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不良【ヤンラック】妖幸  作者: 野々村あこう
第一章、座敷わらしの怪
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座敷わらしの怪、第四幕

「いやぁ、そんなことも知らなかったのかい?相変わらずドジだね。大ドジだね。大失敗だね。やっぱりドジをかますのはいつだって君の方なんだね。仕方ないよね。それがもはや運命と呼べるまでに染み付いているんだろうね。そう思わないかい?花澤開ハナザワハルキくん」


 朝、珍しく早めに登校し教室に入ったのが2番目だと有頂天だったハルキの、伸び伸び育った出鼻を挫いたのは、他でもない園女貴仁ソノメタカヒトであった。

 彼は相変わらずのニンマリ顔でハルキの肩に手を置き、ハルキより頭一つ分小さい身長をものともしない大きな態度で嫌味を言った。肩に添えられた小さな細く白い手は、綺麗にアイロンがけされたハルキの制服に深いシワを描いている。


「ねぇ、花澤開ハナザワカイ、おっと間違えた。ハルキくん。どうしてこう君はドジっ子なんだろうね。ドジっ子って言うとどうも響きが可愛くて君らしくないのかもしれないね。なら言葉を変えよう。どうしてこう、珍しく朝早くキチンと登校する日に限って君は馬鹿になるんだろうね。おっと、今度は直接的過ぎるか」


 そう言ってイヒヒと笑いながら彼は踵を返して自分の席へと戻った。不敵な笑みを浮かべながらショルダーバックを抱えるように机の上に腰を下ろした。ハルキはシワになった肩を見つめ、それからどうしようもないほどに綺麗な自分の制服を見下ろす。対して貴仁はというと、全身青地に赤のラインが入ったジャージを着ているのだ。ハルキは貴仁の着衣を目の前にして、静かに溜息をつくしかなかった。もちろん嫌味で卑劣で間違いを責め立てるような、こんな性格をした貴仁がハルキの溜息をを気にしないはずもなく、彼はまるで仔犬に話しかけるように笑うのだった。


「おやおや花澤開くん、花澤くん。そんなに自分の失態を恥じているのかい?いつものようにもう少し遅く登校していれば、恐らく君は同じ時間に登校する同学年を見つけて、今日が身体測定の日だと思い出したはずなんだ。なのにまた、どうして君は今日に限って、早く来てしまうのかね。これはもはや不運とも呼べる大失敗だ」


 その通りだとハルキは思う。大失敗だと。そして落ち込むのだった。なぜ今日に限ってこうなってしまったのか、早く来てしまったのか、彼はぼんやりと昨日の出来事を思い返していた。



 昨日、すなわち4月9日の火曜日、入学式から1日が経過し、オリエンテーションが開かれた4月9日の火曜日。

 花澤開は大失敗を犯してしまった。授業初日目からの1時間の遅刻、午後のオリエンテーションの遅刻、さらに入学費を用意し忘れ、隣に座る月代という少女から入学費を借りたことだ。

 不本意であったとはいえ、かなりの失態を犯し、かなりの悪行を重ねたのだ。いい事など何一つしていないのだ。

 そんな日だったからこそ、不運になった。正確には、幸運を勝ち得る事が出来なかった。


 彼はその日の夕方、時刻にして午後7時と少し行ったくらい。人はほとんど家の中へと消え、空気はヒンヤリとしてきた頃。街灯から出る青白い光が、まだ温かいアスファルトを冷やし始めた頃。座敷わらしのスミレと話をしていた。


 傍から見れば独り言で、見える人から見れば怪奇現象カイキゲンショウとなり得るその光景を、当の本人である花澤開は誰にも見られていないと盲信していた。そのため、半ば大声を出しながら歩いていたのだ。人はもう家に帰ったと信じていたから。


