7 金と勇者
投棄奴隷のルナとサンを巡り、表情を勇者から交渉人へと変えていくバモルド。
今、ナナカは夢の経験値を武器に変える。
バモルドの勇者の仮面は脱ぎ捨てられた。目の前にあった表情は金の匂いを嗅ぎつけた裏の顔。奴隷に興味を示した世間知らずな姫に、どれくらい高く売ってやろうかと算段を立てている事を想像するのは簡単だった。ただし、ルナから投棄奴隷は高くないものだと話に出ている以上は目に見えない付加価値をどこまで価値を上げるてくるか、その点がバモルドにとっては着地の成否を握っていると言えた。
「姫様。事情は、この勇者バモルドも十分に理解させて頂いたつもりでございます」
「そうか。物わかりが良い人間は嫌いではない」
これが勇者退治へのスタート合図となった。
「事情が事情ですし、この2人をお譲りする事を拒否するつもりはございません」
聞かなくてもバモルドの表情が変わった時から周りの誰もが気づいていたのではないだろうか。それを承知の上で仮面を脱ぎ捨てているように見えたほどだ。
「ただ現在、私どもの手元には、この2人しか投棄奴隷はおりません」
「大事な勇者の命を守る道具だ。予備がないのは厳しいだろうな」
遠まわしに「投棄奴隷がいない間の危険を考慮しろ」と言っているのであろう。値段を釣り上げるために最大限の努力を惜しまないようだ。その努力を魔物との戦いで実行する気にならないとしてもだ。
「それにです。この者たちは多少の学がある事は、お話していて感じたかと思われます。一般的に学がある方が価値は高くつけられるものです」
「たしかに必要とは言わないが、あるに越したことはないだろうな」
他の奴隷を見た事がない以上は、その差がナナカにとっては理解しにくい所であるが、先ほどのやり取りの様子からすれば確かに全く無い様には見えない。
「それにです。この2人には犯罪履歴がありません。姫様が求められるのであれば、これは非常に大事と言って間違いはないと思われます」
「ああ、確かに犯罪者は引き取れないな」
準備していたかのような言葉からも、やはり政治家か商人タイプと見て間違いないようである。勇者の名を語りながら別世界にいる存在に見えるほどに。
「最後にこの2人が素晴らしい点として、弟を守る為ならば姉は死ぬ事がない不死の生き物だという事です!」
「……!」
さすがに言葉を直ぐには返せなかった。ナナカも先ほどのルナとの会話での冗談にも聞こえる「自分は死なない」と言う言葉をここで利用してくるとは思ってもいなかった。
それは幼い姫が奴隷に興味を持っている事と裏ルートと言うべき現在の交渉ルートを頼っている事。何よりも、この姉弟だからこそ興味を持ち、自分の元に置きたい気持ちが強い事を見抜いての強気な攻めだった。そう、多少高くても買うに違いないと。
――思った以上に攻撃的で交渉にも慣れているな。だが……
「ふ……ふははははっ! 確かに死なない生物は珍しいな! それではバモルドも手放したくない気持ちにもなる。それでバモルドよ。率直に言って、お前が求める対価はなんだ?」
不意の笑いと言葉に「自身の土俵に誘い込んだ」「怒りを買うことなく納得させた」と感じたようで、バモルドの口の端が持ち上がるのが会見場にいる誰もが確認にしただろう。それほどに勝ち誇った表情に見えた。
「いえいえ。いつも支援して頂いているのです。大きな対価を求めるつもりはございませぬ。適正な価格にて、お譲りしたく思います」
やり手な奴ほど直接的な金額を口にする事は最後の手段に取っておく。相手から金額を言わせることは値段交渉の基礎と言ってよい。
「私は遠回しな交渉は苦手だ。その適正な価格とやらをお主はどう考えておるのだ?」
相手の準備したセリフを言わされている状況に納得はしていないが、ここはバモルドに主導権を握らせたままにしておくしかない。
「そうですね……。次に、この2人よりも良い買い物をしようと思えば王都の奴隷ギルドまで赴く必要があるでしょう。移動や経費も考えればかなりの金額になるかと。それに不死身の奴隷など二度とは手に入らないでしょうから、代わる奴隷を探すのは一苦労です。もちろん、これまでも支援して頂いた御恩もございます。それは考慮させて頂きます」
バモルドの調子に乗っているとしか思えない言葉の内容に隣のカジルなどは瞳が倍の大きさに見えるのではないかと言うほどの表情をしている。どう考えても、いつもこちらから支援している金額を超える事は売買上の矛盾が生まれる切っ掛けにもなりかねない為、そこまでは望んではいないであろう。しかし恩を受けていると口にしても求めているそれは、きっと小さくない。
