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不良【ヤンラック】妖幸  作者: 野々村あこう
第一章、座敷わらしの怪
6/10

座敷わらしの怪、第五幕

「いやぁ、疲れたぁ。もうやってられねぇよ、俺は囚人かっての」


 ハルキは1年4組の教室にフラフラと入り込み、自身の机に突っ伏してから思わず愚痴を零した。ガスを抜かなければ爆発してしまいそうだ。まずは心の換気だと、一つ深呼吸をしてみる。そして再び机に体を覆いかぶせた。


 列移動の度に私立夕陽ケ丘高校の全生徒が持ち歩いている単語帳を、全学年中唯無二ただ一1人の花澤開ハナザワハルキだけが持ち歩かず暗記作業を怠っていた。そのために、教師陣に目をつけられたのだ。その日1日、彼は常に監視される気分で、どうも場違いな自分自身が息苦しく、嫌な汗をたくさんかいてしまった。

 こういった緊張の汗というのは、喧嘩をした後の様な爽快でフレッシュなものとは違い、どうもベタつき嫌な臭いを放つから好きになれない。ほんの少しかいただけの筈なのに、体に衣服が引っ付く気がして気分が悪かった。しかも着ている上下のジャージが、憎き園女貴仁ソノメタカヒトから借りたものだからタチが悪い。それにサイズも1回り小さいときた。今すぐ破り捨てたい衝動を抑え、ハルキは机にかけた手提げ鞄の中を漁る。


「さてと、飯メシ」


 こんな時は何かしら胃に物を詰め込んでストレス解消に限る。ハルキは無理やりテンションを上げて風呂敷を開いた。そして再び不運が訪れる。


「昨日の弁当だ……」


 先日、怒りでそのまま部屋に入ったっきりだった。弁当箱を台所に下げることを忘れていたのだ。そして今朝、それに気づかず1人でアイロン掛けをした自分に酔っていた。

 結果的に弁当箱は空っぽのまま、それにすら気づかず今に至るというわけだ。


「不運っていうかドジっていうか……もうこれは馬鹿の領域だよな」


 園女貴仁に言われそうなことを、思わず自分に投げかけてしまうほど、この瞬間の花澤開は落ち込んでいた。

 彼はネガティブを空っぽの弁当箱になんとか押し込んで、それを鞄の中に仕舞い机に1つ頭突きを入れた。それしか気分を入れ替える術が思い浮かばなかったからだ。唐突に沸き立つ破壊衝動は痛みとともに忘れ去るしかない。


「あれ?これって」


 そして鞄に手を入れた時に偶然手に当たった封筒に気がつく。ようやく思い出した。


「そういや、月代さんから入学費借りてたんだ!返さなきゃ」


 先日の出来事が鮮明に思い起こされ、彼は慌てた。自分のためにその身を犠牲にし涙目でお金を貸してくれた少女。彼女にお礼と借りたお金の返却をしなくてはならなかったのに、ハルキは何のために朝早く学校に来たというのだろうか、怒りに身を任せて当初の目的を完全に見失っていた。常に怒ってばかりなのは悪いくせだと反省しつつ、彼は立ち上がって周りを見渡す。


 どうやら教室にはいないらしいことが分かった。ということで次に手がかりの調査だ。一昨日やっていた刑事ドラマのローラー調査とかいうやつだ。近くにいた女子生徒に月代の行方を訊ねる事にした。


「あ、あ、あのっ!あのっ!つ、つつつ、月代っ!さんは……今どこにっ?」


 その威厳たるや、なんともみっともない姿。男とは思えないほどの吃りっぷり、童貞をこじらせた壊れかけのラジオではないか。


「月代って、月代雛子ツキシロヒナコさんのこと?うーん、今日は見てない気がするけど」


 女子生徒は大して興味が無さそうに、それでいて真剣さを装って答えた。ハルキはとりあえず彼女に礼をして、ジャージのポケットに封筒を突っ込んでから教室を飛び出した。



「月代って、雛子さんだよね?今日は見てないなぁ」


「月代さんですか、僕は彼女とは席が離れていますから」


「えー、ツッキーって今日いたっけ?」


「なにその喋り方、チョーウケるんですけどぉ。マジ言葉つっかえ過ぎっしょキンモォ」


 これが教室の外でうちのクラスの生徒に聞き込みをした結果であった。


 そういえばと、花澤開も考えてみる。そういえば今日、彼女の姿を見たような見ていないような。どっちだったかも思い出せない。空気の薄い存在なのだろうか、列になった時隣に居たような、居なかったような。