 ところがそうはいかなかった。運悪く、ハルキの進行方向には園女が居たのだ。彼は帰宅途中に陽が落ちてどうも辺りが冷え込んできたがために、温かいコーヒーを飲もうと自販機に寄り、その裏に腰を下ろして一息ついていたのだ。それに気づかずハルキは、大声で、自動販売機の向かい側に腰を下ろした園女貴仁に聞こえる程度の大声で、「ボランティア部を作ろう」等と口走ってしまったのだった。


「へぇ、知らなかったよ。君ってボランティアとか興味あるんだ。いいね、俺もその部活入らせてよ」


 それが園女貴仁の第一声だった。彼は続け様にこう言った。


「いきなり遅刻を成し遂げて、女の子から借金までするような男が、まさかボランティアだなんて。知らなかったよ、予想外だよ、想像以上だよ。いや、君の方は想像異常だよ。異常な想像ばかりだよ。もちろん俺は君の事なんて全然知らないんだけれども、自分の面倒も見れないような人間が、どう他人のために尽くそうってのさ。むしろ足でまといにすら感じるよ」


「なんで月代の事まで」


「そりゃだって、あんなに堂々と他人の金を借りておきながら、ましてや女の子を泣かせておきながら、誰にも気づかれないと思ったのかい?気づかれないまま自分の失敗を隠し通せると思ったのかい?それでもって彼女の正義感すら花澤開という一個人のために隠蔽するつもりだったのかい?もしそうだとしたら、大馬鹿者で卑怯で最低な男だよ。と言いたいけど安心しなよ。俺は何も知らないし何も見ていないんだから。何もわからないよ。君が薄情ものの問題児だなんて。全然全く知らないし、今後一切知るよしもないんだから。まぁ、そんな最低な人間がボランティアなんて出来るわけがないし、する意味もない。本当に善意なのか疑問だ」


 色々と思い悩んでいた事と、その日1日の鬱憤が重なって、ハルキは限界を感じていた。その為だろう。彼は園女貴仁の胸ぐらを容赦なく掴んだ。


「んだとクソヒョロ野郎。貴様なんぞが口出ししてんじゃねぇぞ。何も知らねえくせに飄々としやがって。知ったかぶりした口聞いた挙句無駄口叩いてよぉ。そんなにてめぇは他人を貶して楽しんでいたいのかクズ野郎」


 顔面を必要以上に近づけて拳に力を込める。ハルキはもはや止まる意思を持ち合わせては居なかった。元々沸点も低かったため、その日の内に抱え込んだストレスは、冷え込んだ夕方の帰り道で爆発していたのだった。菫はここぞとばかりに姿をくらませ、誰も花澤開を止める者が居なくなった。その時、強く握りしめた制服のボタンが、どうやら早くも根をあげたらしくプチんと弾け飛びアスファルトにぶつかった。


「花澤くん、何でもかんでも力に頼るのは、それはもはや論外というやつだと俺は思うんだよね。君もそうは思わないかい」


 ハルキ自ら、かなりの迫力だったと自負してはいたものの、園女の態度は変わることがなかった。彼は全く臆することなく、細長い指先でハルキの拳を開き、自分を開放した。


「ボタンが取れたのもシワが付いたのも仕方が無いことだ。俺だって自分の性格は充分理解しているからね。それにしても花澤くん、君は子供だ。まだガキだ。それなのにボランティアだなんて、本当に君に務まると思っているのかい?もしそうだとしたら、君のその自信がどこから湧き出してくるものなのか甚だ疑問だよ。いいかい?対価を求めたり、いいように見られたいとかいった個人的な感情でやるボランティアはボランティアじゃない。それは善意という嘘をついた、そうだな。ホランティアだよ。ホラ吹きのホランティアさ」


 こればかりは言い返すことも出来ず、ハルキは考えた。確かに自分がやろうと決意したボランティアは、人から対価を求めることは無い。その時点ではボランティアなのだ。金を貰えばアルバイトになるし、それが定期的になれば定職となる。だがハルキがやろうとしているボランティア部は、どんな事をしたって人から対価を求めない正真正銘のボランティアなのだ。


