3 悪女
カジルの手配により、午後には司祭ラムルが執務室の扉を叩いていた。
自らが呼びつけておいて言うのもおかしな話かもしれないが、嫌いな部類に入る人間が自分の居住区に入ってくる感覚は受け入れにくい。
それは訪問営業マンがチャイムを繰り返して押してくる、夢の中での出来事と同じ気分。共通する所は無理矢理に自分の主張や意思を押し付けてくるところ。
違うところは直接的に金を請求してくるか、知らず知らずのうちにお布施という名の請求をされるかだけではないだろうか?
もしかすると前者は物理的なものに変換されるだけマシであり、後者の救いなどと言う目に見えないオカルトを売りにしている分だけ悪質かもしれない。ナナカの考えは夢の経験からくるものであり、現実は違う可能性だってもちろんある。
もちろん実際に魔法を自ら使用したのだ。
そこから考えれば神がいる可能性もある。
ただし、自らの目で確認しない限りは信じられない。
とはいえ、借りをつくるのではなく、貸しをつくる分には問題ない筈だ。
(利用されるのではなく、利用してやろうじゃないか)
「入るがよい」
「失礼いたします」
入室ともに右の手を左の肩に添えるようにして頭を軽く垂れてくるラムル。
それは教会式の礼儀だとメイド長から聞いた覚えがある。
「面倒な礼儀は必要ない。公式の会見ではないのだからな」
その意味に驚いた様子もなく受け入れる姿は、これから話す事をある程度予想しているからだろうか?
「さようですか。つまりは秘密の話でございますね?」
「そうなるかもしれないな」
聡い。やはり司祭などではない。ラムルの本質は政治家だ。
「まずは礼を言っておこうか」
「礼ですか?」
「ああ、街中に入り込んだ魔物から住民を守ってくれ事に対してだ」
それは先ほどの報告の中に、教会が『町の中』で護衛を行っていた事の内容が書かれていたものがあった。
「民の心だけでなく、身を守る事も大事だと教えにございますので、お礼など必要ございません。当たり前の事でございます」
「なるほど。しかし住民の『目の前』での『演出』にこだわりすぎではないかな?」
そうである。わざわざ町に入り込んだ魔物を退治しなくても、入る前に処理すればもっと安全であり、住民が身の危険を感じる必要もないのだ。つまりは教会は町を守っていますと言う姿を大仰に見せつけたかったのだろう。
「さすが、ナナカ様。そこまで気づきとは驚きました」
言葉とは裏腹に、その表情に驚きと言う感情は感じ取れない。大袈裟な演出だったとしても住民を守った事に違いはない。そこに対して文句を言う人間は少ないだろう。
問題としては逆にナナカの方が驚きを見せる寸前だった事だろう。彼は7歳になったばかりの子供に、そこまで読まれた事を当然と受け止めている。以前の態度と今の状況をすり合わせれば、ナナカの対応力を最初から想定しているかのようである。
(何か知っているかもしれないな)
「まんまと教会の名声を上げる事に成功か。まあよい、住民を守った事は間違いないのだからな」
「ありがとうございます」
「それで今日ここに来てもらったのは、この質問の為だ」
「質問でございますか?」
「貴様は、なぜ教会に居る?」
「えっ?」
ラムルは先ほどまでの堂々とした態度から、巣の顔を見せてしまうほどに拍子抜けしていた。
「神を信じている奴は『上』なんて目指さないだろう? ただ神の言う通りに動けばいいだけだ。貴様の様に若くして司祭に上り詰めるような奴は、何かの『野望』を持っていない限り、そんな地位にたどり着けるわけがないだろう?」
神を否定しなくても、全司祭を敵に回しかねない危険な発言だ。
間で話を聞いているカジルなどは、ナナカの言葉に焦りを隠せない様子だ。
だがラムルが、その程度の事を気にするような安い『野望』をもっている人間には見えなかった。
これは夢の中で人を見る事を繰り返してきた経験の賜物。
それ以上に神を信じていないからこそ言える発言かもしれない。
「ふっはっはっはっ……! そうですか、姫様にはそう見えてしまうのですか!?」
「本質的に貴様は政治家向きにしか見えん。何か目的があるのだろう?」
「なるほど、わかりました。目的は話せませんが、確かに上を目指している事は間違いありません」
(ついに本性を現したか)
「では、それを手伝ってやると言ったらどうする?」
「どういう意味でしょうか?」
「今回の魔物討伐の手柄を譲るという事だ」
「本気なのですか?」
笑顔で提案をするナナカに、ラムルは驚いていた。その両者の間で、カジルが2つの感情を合わせたような表情をしている。ナナカに王位を目指してもらいたい彼にとっては、ナナカのそれは受け入れがたい提案だったのだろう。王位に興味のない自分には、名誉など邪魔なだけでしかないのだ。仕方がない。それよりも自分にとっては大事なことがある。
「今回の魔物討伐は、私が貴様に助けを求めた事にしてやる。貴様が傭兵ギルドに手配して町を守ったのだ。私はただの飾りとして戦場に居ただけ。これを事実にする」
「し、しかし、それでナナカ様に何の得があるというのですか?」
こちらの意図が見えない行為はラムルにとって、大きな不安材料である。馬鹿正直に名誉なんて望んでいないと言ったところで本心に思えるわけがない。王族など、名誉の上に成り立っていると言っても過言ではない。
つまり、幼いとはいえ王女が名誉を捨てるなど正気の沙汰ではない。ラムルの動揺は無理もない。
「貴様の権力競争への私からの掛け金だ。納得できないなら、貸しをつくったという事にしておこうか」
「あまりにも掛け金が大きすぎるかと思います。私がそれを応えられる保証はないのですよ?」
執務室に入ってきた時の余裕が既にそこにはなかった。その状況が見て取れただけでナナカとしては満足を得てはいるのだが、せっかく相手が引いている状況なのだから、ここは一気に攻め込む時である。元々、狙いは次の言葉にあるのだから。
「確かに大きな貸しだな。だからそこにもう1つ、教会と貴様の持つ情報を条件に加えようか。ああ、もちろん貴様はここで、大きな独り言を口にするだけという事にしておこう」
栄誉と貸と情報を秤にかけるように床を見つめていた男は、やがて何かに操られるように顔を縦に動かしたのだった。