 半ば諦めかけていた時、園女貴仁に声を掛けられた。


「あれー、ハルくん何してるのォ?」


 それも馴れ馴れしく声を掛けられた。


「ハルくぅん、弁当食べ終えたんだったらさっさと部室探そうよ〜」


「いや、まだ食べて……」


「どうせ昨日の弁当を間違えて持ってきたんでしょ」


 なぜ知っているんだよ。お前は超能力者か。とハルキは感じながらも話題をそらした。


「それより月代さん見なかった?」


「んあ?今度はストーカーかい?ハルちゃん」


 変な言い掛かりされるし呼び方がどんどん馴れ馴れしくなる。それでいて馬鹿にするような笑みを浮かべている。虫唾が走りハラワタが煮えくり返りそうだった。


「知らないならいいよ。どうせ今日学校休んだんだろうな」


 いちいち説明していてもラチが明かないと断念し、教室の出入口へ足を向けた。そんな花澤開の背中に、園女貴仁は声を投げかけ動きを停止させた。


「いいや?月代さんは今日、学校に来てるよ」


 慌てて振り返るハルキに、貴仁は両手を向けて落ち着けという仕草をしてみせる。どーどーどーと馬でも宥めるように声を出して、彼は教卓においてある紙を示した。


「こいつは今朝の身体測定のまとめだ。見てみろよ花澤くん」


 いつの間にか呼び方が元に戻っているが、それはスルーして教卓の上にある紙に目を通す。


【月代雛子 身長:148cm 体重:――】


「おっと、乙女の数字は見ちゃいけねぇだろうストーカーさんよぉ」


 唐突に体重を指で書くし、当たり前のように小馬鹿にする。流石にイラッときて一発貴仁の脳天に拳を据えてから、ハルキは頭を抑える少年の顔を覗き込む。


「ということは朝の間は居たんだな?」


「多分ねぇ。俺はお前と違ってひ弱なおんにゃの子にゃ興味はないから、確信はできねぇけどな」


 なら昼休みの間は外で食べているのだろうか。


「午後には学級委員決めとか掃除の割り当てとかあるんだし、また会えるでしょ」


 貴仁はそう言い切り、先に教室を出ていった。恐らく部活についての相談をしに行くのだろう。夕陽ケ丘高校では、入学して最初の1週間の間だけ仮入部が可能となる。そしてその期間内にのみ入部したり、新しい部活を結成できるとなっていたはずだ。

 部費の計算とか、顧問や部員名簿の作成とか、そういったものの関係らしい。早いうちに必要なものは作れってことなのだろう。学校方針も部活は勉学の二の次だとなっている事から、やりたい事はやりたい内に決めなければならない。

 もちろん例外もあるにはあるらしいが、それは顧問次第である。部員が少ない文化系は新入部員を継続的に募集するらしいが、有名なスポーツ部はすぐに人数確保が出来るために募集をするのはこの期間だけだ。


 昨晩座敷わらしの菫にボランティア部を作るよう諭されてから、慌てて部活についての項目を読み漁ったから間違いはないだろう。昨晩仕入れたてのホカホカ知識なのだ。


「入部届けは一応仕入れたからな?」


 貴仁はそう言いながらハルキに1枚入部届けを差し出した。項目は思ったより単純で、入部希望の部活名と、自身の氏名、顧問の署名があれば十分のようだ。


「でも、部活結成用の書類は職員室でしか貰えないらしい。って事で行きましょうぜ、花澤くん」


 ハルキは、なるほどと零し二つ返事で彼の後を付いていくことにした。気に食わない男だが、信用に値するのもまた事実である。


 学校案内がされたのは昨日のオリエンテーションの後、30分程の簡単なものだった。ぞろぞろと列を動かして、それを誘導する担任が

「ここは化学研究室で危険な薬品とかあるから勝手に入るな」

「ここは保健室だけど大したこと無いのに立ち入るのは禁止」

「ここは事務室だが金庫とかテスト用紙とかあるから生徒は入れない」

 等と禁止事項を読み上げるだけの単純な紹介だった。


 それにもかかわらず、園女貴仁はどうやら構造を暗記していたらしい。大して広くないと言えばそこで終わるが、入学してまだ3日しか経っていないのに迷わず職員室に向かう彼を、頼もしいと思わずには居られなかった。