 と、そこまで考えてから疑問を投げかける。本当にそうだろうか。


 人からは対価を受け取らない、人に対価は求めない。だが、人ではない存在からは莫大な対価をいただく事になっていた筈だ。そう、幸運という名の対価を、ハルキは受け取ろうとしていた。それは明らかにボランティアとは呼べないものだった。だからこそ、花澤開は言い返すことが出来なかったのだ。自分の面倒も見れないような人間が、対価を求めずに他人のために尽くすわけが無いのだ。だからボランティア部という名前にはかなりの語弊がある。ボランティアではないのだから。


 つまりハルキは、ただ図星を突かれて逆上したに過ぎない愚か者だったのだ。


「悪いかよ」


 それしか、彼には言い返す言葉が見つからなかった。負けを認めた言葉だった。


「いやね、別に悪いとか良いとかは聞いていないのさ。ただ君は、人から対価を求めることなく、ただ純粋な気持ちでボランティアができるのか。そう聞きたいのさ。YESならYESでそいつは素晴らしいと思うそりゃ素晴らしいさ、素晴らしいに決まっている。なにせ、純粋な善意なんだからね。でも、NOだって別に俺は咎めたりはしないさ。人なんだから対価を求めるのも仕方はないだろうよ。

 いや、この際君のことだからもっとハードルを下げてしまおう。人間評価や成績狙いだっていい。君は真剣にボランティア部の活動を勤しむ覚悟はあるのかい。つまり俺が聞きたいのはそういう事なのさ。体たらくな君が、まだ知り合って1日とそこらだけど、そのいい加減そうな性格をした君が、飽きることなく部活を続けられるのかいという事を気にしているのさ」


 なぜ知り合って1日とそこらの関係でしかない園女に、そんな事を心配されなくてはならないのか、全くハルキは理解ができなかった。だが、ボランティアを続けられるかという質問に関しては、堂々と答えることは出来る。


「当たり前だ」


 すると、そう答える事を最初から知っていたという表情のまま彼は口を開いた。


「なら俺はその部活に入るよ。部員第1合だ。よろしく部長」


 それから続けて笑いながら。

「まぁ、どうせ明日も遅刻をしでかす事だろう君のことだから、部活を立ちあげるだなんて全く信じていないんだけどね」

そう言い放ったのだった。



 そういう経緯で、ハルキは4月10日水曜日の現在、珍しく早起きし、珍しく自分でアイロンをかけた制服を来て、どんな生徒よりも早く家を飛び出し、時刻にして朝の6時10分、クラスで二番目に早く教室にたどり着いたのだった。朝一番の授業が始まるまで、1時間20分。余裕を持ち過ぎる登校である。

 彼は、ただ見返してやるという対抗心から起こした行動だった。そして一番最初に教室にたどり着いていた少年、園女貴仁と目が合って花澤開は硬直した。

 そんな彼に、容赦なく園女は笑いかけるのだった。


「Congratulations。花澤開くん。君は確かに遅刻しなかったよ。素晴らしいよ。まだ人気のないこんな朝早い時間帯に教室に来るなんて、俺は驚きを隠せないよ。でもね、花澤くん。今日は身体測定の日なんだよ」


 園女が指さす先には、『トレパン登校』と書かれた黒板がそびえ立っていた。




 それから現在に至るわけだが、園女貴仁はここぞとばかりに嫌味を放つ。


「いやはや、いやはやいやはや。まったく君という人間は。どうしようもない愚か者だよなぁ。だが安心したまえよ花澤開くん。故人はこう言ったんだ。『賢者ケンジャは歴史に学び、愚者グシャは経験に学ぶ』。分かるかい?流石にわかるだろう。放課後に我がクラスの担任から直々に言われた『明日は身体測定の日だから上下ジャージで登校してくること』をたった1日で忘れてしまうような鳥頭でも、流石にこの言葉は理解できるはずさ。賢者は、すなわち良き人間は、歴史に学ぶんだ。周りの人の話を聞き、しっかりと勉強し、昔の人が犯した過ちを繰り返さないようにする。そのためにも歴史っていうのは大切なんだよ。過去に犯してきたたくさんの過ちが、未来を生きる賢者の生活の糧になるんだから」


