座敷わらしの怪、終幕
生徒指導部の口から浴びせられた発言は、あまりに突然のことで花澤開には全く理解ができなかった。それはまるで口から溢れた文字がその場で分解したかのような、奇妙な感覚であった。慣れ親しんだはずの日本語が耳に辿り着くその前に流砂となるのだ。
理解不能だ。そんな顔をした2人に対し、生徒指導部のハゲはますます表情を険しくして見せる。
困惑を隠せない花澤開を見かねたのか、クラス担任が丁寧に説明を始めた。
「先ほど園女貴仁くんがですね、事務室内を物色している姿が目撃されましてですね。普段の事務室は鍵がかかっておりますので、貴仁くんがわざわざ事務室の扉を開けて、なにか仕出かしたのではないかと。そう思い生徒指導部の近藤先生が調べたらですね、金庫の中から金がいくらかすり取られていたんですよ」
つまりはハルキが水をやっている間に貴仁はネコババしていたというわけか。そう不審な眼差しで睨んでやると、貴仁は両手を顔の高さに上げて笑った。
「冗談よしてくださいよ。状況証拠だけですべて決めつけるなんて、本当に頭が回らないんですね。俺が事務室を開けていたのは事実ですが、正直この扉は最初から鍵なんてかかってやいませんでしたよ。不用心ですね。それに金庫は閉まっていたんでしょう?俺はどうやって金庫から金をくすねたんですか?小学生でも分かるアリバイじゃないですか」
そういい頭に血管を浮かべる生徒指導部の近藤先生を鼻で笑う。なぜこんな状況で挑発できるのだろうか。
「ふざけるなよ?身体測定が開かれる今日という日は職員室事務室を含むすべての扉には鍵がかけられ、関係者以外出入りは出来ないようになってるんだ。それなのにお前は事務室の金庫前で座っていただろう。その事実が証拠だ」
案の定近藤先生の逆鱗に触れた貴仁は、それでもなお余裕そうに微笑み続ける。
様子を伺ってもいられそうにないほど立腹なさっている生徒指導部近藤先生を見つめ、ハルキは唐突に話の腰を折らなくてはならない気分に襲われた。
「あ、あの。貴仁が怪しまれているのは理解できましたが、それでなぜ俺まで呼ばれたんですか?」
今の話を聞く限り、悪いのは貴仁ただ1人のみで、花澤開は全くの無関係に思える。それだと言うのにわざわざ煮えたぎる密室に呼び込まれる理由が想像つかなかった。
「ああ?そんなん簡単だろう。お前の友達の園女が、花澤とやったって供述したからに決まっている」
そう答えてくれたのは近藤先生だった。ハルキは思わず苛立ちに疑問符を添えた声を上げる。その音に被せるかの如く、園女貴仁がわざとらしく笑ってみせる。
「あはは、面白いことを言うじゃありませんか。人の話を聞いていない典型的な例ですね。俺が言ったのは花澤くんと用事があってここに来たって事でしたよね?耳が悪いのか記憶力が悪いのか、はたまた幻聴でも聞いたのでしょうね。もう一度長々と聞かせた方がいいんですかね?」
だからなぜそうまでして煽るのだろう。
案の定園女貴仁は首根っこを捕まれ半ば強制的に起立させられた。
「ゲホッ……おお痛い痛い。すぐに手を出して、これだから力で解決させようとする教育のなっていない人間は、おお恐ろしや」
それでも貴仁の嫌味が籠った笑みが引っ込むことは無かった。むしろ逆に、これで弱味を握ってやったぞと言いたげに首をすぼめ、勝ち誇ったように「やれやれ」と口ずさむ。
「言い逃れ出来ると思うなよ。身体検査すればすぐ分かることだ。それに事務室の鍵と金庫の鍵は同じ鍵掛けに置いてある。誰だって開けれるだろう。鍵のかかっていたはずの事務室をお前らが開けられたのならばお前が金庫を解錠した事も想像つく」
そう言い切ると、近藤先生は担任に向けて身体検査の合図を出した。それを受けた担任は、なぜかしら謝りながら、貴仁とハルキの服の中を確認し始めるのだった。
貴仁は身体検査を安易に受け入れながら、それでも達者な口を閉ざすことなく続けた。