「んじゃ、あとは任せた」


 職員室前にたどり着いたばかりのその姿勢で、園女貴仁はそう切り出した。


「は?いやいやいや、待て待て待て、なぜそうなる」


「君は同じ単語を3回続けて言わなくてはお口が寂しくなるのかい?花澤くん。俺は言ったはずだぞ、君が作った『ボランティア部』に入部すると。もしここで俺が新規部活登録をしてしまえば部長は俺になってしまうじゃないか」


「いやいやいや、分かるけどさ、俺が行かなきゃいけないのも俺が頼まなきゃいけないのも分かってるけど。園女くんは手伝ってくれないのかよ」


「手伝う?手伝うってなんだい?なんのことだい?君はもしかして口が聞けないのか?それとも文字がかけないのか?一人でできるようなことを2人以上でするのは男子中学生の連れションと女子高生の『一緒にトイレ行こう』程度のものだろう。無駄でとってもみっともない。それに、また同じ単語を3回も続けて、仏の顔も3度までだ。次『いやいやいや』とか『待て待て待て』とか鬱陶しい声を上げたら帰るぞ、いいか?ここで待ってもやらん。帰るぞ。帰るからな」


 大事な事なので「帰るぞを」3回言いやがった。というか上手く揚げ足を取って話の軸を逸らされた気分だ。ハルキはできるだけ冷静さを装って、訊ねた。


「俺が部活を作る。これには1点の狂いも曇りもない。でもな、園女くんよ。もし1人で行かせるつもりならなぜここまでついてきたんだ?」


 口では1人で職員室という名の鬼やら蛇やら出てきそうな世界へ行けと言っているが、本心では心細いハルキを思っていて、結局最後まで共に行動し部活のためにと頭を下げてくれるだろうと、そう確信していた。しかしそれは勘違いであることがあっさりと証明される。


「いや、俺がいないと迷子になっていただろう」


 ごもっともです。


「それに入口で見張ってなきゃ、パンドラの職員室を開ける勇気すら湧かずに尻尾を巻いて帰っていただろう」


 園女貴仁は花澤開をいったいどう思っているんだ。


「女の子と話してる時の吃り方からしても、ヘタレ野郎にしか見えなかったんでな」


 ここに1人、脳天に綺麗な言葉のストレートを受けて真っ白の灰になった男が産まれた。


「分かったよ、行ってくるっての」


 ここまで言いたい放題言われれば逃げるわけにもいかない。職員室の思い出といえば人殴って呼び出され、金盗んだと言われて呼び出されの連続。そんないい思い出が微塵もない場所に1人でノコノコと上がり込むには、かなりの度胸が必要であった。


 入り方などよく覚えていないが、適当にノックをし、職員室の扉を横にスライドさせて中を覗いた。


「2回ノックはトイレノックだ。お前はこれから職員室で大便を漏らすのか?新しいな」


 職員室で大便を漏らすためにノックする奴がこの世界のどこにいるんだ。しかもそう言った本人はそっぽを向いて長く伸ばした髪の毛の先を弄っている。結局何回ノックが正しいんだよ。つっこんでいては今後が大変だ。


「いちいち相手にしていたらキリがないな」


「聞こえているぞ」


 聞こえるように言ったんだよ。と言うとまた言い返されるだろう。ここは我慢が必要だと自分に言い聞かせ、職員室の中を見渡した。


「ドアを開けたら要件を言え、お前のテレパシーを受け取れる人間はお前くらいだと思うぞ」


「テレパシーを発信して自分で受信してたらそれはただの考える人だろう。そうじゃなくて、教師が居ないんだよ」


 そう、教師が1人もいない。しんと静まり返っているのだ。


「ふむ、まだ5組が検査中だから教師は抜けられないんだろうな。それにしても空きっぱなしとは不用心だ。流石に1人くらい居るだろう、叫べ」


「叫べって言われても困るんだが」


「今更かくような恥は無いだろう?叫べ」


「おいこらお前、人を小馬鹿にし過ぎだぞ」


「小馬鹿になどしてはおらん。馬鹿にしているのだ」


「あ゛?」


 もう付き合いきれない、そう言いたげにハルキが振り返った時、職員室から物音が聞こえ、それからハルキたちに向けて声がかけられた。


「君たち、なにか用かね?」


 振り返ると、先程まで人気のなかった職員室の鍵置き場前に、白髪混じりのやつれた男が立っているではないか。


「いい叫び声だったぞ」


 背後で貴仁が囁く。どうやら彼との会話で声を張り上げていたらしい。それで声の主が気になった教師が出てきてくれたという事だろう。結果オーライというやつだろうか。そんなことを考えていると、貴仁が白髪混じりの男に返事を返した。


