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不良【ヤンラック】妖幸  作者: 野々村あこう
第二章、メリーさんの怪
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メリーさんの怪、第二幕

「んじゃ、ゆっくりさせてもらうよ」


 夕日ヶ丘高校旧校舎2階、元美術室現倉庫となった部屋の一室で、園女貴仁ソノメタカヒトはソファーを掘り出し、その上にどかりと寝転んだ。


 それを見て花澤開ハナザワハルキは小さなため息をつく。またかよ、とでも言いたげな肩の落とし方に、貴仁はクスリと笑ってハルキに両手を伸ばして見せた。


「君も来ていいんだぞ?」


 笑えない。ハルキが引きつった笑みを浮かべて首を傾げると、つまらなそうに貴仁は目を瞑った。


 2013年4月13日、この日は春の冷たい風を包んだ雨がしとしとと降る日だった。

 二日程前から早起きに気を使い、出来るだけ早く登校するよう心掛けている花澤開ハナザワハルキではあったが、今日に限ってはあまりの寒さに毛布から手足を出す事さえ億劫に感じたのを覚えている。

 だが、そんなことを理由に遅刻などしてしまうものなら、今目の前で寝転がる男の憎まれ口を耳元で囁かれかねない。どんなにハルキが早く登校しても、彼は既に教室にいて、掃除を済ませ自主学習まで始めているのだから。そんな彼がただ朝に弱いという理由だけで遅刻したハルキを見逃すはずもない。


「おやおや、花澤くん、花澤開くん。君という人間は2日頑張ったからと3日目を休息日にするのかい?7日で世界を作ったというヤハウェもビックリだろうね。三日坊主をも超える為体ていたらくだよ。せめて寝坊するなら明日にすべきだというのに。本日は金曜日、あと1日我慢することも出来ないのかい?」


 なんていうに決まっているのだ。

 普段教室で人と会話している姿など見かけない。授業で当てられても正解だけをスラスラと発して席につく。ミステリアスで優等生、小顔低身長細身美形の腐女子ウケしそうなルックス、無口で課題は卒なくこなす完璧ぶり。等と評価を付けてしまいたくなる男だが、その中身は毒々しい皮肉に満たされているのだ。


 なにか反撃の暴言を喰らわせてやりたい。そう思いソファーに仰向けになった園女貴仁を見下ろすが。


「30分だけ仮眠を取るんだ。邪魔しないでくれよ」


 そう言われてしまったために最早拳を鳩の影絵に変えざるを得なくなった。


 2人がこの部屋に居る理由はいたって簡単である。つい2日ほど前に、ハルキと貴仁が入学費泥棒の冤罪を着せられ、生徒指導部担当である近藤直志コンドウタダシ先生により崖っぷちまで追い詰められるという事件があった。


 キッカケは些細なことで、花澤開の契約した妖である座敷わらしのスミレの提案で、徳(善いこと)を積むためにボランティア部を結成しようとしたところ、運悪く借金を返すために盗みを働いた教頭先生の罪を被ってしまったことに始まった。


 結局新犯人である教頭は貴仁の機転により退職を真逃れ、それを代償に貴仁一人が得をするという結果に終わった。


 その見返りがこの部屋である。つまり、部員が集まるまで結成を認めないとか、教員会議を通すとか、そういうのを全て無視して近藤先生が顧問となり、ボランティア部が結成されたのだ。


 その結果物置として活用されている元美術室は、自由に使えることとなっている。それをいい事に貴仁はそこいらにある道具を半私物化しているのであった。そして彼らはホームルームが終わり4時40分ごろにそさくさと部室へ顔を出し外の雨音を聞きながらくつろいでいるのであった。



 中学時代は『ヤンラック』等と異名を付けられ恐れられてきた花澤開も、暴力を卒業したいと願い、自らを変えるために伊達メガネまで付けて進学校に入学したからには喧嘩を避けざるをえない。その点口の強い貴仁には手も足も出せない状況にあるのだ。


 また、なぜかハルキとよく会話をして楽しむ貴仁に対し、鉄筋コンクリートばりの強固な心の壁を感じてしまい思う様に話しかけることも出来ない。

 コミュ症だとか気を使いすぎてるだとか、そういう訳では無いのだが、それでもやはり貴仁とは良好な関係を築けずにいた。

 正直なところ、ハルキ自身がそう思うのだから貴仁もまた傍に居て気まずいだろうと思ってはいるのだが、何故だか彼はそんなこと全く気にした様子もなく話しかけ罵詈雑言を浴びせた後に壁を貼ってしまうのだ。