「誰でも開けれるなら誰もが容疑者ですね。別に今日じゃなくても良いんじゃないですか?昨日だって盗むチャンスはあるでしょうに。それに、事務室の鍵はかかっていなかったと何度言ったら分かるんですか?二度三度言い聞かせないと覚えられないほどお粗末な頭脳なのですか?巷で流行りの脳筋ですか?もしかしてオラオラですかぁ?」
だからなぜ挑発するのだろうか。そういうお年頃なのだろうか。自分が潔白だから勝ったつもりでいるのだろうか。もしそうだとしても、態度や口振りから印象を悪くする一方で、結果的に彼が確定的犯人にも思えてくる。
「盗むとしたら今日だ。普段は事務室に2人の事務員がいる。今日のような全職員が職員室を開ける時以外有り得ん」
ならばやはり貴仁が犯人なのではないだろうか。貴仁が職員室へ向かってから、3分もあれば金を盗むことなど容易だろう。見たところ鍵は1箇所にまとめて置かれているようだ。事務室と金庫の鍵さえ特定できれば本当に誰でも解錠できるだろう。
それにもし職員室が完全な無人だったのだとすれば、犯人になり得る人物は園女貴仁ただ1人であるはずだ。先日の夕方集金された入学費が、下校時刻までに金庫に入れられ、それから放課後となる。その間に盗まれることが無かったのなら近藤先生の言った通り、今日の昼休みがチャンスだろう。ハルキの眼光は鋭さを増して貴仁に向かれていく。
後で殴ってやる。そんなことを考えた瞬間だった。身体検査のためにとクラス担任が、半ば申し訳なさそうにしながらもハルキのポケットに手をつっこんだ。それからすぐにカサリと音を立て、担任は1通の茶封筒を取り出した。封筒に書かれた名前は月代。明らかに花澤開の物ではない。
「あ……」
そう思わず口にした。潔白なのは自分が一番分かっているのに、つい反応してしまった。その一連の動作が、明らかに怪しかった。ハルキですらそう思うほど、怪しかった。その瞬間疑いの目はハルキに向けられることとなった。
「これはなんだね」
近藤先生の睨みつける攻撃。攻撃力が一段階ダウン、なんだか今日は睨まれてばかりだ。
「君の苗字は?」
「は……花澤です」
「この封筒には月代と書かれているが?」
「月代さんから借りていた金を、返そうかと思いまして」
「いつ盗んだ?」
ダメだ、聞く耳を持っていない。蛸坊主の顔両側についている耳のような形をしたそれはただの昆布のようだ。そして肝心の貴仁は、自分が責められなくなった途端知らんぷりを決めている。彼を怪しみ、徹底しての肩を持とうとしなかったハルキが助けを乞える立場ではないのだが、やはり薄情だ。
「俺じゃありません!盗む理由も盗む暇もありませんよ」
決定的証拠を見せない限りゴリ押しを決める男だと知っているのに、ハルキはそうすがることしかできやしなかった。
「そ、そうは言われましても……花澤君は先日入学費を払っていますから。今こうして封筒を持っていること自体おかしいんですよ?」
そう横槍を入れたのは担任だった。
その言葉を聞いてハルキは先日の出来事を鮮明に思い返す。と同時にとめどない後悔に飲み込まれていくのを感じた。女の子を泣かしてまで借りた金が、まさかこんな形で自分自身を突き落とすなんて思いもしなかった。
「こ、これは月代さんから昨日借りた金なんです!名簿を見てくださいよ!月代さんは入学費払っていないでしょう?実は昨日彼女からお金を借りて払ったんです!それで彼女は入学費が払えなかったんです!今日はその金を返すために持ってきたんですよ!」
こうなればヤケだと、花澤開は昨日の成り行きを全て打ち明かすことにした。このまま犯人に仕立て上げられるくらいなら自分の過ちを公にし潔白を証明するしかない。
しかしその決意ですら無為に終わるのが不運の鬼。
「月代さんの入学費でしたら昼休みが始まってすぐに私が受け取ったのですが……。」
名簿を見ながら担任は機械のように口にする。
