悪役とヒロイン、どちらがいいですか?
私、市島凛子は三十路間近の独身女である。おまけに172cmの高身長がコンプレックスとなって年齢=彼氏いない歴という悲しい経歴の持ち主でもある。
そんな私の唯一の楽しみといえば実家が経営している銭湯で仕事帰りにゆっくりと疲れを癒すことだった。本当はもう仕事を辞めて、この銭湯の経営の手伝いをしようと思ったのだが、それは両親から猛反対されてしまって渋々諦めたほどである。
その唯一の楽しみを前にして私は今、うきうき気分で夜道を歩いている。
仕事が終わってからコンビニに寄り、いつもより高めのビールを買ったのだ。風呂に入った後の一杯のことを思うとにやけずにはいられない。
そんな些細な楽しみでさえ私には許されなかったのだろうか。気がつけば私は地面に転がっていた。トラックのライトに照らされて、側で女の子が泣いているのがわかった。突然道路に飛び出したこの子を慌てて突き飛ばし、自分が代わりに轢かれたのだと悟った。
しょぼい人生だったな…だんだんと朦朧としていく意識の中、唯一の楽しみを奪われたことだけが気がかりだった。
「申し訳ありません!」
今日は急な展開が多い日だ。気づいたら今度は私の目の前でブロンドの髪をした若い男が土下座をしていた。
なぜか私は、どこかにある高級マンションの一室のような広い部屋にいる。ふかふかそうなソファに50インチはありそうな巨大なテレビがよく目立ち、そのテレビの周りには大量の女の子のフィギュアや何かのDVDなどが置いてあった。
訳が分からないままとりあえず顔をあげるように言うと、伏せていた顔を上げた男は涙目になりながらこちらを見た。
その顔を見て失礼ながら私はびっくりする。いきなり土下座をしてきたこの変な男は驚くくらいに整った綺麗な顔をしていたのだ。
「あなたは本当は死ぬ予定ではなかったんですっ!実はあの時、僕は欲しかったアニメのグッズを買えてまさに有頂天でした。だから油断してたんです。まさか僕が転移する瞬間をあの女の子が目撃してて、まさかまさか家から飛び出してしまうなんて思ってもなかったんですぅぅぅっ!」
「はぁ!?いや、よくわかんないけど私が死んだって何?まずそこから教えてよ」
「はいぃぃぃぃ。あなたはあの夜、飛び出してきた女の子がトラックに轢かれそうになったのを庇って死にました。ほとんど即死です、体の半分はミンチでした」
「うわぁ」
「でもそれは本来なら起こるはずもなかったことなんです。神である僕が介入さえしなければ。あ、申し遅れました。僕、エリックと申しまして異世界で神様やっています」
「神様?あんたが?」
「はい。ですが休暇をもらいまして地球に旅行中だったんです。その帰り道、地球から去ろうとした時どうやらその女の子に見られてしまったらしくて」
「だからあんな夜中に小さな女の子がいたのね」
確かにあの女の子はパジャマのようなものを着ていたから、どうやってかは知らないが家から抜け出してきたのだろう。
そしてエリックは一通り説明を終えると、先ほどまでうなだれていたのが嘘のように急に活き活きとした目で語り始めた。
「まあそれで責任を持って僕はあなたを異世界に転生させたいと思ってですね!大丈夫です、僕こう見えてアニヲタなんで、ちゃんといろいろわかってます!」
「異世界に転生?なにそれよく意味がわからないんだけど」
私はアニメはジ○リしか見たことがないので、内心首をかしげる。転生って言うのは生まれ変わるって意味?でも、異世界ってなんだ?異なる世界だから、違う世界ってことだろうか。んーよくわからん、火星とかに連れてかれるのかな…
あ、あれかな。ジ○リの千と○○の○隠しみたいな感じ?
「またまたぁ、定番でしょ?あなたは女の人なんで乙女ゲームの世界なんかどうですか?乙女ゲーム『愛しの呪い子』は実在する世界なんですよー、何せあのゲーム作ったの僕の同僚ですからねぇ、って聞いてます?」
「え?あ、うん。そうだね」
考え事してて全然聞いてなかったよ。でも悲しいかな、日本人はわからなくてもとりあえずうなずいとけばいいやって所がある。
「あ、そうだ。悪役令嬢とヒロイン、どちらがいいですか?」
「ん?よくわかんないけど悪役はやだな」
「なるほど、この悪役令嬢全盛期の中あえてヒロインを選びますか!渋いですねぇ」
うわ、うなずかなければよかった。ますますこの神様の言っている内容が理解できなくなってくる。
「あと他に希望はありますか?よほどの無茶じゃない限りなんでも叶えられますよー。ほら、僕神様なんで!」
「希望ねぇ」
全然見えないが彼は神様らしいので普通にお願い事を言えばいいのだろうか。
「じゃあ、銭湯でのんびり過ごしたいなぁ」
「了解しました!って、え?銭湯?」
エリックはぽかんと間抜けな顔をした。