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夢の通ひ路  作者: 江南
3/10

夢のつづき(本編完結)

 久我との同居(というか居候)は、概ね快適だった。

 そもそも互いに9時5時で動くわけではなかったから生活時間は異なる前提で、その上でそれぞれにできることを、というスタンスだ。居候だからと家事を強要されることもなければ、したからといって拒絶されることもない。掃除や洗濯をすれば礼を言ってくれ、食事も美味いと言ってくれる。痛みがあってソファにくたばっていれば、「無理するからだ」とか「自己管理がなってない」とか嫌味のひとつふたつはくるけれど、これは久我のデフォだし、なんだかんだ言いつつも丁寧に診てくれる。


 快適だった。

 だからこそ、どうしていいいか分からなくなる。


「なぁ久我よ…」

「なんだ。急ぎじゃないならしばらく待て」


 立派なキッチンは設えられていれども、そこは男やもめ、ダイニングテーブルなどはなく、食事は居間のローテーブルで摂っている。

 今日は上がり際に救急でも入ったのか、帰りは遅かった。19時を過ぎたらひとりで喰うことにしている。今は22時過ぎ。久我もひとり飯だ。ただ、酒を供に向かいに座り、他愛ない話をしていた。

 回鍋肉と卵スープ、そんな簡単な食事にも、律儀に「ごちそうさん、美味かった」と。そして食器を流しへ運ぶべく立ち上がる。

 洗い物など俺がやる。だからいまは座れ。

 …そんな思いはにべもなく叩き落される。

 つまりは仕事が最優先。なにごとも受け付けないというサイン。

 帰宅しても、なんやら紙の束(分厚い上に英語らしきおそらくは論文)を持ち帰り、食事の後はそれとにらめっこ。かつ、PCでいろいろ検索。話しかけても叩き斬られる。診療だけが仕事ではないということなのだろうが…そんなことが続けば切り出す気も萎える。

 居心地がいいから流していたが、いつまでもそうしてはいられまい。

 そんな覚悟をこいつは分かっているのかどうか。

 …AKYだろうがな。


「たまにゃあヒトの話聞きやがれ。瑞樹ちゃんからお前も聞いてるだろうが、近々リハは終わる。その後、どうするか、だ」


 瑞樹ちゃん、とは、理学療法科の主任だ。可愛らしい名前だが男で、三十路近いらしいが、小柄で童顔で、大学生くらいにしか見えない。なのだが、リハは厳しい。特に俺には過酷だ。周りを見渡す限り、ここまでキツいプログラムの患者はないようなので、久我の入れ知恵かと疑わなくもなかったが、「たとえ先生の指示があっても、できないことをさせたりしませんよ」とにっこり笑って言われてしまえば逆らいようもない。…逆を言えば、指示がなくとも出来ると思えばやらせる、ということだ。ちゃん呼びされて侮られているようでいて、実は一番恐れられている人物と言えるだろう。

 …それはともかく。


「…どう、とは?」

「半分は、お前次第だ」


 俺はここにいてもいいのか。

 なぜ……ここにいるのか。


「リハが終わって飛行機での移動にも支障がなくなれば、寮の部屋は引き払いに行く。その後の身の振り方は決めていないが…決まるまでは、できればここにいたいとは思う。けど、お前は?」


 ずっと気になっていた。

 自分はここにいられれば楽でいい。けれど久我は?

 久我から漂う気配を無視し続けてここに居続けていいのか?