惨敗であった。月代はハルキの事を信用などしていなかったのだろう。だからこそわざわざ日を改めて自分自身の入学費を持ってきたのだ。昼休みに彼女の姿が見当たらなかったのは、恐らく担任の元へ向かったからだろう。
そして犯人が金庫から金を取り、金庫にあったはずの月代さんの入学費を持った花澤開が捕まる。
犯人ですらここまで完璧に仕立て上げられるとは思ってもみなかったはずだ。
そこまで考えてふと思い出す。貴仁が犯人にされかけた理由は何だっただろうか。職員室が開けられ、事務室内に居たからだ。だが彼は最初から鍵が開いていたと証言している。
近藤の話によれば職員室そのものが施錠されていたはずだ。職員室を開けない限り事務室を開ける鍵を手に入れることなどできない。職員室に入れないのだとすれば、同時に職員室内に置かれている事務室の鍵を貴仁が手に入れることは不可能ということになる。
貴仁とハルキが職員室に向かった時、お互い中に入ることは無かった。鍵を入手することは困難だ。だがその時職員室の鍵は開いていたはずだ。何故……。
職員室に男が居たからだ。恐らく職員であろうその男が居たから職員室は開いていた。その男に部活結成用紙を提出し、その男から水撒きを任せられ、そして貴仁はその男が書類を提出したか確認しに向かった。
その流れの中で貴仁が犯人に摩り替えられた?
そう考えれば、一番怪しいのは白髪混じりのあの男だ。
「あの白髪のおじさんは?」
そう思うといてもたっても居られなくなり、いつの間にやら始まっていた近藤の説教を遮る形で貴仁に向かった。
「ああ、あの爺さんに言われて俺は事務室にいたんだよ。なんか書類コピーするからとか言って出ていって。ここで待ってろって」
わざわざ職員室と事務室を開けた状態で放置し、さらに貴人を金庫近くで待たせた男。明らかにおかしい。怪しい。
「白髪のおじさん?あぁ、事務員の佐藤さんの事ですか」
白髪のおじさんで通じるとは思っていなかったが、白髪と事務という言葉で連想できたのだろう。クラス担任がナイスなフォローを呟いてくれた。
内心賞賛を担任に振り掛けながら近藤に改めてハルキは向き合う。これが真犯人なのだと。
「近藤先生、調べてもらえば分かると思いますが、俺達は部活を作りたくて部活結成用紙の提出のために職員室へ足を運びました。その時、おそらく事務の佐藤先生と思われる白髪を蓄えた男性に水やりを言い渡されたんです。それで俺は校門のプランターに水をかけてきました。まだ湿っているはずなので行ってみればすぐ分かるはずです。貴仁は書類提出がなされているか確認するために職員室へ向かい、佐藤先生にここで待つように言われたそうです。彼も交えて状況の確認をしていただければ、俺達が犯人でない事がすぐに分かるはずです。そして、個人の意見になりますが、貴仁を事務室で待たせたり姿を眩ませたきり帰ってこない様子から、佐藤先生が犯人なのではないかと疑っています」
頭に血が上っている人間には、落ち着いてそれこそ丁寧に話し聞かせなければ逆上し話にならないことは経験で理解していた。だからこそ今日起こった出来事は心底丁寧に伝えるべきだと思ったのだ。
結果として、ハルキの言葉はしっかりと届いたらしかった。近藤先生の表情は先程までと比べて明らかに落ち着きはらっており、状況を彼の中でまとめようとしているようだった。
花澤開と園女貴仁を完全に犯人とするのではなく、少し信じてくれる様だった。
「だが、なぜ事務員が盗みなんか……一番怪しまれるだろう」
近藤先生が困惑を隠そうともせずハルキに向き合う、ハルキはそんな彼の目をしっかりと見返しながら口を開いた。
「先生がさっき述べたじゃないですか。今日は事務員までもが忙しくて、事務室には誰もいないって。普段盗めば金庫を守っている事務員が怪しまれるのは当然ですが、仕事をしない今日盗まれれば、事務員以外の人までもが怪しまれることになる。盗むなら絶好のチャンスだし、僕らに罪を着せることすら出来る」