 何のためにハルキとつるんでいるのか、なぜ部員規定値にも達していないボランティア部に入ったのか、なぜ文句を垂れるほど嫌いな人間と傍に居て平気で寝られるのか、そんなことを考えると混乱してしまうのがここ最近のハルキの悩みであった。



「貴仁は俺のことどう思ってるんだよ……俺なんかと居て楽しいのか?」


 涼しい顔して寝息を立てる少年に、ハルキは思わず溜息をついた。少なくとも俺は楽しくねえんだけどな、と言いたげな溜息だ。そうと知ってか知らずか、貴仁は薄らと目を開き口元を緩ませて笑うのだった。


「まるで恋する乙女だな君は」





 あれからだいたい10分位がたった。時刻は4時56分、辺りは既に暗くなり始めていて、遠くでカラスの鳴く声が聞こえてくる。やはりまだ冬の香りが残っているようで、雨は上がったにも関わらずハルキはどこか肌寒さを感じた。


「……っ。君の拳は殺人兵器かなにかか?まだ痛みが引かないよッ!」


 ハルキに合わせて時計を確認した貴仁がもう一度怒鳴り声をあげた。その彼の片手には氷袋が握られており、頭のてっぺんに出来たたんこぶを両手で抑えていた。

 ハルキは先ほどの意味不明な、それでいてイヤに腹が立つ発言に無意識に反応し、初めて貴仁の頭を小突いたのだ。とはいえ喧嘩少年の小突きをそういうことに疎い人間が喰らうと、ここまで痛がるものだとは知らなかった。

 常日頃から余裕そうな彼も、今回ばかりは涙を流し驚いた表情を見せていた。


「悪かったって、まったく。それよりそろそろ帰るか?」


「……一応掃除だけしていこうよ。腐ってもボランティア部なんだから、少なくとも目立つゴミだけは拾って帰りたい」


 貴仁はそう言うとソファーから立ち上がった。それを見てハルキも時間を忘れて読みふけっていたファッション誌を閉じて立ち上がる。


 貴仁はボランティア部結成が近藤先生によって許された二日前から、毎日最低30分はゴミ拾いや水かけ、窓拭き等といった小さな清掃作業をして帰っている。ハルキとしても彼の指揮の元ボランティアを進め、幸運ポイントを貯めることが出来ているため文句は無いのだが、やはり貴仁という人間の特性については未だに理解出来ないことが多かった。


「それじゃ、今日は玄関の藪辺りやろうか、花澤くん。昨日あそこに寄った時、結構スッパイマンとか酢昆布の袋落ちてたから」


「うちの学校には妊婦さんでもいるのかよ」


「え?なんでそうなったんだい?」


「いや、言うだろ?妊婦は酸っぱい物を食べたがるって」


「あー、なるほどね。そういや、一番酸っぱいお菓子ってなんだろうね」


「ん?貴仁が分からねぇなら俺が分かるわけねぇけど……シゲキックスとか?」


「あー、ありがちだけど平気で口に放り込める程度の酸っぱさだよね」


「貴仁って酸っぱいの好きなの?」


「うん、辛酸を舐めさせるのが好きなんだ」


「お前それ意味分かって使ってるか?」


「あはは、冗談だよ。ってか君はこの言葉の意味を知っていたのか、意外だな。はい、ゴミ袋」


 そう言って貴仁は自らのスクールバッグからMサイズの半透明な袋を取り出した。意外とは何事かと言い返してやりたかったが、彼の言葉の反撃が恐ろしく、そこで押し黙る。それからハルキも、部室の散らかった小物の中から見つけてきた二本のトングを取り出す。

 そのまま二人は会話に花を咲かせながら夕日ヶ丘高校玄関横の藪でゴミ拾いを始めた。


「にしても、妊婦が酸っぱいの欲しがる理由が分かんねぇわ」


「まぁ、花澤君には少し難しいかもね。とは言え俺も妊娠したことはないから……って当たり前か。よく分からないんだけどね、これといって特別な理由は無いらしいよ。はい、空き缶。なんかね、酸っぱいものに含まれてるクエン酸を摂取することで疲れを回復したり、貧血の場合には鉄分を吸収しやすいようビタミンCが補給できたり……、あ、ペットボトルは俺の袋に入れて。あとは単純につわりの時のムカムカを酸味がサッパリと消し飛ばしてくれるからとからしいよ」


