8 内へ向かう助走
太陽が沈む時間が訪れ、カジル、シェガードも己の仕事を終えてナナカの元へと戻っていた。
彼らを待っていたのは、大雨予想のような、大きな判断と防波堤の建造が必要な問題であった。
それでも慌てる事がないのは、当人たる少女が落ち着いており、厄介事を楽しむような表情を浮かべていたからであろう。
「変わった状況になっているな。でも、お嬢が慌ててないって事は何か案でもあるんだろう?」
当然、このように大男である傭兵も勘違いしてしまう。
「いや、何もないぞ?」
あまりにアッサリとした返答に「冗談でも言っているのではないか」と本気にしていない大人達も、その後に言葉が続かないとなると流石に焦りを表情に浮かべだす。
「それにしては随分と落ち着いているように見えますが、何か理由でもあるのでしょうか?」
こうなってくると、一番苦い顔を浮かべていた執事が、この質問をするのは当たり前と言えば、当たり前である。
「理由は簡単だ。この国を我が物顔で思い通りになると勘違いしている宰相を騙せる機会など滅多にないのではないか。しかも今回は、自身が担ぎ上げた神輿が宰相の思惑を飛び越えて、こちらへとやってきたのだ。最悪、何をしても保険があると思えば助走を大きく取る事も出来るではないか。失敗した所で今回は命までは取られまい」
実際に保険に頼るつもりなどないが、事が上手く運ばなくても兄がこちらを敵対視するとは思えない。そう考えれば多少の無茶も出来るというものである。
「ですが、姫様が領主として力を得た事は確かであります。要らぬ面倒を引き込んで警戒させる事は、後々に何かと摩擦を発生させるのではないですか?」
「確かに好敵手から明確な敵だと認識を改められると争いの種にもなりかねないな。ただ、困った兄弟が頼ってきたというのに、お前の担ぎ手と揉めたくないからと嫌だとは言えんだろう」
「確かに、お嬢がそれを断るくらいならルナもサンも今でもバモルドと一緒に旅をしていただろうな」
そこで合えて投棄奴隷と言わずに旅と言う辺りに、普段はぶっきらぼうな傭兵の優しさが現れているかもしれない。
「その通りだ。今回の件を断ってしまったら、ルナやサンの顔を真面に見れなくなってしまう。全てを助ける事は難しい事だと分かっているが、やはり私の手が届く範囲ならば、手を伸ばしてやりたいと思う」
「はぁ……説得は難しそうですね」
諦めたような言葉を漏らすカジルだが、その表情に困った様子は見られない。むしろ嬉しそうである。
とりあえずは、傭兵親子もメイド長も同じように止める意思は感じられないが、そこに甘えて最初から失敗ありきで動くのではなく、準備を万全にして迎え撃つべきである。
「領土の件や人材確保も大変だと思うが、何か案があれば出してもらいたい」
「そうですね……宰相派と事を荒立てることなく、双方納得の上でとなると難しいですね。仮にもラルカット王子の近衛兵を務めていたとなると、内部事情にも多少なりとも精通している可能性を考えるでしょうから、やはり有力視され始めてきた姫様への譲渡は簡単ではないかと……」
もっともな意見である。
夢の世界では市民同士であろうと情報漏洩が罪に問われるような法律があった。
それに戦時下ならば情報は最大の武器になるという歴史を学んだ事がある。
今は戦争ではなく、国内の権力争いとはいえ、やはり人類の繰り返す愚かな争いの1つである事は間違いがない。
宰相ともなれば、その情報が安売りできるものではない事を十分に承知しているはず。
一時的な王が決めた事とはいえ、一度与えられた領地を求めるような選択はしないだろうが、別の何かを要求してくる事は簡単に予想がつく。
「金銭で済む問題なら、多少無理をしてもと思わないでもないんだが、宰相派は何を望むと思う?」
ナナカとしては権力に興味があるわけではないのだから、それを要求されたとしても差し出したって構わないと思っていた。だが、こちらに選択権がない未来も当然、望んではいない。
「お嬢、この場合は望んでくるというよりも、何を企むと思うかという方が正しいじゃないか。意味は近いが実際には、かなり距離の離れた結果を生み出すからな」
「やはり、これ幸いとばかりに無茶な要求をしてくる事は避けられないか?」
「恐らくな。最悪の場合は派閥に与するような話が出てもおかしくはない。そうなれば一大勢力が出来上がって、あの宰相のやりたい放題の土台が出来上がる事になるな。そこに、お嬢の自由な選択権があるとは思えないが、それでも良いなら俺は何も言わないぜ?」
そういう状況が生まれる可能性は決して低くはないだろう。
それに今回の話自体が宰相の誘導によって行われた可能性もある。
ナナカがルナやサンを手元に置いたという情報が耳に入っているのなら、同じ状況を作り出し、そこへ親族からのお願いが加われば、罠に乗り出してくるのではないかと考えても不思議はない。そしてもし、企みでないとしても現状はそこへ足を踏み入れてしまっている。もしかすると少々早まった選択をしてしまったのかもしれないと、するつもりがない後悔が顔を覗かせている気すらする。
「もし私が引き受けを拒否した場合はどうなると思う?」
「恐らくは”処分”する方向へ話が進むのではないでしょうか。例えば、蛮族達の調査隊として派遣すれば高い確率で帰ってこない可能性も生まれます。外海への調査という方法でも構いません。ある意味でラルカット王子にとっては唯一の私兵である彼女達を排除してしまえば、宰相と母君の思い通りになるでしょう。例え大した脅威ではないとしても、やはり自身の思惑を外れる可能性のある駒を内に置きたくはないでしょうからね」
「結局、このままでも、私が引き受ける選択をしても、兄が彼女達を手放す事になるのは間違いがないという事か」
だとすれば何とも孤独な話であろうか。
ナナカよりは年が上とはいえ、僅か8歳で担ぎ手と親から権力を得る為の道具にされて、束縛される人生を歩みだすというのである。もし王座に就いたとしても彼には自由がないのかもしれない。せめてのもの救いは、それでもラルカットにとっては少なくても敵ではないという事くらいだろうか。
「自由のない権力者と奴隷に、どれほどの違いがあるのか俺にはわからねえな」
シェガードの漏らした言葉には、奴隷にはない「身の安全」や「命の保証」という言葉が含まれていないが、戦場で命のやり取りをしている傭兵にとっては大きな問題ではなかったからかもしれない。
「私は出来れば兄の願いを聞き入れたい。スムーズに問題が解決出来る案があれば出してもらいたい」
「そうですね……今回ばかりは私達だけではなく、こちら側の人間全員から意見を求めた方がいいかもしれません。十分に対応策を練る必要があると思われます」
「しかし、全員と言っても後はミゲルにシェードとメイド長くらいしか……」
と、その時だった。
本来なら館を離れた状況で聞くはずのない……いや、”彼女達”にとってはナナカの居る所が自分達の居場所である事を忘れていただけかもしれない。
「「「「「 姫様! お仕事に参りました!!! 」」」」」」
突然開け放たれた扉の向こうで、メルを筆頭に聞きなれた声の主達が朝日のような笑顔を浮かべ現れる。
その横で義足義手の傭兵と女傭兵が釣られたように微妙に表情を崩し、メイド長が呆れたように頭を左右に振る。
今ここに、ナナカ陣営の悪巧みの為の人材のすべてが揃う事となったのだった。