8 追跡のはて
今はまだ早い時間だ。
私はいつもように朝の稽古のために館の庭で準備をしているところだった。
そう、いつもと同じ朝を迎えるはずだったのだ。
違ったのは、朝は得意とは言えないはずの筈のオヤジが珍しく、この時間に出歩いている姿を目にしたのだった。
(朝帰りか?)
いや、昨日は一緒にナナカ姫の誕生会に居たのは間違いない。
となれば、何か理由があるとしか考えられない。
(一体なにを?)
しかし、後を付けていった先で見たオヤジの姿は衝撃的だった。
辿り着いたそこは確か、ナナカ姫のお気に入りと言われる、下働きのルナに貸与えられた自宅。
その外で、あのオヤジが『踊っている』のだ。それはとてもダサい。
(オヤジ……?)
何かの冗談じゃないか? まだ夢の中に居るんじゃないか? と自分を疑ってしまう。
声をかけるべきなのか、それとも見なかったことにするべきか判断に迷っていると、やがて状況に変化が訪れる。
ルナとサンの自宅から、下働きの者たちが着ている服装に身を包んだ、ナナカ姫とルナが現れる。
(まさか!? オヤジは二人が着替えているのを見て、興奮して踊っていたんじゃ!?)
もはや悪い方向にしか考えれない。
私は少なくとも、オヤジが母さんと同じベットに寝るところなんて見た事がなかった。きっとオヤジなりに何か思うところがあったのではないかと思っていた。それが――
「そういう趣味だったのか……!?」
視線を落とした先にある、剣を握る手に力が入る。
(せめて娘として罪を裁くべきかもしれない……)
この時、私は想像以上に葛藤の中に沈んでいた。あまりのショックに時間の経過すら把握できなかったのだ。
そして――気づいた時には3人は視界から消えていた。
「しまった! 私としたことが不覚を取った!」
しかし、行先には想像がつく。
ナナカ姫とルナの格好を見る限り、身分を隠して行くところなんて館の外しかない。館の中で服装を変えたところで2人の事が分からない人間なんているわけがない。そうなると当然、行先はベルジュの町しかない。オヤジもその先にいる可能性は高い。
「オヤジが一線を越えていたなら、この手で介錯してやろう!」
そしてシェードの追跡は始まったのだった。
◇◇◇
3人からは随分と差を開けられたようだった。
つまりはそれだけ私の動揺は大きく、それだけ無駄に時間を消費していたという事。
(私は、まだまだ精神的に弱い……)
しかしオヤジを裁くのは私の役目だ。ここで折れている場合じゃない。
その後の捜索は思った以上に時間がかかった。オヤジはデカい。同じようにデカい私が言うのも変な気分だが、それだけに目立つと思っていたが甘かったようだ。きっとナナカ姫とルナに見つからない様に気配を消しているに違いない。
何よりも捜索を邪魔しているのは街中に漂う、嫌な空気。それは自分に纏わりついてくる感覚ではない。
しかし誰かに向けられた強い意志から来るものである事は予想できる。
(もしこれが、あの2人に向けられていたとしたら……)
当然、状況としては緊迫したものへと変わる。オヤジの事などはどうでもいい事態になる。
気配で探している場合ではないと判断すると、次の捜索方法を模索する。
1つ目。この空気を作り出している元凶を見つける事。
これは見つけたとしても、問題を起こす前ではこちらから手を出す事は難しい。怪しいからと捕まえるわけにもいかないのである。
2つ目。私自身が騒ぎを起こして目立つ事。
かなり有効だろう。現在の目的はオヤジの疑惑から、2人の少女の護衛へと目的が変わりつつある。もちろん、オヤジだって状況に気付いてはいるはずだ。疑惑の趣味がどうであれ、護衛に関して手抜きするとは思えない。私がそこまでやる必要はないのかもしれない。
ただ、どうしても嫌な予感が大きくなっていく。
(戦場での奇襲を受ける時の匂いに似た感覚……)
行動に移す事を決めかねていた時、聞き覚えのある声が耳に入る。
「ルナっ! ルナっ! これは何だ!?」
(この声は……、ナナカ姫?)
「あれは甘煮果実と言って、市民の間では人気のお菓子ですよ」
「へぇ~、どんな味がするんだろう……」
間違いない。あの2人の声だ。いつも変わりのない声からすると、私の心配しすぎだったのだろうか?
会話の甘煮果実の店は目の前だ。そこで声の主達は商品を覗き込むように眺めている。
ナナカ姫がお金を持ち歩いているわけがない。もちろん、ルナだって館に来たばかりだ。給金はまだだろうし、手元に持ち合わせがあるわけもない。となれば、自分のやる事は決まっている。
お忍び気分で来ている、ナナカ姫の貴重な時間を壊すつもりはない。
先日も活躍したとはいえ、まだ7歳の子供なのだ。そういう時間だって必要なはずだ。
ナナカ姫には気づかれない様に、ルナの肩に優しく触れる。
振り向いた彼女は声は出さないが、「なぜ、ここに?」と表情を浮かべていた。
(賢い子だ)
私は人差し指を口元に当てると、手元にあった持ち合わせをルナに手渡す。これで楽しみなさいと言う意思を込めて。
それを正しく理解したように頷く彼女に満足の笑みを残して、その場から離れる。安全を確保できる一定の距離まで。
「なんだ、お前も来ていたのか。いや~持ち合わせがなかったから、どうしようかと思ったぜ」
背後からの、その聞きなれた声は1人しかいない。
「オヤジ。やっぱり姫達の近くに居たのか」
「いや~、お嬢がこっそり抜け出すのが見えたからよ。護衛の為についてきたわけだ」
「オヤジもナナカ姫には気づかれていないんだろ?」
「ルナには身振り手振りで伝えたつもりではあるがな。たまには普通の子供気分もいいだろう。ちょっと、お嬢は気が張りすぎだ。息を抜ける時間も必要だろ?」
つまり、あの踊りの様なものはルナへ意図を伝えていたという事だろう。と言っても、覗いていた疑惑は残ってはいる。ただし、今はそれどころではない。
「それに反論はないけど、オヤジだって気づいてるんだろう?」
「お嬢たちに向けられている悪意だろ? もちろん気づいているさ。だけど、せっかく楽しんでいる2人の時間を壊すのは野暮ってもんだろう」
そうなのだ。近づいてハッキリ分かった。間違いなく、さっきから感じている空気の集約地点は、あの2人なのだ。
「人気が無くなった所で仕掛けてくるつもりだろう。だが問題は『そっち』じゃない」
「そっち? 他にも何かあるような言葉に聞こえるけど?」
「お前も、まだまだだな。本当に危険なのは気配がない奴さ。こりゃ、ちょっと厄介な事になりそうだぜ」
私が気づいていない、もう1つ何かがあるという事。オヤジにここまで言わせるのだ。ただ事ではない状況である予想に辿り着くまで時間はかからない。
「私達2人でも厳しいという事なのか?」
「さぁな。相手の本気度にもよる。相手が本気なら、戦力が足りない事は間違いない」
「……!?」
つまりは相手の心次第という事だ。一体何が迫っていると言うのか。
「援軍を呼びに行った方がいいか?」
「そんな事をさせてくれるとは思えないな。とりあえずは隠れている奴らが本気じゃない事を願おうか。いざとなれば俺を残してでも逃げてくれればいい」
「分かった」
オヤジは私が「いやだ」と言ったところで聞かない事は分かりきっている。それに簡単にやられる人間じゃない事は自分が一番よく分かっている。
そしてオヤジの予想通りに人気が少なくなる帰路で、それは起こったのだった。