「へぇ、酸っぱい物ってそういう効果もあるのか。あ、また空き缶。ってこの空き缶ルートビアかよ。最近ルートビア飲んでるやつ多くないか?ビレバンにしか売ってないよな?この湿布薬。不味いだろ」


「ドクペよりは美味しいと思うけど、まぁこれは俺個人の感想だからハルキくんの感性もまた正しいかもね」


「お前が俺を認めるのって珍しいな。まぁいいや、それにしても妊婦は酸っぱいものばっか食って大丈夫なのか?」


「俺はいつだって中立さ。間違っていないんだから君を否定することはしないよ。まぁ、妊娠中は偏食気味になりやすくて、激太りや激痩せなんてのはよく聞くよね。妊婦さんは脂っこい食べ物も欲しくなるらしいよ、フライドポテトとか」


「へぇ……ってかなんで男子高校生2人で妊婦の話してるんだ?」


「君が変態だからだろう」


「おい」



 そんな会話をしているうちに玄関横の茂みからはペットボトルや空き缶、お菓子の袋などの姿はある程度見えなくなった。それを確認して貴仁は袋の口を縛り「お疲れ様でした」と社交辞令を決めてみせる。ハルキはその言葉を聞き、ふと腕時計に目をやった。時刻5時9分を指していた。


「貴仁、どうやらまだ10分程度しか掃除をしていないらしい」


「そうなのか?やけに長く感じたな」


「ごみの量が多かったからじゃないかな、どうする?あと20分位何か片付けていこうか?」


「へぇ、珍しい。今日は霰でも降るのかな?」


「この地域じゃ雪もまともに観測されてねえよ」


「わかってるよ、嫌味のつもりなんだから察していつものちんけな面拝ませてくれたらいいのに」


 そういって貴仁は笑って見せた。貴仁について理解出来ないとか壁を感じるとかはあるものの、彼との上手い付き合い方は身につけてきた気がする。お互い趣味嗜好から経歴から違うというのになぜか気が合うもので、貴仁はハルキの非常識さを面白がるし、ハルキは貴仁の雑学やしっかりした所に多少なりとも敬う気持ちを持ち始めていた。


 なんだかんだで、園女貴仁という不運な存在が、ハルキの高校生活の頼りある友人になりつつあるのを感じていた。これもスミレのお陰なのかな、等とぼんやり考えている時だった。



「ところで、花澤くん。奇妙な尋ねごとをしても構わないかな?」


 いっぱいになった空き缶のゴミ袋を縛りながら、貴仁はどこか明後日の方角を向いてハルキに話しかけた。


「うん?どうした?確かに玄関という学校の顔にも等しいこの場所にこんなにもゴミが散らかっているのはおかしいけれど、俺に対して怒らないでくれよ?ってかよく見たらまだたくさん残ってるし」


「いや、確かにそれに関しては後で報告書をつらつらと書き連ねて生徒会とかに送り付けるつもりだけどもね、そうじゃないんだよ花澤君。俺が君に聞きたいのはもっと簡単なことさ。記憶テストみたいなものだと思って聞いてくれよ。あんなモノ、さっきまであったかい?」


 そう言って彼は、花澤開の視界をある一点へ向けさせた。そこには鮮やかな白と黄色の布が落ちている。秋を思わせるススキの柄が刺繍された綺麗な布だった。少なくともゴミには見えない。というか今の季節はまだ春だ。


「いや、無かったと思うが」


「そうだよね、俺の記憶にも無かったと記録されてる。でも今確かにここにある。玄関横の傘掛けの傍に、いつの間にか鎮座しているんだ」


「意味深な言い方は辞めてくれよ。誰かが置いただけだろう?」


 ハルキがそう言って笑い飛ばすと、貴仁はこちらに振り向き眉を潜めた。


「本当にそう思うのかい?俺らはずっとここいらを掃除していたし、たかが10分の短い間に誰かがここを通った記憶はない。しいて女子が数名校門に向けて歩いて言ったけど、誰一人傘は取らなかった。落し物であるはずも、わざと置いているはずもないんだ」


 そう語る貴仁に対し、ハルキは不自然さを感じていた。たかが布一枚に何をそう焦っているのだろうと、誰かの落し物じゃないにしろ、風で飛ばされたとか、実はさっきからあったけど気づかなかったとか、色々あるはずなのに。


 そう言い返そうとハルキは口を開きかけ、そしてふとつぐんだ。

 一瞬その布が動いたように見えたからだ。さっきまで大して観察もせずに考察ばかりしていたハルキも、その一瞬に不自然さを覚えた。その異様な、ただただ派手な布を、今度は真剣に見てみることにした。


