐちゃぐちゃになりました。いよいよ泣きだしそうになったユグナの目にとまったのは、机のわきに置いておいた、父の錬金釜でした。
お披露目が上手く行くように見守っていてほしいと、家から持ってきていたのです。
ユグナはそれをギュッと抱え、グスッとすると、ショボショボとした顔でしばらく椅子に座り込んでしましました。
「お父さん……」
釜に願うように、消えてしまいそうな声が言うと、部屋の中はまた湿った沈黙が続きます。
きっとあの大錬金釜は、私の中にどこかあった邪さに気がついていたんだろう。そんな私の処にいるのに嫌気が差して消えてしまったんだわ。
ユグナは雨粒のような涙をポロポロと溢しながら、釜の霞んだ光沢に映る自分の顔を見つめていました。
広間では、王共々皆がユグナの出番を心待ちにしていました。
一先ずの催しが終わり、拍手の音が消え始め話す騒めきに変わりますと、王は隣にいた大臣に小声で仰いました。
「そろそろだな。しかし、どうしたことだ。今日は一層外のカラスどもが煩い」
すると、大臣も窓の外から聞こえてくる、黒々とした鳥たちの不協和音に不快感をあらわにして言いました。
「きっと陛下の催しに、カラスどもも燥いでいるのでしょう。しかし、このような高い場所にいれば、追い払うのも手がかかります。全く、困った奴らです」
「うむう」と王も、不満そうに鼻を鳴らしました。
そして、いよいよユグナの出番がやって参りました。
楽団の奏でるファンファーレの音と手を幾度となく叩く音の波に、カラスに眉間を寄せていた王も、顔を晴れさせました。
騎士達が広間の大扉が開くと、見違えるような錬金術衣装に身を包んだユグナの姿が現われました。
多くの者が拍手でユグナを歓迎しましたが、どこか違和感を覚えた者達は、ひそひそと声を漏らしました。
汚れのない、白百合のようなユグナの手には、煤塗れの枯れた花のような釜が抱えられていました。
ユグナは人々の団円の中心に立つと、釜を床に置き、丁寧にお辞儀をしました。
「皆様、大変お待たせを致しました。彼女こそが、リマイアル国の古き宝剣を甦らせ、その錬金術で多くの人々を救ってきた名錬金術師、ユグナ・ノエルにございます」
紹介と共に再び波のような拍手が、ユグナに押し寄せます。
「さて、ユグナよ。何事から始めても構わぬ。其方の腕を存分に揮うが良い」
王の言葉に、ユグナははっきりとした返事をしました。
そして、広間が興奮を帯びた静けさに包まれます。
そんな人々の中、エリザは、来るぞ来るぞと、歓喜した時の胸を引っ張り上げてしまいそうな気持を必死に抑えていました。
ユグナは袂からゴツゴツとした拳より一回り大きい石を取り出すと、それを釜の中に入れました。
そして、呪文を唱えます。
ユグナの詠唱に呼応するように、釜は徐々に輝き出し、ブクブクと音を立て始めました。
そして、蒸気機関車のような湯気を発し出すと――
ボフン。
広間の中央に上がった、入道雲のような煙に、広間にいた者の目は全て点のようになりました。
あるものは間抜けのように大口を広げ、あるものは手に持っていたグラスを思わず落としてしまいます。
カランカラン、と釜の蓋が転がるのが見えると、ようやくユグナの姿が煙の中から見えてきました。
ユグナは煤にまみれ、貴族たちからすれば、それは思わず吹き溢してしまいそうな憐れな姿でした。
「ユグナよ、一体どうしてしまったというのだ? 第一幕で失敗してしまうなど」
王が立ち上がって驚き訊くと、ユグナは俯き、首を横に振りました。
そして、
「陛下、そしてこの会に来て下さった皆さん、本当に……ごめんなさい」
ユグナはその場に泣き崩れるように、床に手をつき、頭を下げました。
広間にいた人々は、一体何が起こっているのか、困惑したように騒めきが広がりました。
「申してみよ」
王が言うと、ユグナは「はい」と精一杯の声を出し、話を始めました。
ユグナはその場で、全ての事を話しました。自身の生い立ち、賢者から譲り受けた大錬金釜、そして、今に至るまでのこと。嘘を交えることなく、正直に申し上げました。
「そうであったのか……」
王は非常にがっかりしたように、腰から落ちるように椅子に座りました。
ユグナが「本当に、申し訳ございません」と濁った声で頭を下げますと、人々の中から躍り出るようにエリザが広間の中央に飛び出しました。
「皆さん、ご覧になりましたか? これがこの女の正体です。
怪しげな錬金釜で陛下の目を欺くなど言語道断! きっとあの錬金釜で、よからぬ事を企んでいたに違いありません。師会からの追放では罪に合いません。国からの追放、事が事なら死罪に値します」
ここぞとばかりにエリザは、ユグナを指差し高らかに言い放ちました。
ユグナもエリザの言葉に、仕方がないと、口をギュッと結びました。
「待ちなされ」
空気を切るように広間の扉から聞こえてきた、しわがれた声に、視線が集まります。
そこに立っていたのは、太い樫の杖で前かがみになった体を支えた、老人でした。
淡い紫と白いローブの長い裾を後ろに引きずりながら広間を歩いて来る、その老人に、王は立ち上がり声を上げました。
「その姿! まさか、貴方様は西の賢者様ではありませぬか!?」