 分かるかい?と続けてから、彼はハルキを指さした。


「そして君、つまりは愚者グシャ、つまりは愚か者、要するにドジっ子のド阿呆である花澤開ハナザワハルキは、経験に学ぶのさ。人の話は聞かないし、どんなに勉強してもすぐに忘れてしまうような馬鹿者は、その身を持って経験し、傷として覚えるしかないんだよ。一生癒えない傷として、その身その心に刻みつけるしかないんだよ」


 彼はハルキが言い返さないことをいいことに続けた。対するハルキはといえば、もう頭のてっぺんまで血を登らせ、ワナワナと震えながら怒りを抑えていた。このままでは机を投げつけ窓ガラスを全部割りかねない。それ程に恥ずかしく、そして言い返すことの出来ない無力感によって自我を失いかけていた。

 ハルキは俯いた姿勢ではいけないと思い改め、それから睨みつけてやろうと顔を上げる。ちょうどその瞬間、ハルキが肩から下げる鞄の中から澄んだ鈴の音が聞こえた気がした。ハルキにしか聞こえていなかったらしく、貴仁はこれといって反応を見せずに、ハルキのそのキッと見開いた両目に『何か』を投げつけた。


「感謝しなよ花澤開くん。俺は君の心に傷をつけ、永遠に忘れることのない経験をさせてやったのさ。良かったなぁ、ハルキくん。君は次から、服装を間違えることは無いだろうよ」


 相変わらず堂々とした声色で、満足しきった表情で、彼はハルキに笑っていた。

 ハルキは投げられた『何か』を投げ返してやろうと思い、それを睨みつけた。そして一瞬脳内が機能を停止し、それが『何』なのかを考えあぐねる。


「良かったねハルキくん。君が昨晩俺の制服のボタンを外したがために、今日も衣服を破かれかねないと思い念のため用意しておいた替えのジャージを所持していて。さてハルキくん、ここいらで会話は中断しようか。ボランティア部で話そう。それまで俺には話しかけないでくれよ。今日中に部室を手に入れてくれると期待しといてあげるからさ」


 そう言い放つと貴仁は机から飛び降り、椅子に座り直した。それに合わせるように教室の扉が開き、ジャージを身にまとった生徒が入ってくる。ハルキの手には、その生徒が着ているものと全く同じものが握られていた。

 つまりは、ハルキの手には上下のジャージ一式が握られていたのだ。一瞬でも彼に対して怒りを覚えた自分を恥ずかしく思い、彼の言葉に従って、心の中で「ありがとう」と呟いた。



 この高校の時間割には、0校時という概念があり、普段は7時30分から0時間目の授業が始まるのだが、どうやら身体測定の行われる今日この日にも、0時間目だけは行われるらしいということが、その生徒の登校から理解出来た。彼は自分の席に腰を下ろすと教科書を開き筆記用具を準備する。

 花澤開はそんな男子生徒を眺めてから、ふと時計に目をやり授業まであと30分も残されていることを確認した。それから彼は園女貴仁から受け取ったジャージに着替えるために1度トイレへ向かうのだった。