「まだ身体測定で忙しい時間帯に突然すみません。コイツがどうしても相談したいことがあるみたいでして」


 肩を両手でポンと押し、ハルキをさらに1歩前に出させてイヒヒと笑う。責任を全部押し付ける気なのだろう。言い出しっぺは自分なので反論の余地は無いのだが。これが俗に言う言い出しっぺの法則だろうか。


「ふむ、君がかね?どうしたんだ、今日は朝から2時まで身体測定の予定だったはずだが?」


「あ、俺……僕らのクラスはさっき終わったんす……終わったばかりでして。その、新しい部活を作りたいんですけど、書類とか頂けませんか?」


「ふむ、そういう事か。何部だね?」


「ボ、ボランティア部っす!」


 おかしな敬語を口にする度に、目の下に隈を刻んだ教師が眉をひそめる。ハルキはその表情を見る度に慌てて口調を直した。


「ボランティア部を結成しようと思いまして、その書類をいただきたいなと思いまして」


 また嫌な顔をされた。何が気に食わないのかよく分からない。もう嫌だと言いかけた時だった、目の前に立つ白髪教師は、すんなりと許可を出したのだ。


「これに必要なの記入して、私が出しといてあげるから。書き終わったら、とりあえずボランティア活動として校門前のプランターに水あげてきて」


 そして差し出されたのは部活結成用の書類だった。項目には、部活名とその趣旨、部長名を記入するだけの簡単なものであった。

 来週月曜日の職員会議でそれらの書類を選考し、正式に部活となれば部室と顧問が割り当てられるという。とはいえ白髪混じりの教師による話では新しい部活を作ろうとする人間がこれまで現れなかったため選考会議は形式的なものだそうだ。書類さえ出せば部活は作れるということなのだろう。


「あの、書けました」


 ハルキがそう発すると、白髪混じりの男は奪い取るように書類を受け取り、教頭と書かれたの席に書類を置いた。


「ほれ、水やり行ってこんか」


 男にそう急かされ、ハルキと貴仁は慌てるように校門へ向かう。貴仁が腕時計を見つめ、役員決め等が始まるまであと50分近くあるのを確認し、ホースを手に取った。


「部活、結成出来ないかもね」


 校門前に並べられたプランターの、青々としたサルビアに水をかけながら、ふと貴仁は呟く。


「え?なんで?」


「ん?気づかなかったの?相変わらずだねハルキくんは。さっき君が書いた書類をさ、あの男は何も考えずに『教頭』の名札が置かれた机に置いたじゃないか。教頭って確か家が全焼して学校来てないんだろう?会議が開かれる日まで教頭が来なかったら、部活は結成出来ないかもしれない」


「いや、もしかしたらとりあえず置いただけで、後で出してくれるかも」


「相変わらずあまっちょろいなぁ〜あの先生の適当加減、信用出来ないだろう」


 園女貴仁という男はケチをつけなきゃ会話ができないのだろうか、人を疑うことしか出来ないのだろうか。そう批判したくなるのだが、彼の言った点を思い返すと、確かに心配になってきた。


「なら、園女くん。俺が水かけとくから他の仕事ないか聞くつもりで書類出されてるか確認してきてよ」


 彼の無限の泉から湧き出す愚痴を延々と聞かされそれに付き合わされるのは正直面倒だった。それで適当にその場で思いついた案を彼に投げかけてみる。

 案の定その提案を聞くや、彼は心底嫌そうに顔を歪ませた。普段から嫌そうな顔をしているというのに、さらに顔を歪ませられるから驚きだ。それでも仕事をしなくていいという状況に甘んじたのだろう。「なら水やりは任せた」の一言を残して、彼は一人職員室に向けて足を進ませた。


 ハルキはしっかり書類の行方を見てくれるだろうかと不安になりながら、彼の背中を見送る。

 そして貴仁が見えなくなった時だった、背後で車の止まる音が聞こえ、声を投げかけられた。


 見ればそこには、この道路にふさわしくないスポーツカーが止めてあり、二人の男が立っていた。1人はピンと糊のきいたスーツに身を包み、もう1人はブカブカのジーンズと派手な赤いジャケット、そして厚いサングラスを身に付けていた。スーツを着ている男は運転席のドアを閉め、おもむろにタバコを取り出し火を点けた。彼らは再びハルキに声をかける。


