10 見えない罠と目の前の強敵
ここはシャールス本国城内の主役に与えられたドレッシングルーム。
先行組で3人しかいない女性が集まっていた。
もっともシェードは護衛としているだけで、空気を乱しているのは他の2つの影だけである。
その影の1つでもあるナナカは数時間前まで揺られていた、馬車内の時間を懐かしくなる思いを振り払えずにいた。
確かに自分達は予定に狂いもなく、早めに到着したつもりだった。そう、そのはずだったのだ。
では、なぜ僅か数時間でそんな気持ちに襲われたのか?
それは――到着そうそうに誕生会準備に入らなければならなかったからだ。
とにかく、あと1時間程で会場入りしなければならない状況である。ギリギリ間に合うかどうかの際どい時間との闘い。
もちろん余裕も考えずに当日到着などという愚行を犯したわけではない。嵌められたという方が正しいと言えるのだが、今はそれを証明する方法がない。とにかく何を言っても日を改めるなどという選択は流石に難しい。相手の罠の中で動き続けるしかない。
「もうっ、確かに書状には明日となっていたはずなのに!」
文句の一つも言いたくなるのも仕方がない。書状には開催場所と日時が書かれていただけだった。あまりに簡潔な内容に館内でも疑問の声は確かにあった。しかし急な移行をお願いしただけに、本国も大変な状況の為に忙しくて気が回らなかったのではないかという意見が多かったのだ。そして、その書状通りに行動した結果が今の状況である。
内容が簡潔であるが為に確認の必要も感じず、主役である為に書状を持参する必要もなかった。そのため書状は館に置いてきている。証拠品は手元にない上に、ナナカ達以外は問題もなく今日に合わせてきているのだから、こちらの言い訳など通じるわけもない。どうやったところで日時変更も不可能な状況で漏れる愚痴には恨みさえ含まれていた。
ただナナカの荷物に関しては第一陣に積み込まれていた事だけは救いだった。
「ナナカ様! 口を動かしている暇があったら体を動かしてください!」
もう1つの影である、メイド長が怒気の含む言葉を口にする。いつも冷静な存在である彼女がである。
それもそのはず、メイド長以外のメイドは「予定通りに」明日到着予定だったのだ。ドレスへの着替えや飾りに化粧、それらを1人で準備する、その表情には鬼気迫るものが感じられる。おそらく一番若いメイドの「ミーヤ」あたりであれば卒倒してしまいそうな程の怖さがあった。
「といってもっ、ドレスなんて自分で着たこともないのにっ……あっ、ちょっと! ひぐっ!」
言い訳をする口から自分でも信じられない声が漏れ出る。それはメイド長の思い切りのいい行動により、ナナカの驚きと羞恥心が漏らした声。
その原因となる行動とは、ナナカの心の準備も与えずに一息にショーツを剥ぎ取り、更に本当に下着なのかと言いたくなるほどに細い生地の……いや、それを生地というにも無理がある。間違いない紐にしか見えない。きっと紐で間違いない。紐だ。それを遠慮というものを感じさせない速度で、足の付け根まで一気に上げたのだ。一瞬だが体が浮き上がったのではと感じるほどの速度。これで先ほどのような声が出ない方がおかしい。
ようやく最近はスカートの不安感にも慣れてきたナナカでも、今回の紐による攻撃は解放感を通り越し、圧倒的な拒否反応を体が示していた。それは無意識なのに内股になり、手の平が自然とその部分へと誘導されたほど。
「これじゃ……穿いてないも同然じゃないか!?」
「何を言われます。ナナカ様。正装ドレスには、この下着が我が国の伝統でございます。これ以外の物などありえません」
「じゃあっ、今日来る女性陣は全員がコレを穿いているというのか!?」
ナナカの涙交じりの「言葉に何を当たり前の事を」と言っているような、メイド長からの視線が突き刺さる。
「ほらっ! ドレス着たら見えない部分だしっ! いつもの下着でいいじゃないか!」
「では、ナナカ様は大事な場で、誰も見ていないからと礼を欠くような行為をなさるのですか?」
そう言われてしまっては反論も難しい。たかが下着一枚といえども礼を欠いた事になると言われると、その世界の礼儀を王族が真っ先に壊すわけにもいかないだろう。しかし納得出来るかと言われれば話は別だが……
(……たぶん、抵抗は無駄なんだろう……)
それは意識を取り戻した、あの初日にも感じた感覚。現在でもメイド達にすら抵抗出来ない自分が、その上位種とも言うべきメイド長という魔物に勝てるわけがない。下手をすれば竜族にすら匹敵するように見えたほど。
「いつまで固まっておいでですか! まだまだやる事は残っているのです! テキパキと動いてもらわなければ間に合いませんよ!」
「ふぇっ……! ふぁ、はぁいっ!」
まるで生まれたばかりの小鹿のように体を震わせながら赤い髪の少女は返事をする。もはや、そこに何時もの絶叫するだけの抵抗力すら感じられなかった。人は本当の恐怖を感じた時に声さえ出ないというが、言葉にならなくても声が出ただけマシなのだろうか。しかし少女の心にトラウマとして残る事を避けることは難しい。それは29年の夢の経験よりも、7歳の子供の体に無意識に刻まれたものかもしれない。
この後も赤髪の少女の苦痛の時間を静かに見守り続けたシェードは翌日、第二陣として遅れてきたメイト達により聞き取り調査を行われたという噂もあるが、残念ながら庶民には漏れる事ない貴重な情報としてメイド達の宝物……いや、重要機密として扱われたのだった。