「なぁ、これはお前の力なのか?」


 誰もいないトイレの電気を点け、制服を脱ぎながら毬に話しかけてみる。


「そうじゃ。これが妾の力じゃ。と言いたいところではあるのだがの、妾も少し意外ではあるのじゃ」


 ハルキの問いかけに答えるためか、おかっぱ頭の妖女が、紫の目立つ着物をまとってトイレに現れた。見える人が見れば、怪奇現象というよりは犯罪現象に見られるだろう。メガネをかけたゴツイ男が幼い女の子を高校の男子トイレに連れ込んで、制服を脱ぎ捨てている最中なのだから。

 などとどうでもいいことに心配しながら、菫の困惑した表情に質問を新たに投げかける。


「これって、朝早く学校に登校したっていう事実が善いこと判定を受けて、それでジャージを忘れた俺にジャージが届いたんだよな?」


「うーむ、そうではないのじゃ。忘れ物というのは悪いこと判定を受けるじゃろうから、いくら朝早く登校したからと言っても着忘れたジャージに有りつけるとは思えんのじゃ」


「え?ならこれも不運の一種に成りかねないとか?幸運の先払いで、後で借金の如く不運に見舞われるとか?」


 もしそうだとしたら大変だ。たかがジャージのために酷い代償を払ったことになった。不運をつけに回したとすれば、どんな恐ろしいめに合うのか想像すらできなくなってしまう。


「安心せい。幸運の先払いは不可能じゃ。幸運を先に受け取り後でまとめて不運を返すなど、できるはずもないわい」


 しかし、不良を救った有難い神様はあっさりとそれを否定した。彼女が断言するのだから、そういう物なのだろう。幸運などと無縁だったハルキは、どう足掻いても幸運については語れない。それは専門家の仕事で、憧れるだけの人間は知り尽くした神様に到底適わないのだ。


「だとすれば、やっぱりこのジャージは朝早く登校した俺の善行に見合うだけの幸運ってことだと思うんだが」


「うんとな、そうではなくての。お主は今朝、二つの善いことをした事になっておるのじゃ」


「え?二つ?でも俺、今朝はただいつも通り独りで朝食を済ませてただいつもより早めに登校しただけだぜ?強いて善いことと言うなら珍しく俺自身でアイロンがけしたくらいだろうけど、結局制服を着るという行為自体は、忘れ物をするという善行とは真逆の行為に値するわけで、特に意味の無いことだったんだろ?」


 わけがわからないハルキは、ジャージに着替え終えてから首を捻った。その少年に、座敷わらしで付喪神の菫は言葉を選ぶようにして答えた。


「それがの、園女貴仁と会話をした事が善いこと判定みたいなのじゃ」


「え?」


 花澤開は、彼女が告げた今朝の善いことを振り返ってみる。

 一つは、朝早く学校に来たこと。だが彼女曰くこの行動は大して重要視されるような余程の善い事ではないらしい。むしろやって当然の程度の善い事だそうだ。


 そしてもう一つは、園女貴仁と会話をしたこと。つまりは、園女貴仁にとことん嫌味を言われた事。馬鹿だなんだと貶された事。それがハルキにとって善いことだと判定されたというのだ。


「善い事には二つあっての、一つは道徳的に、倫理的に、人道的に善いことじゃ。例えばゴミを拾ってゴミ箱へ捨てたり、例えば怪我をした少年の手当をしたり、例えばご老人に席を譲ったり。そういう事が単純に善い事とされる。そしてそういうような大衆受けされる善いことはかなりポイントが高い。そしてもう一つは個人的に善い事じゃ。犯罪者なら手伝ってくれれば善い事じゃし、泥棒ならかくまってやれば善いこととなる。まぁ、悪行に肩入れすれば、その分非人道的として徳は差し引かれるから、むしろ悪いこと判定を受けてマイナスじゃが」


 彼女はそこまで言って園女貴仁は、と続けた。ハルキにも彼女が言おうとしていることは理解出来た。今回受けた善い事判定は、園女貴仁と会話をした事だ。会話自体は倫理的にも道徳的にも人道的にも普通のことだから、マイナスはされない。プラスもされない。だから答えは単純なのだ。