我ながら名推理だった。近藤先生は納得した様子でハルキたちから離れ、頭を捻らせる。これで完全に疑いの目は晴れた。そう思った矢先、担任が思い出したように呟いた。
「もしそうだとしても、花澤くんのポッケにあったこの封筒は何なんですか?」
そういえばまだ信じてもらえてはいなかった。返事をしなくてはと頭を回転させた時、運悪い来客があった。
「あ、佐藤さん」
担任が声をかけたその白髪を蓄えた初老の男、それは事務員の佐藤であった。さらに部が悪いことに、その男はハルキたちと出会ったあの男とは全くの別人であった。
「佐藤さん、この2人をご存知ですか?」
担任の質問に対し「いいえ?」と首を捻る事務員。ハルキの訴えが完全に嘘へと低落した瞬間であった。
「どういう事だ花澤?お前はこの男に命じられて水巻をしたと言ったな?園女はどうなんだ?この男に命じられて事務室に居たのだろう?」
近藤先生の怒りがフツフツと湧き上がるヴィジョンが見える。今にも噴火してしまいそうだ。
「さぁ?俺は一言もこのおっさん……事務室の佐藤さんだっけか?この人に命じられたなんて言ってないっすよ?ハルキ君の戯言じゃないですかねぇ」
意地の悪い笑みを浮かべ、貴仁はハルキの肩に手を乗せる。一方ハルキはといえば、立て続けに起こる不運に口ごもり目眩まで起こしていた。
殴られたわけでも蹴られたわけでもない。ただ精神的に追い詰められ、犯してもいない罪を被せられ、八方塞がりとなった現状に冷や汗が垂れる。どこから間違えたのかと必死に頭を悩ませる。鳥肌が立ち身体がどんどん冷えていくのを感じ、ハッキリとしない頭を働かせようとする。だがどうしても頭が真っ白になってしまい、彼はそれこそ考える事を放棄していた。
「花澤開、じっくり話を聞かせてもらおうか」
近藤の顔がハルキの前へずいっと出てくる。その目はもうハルキの言葉を聞こうとしていないと告げていた。ハルキもハルキで、何かを口走って入るものの自分が何を言っているのか分からない状況に陥っていた。「これは罠だ、これは罠だ、これは罠だ」と口走り、そこ目で嘲笑する貴仁を睨めつけた。「お前が犯人だよ」とまるで洗脳するかのように怒鳴り散らす近藤から目を逸らし、ただ延々と「違う違う違う」を連呼した。
惨敗にも等しい花澤開を、事務室内に居る人々は誰しも突き放していた。すがりつく藁すらない。
「さっさと来い!親に電話して金は返して、処分については校長と話をしてもらうからな」
大口を開けて大声を発する近藤の顔が目の前に迫る。ハルキはただ気迫に押され、また同時に怒りさえ湧き出してくる。
人の話を聞かねぇこんなクズ野郎ぶん殴ってやると、今度は憤怒が頭の中を支配し始めた。
その時だった。頭に血が上り過ぎたのだろう。ハルキは無意識にも崩れ落ち、足下に落ちていたカバンの中に手を突っ込んで、半ば手探りでありながらも例の毬を掴んだ。
―――リンっ
耳の奥で澄んだ鈴の音が響く。周囲の時間が一瞬だけ止まり、崩れ落ちたハルキを見下ろすようにして、どこからか菫が現れた。
「ようやく妾を頼ったか、お主も不運の身でありながらよくよく自力で乗り切ろうとするのぉ。せっかく妾というものがありながら、一向に頼ろうとはせんな。妾とて、今か今かと待っておったというのに」
そう言って菫はクスリと笑い、ハルキの頭を撫でる。
困ったら頼れとさも当然のように言う妖に、なにか言い返してやろうと口を開くも、言葉は出てこなかった。ただ開いた喉の奥がヒリヒリと痛み、すがりつくことが出来る藁を目の当たりにして目頭が熱くなるばかりだった。
「おお、少年よ泣くのかえ」
そんな風にとぼけてみせる菫から目を逸らし、ハルキはただ悔しそうに毬を強く握り締め、己の弱さと沸き立つ安堵感に胸が締め付けられるのを感じた。
「まぁよい、お主とは契約した身。本日の良いことなど、水やりをしたという小さな事にしか過ぎないが、少しサービスをしてやるわ。そんなに眉に力を込めるでない。さぁ、目を開けい」