「すみません、夢河寿ムカワヒサシさん知りませんか?」


 そう訊ねたのはスーツを着た男だった。彼は胸いっぱいに煙草の煙を吸い込み、それを吐き出しながら訊ねる。その隣では派手な男が苛立ったように貧乏揺すりをしながらどこか遠くに顔を向けている。

 ハルキは彼らを見た瞬間すぐに判断した。取立屋だ。その証拠に、派手な服を身につけたサングラス男は、片手に茶色の封筒を握っているのだ。良く見たことのある赤い文字で、印鑑を押されていることから、おそらくその中に契約内容などが入っているのだろう。


「いえ、聞いたこともない名前ですね」


「うーん、そうですか、では少し失礼しますね」


 ハルキの答えを知っていたように、男は問答無用で校門を跨ごうとした。全く迷いのない動きに、思わず動揺してしまう。


「ちょっ、困りますよ。まだ生徒がいるんですし、後にしてくれませんか」


 そんな取立屋の前に、思わず立ちはだかったのは何故だろう。それは脊髄反射のような素早さで、殺気を放ちながら両手を広げた。


「……坊や、私たちは遊びじゃないんですよ」


 スーツの男の作り笑いが剥げ落ちる。隣にいた派手な男が拳を鳴らす。この光景も、どこか懐かしく感じながら、ハルキは彼らを睨み返す。


「夢河寿が何者なのか知りませんけれど、ここは学校です。学びの場です。それを荒らすのは、やめていただけますか?」


 小学校中学校にかけて、学校を荒らし授業放棄し学年を崩壊させて来た男が、今更何を言っているのだろうか。それでもハルキは、せっかく生まれ変わるために入学した学校で、こういう人間に問題を起こされるのは嫌だった。

 もちろん彼らも威嚇程度だったのだろう。本当に殴り合いなんかしてしまえば、それこそ警察座他になってしまう。


「いやね、坊や。私達だって、好きでこういうことしてるんじゃないよ?悪い人に、お願いしに来てるんだ。いい人になってって」


 取立屋だと気づかれていることは気にしていないらしい。彼らはまるで幼稚園児を相手にしているように、赤ちゃん言葉に近い話し方で正当性を主張し、中に入ろうと試みてくる。その度にハルキは両手を広げて行く手を遮った。


「坊や、悪いことしているのは夢河寿さんなんだよ。匿ったら共犯者だよ?私達だって仕事をしているんだから、ね?」


「別に今日である必要は無いですよね?今夜じゃダメなんですか?明日でもいいはずですよね?夢河寿さんが何をしたのか分かりませんが、そういう問題ごとを学校に持ち込まないでくださいよ。どうしてもって言うなら、俺を倒してからにしてください」


 何を格好つけているのだと、自分を張り倒したい気分だった。今彼らに立ちはだかっているのは、ただの自己満足に過ぎない。逆恨みに過ぎない。振り返ることなく、どこかへ出て行く少年の背中を、ハルキはふと思い返しただけに過ぎない。

 ただそれだけのことなのだ。見ず知らずの夢河寿を助ける義理も、学校に彼らを入れない理由も、花澤開は持ち合わせてなどいない。それなのに、ここで立ち向かわなくてはならないという、必要の無い歪んだ正義感が、彼を駆り立てて仕方が無かったのだ。


「見っともない男よの。身勝手な正義感に突き動かされる子供のような感情じゃ」


 いつの間にか、座敷わらしのスミレがその光景を見ていた。


 その通りだよと、心の中で呟く。過去に囚われてばかりで前に進めない。でも、少なくとも今の自分は善意で動いている。そう信じたかった。


「じゃが、お主がそれを善行と思わば、それで良いのじゃ。自分のためだとしても、その自分のためが、人を思って行うことなら、けして法に触れることでなければ、それで良いのじゃ」


 菫は恥ずかしさが芽生え始めたハルキの心を、そっと励ました。格好悪くても自分勝手でも、必要だと思う善行を成し遂げるならそれでいいのだと、ただそれでいいのだと、続けた。