 そこで彼は気がついてしまった。



「……あれは、手か?」


 そう、布と布の隙間から手が生えているのだ。と言うより、赤ん坊が包まれているような、小人がドレスを着てそこで寝ているような、異様な光景だった。


「気づいちゃったか、花澤くん。あれ、明らかに人の手だよね。そして指の形からある程度成長した少女の手だ。でもそれにしては布が小さすぎる。手だけそこにあるってわけじゃないだろうが、もしそうならあの布の中には小人が居るとしか考えられない」



 貴仁の性格から、そのようなオカルトめいた話が飛び出してくるなんて想像すらしていなかったが、どうやら彼がそう思わざるを得ないほど不自然らしいことは分かった。

 というか、もし小人じゃないなら誰かの腕が切り落とされたってことになりかねない。もし小人で全身があるのだとしたら、そいつの全長は高々80cm程度だろう。


 そう思い貴仁の顔を覗き見た。彼も視線に気づいたらしく見返してくる。その瞳には「確認しよう」と言いたげな光が灯っていた。この目は好奇心だ。この状況を理解したくてたまらないといった様子だった。

 ハルキがそれに対し首を横に振ろうとした時、先程までそこにあったはずの布が消えてなくなっていることに気がついた。忽然と、たった一瞬目を逸らしたほんの少しの時間に消え失せるという呆気ない出来事に、ハルキは思わず言葉を失った。



 そのハルキの異様な表情を見て振り返った貴仁の目にも、小さな手はおろか布一枚映らなかった。


「嘘だろ……」


 貴仁がそう誰にでもなく呟く声が聞こえてきた。




 それから、ハルキも貴仁も、一言も話さなかった。ただその場に立ち止まり、何があったのかと不安を募らせた。貴仁からしてみれば、予想だにしない心霊現象を目の当たりにして気が遠くなっていることだろう。そんな事を考えるハルキでさえ、なんだか嫌な予感がしてならなかった。

 ハルキとしては菫という妖を既に知っているということもあり、何か呪われたり取り憑かれたりしたのではないかといった恐怖もあった。

 仮に、ハルキと貴仁があの布と手を見てしまったがために呪われたのだとしたら、果たしてそれは一体何の妖によるどういう理由があっての呪いなのだろうか。

 思い当たる節が多いような全く無いような、そんな過去の記憶を彼は必死に模索していた。



「まったく、心配性の阿呆よの。お主は」


「菫っ!?」


「しっ、静かにせんか。妾の声や姿はお主にしか見えぬが、お主の声は周りに聞こえるぞ。ほれ、貴仁とやらが不審な目で見ておろうに」


 そう言われたので慌てて貴仁を見ると、彼はこちらの方を向いて何事かと怪訝そうな表情を浮かべていた。


「い、いや。なんか凄い変なの見ちゃった気がするから、なんか気を紛らわそうかと思って適当に花の名前言ってみただけだよ?た、貴仁もなんか花の名前言ってみなよ。気分が楽になるからさ!」


 我ながら下手な言い訳だ。見れば菫もヤレヤレといった表情で笑っている。それでもなんとかごまかせたらしく、貴仁は深くため息をついてからゴミ袋の口を絞め始めた。


「花澤くん、君にはどうやらメルヘンな要素があったらしいね。少し意外だよ。てっきり人の生き血を啜って落ち着くタイプかと思っていたがどうやら勘違いだったらしい。それより、どうしても落ち着きたいと言うのなら素数を数えるといいさ。素数は1と自分の数でしか割ることの出来ない孤独な数字だ。君に勇気を与えてくれるだろうよ」


「お前それどこの神父さんから聞いたんだよ」


「なんだ、知ってるのか。まぁいい。花澤くん、それよりもさっきの現象をどう思う?」


 ゴミ袋の口を縛った彼は、ハルキの方を向いて今度はハッキリとそう聞いてきた。


「いや、どうって言われても」


「君にも見えたんだろう、あの小さな手とススキ柄のドレスが」


 どうやらハルキと貴仁は二人共同じものが見えていたらしかった。ただハルキの目には布切れに見えていた物は、貴仁の目にはドレスに映っていたらしく、そこだけが見え方にズレを与えていた。

 それでも二人が見たものは大差なく、そして二人同時に幼子の手と布が忽然と消えたように感じていた。


「集団幻覚とかだろうか」


 と貴仁が頭を捻るが、そんな優しいものじゃ無いだろうとハルキは思った。もっと身の毛もよだつ様な何かに決まっている。もしかしたら既に2人は呪われてしまったのかもしれない。


