【番外】爪痕
単なる思い付き突発。
軽いので、アタマ使いたくない時に息抜きにでも読んでくだされば幸い。
久我は爪の手入れを欠かさない。医者という、ひとに触れる生業ゆえだ。深爪にならない程度に短く切るのは勿論のこと、少々神経質なくらいヤスリもかける。
如月はそこまでではないが、やはり短く整えている。これもかつての職業ゆえ、となるのだろう。接触プレー時に爪がウェアに引っかかって剥がれるなんて惨事は避けたいし、相手に傷をつけるのもマズいからだ。流血沙汰になった場合ゲームは止まり、流血した選手は怪我の大小に関わらず血が止まるまでピッチに戻れない。腕や脚の擦過傷くらいならスルーされるが、顔のそれは目立つ。しかも瞼やこめかみ、額など、顔の上部は出血しやすい。ゲームの停止はアディショナルタイムに直結する。余計な面倒を避けたいと思えば、ケアしておくに越したことはない。
そんなわけで。
まあ、そんな夜を過ごしたとしても、背に赤々とした蚯蚓腫れが残ることはないのだが。
とある朝。
着替えたようとしていた久我は、いまだベッドに転がる如月を半眼で睨めつけた。
「…ハル、お前いま握力どんくらいある?」
「あぁ? ケガしてから計ってねぇよ。そんな必要ないし」
「記憶にある数値でいい」
「んー…、左右とも75kg前後だったかな」
20代後半男性の平均値は47.5kg。75kgなど、特殊事情がない限り出てこない数値だ。
如月の場合、その特殊事情は筋トレだった。手を使わない使えないサッカー選手は、ボールをキャッチしなければならないキーパーを例外として、特別に握力を向上させる必要はない。実際、それを目的としたトレーニングはしていない。
が。
他の筋肉を鍛えるために鉄アレイやらバーベルやらを持ち上げ戻し…を繰り返すには、それを保持するだけの握力が要るわけで、必然的に鍛えられていたりする。
「筋トレしなくなったとは言え、リハでバー掴んだりしてたわけだから、さほど鈍ってもいないか…」
久我のわざとらしくもある深い深いため息が、如月の神経に障る。そのためのポーズと分かっていても、煽られる。
「だから、なんだよ! 分かるように言え!」
「…肩やら背中やらが微妙に痛い。多分、痕ついてる」
「は?」
「背中の爪痕は男の勲章とか言うらしいが、がっつり掴まれた指の痕ってのはどうなんだろうな?」
「……はい?」
「だから。お前が感極まって掻きついた、指の痕」
ボッ、と音を立てる勢いで如月の頬が朱に染まる。
すぃ…、とそれを手の甲でひと撫でし、久我は。
「文句言ってるわけじゃない。むしろ歓迎」
そんな台詞に固まった如月の唇に触れるだけのキスを落とし、離れ。
「朝飯作るが、起きれるか?」
「……まだ無理」
「じゃあラップかけとくから、適当に好きに喰え」
そう言って着替えるべく動いた久我の背は、現役の頃と変わらないほどの靭さが見える。整形外科という力技な仕事で問答無用に鍛えられているのだろう。無駄のない、綺麗な背中だ。
そこに如月は確かに指の痕を見た。
…自分のつけた、それ。
爪痕とかキスマークとか。一般的に考えても残るものはあるけれど。
ゆびのあと。
さらに顔どころか全身を朱くして、如月は布団に潜り込んだ。
やっぱり久我はどーしょもない、という後朝(笑)