そう言って菫は姿を消した。それからゆっくり瞼を開けてふと気づく。今見ていた風景はほんの一瞬の瞬きをした時間だったということに。
それでもその一瞬に彼は落ち着きを取り戻し、しっかりと考えられるようになった。それから一つ、幸運的来客まで訪れる。
「あれ……花澤くん?なにしてるの?」
その人物は、ハルキの持つ封筒の本来の持ち主、彼の無実を証明できる唯一の人物だった。
「つ……月代雛子さんっ!」
「先生に、クラスの測定表を持ってきたんですが……え……えっと、この状況は?」
担任が職員室に居ることを知った月代雛子は、運のいい事に事務室の中をのぞき込んでくれた。その明らかに動揺した幼気な少女は、煮えたぎった生徒指導部顧問とその足元に崩れ落ちるハルキの姿を見て声を震わせる。
「聞いてくれ!月代!」
そんな少女でも、今のハルキにとっては突如舞い降りた天使に見えた。菫の幸運に心から感謝しながらも、月代雛子ににじり寄り、ことの成り行きを説明し、封筒を彼女に手渡す。
月代雛子も、大方状況を把握したらしく、目に涙を浮かべながら教師陣に向き直り、この封筒は確かに先日花澤開に貸したお金であることを明言した。
これにてようやく、ハルキの罪は無に帰したのだった。
「では一体誰が盗んだんでしょう」
頼りなさ気な担任が頭を抱え、近藤は明らかに混乱している。生徒指導部顧問はともかく、どうやら担任までもが疑っていたらしい。
途中から説明を受けた月代雛子と事務員の佐藤さんも、教師に習って首を捻ってみせる。そんな中、貴仁だけは彼らに混ざろうとせず席を立つ。
「んじゃ疑いも晴れたし関係ないですよね、俺らはこれにて失礼します」
そう言い放ち、近藤の引き止めようとする声を振り払って職員室へ足を踏み入れる。
「部活結成の件はよろしくお願いしますよ」
それだけ言い残して一人帰ろうとする薄情者を、ハルキは慌てて押さえつけようと手を伸ばす。
――チリンっ
しかし掴みどころが悪かったらしく、ハルキの指は貴仁の手からあっけなく滑り落ち、勢い余って教師の机にダイブした。
「い……痛ってぇ…………」
「花澤くん……せっかく冤罪が晴れたのに罪を増やしてどうするのさ……ってこれは!」
机の上の書類をぶちまけたハルキを嘲笑した貴仁であったが、そのぶちまけられた書類の中の集合写真に目をやった貴仁は、驚きを隠せない様子でそれを拾い上げる。
「花澤くん、これを見て!」
貴仁の手に握られていたのは、去年の離任式の写真らしかった。写真の人物一人ひとりが教師らしく、彼らの下に担当科目と名前が書かれている。
そしてその群衆の中に、ハルキの水やりを命じ貴仁に事務室で待つよう指示した白髪の男が写っていたのだ。
「教頭……夢河寿…………教頭!?」
そう、写真に写っていた例の白髪混じりの男の下には『教頭:夢河寿』の文字が。少し離れた位置に『事務員:佐藤重信』と書かれた白髪男がいるが、似ても似つかない全くの別人だった。
ハルキの中で細かいピースがハマってゆくのを感じた。
そして、彼は慌てて飛び出した。後ろから近藤先生の「花澤!どこへ行く!」と叫ぶ声が追いかけてくる。
しかし彼は振り返えろうともせず、ただただ駆けていった。そう、校門前で出会った借金取りが、ハルキとの会話を終え向かったであろう場所。裏門である。
借金取りと見られる2人組は、夢河寿という男を探していた。そして夢河寿と合流するためにか、裏門へ向かうと話していたのを覚えている。さらに開や貴仁の前に現れた白髪の男は、集合写真から教頭先生、夢河寿であるとほぼ確定できる。
話によれば教頭の家は全焼し、入院しているため学校へ来れないとされていた。その家屋全焼が借金取りの仕業だとしたら、わざわざ盗みを働いたことも説明がつく。家を焼き命を狙いに来るほどの借金取りから、それこそ盗みを働いてまで解放されたかったのだろう。