ただナナカにとっても、ここまでは茶番にすぎない。
「バモルドよ。それくらいにしておけ。お前の望みは叶えてやる」
「えっ?」
「確かに不死身の奴隷など相当に珍しいだろうな。なるほど、高く見積もってやらぬわけにはいかないだろうな」
「あ……はい。御理解頂き、ありがとうございます」
バモルドはあっさりと言い分を認められ、魂を抜かれたかのように意志のある言葉を無くしていた。
その間にメイド長の用意してきた勇者バモルドへの支援金の入った袋を視線で確認する。
「バモルドよ。その2人は前回こちらが支援金にて購入したのは間違いはないな?」
「それはもちろん、頂いた支援金の中から捻出しております」
「ではこちらが支援している金額以上の価値がある事はないな?」
「もちろんでございます。十分な額の支援をして頂いている事に感謝しております」
「カジル。その手にあるお金をバモルドに渡してやれ」
一瞬、戸惑いを見せるも言われたとおりに、カジルからバモルドへと支援金として用意されていた袋は渡された。
「いつも通りの支援金と同じ額が入ってはずだ。その金額で2人を買い取ろう」
「……!」
バモルドも戸惑うほどの金額で売れたのだろう。使い捨てのつもりの道具が1回分の支援金と同じ額になった事に吹っかけた本人が言葉を無くしてしまった。渡し役のカジルから受ける視線が痛く突き刺さった事については今はとりあえずは流しておく。ただ奴隷とは相当に価値が低いもの様である事は確信が出来た。少々高い値段を付けすぎたかもしれないが、まだ勝負は続いている。
「どうした? バモルド。まだ足りないと言うのか? それ以上の金額は払えん。嫌だと言うのなら、この話はなかった事にしようと思うが?」
特に変わった様子もなく取引の破断をチラつかせる幼い姫に、返す言葉を忘れたように勇者は顔を左右へと繰り返し振り続けるのだった。
「問題はなさそうだな。では取引成立だ。良い買い物が出来た。礼を言うべきかな?」
「とっ、とんでもございません。こちらの方こそ姫様の懐の大きさに感服いたしております」
「はっはっはっ! そうだろう。回りくどいのは嫌いだからな」
こちらの懐の大きさを見せつけたのだ。大げさすぎるくらいに演技の入った笑いを作ってみせた。ペットに大きなジャンプをさせる時には大きな餌をぶら下げた方が大きく飛ぶ。ただ飛んだあとは落ちるだけだ。それを上手く着地できるかどうかを見せてもらう事になる。ただし、これから落ちる場所に飛ぶときにあった大地があるとは限らない。何よりもナナカの知る楽園では禁断の果実を口にした愚か者は落ちるだけである。
「さて、バモルド。これまでどれだけ当家に尽くしてきたか覚えているのか?」
急に変わった流れに心の整理は簡単ではなかったのだろう。返答が変えてくるのは二呼吸程は要した。
「それはつまり、こちらへ挨拶に来るようになってからという事でございますね? もう7年を数える頃になります」
「ほう……これまで長く尽くしてきたのだな。今年で貴様自身はいくつになったのだ?」
その続けられる流れが読めない質問に戸惑いが表情に表れ始める。
「……今年で38歳になります」
バモルドの方はナナカ自身が思っていたよりも年齢が上だったと言ってよいだろう。もっとも、その方が都合は良いのだが。
「これまで勇者として長く戦っていたのであろう。そろそろ戦いの場から身を引くという選択肢を考えた事はないのか?」
言葉を受けたバモルドにしてみれば、自身にとって悪い流れを徐々に感じ取っているのであろう。先ほどまでの戸惑いなど全て鎮圧されていた。その顔にあるのは一点『焦り』という言葉。
「姫様のおっしゃっている意味が分かりませぬ……私に何をお求めなのですか?」
控えに控えて言葉を紡ぎだす様子は、ナナカの想像する理想の勇者の姿には程遠い。
「うむ。今後そういう選択肢を考える事はあるのかと気になっただけだ」
「さ、さようですか。そうですね。もう少し年を重ねれば、そういう事も考える事もあるかと思いますが、まだ気にした事はございません」
「こちらとしては、そうは遠い未来とは思えんがな」
ついにバモルドの表情は氷に張り付けられたように時を止めた。次に出てくる言葉が自身にとっては良いことでない事を政治屋としての能力が悟らせたのであろう。
「実はな、先ほどの若い勇者に支援する事になった。こちらも財政が豊かとは言ないし、2人も同時に支援する事は簡単ではない。解決策を探る必要がある。だから、こう考えたのだ。今後の可能性を考慮しようとな。つまりは上積みの可能性の高い方を支援する事にした。と、ここまで言えば優秀な勇者殿だ。後は言わなくてもわかるだろう?」
