9 意思と意志
馬車の小さな窓からはベルジュの街とは違う景色が見え始めていた。
出発してから半日ほど。早馬ならば、その日のうちに往復する事も難しくない距離。
そう、あれはシャールス王家本国。別名『シルキス』とも言われる街である。
眠りにつく前のナナカはあそこで育ったらしいが、もちろん今は記憶にない。つまりは初めて見る光景となる。
まず瞳に飛び込んで来たのは建築物。石垣を積まれて出来た物から、木造による物、中には廃材で作られたと思われる物も見える。
事前に聞いていた話によると人口は大体30万人程度。これは役所にて登録確認されている数字であり、『奴隷』や『ストリート』と言われる登録のない放浪孤児を数えれば、実質的な人口は50万を超えているのではないかとも言われているらしい。ただ後者のストリートという存在は頭にピンと来ない。しかし奴隷については、あの姉弟の事もあり、人として数えていない事がナナカの心を多少なりと揺らしたのは間違いない。
「本国も全てが上手く行っているわけではないように見えるな」
「人が集まれば、それだけ問題も集まるものです。下手をすれば拡大して収集が難しくなる事も時にはあるものです」
「必ずしも人口が増えて繁栄することが良い方向に進むとは限らないという事か」
それは夢の世界でも同じだった。治安というのは狭ければ狭いほど良くなり、人口が密集すればするほど悪くなる。かと言って人口を分散させようと町を拡大させれば最初の言葉の反対の方向へ進んでしまう。だからと移住など進めてしまうと人と物流の流れは減り、本国の力の減少にも繋がりかねない。簡単な解決方法はないのだろう。
しかし――
「人の幸せよりも国の富か。人の上に国があるのはなく、国の上に人が住む世界に出来ないものだろうか」
納税を期待出来ない人間の為に政治を動く気はないのだろう。政治が先に動く事で後の収益へと繋がるなどという考えはないのではないだろうか。
「あたしは政治についてはよくわかんないけど、それを口に出来るナナカ姫なら将来、可能性があるんじゃないですか?」
このシェードの無防備の言葉が今回の問題の始まりだった。
「それは買いかぶりすぎだ。私程度の考えを持っている奴はいくらでもいるだろう?」
「確かに居ないとは言えません。ですが、それを実行に移せるかどうかとなると話は違ってまいります。地位はもちろんの事、行動を起こすだけの行動力が伴わなければ無と終わります」
「カジルの言うとおりだぜ、お嬢」
カジルの言葉に対して意識の外から割り込んできたのは、景色が入り込んでいた窓から顔を無理矢理に半分だけ覗かせた見慣れた大男。
「随分と体格と不釣り合いな場所から聞き耳を立てているのだな」
「これだけ何もない道中で聞き耳を立てるなっていう方が無理があるぜ」
シェガードの言葉は仕方がない。各町から本国へ通じる道に獣道などない。夢の世界のような舗装を望むのは無理があるとしても、馬車に大きな振動を感じる事が無いほどには整備されている。それに消光の森は逆方向。魔物との遭遇も稀と言っていいだろう。馬車の周りにはシェガードとミゲルを中心に10人ほどの護衛がいる。今回は十分な体制は整っている。
もしかすると盗賊などは出没する可能性を考慮していたが、心配は無用だったといえる。この屈強な傭兵たちを見て逃げ出したのかもしれない。そして終点が近づいたという事で生まれた余裕が「聞き耳を立てろ」と誘惑してきたと、この男は言いたいのかもしれない。
「なんで周りは、こんな私に大きな期待を寄せているのか訳が分からん」
「そりゃ、それだけ近くでいろんなもんを見せられてきているからな。それにお嬢は自身を過小評価しすぎだろ」
その言葉に同意するように全員の視線がナナカへと集中する。
「私は何もできんぞ? 国の内情に詳しいわけでもなければ、政治の世界に足を踏み入れた事もない。実績らしい実績もない、ようやく継承権を認められる7歳のいたいけな子供だぞ?」
「姫様。普通の子供が自分を「いたいけな」等と評価しませんよ。それに誰もが最初から政治に詳しいわけではないでしょう。どんな人間にも初めては必ずあるものです。そして実績とは零からしかスタート地点はありませんよ。第一に、ここにいる我々は十分に姫様の持つ光を見せて頂いたはずです。その上で口にしているのです」
「そこに『本人のやる気があれば』という条件を付け加えてもらいたいと思っているのは私だけか……」
言葉を漏らすと共に自身の赤髪をかき混ぜる。乱れた髪型が姫と呼ばれるに相応しくない姿になるようにと。
「お嬢。国を治める人間にはな、カリスマと決断力が求められる。現段階でも、その2つを十分に満たしていると思うぜ。その他の足りない部分なんて言うのは周りの人間が補ってくれるもんさ。それも先の2つを満たしていれば勝手に集まってくる。あとは決意だけだ。まあ、確かにやる気も決意も似たようなものか。本人に、その意思がないなら難しい話だな」
「いつまでも冗談を言っていないで、他へと視線を向けてほしいものだ。私よりも向いている奴は他にいるだろうに」
それに心当たりがないからだと意思を揃えたように大人達から溜息がもれるのだった。
「ともかく、今回はジェスト王子支持にまわる。それに変更はないものとして心得てくれ。変な噂を立てて敵を増やすなんて事はやめてほしいものだ」
「でもな……お嬢。俺達よりも釘を刺しておくべき肝心の人間が、ここに居ないような気がするぞ?」
その言葉に思いを巡らせる。
ここには居ないが勇者マコトについては実は近い場所にいる。たまたま彼女も本国の方に用事があると言うことで、少々遅れてはいるが同じ道を歩んでいるからだ。その為、後方への警戒については随分と楽を出来たらしい。余裕を見せつけるシェガード姿は、そこにも理由はあったという事だ。ただ同じ本国へ向かっているとはいえ、あの勇者は、そういった事には興味があるとは思えない。あえて注意する必要はないと思っている。
だとすれば――
「レイアおねえちゃんの事か……」
「そういう事だ。あの姉は、お嬢の意向に従う義務も意思も持っていないだろうからな。言わなくてもわかっているだろうが、ああいう女は手ごわいぞ。本人の意思に関係なく押し付けてくるからな」
確かに、あの姉は相談を持ちかけられた時点で将来を見通したように、ベルジュの町から離れて帰国していた。そして直接、本国へ向かうという言葉だけをメイドに預けてあったのだ。釘を刺す暇もなかったと言える。以前にナナカは王座に興味がない事を伝えていたはずだが、現状一番危険視してもよい人間かもしれない。それに今までも隠す事のない妹への愛は暴走気味に数々の問題を起こしている。不安材料として、これ以上の注意すべき人物はいないと言える。
「なぜ、私の周りには変わった人間が多いんだろうな……」
小さな体に見合わない大きな溜息を吐き出したナナカだったが、一番変わっている貴方ではないかという周りの視線に気づく事無く、足元へと視線を向けるのだった。