家を全焼した別の理由だって想像は可能だ。自殺を考えたのかもしれない、もしそうでなかったとしても入院してしまえばしばらく逃げ隠れできる。携帯の電源は切るのがマナー、面会時間も決められている、部屋さえバレなければいい。家を捨ててまでして病院に逃げ込もったと考えられる。
今日は身体測定の日で教師も生徒も職員室へは寄り付かない。さらに教頭は入院している予定だから怪しまれる事も無い。
事務室から現れたのに教頭先生の机に書類を置いたのもおそらく癖だろう。
近藤先生が白髪男と聞いて佐藤という名前を出したのも、もう1人の白髪である教頭は学校に来ないと思われているからだ。
プランターの水掛けを命じたのも、夢河寿が盗んだ金を、ハルキらに気づかれないよう持って外へ出るため。そして取立屋に電話を入れた人物も、返金の目処が立った教頭本人。
「見つけた!」
開は思わず声を上げた。なにせ、あれから30分近くが経過しているものだから、既に逃げられたとばかり考えていたのだ。しかしあの白髪男性は裏門にいた。封筒を地面にばら撒き、突っ伏したまま動こうとはしない。
よく見れば、裏門に停めてある車の中で書類らしきものを整理しているあの2人も居た。
「教頭先生、なぜここに」
白髪混じりの教頭先生、夢河寿に、ハルキの跡を付けてきた近藤先生が声をかける。しかし教頭からの返事はない。
「近藤先生、彼が泥棒ですよ。本当のね」
「そんな馬鹿なこと」
やはり信じられないといった様子で、近藤は教頭の周りに散らばった封筒を眺める。しかし、教頭は相も変わらず突っ伏したまま動かない。腹部を刺され死にかけてるのではと疑いたくなる体勢だ。
「あの、大丈夫ですか?」
一向に動く気配のない白髪男性を前に、ハルキの胸には不安が広がる。そのため彼は教頭の隣にしゃがみこみ、そっと表情を覗き見た。
「……っ!?」
しかしその男の表情を見たハルキは、思わず言葉を失ってしまった。顔に皺を彫り込み、髪の色はとうの昔に抜け落ちた男性は、必死に声を押し殺して大粒の涙を流していたのだ。
顔をくしゃくしゃに潰し、数枚のお札を握り、必死に涙を堪えているのだ。それなのに溢れ出す涙はあまりにも多く、彼はただただ泣いていた。
「夢河さん、これ全部書類ね、あとこれは息子さんからの手紙で……あぁ、少年また会ったね」
車の中で書類を整理してきたのだろう。柄の悪い男は2枚の封筒を手に、教頭と教頭の隣で唖然とするハルキへ言葉を発する。
「ったく、まだ泣いてるのかこのおっさんは。ほら、さっさと片付けて」
その男は封筒を1箇所にまとめた後、周りに散らばった入学費を集め始めた。そして、状況を理解出来ていないハルキや近藤、いつの間にか付いてきていた貴仁に向けて語りはじめるのだった。
「この人の息子さんね、ある日交通事故にあってね、そんで急いで手術しなきゃいけなくなったんだけど、金がなくてね、慌てて借りたところが闇金だったってわけ。その日のうちに返せばなんとかなったんだろうけど、息子が心配でそんなことすっかり忘れてたわけよ。そいで、息子さんは一命を取り留めたのに莫大な利子を背負っちまって、息子をある意味人質に取られての返済生活が始まったわけよ。んでつい最近、保険金目当てに自分の家を焼いて、それが怪しまれて保険が降りず、やむなく盗みに来たってわけ。でもそうなる事を予想していた息子さんがね、入院したその身で必死に働いて借金返したわけよ。んで、俺はその報告に来たってわけ。金は取りに来てねぇんだからさ、これはしっかり返すんだぜ?」
そこまで話終えると、男は教頭の前に入学費の束を置いて渡す。その光景を見て、いつの間にやら現れた菫が一言呟く。
「不運よの。ハルキの水撒きと身勝手な借金取りへの時間稼ぎが祟って、一抹の決意は水の泡で罪だけを見せびらかすこととなるなんてな」
そう言って笑う菫とは逆に、ハルキはなんだか胸が痛くなるのを感じた。