突然、背中から崖へと押し出されたバモルドには、勇者の尊厳も裏の政治屋としての企みも商人としての腹黒さも全て洗い流された様に無の表情へと漂白された。特に先程、大金を手に入れて揚々としていた立場としては寝耳に水であった。
しかし、その表情を作り出すために大金を手渡したのだ。もう少し楽しませてもらわなければ割に合わない。これが最後の対面となるかもしれないのだ。目の前の勇者を愚者に変える程度には叩かせてほしい。話の中で全てとは言わないが十分嫌いになる程度にはこの男を理解出来たつもりだ。バモルドは勇者と言う表の顔を利用して、私腹を肥やす事に重きを置いている人間と見ている。王族と友好関係を結んでいたのだから最初からそうだったとは思わない。ただし王族から少なくない支援をもらい、更には王族の後押しを受けている間に魔物と戦うよりも楽な方法を選択して行ったのだろう。夢の世界では「金を持つと人間変わる」と聞いたことがあるが、まさにそれ。
元々高い政治屋の能力も、それを後押ししたのではないか。きっとここだけではなく、『王族』の名も使い他の貴族からも厚い待遇を受けていた事は間違いない。当然、商人とのやり取りでも有利に働き、商談を有利に進めていた事も簡単に想像できた。つまり王族との縁が切れるという事は、それらも難しくなる。「金の切れ目が縁の切れ目」と言う言葉を聞いた覚えがあるが、逆の「縁の切れ目が金の切れ目」も当然ある。
「待ってくださいませ! 姫様! 私どもは7年! 7年間尽くしてきたのです! それが今日初めて会った姫様の口から、いきなり支援の中断を口にするなど……あまりに急でございます!!」
7年支援してきた結果が政治屋崩れに成り果てて、見た目優先の装備を選んでおいて何を言うのだろうか。しかしナナカは、その思いを口にしない。何も言わない少女姫の姿に更なる攻勢をバモルドが仕掛けてくる。
「それに、20歳にも満たない勇者などに私以上の力があるとは思えませぬ!!! 私はブロンズのランクをもつ勇者です! あのような若者では、このランクに至る前に土に還るのが目に見えておりまする!」
――ブロンズのランクって、なんだよそれ? 知らん。どう考えてもシルバーやゴールドもありそうだから高くないだろうが。
心の中では反論が出てくるが、ナナカは口を開かない。ただ静かな視線を戸惑う勇者へ向け続ける。
「私には貴族や大商人との繋がりもございます! きっと今後もお力になれるはずでございます!」
――それはこちらの王族の名を利用して得たコネクションだろうが?
ここでも思いを面には出さない。反応を見せない少女へと向けたバモルドの興奮は熱へと変換されて、その表情には余裕がなくなる代わりに赤みが差す。
「何よりも私どもへの支援をスタートさせた、王妃様の思いも裏切る事になりかねませんぞっ!!!」
この言葉に隣のカジルの右足が音もなく動きを見せる。それを視線の端で感じ取ったナナカは無言のままに右の腕をカジルの前へと伸ばした。
感情を表に出したような歩みを見せたカジルだったが、ナナカの腕を視界にとらえると冷静を取り戻したのか、視線を一度ナナカの方へと向けると左足の位置へと感情と共に右足を戻した様に見えた。
――王妃の言葉が出たとたんに熱が上がるとは、意外にカジルは熱い男かもしれないな。だが、ここは俺の舞台だ。主演は譲れない。
ここまで、この言葉を言う為に貯めていたのだから。29年の夢の中で覚えのある、俺の中で一番に気に入っていた言葉。全てを解決し、全てを納得させ、全てを無に帰す……その言葉。
「 そ・れ・が・ど・う・し・た!!! 」
およそ6歳の姫が発する言葉と思えないほどに、その空間を支配した一言だった。音も空気すらも存在がなくなったのではないかと言う感覚を受ける程の静寂に包まれる会見場。窓から延びる太陽の光とナナカから伸びた影だけが周りを強く意識させた。
状況を全て理解した様に、カジルは冷たくも強い言葉で幕を下ろす。
「勇者バモルド様のお帰りです! 扉を開けよ!」
現在の自分の居る場所がどこなのかも理解していないように影を薄くした政治屋の勇者は無言で会見場を後にした。残されたのは虹の様に変化する状況を飲み込めずにいる、ルナとサン。そして妙に熱い視線をナナカに向けてくるカジルの姿だった。
――俺の勘違いでなければ良いのだが……
「カジル。ロリコンって言葉しっているか?」
「いえ! 存じ上げません!」
言葉の意味を知らないことを口にした、カジルが嬉しそうに返答したのだった。
2018.11.09
描写と表現の追加修正を致しました。