+0.5 シェードの記憶 ~ミゲルの後悔(前篇)~
現在、あたしはシャールス本国である、シルキスの町へ向けてナナカ姫と馬車に同乗している。
護衛という形ではあるが、実際のところは到着してからが本来の仕事が始まると言ってもいいだろう。
道中での魔物や盗賊からの危険など心配していないからだ。
なぜなら消光の森などの魔物の住処とも言われる地域からは離れている。
後者にしても屋根と窓のついた馬車に襲い掛かるような者などいない。そんな事をすれば大勢の討伐隊が組まれる事は承知しているからだ。彼らの狙うのは力のない相手だけである。
そんな状況で暇を持て余しているのは自分だけではなく、この場で最も若い少女も同じだったのだろう。
時々、小さな口から洩れる欠伸がそれを証明している。
しかし、それにも飽きたかのように周りの大人達に向けて要求が出る。
「暇だなぁ……誰か、面白い話でもないか?」
その要求に応えたいところではあるが、戦場を住処としてきた傭兵にとっては難しい話である。
何よりも赤髪の姫の興味を持ちそうな話題など、あたしに心当たりがない。
周りも理由は違えども、返答出来ないのは同じようで、誰も口を割ろうとする者はいない。
「なんだ。何もないのか? まあ、面白い話をしろというのは壁を高くしてしまったかもしれないな。では、みんなの過去を話してもらうというのはどうだろう?」
この言葉にも変化は見られない。
他の2人はどうだかしらないが、私の過去なんて王族に聞かせる上品な話はない。血と泥臭いものばかり。顔をしかめる事はあっても、興味を持つとはとても思えない。
「これも応えられんのか……わかった。では、他の人間の過去でもよい。どうせなら的を決めてやる。そうだな……ミゲル……彼の奴の過去について教えてほしい」
そう言われてしまうと話し手はシェードに絞られる。オジキやメイド長の知らない過去だ。オヤジ程、長い時間を一緒にしていたわけではないが、全く知らないわけでもない。酔った勢いで仲間達から聞いた話もいくつかある。
それに傭兵稼業など、大抵は何かしら闇を抱えているものである。それをナナカ姫に知られてもミゲルさんは気にしないだろう。あの人は結構、目の前の少女を気に入っているのを、あたしは気づいている。生贄として捧げられても文句は言わないだろう。
「わかりました。では話をさせてもらいます。まず……ミゲルさんが傭兵になる前に男優をしていたと言ったら信じられますか?」
「男優、演劇のか?」
「はい。その男優です。その頃にオヤジと知り合ったと聞いています」
「ミゲルとシェガードの出会いの時代か! ふむふむっ、それはおもしろそうだ!」
身を乗り出さんばかりに興味を体現する少女に、随分と大きな魚が釣れたものだと感じながらも、その興味が減少する前にと話し始める。
「それは18年前。あたしは赤ん坊で、オヤジと一緒の稼業に足を踏み入れる事など誰も考えもしていなかった頃です――」
当時、国内も内乱から落ち着きを取り戻し、国は安定期へと向かおうとしている時だった。
本国でもあるシルキスは内乱前の賑やかさを取り戻そうと必死になっていた。
そんな中でミゲルは演劇者として、町の賑わいの一部を担っていた。
ただ、そんな彼もステージから降りてしまえば普通の生活があり、普通の民と同じく酒場で仲間達と夢の世界を楽しんでいたのだった。
「さー飲めっ! 今日も客入りは上々だった! お前に熱い眼差しを向けていた貴婦人を見たか!? 昨日も一昨日も、その前も来ていたぜ!」
「こんな元下級貴族の三男坊でも、ステージの上では主役を張れるから演劇はおもしろいぜ!」
この仲間達の熱を浴びているのは、だらしのない瞳と、それに反するように切れ長の眉毛だけが特徴の金髪の男――ミゲルだ。といっても、劇が始まると眉毛に釣られるように鋭い視線に変わるのだから太刀が悪い。
「あのご婦人には申し訳ないが、俺には既に婚約者がいるからな。結婚式の後、しばらくは枕を俺への思いで濡らしてもらうとしよう」
「あはははっ! 代わりにいくらでも俺の息子で濡らしてきてやってもいいんだが、明日にでも立候補しておくか!?」
ステージの上では口に出来ない話が飛び交う中、その集団は現れた。
露出した肌に見え隠れする傷、見栄えなど気にしない髪型、戦う者を示す武器。間違いない傭兵だ。
特に先頭に立つ、頭一つ分ほど背の高い男は、その存在感だけで見るものを圧倒する。
「おっと、場違いな空気を運んできた奴らがいるようだ。ここは血生臭い方はお断りしている酒場だぜ」
酒の勢いのついてきた金髪の演劇者は、それに流されるがままに絡む。
元より傭兵稼業なんて、人の命を金に換えるような奴らを好いていない。どちらかと言えば、嫌いな部類に入るだろう。そいつらが何時もステージの上では主役の自分よりも、この場では目立っているのだ。少しくらい絡んでやらないと気が済まない。
「こちらとしては、ここで新鮮な血のにおいを新たに作るのも悪くないな。でもな……ここは楽しむ場所だろ? ケチ癖ぇことを言わないでくれ。なあ~に、ちょっとばかり空気を悪くしたなら、空気を入れ替えればいい。なぁ、マスター。全員にこれで一杯入れてやってくれ」
そう口にすると金貨が傭兵の手から、マスターへと飛ぶ。そして酒場を一周見渡した彼は無邪気に笑った。それはとても人殺しとは思えない、見た者さえも思わず同じように笑みを浮かべてしまうよう魔力のようなものを感じた。
呆気にとられたようにミゲルが見つめる中、傭兵の言葉通りに酒場の空気は、スッカリ入れ替えられていた。この場にいる奴らを1杯の酒と笑顔だけで仕留めたのだ。下手をすれば明日のステージに立っているのが、この男だとしても驚かなかったかもしれない。
「すまねえな。嫌われているのは分かっているが、今晩は心を広げて混ぜてくれ」
最後に向けられた言葉は絡んできた自分に対してだった。
場を支配されたばかりか、止めに謝罪までされたのでは、こちらの完敗だった。
「参ったな……降参だ、コーサン。俺の負けだ。面白い男だな……あんた、名前はなんて言うんだ?」
「おれか? シェガードだ。で、目の前の男前にも名前はあるんだろ?」
「俺は……昔の名前は忘れちまった。今は、ミゲルって仲間から呼ばれている」
これがミゲルとシェガードの出会いだった。




