5 現在の先
信じられない状況がナナカに訪れていた。
何の予告もなく、シェガードが攻撃を仕掛けてきたのだ。
それは当然ながら全く見えなかった。もちろん構える事すら出来なかった。
ただ状況についていけずに1人、一方的に置いて行かれているだけだ。
1つわかった事と言えば走馬灯なんて実際には体験する事は難しいという事くらい。
木剣は容赦なくナナカの体に向けて暴力を生み出す。
例え瞳に認識出来なくても生物としての危機感が訴えてくる感覚。
細いはずの木刀から計算外の暴風が走り抜ける。
ナナカの赤い髪が激しく空気と混ざり合う。
そして――それは振りぬかれた。
「どうだ、理解出来たか、お嬢?」
そこにある表情は悪ガキそのもの。白い歯を見せる笑う主に怒りをぶつける余裕が今のナナカにはない。
攻撃はナナカの数センチ横を走り抜けていた。その時の音が耳に残っている。それは、とても高い音。物が空気を切る音としては異常とも言える。ナナカの記憶では風切音というのは高速に達するほどに高い音を出すはずだった。今回、これを生み出した攻撃速度はどれくらいなのか考えるだけで恐ろしい。
「ナナカ様っ!」
まだ発達していない少年が、少女のような高い声を上げてナナカへと腕を伸ばしてくる。なぜ、そんな行動に出たのか理解できない。いや、直ぐに理解できた。
――視界が空へと流れていく。
――違う。
自身の体が背後に向けて加速しているのだ。重力に引っ張られて。
(足腰に力が入らない……!)
しかし地面と激突する寸前のところで、サンの行動が間に合った。ナナカは少年の腕の中で受け止められていた。メイド達がこの状況を見ていたら妬むのではないかと思うほどに華麗に。まるで危険を予知していたかのように見事だった。
「あらっ? 思った以上にお嬢をビビらせちまったみたいだな。やりすぎた。すまない」
「シェガード様! いくら本気ではなかったとは言え、ナナカ様に武器を向けるなど許される行為ではありません!」
シェガードの攻撃は体に当たらなかったとはいえ、完全にナナカの心には届いてしまっていた。その結果、力が抜けてしまった体は重力の成すがままに崩れてしまった。それほどに恐怖を感じられた一撃だった。
「そう言うなサン。こっちの方が口で説明するよりも早いと思ってな。甲殻竜相手にも怖気つかなかった、お嬢なら大丈夫だと思ったんだがな……」
シェガードの中でナナカを高く評価していたという事になるのだろう。だが、悪戯をするのに評価を使われた方としては堪ったものではない。当然、徐々に体に力が戻ってくると共に怒りも込み上げてくる。
「貴様……っ! 何を考えている! いきなり、こんな攻撃を仕掛けられたら誰でも驚くに決まってい……る? あれ?」
思わず張り上げた自身の言葉に疑問が生まれる。シェガードの攻撃は間違いなく子供程度が認識出来る攻撃ではなかった。避けようとする暇すらもないほどの速度で通過したのだ。誰もが「もし当たっていたら」と恐怖が込み上げてくるほどだったはずだ。しかし――
「ほら。お嬢は何となく、わかったんじゃねーか?」
「ああ、なるほどな……。確かに凄い。異常と言っていいかもしれない……」
「やっぱり、口で言うより早いじゃねーか」
「だからと言って、やり方が正しかったとは思えないがな」
口は普通に動くようになっても、腕や足の震えが止まったわけではない。簡単に取り払えるものではなかったからだ。もう大丈夫だと頭が伝えても心が落ち着かない。しかし口で説明するよりはシェガードにしてみれば確かに早かっただろう。
「サン。お前はシェガードが当てないと分かっていたんだな?」
「はい。体を避ける事が≪見えていました≫」
(やはりか)
状況から分析すれば到達する先は予測できた。
ゴールドクラスともいわれる傭兵の攻撃は、それが当たらないように配慮されたモノであっても、ナナカを大きく動揺させた。しかし同じように攻撃を仕掛けられたサンには動揺など見られなかった。言葉通りに当たらない事がわかっていたからだろう。ただ、その仕組みが何なのかは分からない。
「その見えていたというのは戦いに向いている、つまり傭兵としての素質が高いという事か?」
「なんと言うか……危険ではない事が見えていたと言ったほうが正しいのかもしれません」
「危険ではない事が見えていただと。もしかして土子族の危険予知能力か」
「あはははっ。すっげーな、お嬢。あっさりとソコまで辿り着くとは流石だ」
シェガードが驚くほどの事ではない。先日の魔物との戦いでも彼は火災が発生した日に魔物の脅威を予知する言葉を残していた。その能力が関係している事と繋がるのは自然。
「とんでもない能力だな。ほとんどの危険を回避も出来てしまうんじゃないか?」
「と思うだろ? でも残念ながら、そうでもないんだな」
「どういうことだ?」
「まあ、見ていろよ」
そう口にするとシェガードは、ナナカの目でも追える程度の速度で、サンへと木剣を振り下ろした。明らかに鈍い攻撃。もしかするとナナカでも交わせるのではないかと思うほどの攻撃。しかし――
「あいてっ!」
声を上げた少年は抵抗を見せる事もなく頭にコブを作っていた。それを見て思わず「はぁ?」と表情を浮かべるナナカを面白そうに眺めて大男は口を開く。
「こういうことだ。こいつは絶望的に弱い。この間まで投機奴隷だったんだから仕方がない。戦いの経験もないし、基礎もあるわけがない。現在の状況は宝の持ち腐れって所だな」
「素質は……見込みはあるのか?」
「さぁーな。人間なんて、どこで何が起こるか、変化するか、上下するかもわからん。ただ直ぐに死ぬ奴は弱かった。長く生きた奴は強かったって結果だけが評価基準だ。こいつが戦いに身を置いても天寿を全うする様なら弱くはなかったって事になる。実際、危険予知能力の使い方次第では何もかも引っくり返しちまう事は、この間の戦いでも経験済みだろう?」
確かにサンの予知によりカジルの迎撃準備があり、撃退出来たのだ。もし目の前の少年が居なければ、この町に平和はなかっただろう。ただし、それが個人の戦いでどこまで影響を加える事が出来るかではあるが――
「その予知というのは確か思い通りにはならんはずだろう?」
「まあ、この間みたいに何日も前からっていうのは無理みたいだな。ただしチョット先の危険なら、それほど難しい事でもないらしい。ただ、それをどう生かすかだが……」
「危険は察知出来ても正確な攻撃線が見えるわけではないという事か」
「そうなんだ。あくまでも危険を察知するだけで未来の攻撃が見えるわけじゃない。それに危険を含んだレベルの攻撃を怪我しない程度に調整するなんて俺には不可能に近い。そうなってくると攻撃方面の練習しかできねぇ。本当は防御の方が大事なんだがな……」
確かに、この男に細かな調整を出来るような器用さがあるとは思えない。そういうのは他に適任者がいる可能性もあるのだろうが、実戦経験の乏しいナナカでは適任者など分かるわけもない。それよりも――
「シェガード。考え方を変えてみないか?」
ニタリと笑みを浮かべるナナカに、シェガードは楽しそうに聞き耳を立て、おもちゃにされる危険を感じるようにサンは体を震わせるのだった。