「…お前次第だ」

「そっくり返す。お前は、俺がここに居続けていいのか?」

「…俺は歓迎するが。お前は、それでいいのか?」


 ディベートの基本は、問いに問いで返すことだという。それをし続ければ、問いの答えを考えないで済み、発した本人に考えさせることになる。だから負けることはない。正しい意味での討論にはならないが。

 それでは話にならない。だから踏み込むしかない。


「お前が、なにを思って俺を受け入れたのか。それを言ってくれれば、俺も覚悟を決める」


 だからもう、逃げるな。

 いいかげん、分からないわけじゃない。

 お前の瞳が、答えるまでのわずかな間が、なにを意味しているか。

 だから。だから。


「…言わせたいのか?」

「聞かなきゃ分からない」

「本当に真っ向勝負だな…。その先を考えはしないのか?」

「考えても分からないんだから訊くしかないだろ」

「…参った」


 すい、と立ち上がる久我を、今度は止めない。食器を下げて、本命は酒だ。

 ハーフロックを手に戻ってきた久我をじっと見つめる。


 長い、長い沈黙があった。気詰まりなわけではないけれど、身じろぎすらできないような。なにかを待ち望んでいるような。


 そして。


「…ずっとここにいていいというのは本当だ。いや…いて欲しい、が正しいか」


 視線を合わせず酒を呑む。水のようにすんなりと。


「今更そんな本音を曝されて、お前はどう応える?」


 さらさらと。さらさらと。


「いつだってベッドに連れ込んで押し倒したかったと言ったら、お前はどうした?」


 言い始めたらとめどない。


「ずっとだ…高校の頃からもうずっと…お前が欲しかった」

「……っそれを聞きたかったんだよ!」


 向かいから隣に移り、久我の胸に抱きついた。互いに顔は見えない。見せたくもない。だが久我はきっとあんぐりと口を開けた間抜け面をしていることだろう。


「いつだってスカした顔して、内心悟られないようにポーカーフェイスで、口開けばイヤミばっかで…。なのに俺は…俺のことだけは真直ぐ見てた」

「如月…」

「自惚れじゃ、ないだろう?」


 俺だけは。俺だけを。

 見られていた当人なのだから紛うはずもない。


「ちゃんと、言え」


 その眼差しが語るほどに真直ぐな言葉をよこせ。

 そうしたら…そうしたら。


 …そうしたら。なにが変わるというのだろう。顔を上げ、きつく()めつけながら、そう思う。


 だが。それは変わった。きつくきつく抱きしめられた。また顔が胸に押し付けられる。


「…ハル」


 それはもうずっと昔の呼び名。搾り出すような声は震えていた。


「ハル…っ」

「アキ。ちゃんと言え」

「…っ好きだ……ずっと好きだった……!」

「…言えるんじゃん」

「言っちゃ駄目だと思ってた…ずっと…ずっと…っ!」

「知ってたよ」


 そしてそれを嫌だと思ったこともない。むしろ、こんなイイ男に惚れられるなんて、と不思議に思いつつも誇らしくさえあった。そのくらい、如月とて久我を好いていたのだ。


「ごめんな…待たせた」


 サッカーが繋いでくれた縁だけど、男女のように身体を繋ぐには、そのサッカーが邪魔をした。当たり前に全国を目指すレベルの練習はハンパない。腰砕けではどやされる。プロになってからは尚更だ。久我が医大へと進み距離が開いたのは、多分良いことだったのだ。


