1 微睡の現実
人は生まれてきた時から半分は人生が決まっていると誰かが言っていた。
例えば、恵まれない家庭に生まれれば、普通の家庭のスタート地点といわれる場所に立つだけでも一苦労。いや、一苦労ではすまない。ようやくスタートに立てたとしても、ゴールも見えずに人生を終えてしまう人間も少ないないはずである。
では、その逆ではどうだろうか。
力ある親の元に生まれれば随分と先頭集団からスタートを切る事でだろう。
道も舗装されていて走りやすいに違いない。
一般人が感じるゴールなどは通過点に過ぎないかもしれない。
ただ両方共に残り半分は決まっていない。
スタートの遅かった人間が上位になれない可能性はゼロではない。
優位なスタートを切ったからとアクシデントがないとは言い切れない。
だから……人生を諦めるべきではないのだ。
常にチャンスを伺い、足元に気を付け、前を向いて歩く。
走り方が不恰好だって、転びながらだって、涙を流したって構わないのだ。
この物語の主人公である、赤毛の少女も困難な状況になっても進み続けてきた人間である。
しかし今は足は動いておらず、割り当てられた王城の自室のベッドにて、ぶっ倒れていた。
「あああああっ! なんでこんな状況になったんだ!」
時は数時間前。
この国の先代王であり、現在の代理王でもある『バズ』の爺さんが、僅か7歳になったばかりのナナカに領地を与える事を大々的に発表してしまった。これにより、名目上のみ主役だった少女が、突然に主役へと返り咲いてしまったのだ。
もちろん現在の館のあるベルジュの街は、そういう可能性を考慮していなかったわけではない。王族が王位継承権を授けられるのに治めるべき土地がないというのは貴族たちに対して示しがつかない。貴族側も同じく、力のない飾りだけの上位者を良しとするわけにもいかない。それにベルジュの町に関しては現在は統治者がいない状況であるからだ。
「さすがにヘーダル港、ソルガドの地とやらまで領地にしてくるとは……」
「姫様……。嘆いてばかりもいられません。これで王座争いの有力候補にあがった事は間違いありません。貴族たちも動き出すはずです」
ベッドの横から素早く返答するカジル。その言葉は聞きたくないものだった。
実際にバズ王の言葉の後、会場の視線はナナカが独り占めしていた。それが意味する事は大きく分ければ2つあるだろう。
1つは幼い少女をどのようにして手玉に取ろうかという人間。
もう1つは幼くても敵だという認識した奴らだ。
間違いがないのは、どちらも油断ならない存在という事。
ここは本腰を入れて聞くべきだと判断して、体重を預ける先をベッドからソファーへと移す。
「それでヘーダルとソルガドというのは、どういう地域なんだ?」
「両方共にベルジュの町から2日程度の距離です。人口はヘーダルが10万、ソルガドは8万程だったかと。1万の我が町とは雲泥の差があります」
「それはとんでもない差だな。とても7歳の子供に与える領地ではないな」
「確かにやりすぎだと思います。それに……」
言葉の切れが悪い。それに続く言葉が重みを増す。
もちろん聞きたくないが聞かないわけにもいかない。
「いいからハッキリ言ってくれ。中途半端に落ちるよりも、落ちる所まで落ちて、足が着いてしまった方が動きようがある」
「落ちた場所が沼地だとしてもですか?」
あっさりと出てきた言葉だが内容としては恐ろしい。
それでも聞き流すわけにもいかない。逃げ出せる状況でもない。直視するしかない。その沼地とやらの深さを測定する必要がある。
「毒の沼地でない事を願いながら聞かせてもらおう」
「毒である事は決定事項です。後は濃度だけかと」
「解毒薬の準備も頼みたいところだな」
冗談の言い合いはここで最後だと、赤髪の少女は執事に鋭い視線を飛ばす。
それを理解したように一呼吸入れると彼は本題に入る。
「では、まずヘーダル港についてですが、今日までは本国の直轄地だった場所です。港ということで物流も人の流れも多く、収益は多く上げている地域です。ですが、治安が非常に悪く、海賊の出没も多いために貴族は寄り付きません。その為、本国が多くの兵を現地に置いていました。それでも治安改善には至らず、宰相も悩みの種だったと聞いております。恐らく、姫様への移譲についても文句どころか歓喜に沸いているかもしれません」
「金の魅力よりも治安の悪さが権力者共を寄せ付けないとは面白い話だな」
「はい。命を失えば金など意味がなくなりますからね。しかし、こちらはかわいい方といえます」
命に関わる問題がかわいいとは聞き捨てならない。同時にソルガドはそれ以上の問題を抱えている事になる。
「耳を塞いでもいいか?」
「後で文面にしてお渡ししましょうか?」
こう切り返されては観念するしかない。
「……今聞く」
「その方がよいかと。もう一つの地はマルタ伯爵候の領地”だった”場所です。つまり、バズ様の先ほどの”一言だけ”で領地が召し上げられて、姫様の領地になったわけです」
「ちょっと待て……現領主が存在する地を私に与えたという事か!?」
「はい。何か問題があって没収されたなどの話を聞いておりません。それに伯爵自身があそこに出席されていたはずです」
「カジルは見たのか!?」
「いえ、出席名簿にて確認しただけです」
「じゃあ、私への注目の中に伯爵の視線もあったわけか」
「そうですね。おそらくは優しい視線ではなかったと思われます」
何の前触れもなく自身の領地が小娘に横取りされたら、喜ぶ人間などいない。相手が王族だとしても納得しろと言うほうが無理があると言える。
「むちゃくちゃな状況だな。本当にそんな事が可能なのか?」
「言葉を口にしたのが、バズ王では逆らう等とは愚かではないかと思われます。あのシェガード様ですら頭が上がらない相手ですよ。有力貴族と言えども動くに動けないのではないでしょうか」
確かにナナカとしても、あの大男が頭を下げている姿など思い浮かばない。
そして実際に今日会ってみて、あの先代王の存在感を身に受けてしまえば納得出来る話。だが火薬倉庫になりそうな話でもある。望んだ事ではない流れだが、張本人にぶつける事が出来ないだけに、恨みと怒りがこちらに向かない事を願うばかりだ。
「しかし波が予想外な方向へ流れ出したな。脇役に徹するつもりが気づいてみれば、しっかり主役に据えられて、厄介な事になってきた。……ただ、なぜ私が甲殻竜を倒した事を爺様が知っているんだ?」
この疑問は当然である。
魔物の討伐はもちろんの事、ナナカ自身が甲殻竜に止めを刺した事は一部の人間しか知らないはずである。
その為に関わりたくもない協会のラムル司祭に手柄を譲ってまで隠した事実だったはずなのに、どこから漏れたのというのだろうか。もちろん、ラムルが手に入れた功績を蹴ってまで情報を漏らしたとは思えない。彼にとって必要な創作物だったはずなのだ。
そしてその疑問案内人は目の前のカジルでなく、部屋の外で護衛をしているはずのシェードによる遠慮ない扉の開口からもたらされた。
「ナナカ姫。お客が来てますよ」
「こんな時にいったい誰なんだ?」
王城に知り合いは多くない。
あの場にいた貴族たちも動き始めるには早すぎる。動くとしても十分に判断材料を集めてからのはず。簡単に決められるわけがない。それだけ事態は大きく動き出しているのだ。安易な接近が危険である事は承知しているはずである。となると客人の心当たりは絞られてくる。シェードに次いで現れたのは――
「おめでとうなのっ! ななちゃん!」
ナナカの心境を理解していない、太陽のような笑顔を浮かべて、姉レイアは登場したのだった。