今回の事件は、運良く校門で男2人組に出会い、運良く月代に助けてもらい、運良く職員室の机をぶちまけ教頭の顔と写真を知ることが出来たから解決したようなものだ。つまり、菫の力だ。
ハルキは、彼を守ろうと思い善意で取立屋を止めたのに、それによって生じた幸運で彼の罪を近藤や貴仁に見せる事になったのだから。皮肉な話だった。ハルキがいつものように運悪く犯人扱いされてさえいれば、夢河寿はこっそり金庫内に金を戻すことも出来たかもしれない。
教頭はことの成り行きを洗いざらい話されたためか、過去を思い出したためか、ついに掠れた声をあげて涙をこぼした。
近藤はと言えば、生徒が泥棒だった時と比べ、教頭が真犯人となった瞬間、固まったまま動かなくなってしまった。よほどショックだったのだろう。
「ラッキーはお終いにしようと思ったがの、サービスじゃ」
そんな後継を見るに耐えかねたのか、菫が毬をリンと鳴らす。その音に、教頭の動きが一瞬止まるのがわかった。そしてしばらく静寂が訪れる。
「んじゃ、一件落着っぽいんで帰らせてもらいますわ、花澤くん帰ろうか」
その沈黙を破ったのは園女貴仁であった。彼はたったそれだけを言い残して踵を返す。そんな彼に対し、完全に動揺しきった近藤が慌てた様子で彼を呼び止め、「すまなかった!俺としたことが疑ってしまった!申しわけない!今回の件は職員一同反省し管理体制を極めるということで会議する!親御さんにもそう説明するから、しばらくは口外を……」等と訳の分からないことを口走り始めた。
「は?何言ってるんですか、俺が犯人で、さっきお咎め喰らって、反省文で許すって話だったじゃないっすか」
そんな近藤に対し、貴仁は表情を変えずに振り返る。そして手に握ったいくらかの入学費をヒラヒラとはためかせ、さらに続けた。
「あまりの封筒は花澤くんのですから、彼を後で怒ってくださいね」
そう言い残して一人職員室へ戻ってゆく。
近藤はすっかり体を縮こませて、残りの金を抱えて貴仁の後を追っていった。その後に続くハルキを向いて、教頭の夢河は口を開いた。
「そうか……菫か」
「もう悪さするでないぞ、いつまでもガキのままではいられまい」
教頭の言葉に、菫は若干の優しさを込めてそう返した。この時、ハルキと契約する前の菫が誰と契約していたのか、教頭の家が焼けた例の噂は何だったのか、ようやく理解することが出来た。
菫はハルキの隣を歩きながら、一言「妬いたか?」と言って笑う。それに対してハルキは「まさか、そんなわけないだろう」と真面目に返した。その言葉に若干の嘘が混じっていることには、ハルキも菫も気がついてはいたが。
例の件から数日が経った。
教頭は肺の火傷らしく、まだしばらく学校には来れないらしいが、大事になる様子はなく、退職などは怒らなかった。
近藤と貴仁の間には、大きな貸し借りの関係が生まれたらしく、近藤はボランティア部の顧問になると立候補し、旧校舎の教室をまるまる一室使ってもいいこととなった。また、あの一件について恩を返そうとする近藤に対し、貴仁はしばらくツケにしておくと返し、貴仁の思いどおりになったような結果だけが残されていた。
菫はいつもの調子で、適当に現れては適当に姿を消す。ハルキの幸運はそれほど得られていないのが現状である。
教頭の家が全焼したという話も、その中から焼け爛れた少女が出てきたという話も、小さな噂話だったためかすっかり聞かなくなっていた。
また、ハルキはあれから月代雛子とは会話をする機会がなく、気になりはするものの、結局ただのクラスメイト止まりであった。
そして本日、2013年4月15日月曜日。花澤開部長のボランティア部に、初の依頼が舞い降りる。がそれはまた次のお話。
ひとまず書きたかったプロローグを完結させました。
色々と書いててハプニング続きで、思うように投稿できませんでしたが、それでも読んでくれると幸いです。
ホラーを書くつもりでしたが気付いたら違うベクトルに……でもキニシナイキニシナイ