 そういえば、訊いたことがなかったが、この際だ。


「お前、なんで整形選んだんだ? まぁ、俺には専攻の選択基準なんぞ分からんが…」

「…一体どういう成り行きで、いまこの場でそんな質問が出てくるのかが疑問なんだが」

「それこそ成り行きだ」

「……そういう奴だよな」


 はぁ、と深いため息ひとつ。額に掌を当て俯いてさえみせる。ほぼ演技なのは分かるので、身を離し脛を蹴り飛ばす。


「お前を診るためだよ」

「へ?」

「だから、お前の脚を守るのは俺でありたかった。…まぁ、そんな機会はないに越したことはなかったんだが」


 布石は打っておくもんだ、と薄く笑う。その笑顔が怖い。怖すぎる。


「……あの、久我センセイ? 本気でそれが理由ですかい?」

「おう。なにか文句でもあるか? 結構便利だったろうが」

「はい、それは感謝しておりますが。てか、人生設計それでいいのかよ!?」

「俺の人生だ、俺のいいようにしてなにが悪い」


 …俺様だ。つくづくしみじみ俺様だコイツは。今更ながら実感する。


「ものの喩えとしてお訊きしますが…俺がリーマンとかなって胃潰瘍当たり前みたいな職場だったら…」

「3内だな」

「さんない?」

「ああ、悪い。第3内科…ウチの大学では消化器系だ。内科だ外科だ整形だと、大枠はそうなんだが、その中でも専門分野があるんだ。ちなみに俺はスポーツ障害だ」

「…さよですか」

「お前がガテン系に行ってたら整形でも外傷を選んだろうな。ミズ系なら泌尿器か」

「いや、いくらなんでもそれはねぇだろ…」

「それこそものの喩えだ」

「お前の喩えは笑えねぇ!」


 いや、言った本人は笑っているが。


「眼科も考えなくはなかったが…それは最期だしな。頻度なら…お前の選手生命を繋ぐなら整形だと思った。実際に診ることはなくても、相談には乗れる。…それだけでよかった」


 まぁ、眼科の友人知人は多いし上のほうにも伝手がある、と、またも笑う。実際、眼科の主治医は久我の同期だという。


「事務方の和田くん…だったか? 俺も彼と同じだよ。ついていけないから諦めた。けど、傍にいたかったんだ」

「アキ…」

「お前の、いちばん傍に在りたかった」


 そうして選んだ道。


 …だからといって、高3の夏まで部活に精出していながら国立医大に現役で受かるとか有り得ねぇだろ! と思わなくもないが。いやはやまったく、俺のような脳筋とはアタマの作りが違う。そういや中高通してほぼ学年主席だったなコイツ。ハードな部活こなして、いつ勉強してたんだっての…。なにげに腹立つな。


 …腹は立つが、愛おしいとも、思う。

 その想いはすべて自分に向けられていると分かるからこそ。


「なら…ここにいていいんだな?」


 きっと脚は傷が治っても痛む。現に、冷え込んできた昨今は疼く。眼も、正常な方に負担がかかり、視力低下や、最悪失明の可能性もあるという。つまりは、こまめな定期健診は必須で、そうでなくとも、わずかにでも異常を感じたなら医者にかかれと厳命されている。今後一生、医者の世話になる機会が多くなるということだ。となれば、あとは主治医をどう定めるか、だ。


 住む場所にこだわりはない。親はとうになく、帰る場所はない。採ってくれたチームが札幌だったから、そこに住んでいただけだ。

 それならば、居心地のいい場所を求めてもいいだろう。


「お前がそれでいいなら」

「じゃあ…いさせろ」


 そして再び広い胸にかきついた。


  *  *  *


 翌朝。

 ある程度予想はしていたが予想をはるかに上回り、本気で腰が立たなかった。ナニコレなんなの? 合宿よりキツいよ? てなもんで。辛うじて身を起こし、ベッドヘッドにもたれはしたが。


 したが。


「…てめぇはスッキリした顔してやがるな……」

「おかげ様でな」

「3食昼寝つきを希望する」

「生憎、日勤だ。帰ってきたら晩飯は作るから、それまではひたすら寝ておけ」


 とりあえず朝飯、と腿の上にトレイを置かれた。白飯に梅干沢庵、豆腐とわかめの味噌汁、焼鮭、ひじきと切干大根の五目煮、卵焼き。どこのオカンだ。


「食べたら横のワゴンに置いておけ。動けるようなら、冷蔵庫にそれなりに喰えるものは入ってるから好きにしろ。…じゃ、行ってくる」

「行ってら」


 そうして日々は過ぎてゆく。…過ごして、ゆく。これからも。

おつきあい下さり有難うございました。

Xの方でそーゆーシーンを追加するかもです。

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