 結局、ハルキと男はその場で固まりお互いに睨み合ったままだった。隣では今にでも飛びかかってやろうかと、派手な服を身につけた男が指を鳴らす。今にもはちきれそうな程の緊張感が漂っていた。それはさながら世界大戦時のバルカン半島のようであった。

 そんな中、とつぜんスーツを着た男の電話が静寂を切り裂いた。けたたましく鳴り響く黒電話を彷彿とさせる着信音が、瞬時にその空間に流れる緊張感を解いてゆく。

 彼はけたたましい着信音により壊された静寂を不快に思ったのか、音を消すかのごとく受話器を耳に当てた。

 「もしもし」から始まり、聞いたこともない会社のような名前を口にする。それから聞き取れない声で喋り合う。その口調からして客のようだ。

 スーツを身につけた男ははしばらく頷いたりしながら、最後に「んじゃ裏門で」と言って通話を切った。


「……まったく、坊や。負けたよ。また今度にする。今日はすまなかったね」


 スーツを身にまとったその男は、一向に変化を見せないハルキの表情を見て諦めがついたらしかった。また、新しい仕事が入った事もあるのだろう。隣で威嚇し続ける派手な男の肩を叩き、車に戻っていった。


 最後に振り向きざま、「また会おう」と言い残して。



 ハルキが大きくため息をつき腰を下ろしたのは、彼らが見えなくなってから十数秒後の事だった。

 彼自身の中で張り詰めた緊張感が、ゆっくりと解けていく。

 今までたくさんのヤンキーを相手にしてきた彼でも、大人は流石に恐怖した、それになにより、トラウマが心を押しつぶしてしまいそうだった。


 いつの間にやら、菫は姿を眩ませていた。ただ一連の流れを観察していただけらしい。菫が座っていたところに、教室に置いてきたはずの毬が残っている。


「そういえば、肌身離さず持ち歩けとか言ってたっけな」


 菫の言葉を思い返し、半ばこれで良かったのかと後悔しつつ、プランターに適当に水をやってから、ハルキは職員室へ向かった。

 水撒きを終えたことの報告と、帰ってこない貴仁の確認のために。



 職員室は相変わらずの無人だった。貴仁の名前を呼んでみるも、返事は返ってこない。暗い室内、窓はすべて閉じられ、蛍光灯は瞬きすらしていない。人の気配のない職員室へ、今度は少し声を張って貴仁の名前を呼んでみる。


 すると、職員室と事務室を繋ぐ扉ががらりと開き、担任が顔を出した。緊張感溢れる顔を必死に笑顔で整えてぐるりと周りを見渡し、ハルキの顔を見るや再び顔の表情を固めて、こっちへ来いと手招きする。

 何事か理解出来ないまま担任の元へ駆け寄ると、事務室の中へ半ば無理やり入れられた。広さはそこそこと言ったところだろうか。たくさんの教材が鎮座しており、来客用の窓口はカーテンが敷かれ、椅子が二つ置かれている。その1脚には貴仁が座らされていた。


「花澤さんも座って」


 穏やかそうな担任が、ハルキを貴仁の隣に座らせる。貴仁とハルキの目の前には、腕を組んであからさまに怒りを抱えた生徒指導部の先生が立っていた。

 一体全体何事だろうか。腕を組んだ生徒指導部の表情から、ただ事ではないのは明らかだ。


 ちらりと壁にかかっている時計に目をやると、水巻に向かってからまだ5分もかかっていないことが分かった。プランターは別段多いわけではなかったので、1分もあれば水やりは終わるのだろうが、それでももっと時間をかけていた気がする。長い間睨み合っていた気がするが、どうやら錯覚だったらしい。


 ということは貴仁はその5分間の間に何かしでかしたという事だろうか。そういえば貴仁が職員室に戻ったのは白髪男が部活結成用の書類をしっかり提出してくれているかを確認するためだったはずだが、その男はどこにいるのだろうか。

 そんな事を考えながら周りをキョロキョロと伺っていると、担任にそっと肩を叩かれた。慌てて姿勢を正したハルキを、生徒指導部のハゲオヤジが睨めつけ、そして切り出した。


「お前ら、この休み時間何していた」


「水撒きですけれど」


 そう答えたハルキを、毛嫌いするように顔を歪ませたハゲは、その顔を固めたままためらう様子もなく黒く輝く金庫を叩き、閉ざされた事務室が破裂しかねない程の大声で叫んだ。


「しらばっくれるな!お前ら、金盗んだだろう!」


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