 そんな不安を口にしようとした時、菫がハルキの制服の裾を軽く引っ張った。


「安心せい、今のは確かに妖であるが、狙いはお主らではなかったぞ。ただ移動中に見られてしまって焦ってはおったがな。奴の狙いは別にあるし、呪いとか取り憑くとか、そういった類いの妖でもないじゃろ」


 そう言われたのでハルキがほっと息をつくと、菫はフッと何処かへ姿を眩ませてしまった。相変わらずいきなり出てはすんなり消えてしまう。だが、彼女のおかけで心の動揺は消え去った。それに対し感謝を込めて、彼女の本体である毬が入った鞄をギュッと抱き抱えた。


 安全だと分かってしまえば気にする必要も無いだろう。そう決めつけてハルキは貴仁の方を向き、「まぁいいさ。きっとその集団幻覚?とかいうやつじゃないかな。見間違いなんてよくあるし、気にしてても仕方はないんだから、もう帰ろうよ」と提案してみた。


「まぁ、そうだね」


 貴仁は納得出来ないといった様子だったが、こんな場所にずっと居続ける理由もなかったのだろう。少し何かを考える素振りを見せた後に、ゴミ袋を片手に頷いた。


 それから、ハルキと貴仁はゴミ拾いの続きなどをする気は起きず、校舎裏にあるごみ捨て場にまで移動した。

 相変わらず新校舎と旧校舎の裏側には人の気配がなく、雑草が生い茂る中にトタン屋根と金網で作られたごみ捨て場が顔を覗かせていた。


「そーれ!」


 ハルキがその金具を外してごみ捨て場の扉を開けると、貴仁は一つ掛け声を入れてから燃えるゴミが詰まったゴミ袋を力いっぱい投げつけた。


「あ、あぶねぇな!」


「あははは、惜しかったか」


「なにがだよ!」


 憤慨するハルキを尻目に貴仁は再び掛け声を上げて空き缶が詰まったゴミ袋も投げつける。その表情は心から楽しそうだが、普段の貴仁らしくない様子から、ハルキは先程見た恐怖を誤魔化そうとしているのだろうなと思った。


 無論、そんな事を他人事のように考えているハルキも同様だった。普段なら貴仁とハルキの関係上これ程までに笑い合うことなど無かったのだが、何故だかこの日に限ってハルキは貴仁の行動に対していちいち突っかかりを覚えたり、苛立ちを感じることはなく、笑顔を振りまいて彼に対しペットボトルを詰め込んだゴミ袋を投げ始めた。


 男子高校生の友情ってこんな感じなんだろうな、なんて思い、過去の自分から卒業しつつある今の状況に少し満足感を抱いた頃だった。


「来るなァァァァァァァァァァァァァァッ!」


 不意に新校舎の2階から叫び声が聞こえてきた。男性のものだ。しかも校舎裏にいる2人に聞こえるほどの大声なのだから、相当の声で叫んだのだろう。


 一体何事かと考えている隙に、貴仁は走り始めていた。声のした方へ、ゴミ袋をそこに放置して一目散に駆け出していたのだ。

 ハルキも慌てて追いかけようとし、ゴミ袋をごみ捨て場の中へ入れることを思い出して放り投げてから、既に姿が消えた貴仁の元へと駆け出した。


 その時、菫の鈴の音が聞こえたが、それでも彼の不安は拭えなかった。なんだか嫌な予感がする。


「貴仁、待ってくれ!」


 せめて追いつかなくてはと、彼は力いっぱいに足を動かした。


 今の悲鳴が何を意味しているのか、先程見てしまった異様な光景が脳裏を過ぎり、嫌な関連付けがされていく。

 そういえば、菫も狙いは他にあった的なことを言っていた気がする。ということはやはり人に危害をくわえるタイプの妖ということだろうか。


 花澤開は妖に対して特別詳しいというわけではない。それでも菫という妖と知り合い、契約を交わしてからというもの、この世界には人ならざる何かが居るということに確信を持っていた。ほかにもこの手の類いが居てもおかしくはない。


 それがもしも園女貴仁を標的にしたらどうだ、ハルキからしたら別段いい人間ではない男だが、それでも数少ない友人であることに変わりはなかった。要は、失いたく無かった。それだけでも必死に走る理由はあった。