西の賢者と呼ばれた老人は、口元を覆っている白い髭をいじると、ユグナのもとに寄りました。
「噂を聞きつけ、この会に参りました。やはり貴方様でありましたか」
ユグナの首を傾げた表情に、老人は「お忘れですか」と跪くと、ユグナの手を取りました。
「この姿に戻ってからは、必ずや貴方の処に参ろうと思っておりました。私は、貴方から頂いたパンと林檎に助けられた者です」
ユグナはしばらく先程までの表情をしていましたが、ハッと思い出すと、眉を上げました。
「あなたは、あの時の……!」
老人の優しい顔に、ユグナはいつぞやの夜に訪ねて来たゴブリンの顔を重ねました。
老人はゆっくりと、強く頷くと、ユグナの手を両手で包み込むように握りしめました。
「あの時私は、ある邪神の呪いを受けていたのです。醜い魔物の姿で人目を避け、どうにか呪いを解く方法を探し彷徨っておりました。誰も彼もが私を蔑み追い払う中、私に手を差し伸べてくださったのは貴方だけです。
リマイアルの王、この方はこのように優しい心の持ち主でございます。私が町で聞く話にも、何一つとして悪い声は聞こえませんでした。確かに、大錬金釜というものは、一種の欺きの道具にもなりましょう。
ですが、この少女は、魔物の姿となった私を懸命に支えてくれました。きっと釜を手に入れてからも、この少女は、人の為に尽してきたことでしょう。錬金術師としての腕はいささか振るわぬかもしれませぬが、この少女は、全ての錬金術師が見習うべき心を持っておられます。この会で、讃えられるにふさわしいと、私は思いますが、どうでございましょう」
老人が言うと、王は口をそのまま閉ざしました。そして、ゆっくりと両手が動くと、パチパチと音を立てます。それに続き、次々と拍手が巻き起こると、会一番の歓声がわきました。
「ええい! 鎮まりなさい!!」
歓声の中、稲妻のような声が落ちます。
ユグナの目に、それが映り込むと、ユグナは声を上げました。
「それは!」
何もかもが無茶苦茶になり、鼻息を荒くしたエリザの腕には、あの大錬金釜があります。
エリザは、「あーもう!!」と地団太を踏むと、ユグナを指差し怒鳴るように言いました。
「アンタさえいなければ、今この会の主役になるのは私のはずだったのに! 宮廷錬金術師になるのも私のはずだったのにぃ!
大錬金釜よ! ここにいる、醜い錬金術師の娘を、死んだ目のような魚に変えてしまいなさい!!」
エリザが大錬金釜に命じると、大錬金釜からは淡い光が輝きだしました。
しかし、それはユグナが使っていた時のものとは違う、邪悪で毒の華のように何ものも近づけないような、とても嫌な雰囲気を帯びていました。
大錬金釜の蓋がパカリと開くと、エリザは笑みを浮かべました。
しかし、何ということか。大錬金釜は、悲鳴と共にそのままエリザを吸い込んでしまうと、自然と蓋が元の位置に戻ります。
そして、グツグツと煮え立つと、ユグナの失敗した時のような黒い煙と共に蓋が勢いよく天井に吹き飛びました。
煙の中からようやく見えてきたのは、白く光る腹を見せながら、ピチピチと床に跳ねる、小柄な魚でした。
その様子を、開いた窓から一羽のカラスが見ていました。
あれなら、ひったくれそうだ。
そう思い立つと、カラスは黒い羽を大きく広げ、弾丸のようにその魚を目がけて突撃します。
そのカラスが、くちばしで広間から魚を掻っ攫うと、群れと共に飛び去って行ったカラスたちと一緒に、そのエリザらしき魚の姿も見えなくなってしまいました。
◇◆◇
それから、よく晴れた日のこと。
ユグナは城の一室で、父の錬金釜の前に立っていました。
何度も分厚い本を確認すると、よし、と呪文を静かに詠唱します。
ボフッ。
その音と共に部屋中に広がった煙に、ユグナは慌てて窓を開きました。
「あ、見てみろ。またユグナ様は失敗をされたらしい」
「ああ、だが、あの方なら必ず成功なさることだろう」
外にいた兵士達は、ユグナの部屋から空に立ち昇る煙を見ながら、微笑ましそうに話しています。
あれ以来、ユグナは町の人達の大きな支持と王の計らいにより、宮廷錬金術師になりました。
今では弟子も多くおりますが、ひょんなことに、錬金術師の腕は弟子たちのほうが見事です。しかし、弟子達の中で、ユグナを蔑む者は一人もいませんでした。ユグナのひたむきに努力する姿を尊敬し、弟子になっていたからです。
大錬金釜は、あの後すぐに、空気に溶けるように姿を消してしまいました。今ではあの錬金釜の行方は、誰にも分かりません。
ユグナはゲホゲホと咳をすると、煤だらけになった錬金釜を見て、「よし、次こそは!」
今日もユグナの挑戦は続きます。
最後までお読みくださり、本当にありがとうございます!
いかがでしたでしょうか。何か皆様の心に感じるものが一つでもありましたら喜ばしい限りです。
本作品は、現在連載中の小説『放浪のソロ -小さな最強の冒険者-』と関連がございます。
長編ではありますが、そちらのほうも立ち寄って頂ければ嬉しいです。https://ncode.syosetu.com/n9362em/
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最後になりますが、一読していただき、本当にありがとうございました!