「園女貴仁は、園女貴仁という人物にとっては、対話の中で貶され馬鹿にされる人間は善い人という事なのじゃ」


 ハルキは、菫が自身に向ける同情の眼差しに気が付いた。ハルキもどう表現したら良いのか分からない感覚に襲われていた。


 高校で初めて出来た友達、これから作るであろう部活の部員第一号、ジャージを貸してくれた人間、その人間そのものの存在が、不運であったのだ。

 彼は、ハルキを見下す事で喜びを覚える、正真正銘のクズだったのだ。一瞬でもイイヤツだと思ってしまった自分を恥ずかしく思い、そしてやはり不運な自分の運命を呪わずにはいられなかった。


 ハルキは心から嫌悪する男のジャージを身にまとい、ムシャクシャとした気分を押さえつけて教室へ戻った。ジャージからは心地よい洗剤の香りだけがして、そして少しばかり窮屈に感じた。

 教室についた時、0時間目まであと10分となっていた事もあり、生徒は既に全員が着席していた。生徒は皆、会話を禁じた囚人のように机に広がる問題集と睨めっこしている。

 自分の席に向かう途中、園女貴仁の前を通ったのだが、彼は全くハルキの方を見ず、完全に無視を決めていた。


 今後の学園生活が、さらに心配となるのだった。



 その日の0時間目は国語だった。ハルキとしては、相性の悪い数学教師とこんな気分で鉢合わせするのは避けたかった事もあり、特に不運とは思わなかった。時間割というのは最初から決められているのだから、運なんて正直関係ないのだが。

 それにしても、早起きなんて普段しないような事をするということはどうも体が困惑するらしく、授業が始まり呪文の様な古語を耳にすると、自然と夢現の境目に迷い込んでしまうのだった。どうやら苦手な早起きを実行したことが祟ったらしく、結果的に目が覚めた時は身体測定の列を作る直前だった。いつ授業が終了したのかすら分からない。


「数学の次は国語ですか、そうですかそうですか。流石ですね花澤くん」


 これが身体測定の列を作る一瞬、すれ違った園女貴仁から投げかけられた言葉だ。

 もちろんハルキに反論の余地はなく、しかも貴仁はそれだけ言うと満足したように後はとことん無視を始めたのだった。話しかけるなと言っておきながら自分勝手な奴だ。

 だがもちろんハルキだって反省はしている。このままでは教師陣に嫌われてしまうし、クラスにも居場所は無いままだ。入学式からまだ3日しか経っていないというのに、生徒は既にそれぞれがグループを作り始めていた。

 中学の頃は人を殴っていれば勝手に誰かがついてきたが、この学校ではそうもいかないのだろう。

 居場所が無いというのは、殴られたり睨まれたり園女貴仁に貶されるよりもっと辛いことなのだ。今彼の居場所と言えるのは、自分の部屋と、中学時代に塒にしていた廃工場跡くらいだろう。


「そのためにも部活結成を急ぐのじゃ。部室なんか手に入れればこっちのもんじゃろて」


 身長体重を計り終えたハルキに、菫はそう言い肩を押した。

 それもそうだな。と、彼にはその応えを返すのが限界であった。部活を作ったとしても、園女貴仁が部員として毎日チョッカイを掛けに来るのだから。まったく解決はしていないのだが。


 そうこう考えている間に、聴覚テストが始まる。身体測定なんてあまり記憶に残らないものばかりだった。

 列を作って1組から順序よく身長、体重、座高を計る。それから次の教室で視力を計り、また別の教室では聴覚を計る。

 生徒達はその数値を思い思いに伝えては一喜一憂するのだろう。中学の頃のように私の方が身長高い、俺の方が軽いと。デカければ強いわけでもないし、軽ければ頭がいいわけでもないのに、まるでその数字がドラゴ〇ボールのスカウターで測られた戦闘力であるかのように見せ合うのだ。