 先程変わったものを見てしまった新校舎の玄関を駆け抜け、中央階段を駆け登り、2階に辿り着いてからすぐさま声の聞こえた方向へ走り出す。その先に、丁度理科室の玄関があり、貴仁が膝をついているのが見えた。


「貴仁!大丈夫か!」


 ハルキはそのまま勢いを殺すことなく貴仁の傍へ駆け寄り、そっと肩を叩く。すると彼は面倒くさいといった表情で振り向いてため息をついた。


「なんだ、君か。来るのが遅いからてっきり教師を連れてきてくれたのかと思ったが、なんだよたったの一人じゃないか」


 その皮肉は紛れもなく貴仁だ。そう安心したのもつかの間、面倒くさそうに手をひらひらとさせる彼を見て、ハルキはさらに声を上げる。


「血が……貴仁、血がついてるじゃないか!」


「ああ、これの事か」


 そう言って貴仁はハルキの前に血でべっとりと汚れた手を見せた。若干黒々としたその血は、彼の手を一面塗りたくった挙句、所々で乾燥して粘着質の液体になっていた。


「安心したまえよ、これは俺の物じゃない。第一この程度の血を見て喚くなど、君は母親か」


 ついでに意味の分からない詰られ方をして、ハルキは胸をなで下ろした。そこでふと疑問が湧く。


「じゃぁ、その血は一体……?」


「見えないのか、ここだよ?」


 ハルキの質問を小馬鹿にしたように貴仁は理科室の中を顎で指す。一体何があるのかと恐る恐る見てみれば、そこにはカッターナイフのようなもので腹を刺されて気絶した男性教師の姿が。


「……ッ!」


「そんなに驚くなよ、俺だって吐き気を我慢しているんだからさ。それより救急車呼んでくれないかい?今の僕の手じゃ流石に無理そうだ。携帯が汚れる」


 こんな時に限ってとことん自分勝手な奴だが、この際やむを得ない。ハルキは慌てて携帯電話を取り出して救急車に電話をかけた。1度だけコール音がして、すぐにガチャリと誰かが通話に出た。

 無論救急隊員のオペレーターだろう。ハルキは勤めて冷静を装い通話越しの相手の質問に答えつつ、正確な位置情報と視覚から得た被害者の状態を説明した。


 そしてそれが終わる頃に、廊下の端から悲鳴が上がる。

 何事かと思い振り返れば、目にいっぱいの涙を浮かべた女子高生が、こちらに向かって駆け出していた。


「せんせー!せんせー!ごめん、ごめんね!ササミが、ササミが守ってあげる筈だったのに!」


 自らをササミと呼んだ女子高生は教室で倒れ込む男性教師に飛びつこうとし、慌ててハルキがそれを止めにかかった。


「今動かしちゃマズイですって!」


「ちょっと!触らないでよ!変態!」


「今はそれどころじゃないでしょ!」


「えぇ、それどころじゃないからどきなさい!」


 面倒な女だった。何がなんでも先生に飛びつきたいらしく、何度も何度もせんせー! せんせー! と叫んではハルキを押しのけようとしていた。

 そんな彼女の方を、貴仁がゆっくりと向いて口を開く。


「安心してくださいよ、今救急車は呼びましたし、触ってみたところ傷は浅い。若干の止血はしましたし息はしている。傷が回復してから御見舞に行ってやってくださいな」


 貴仁の敬語を初めて耳にしたが、ハルキはそれどころではなく驚く隙すら無かった。しかし彼女は貴仁の言葉を聞いて安心したのか、ゆっくりと腕を下ろして力を抜いてくれた。


「そう、助けてくれたのね、ありがとう」


 貴仁もたまには人を落ち着かせるなんて器用なことも出来るんだなと、ハルキは感心していた。普段は人を逆上させてばかりなのに、いざという時は頼りになる。仲良くなりたくは無かったが、仲良くなっておいて正解だったとは思った。

 これから数分もしない内に救急車は到着して病院へ搬送されるだろう。ハルキが見た限りでも傷は浅そうだし、命に別状は無いはずだ。これにて一件落着かと思いきや、落ち着きを取り戻した女子高生がふと不思議なことを口にした。


「それで2人とも、この近くで変なもの見なかった?なんか、人じゃない何か……って、何言ってるか分からないわよね?」


 そう言って恥ずかしそうに彼女は笑ったが、ハルキも貴仁も思い当たる節があった。それで思わず、二人して顔を見合わせて、ゴクリと生唾を飲み干した。


この3日後の月曜日、ボランティア部に初の依頼が舞い降りることとなる。

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