 てっきりそんな偏見を持っていたのだが、どうやらそれも違ったらしい。そこにあったのは、全生徒が、それは園女貴仁を含む、そして花澤開だけは含まない全生徒が、各々に英単語長や古文単語帳を持ち歩き、待ち時間を存分に活用して勉学に励んでいる姿であった。

 彼らの間に会話は無い。計り終え知らされる数値よりも、今手元にある未知の単語の方が重要だと言いたげに、それぞれが俯きゾンビのように行進するのだった。


 こんな中で、居場所を見つけられるはずがない。それがハルキの率直な感想だった。そして同時に、彼等は本当に友人の事を考えているのだろうかとも思った。

 ハルキの目には入学式から3日程度のうちにグループを作り、趣味や勉学について雑談する生徒が何人も映っていた。彼らは知識を共有しようと話を展開し、各々の考える事柄を話していた。

 しかし今ここにいる彼らは友人の身長や体重に興味を示さない。対話する相手そのものには興味を示さず、その相手が持つ情報の量と質ばかりに目が行くのだ。まるで理解を得られなかった。

 確かに中学の頃円周率を多く言えたりロックバンドの数をたくさん書けたりしたら格好いいとされてきたが、彼らはそういう類のものでもないようだった。

 ただお互いの知識量を吟味し、慎重に力量を伺い、そして必要な情報を引き出しているように見えた。数学の得意そうな奴からはまだ習っていない公式の使い方を習ったり、どちらがより多くの英単語を覚えているのか競い合ったり。もちろん、昨晩見た番組の話等でも盛り上がりは見せるが、それよりも断然非日常的な、勉学的な会話を好んでいるようだった。


 だからなのだろう。身体測定で得られた個人情報について、誰も興味を示そうとはしなかった。もちろん、会話の繋ぎに身長やら体重やらを話す人は居たし、ハルキの身長を聞いて大きいね等と笑いかけてくれる人もいた。しかしやはり、壁を感じてしまうのだった。


 一通り数字が出たら、次に保健室で歯をチェックする。虫歯の有る無しから歯垢のチェックまで、念入りだ。呪文のような歯医者の言葉を、担任が紙に書き込んでゆく。小学校も中学校も、そして高校生になっても、その流れに変化は見られなかったし、やはりどこも身体測定にやる事は同じだった。


 それから採血が行われ、それでようやく昼休みになった。


 園女貴仁は結局まともに話しかけてくることは無かった。途中他の生徒の会話の輪に加わっているのを見かけたが、貴仁は周りの生徒達の様に知っている事を話すわけではなく、常に、面倒くさそうに「知らない」の一点張りだった。

 例えば三角関数の使い方について説明したり議論している時に、男子生徒が園女貴仁に「sinθとcosθを活用したtanθの求め方」を訊ねると、彼はただ一言ぶっきらぼうに「知らない」と答え、別の男子生徒が「sinθをcosθで割るとtanθが生じる」という説明を入れれば「知らなかった」と返すのだ。

 また目にした時、男子生徒が「春の七草を覚えているか」と訊ねたのに、覚えている覚えていないではなく、彼は「知らない」と答えるのだ。

 そして一人になってから「セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロ、これぞ七草」と歌い出す。それでもやはり、後になって別の生徒から教えられると「知らなかった」と言うのだ。


 園女貴仁は、知っていることまで知らないと言い、周りの表情を楽しんでいる様だった。


 なんだかそんな彼に話しかける勇気は湧いてこず、花澤開は昼休みになると誰にも話しかけないまま、まっすぐ自分の机に向かった。途中数学教師とすれ違い、なぜ単語帳を持ち歩かないのかと問い詰められたが、お手洗いに言っていたと誤魔化した。


 やはりこの学校は、どこか狂っているのではないだろうかと、未だに馴染めない彼はそう思ってしまうのだった。

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