7 砂埃
最小限の人数で最大限の成果を求めて、ナナカ達は化け物に立ち向かう事を決意する。
人間たちが呆然とした状況の中、人間たちの視線の先を横切るように通り過ぎていく巨体。
その巨体はこの戦いの原因のはずだった魔物。
その巨体は人間たちの恐怖の対象となっていた魔物。
その巨体は敵として攻撃対象になっていた魔物。
現在は近寄る事すらできずに僅か100m先の巨体を見送る事しか出来ない。
人間側のナナカの言葉によって上げられたはずの高揚感は、わずかな時間で消し飛ばされていた。通り過ぎようとしている魔物ミドアースもこちらを気にした様子もなく速度を落とさない。
なぜ、こんな状況になったのだろうか。
数分前までは、ここにいる誰もが「何とかしてやる」と息巻いていたはずなのに。もちろん戦意を失ったわけではない。歯と歯を擦り合せて音を響かせている奴だっている。ナナカ自身も、その1人と言っていいだろう。
自分たちは気づかなかったのだ。
ミドアースに近づく、その時まで。
愚かにも見えていなかった。
本当の敵が。
今ならば、あの時のサンの予知が理解できる。
予知を聞いていなかった人間にだって分かる。
明日には町は壊滅していると。
なぜ? なぜ? なぜ?
どこで間違ったのだろう? 選択肢が悪かった? どこかでミスがあった?
いや、どの道を選んだところできっと逃れられない未来だっただろう。
ここまで死闘は? 犠牲は? 意味は?
この状況に至るまでを思い起こす―――
◇◇◇
最初にミドアースを遠くに確認した時は相手の周辺に舞っている砂埃が多少、気になったくらいだった。だが、近づいてきた敵がハッキリと認識出来る距離になった時に全ての状況が一変した。
それはミドアースが8割の距離を消化した時点。
1キロ離れた位置では大きいという事くらいしか理解出来なかったが、この距離になればナナカにも、ミドアースの全容が見えてくる。
形は亀だ。夢の記憶の中の「スッポン」と言う種類に似ていると言える。牙などが生えているようには見えないが、あの大きさの口で噛み砕くのであれば必要がないだろう。もしくは丸飲みしてしまう方向かもしれない。そして、それらを認識出来てしまう今の状況に違和感を感じる。
「なあ、シェガード。あの砂埃、おかしくないか?」
「お嬢……。気づいたか。ああ、ありゃおかしい。とんでもなくおかしい」
砂埃と思われていた現象には、おかしな点がいくつも見られた。
①ミドアースが通り過ぎた後に収まる様子がない。
②ミドアースがまだ踏んでいないはずの大地からも発生しているように見える。
③ミドアースの姿が部分部分見え辛い。それなのに見える部分は逆にハッキリし過ぎている。
「マコトは何か分からないか?」
「はい。残念ながら、もう見えています……」
返ってきた返答は重い。自然と良い内容でない事は誰もが予想できた。
「急いでミドアースに道を”譲りましょう”」
マコトの言葉はナナカに一瞬の混乱を発生させる。この場に来て見送るなんて選択を口にするマコトの言葉が理解出来るわけがない。
「どういう意味なんだ? 私にも分かるように……」
「お嬢! マコトの言うとおりにしよう! こりゃ、まずいなんてもんじゃねぇ! 急ぐぞ!」
まだ理解の追いつかないナナカに対して反論も説明も必要ないと言わんばかりに言葉を終えると同時に、肩にナナカを正面から抱え上げるとミドアースに町までの道を譲るために走り出す。それはナナカの足では間に合わないと判断しての行為だろう。
乙女な心の持ち主ならば、お姫様抱っこを求める場面かもしれないが、微妙な心の持ち主のナナカがそんな事を求めるつもりは絶対にない。あるわけがない。
しかし有無を言わせぬ行動は、それだけの危機を伝えるだけの効果を持つ。
その姿に傭兵たちも追いかけるように走りだす。場違いかもしれないが、姉も傭兵たちに負けないくらいに走るのが速い事を知れたのは収穫なのだろうか?
距離としては100m近く移動した。
たぶん、これが安全圏ということ。
イコール、これだけの距離を取らないと安全を確保できないという事実。
シェガードは十分な距離を確保した事を確認すると抱え上げていたナナカの足に地面を与える。抱え方のおかげというべきか、この時には既にナナカも状況を理解できていた。正面から抱えられたお蔭で走る方向の逆を見続けることが出来たからこその状況理解。
先ほどまでは砂埃と思っていたモノは砂埃ではなかった。
あれはミドアースを取り囲むようにして存在して動き回る物体。いや、生き物。
この世界であれをどう言うかは分からないが、ナナカの知識の中では「蜂」という生物。違うところは、その大きさか。それは人の頭ほど。その「蜂」は何百、何千、もしかすると万の単位に届いている可能性がある。ミドアースはその「蜂」に包まれているような状態だった。――全てをリセットするためのような風が流れた瞬間だった。
◇◇◇
そして現在―――
通り過ぎていく群れを見守るように人間達は立ち尽くす。
どう見てもミドアースが蜂に襲われている状況ではない。
「仲間」もしくは「共存」しているようにすら見えた。
当たり前と言えば当たり前。いくら大きな蜂とはいえ30mの魔物を攻撃しても通じるわけもなく、30mの魔物が蜂如きを相手にするわけもない。記憶にある、コバンザメという生物の様な関係というのがナナカの認識だった。
そして、その群れは町へ向う。
「ありゃ、獣蜂だな。とんでもねえ奴が最後に残っていやがった」
「獣蜂だと? なんだそれは?」
「あいつらは寄生虫の一種なんだが、その中でも特に質が悪い。それがミドアースに寄生しているとなれば災害と言ってもいいレベルだぜ」
「それはミドアースと蜂の集団っていう事だけではすまないという事か?」
こちらの言葉に頷くと、シェガードはその脅威を口にし始める。
獣蜂は肉食虫の分類に入り、数が揃えば人も獣も魔物も襲う。持っている毒はある程度の魔物なら行動不能に。人間であれば死に至る可能性が高い。そして現在の気候である、繁殖期に入ると産卵するための安全な「巣」を求める。今回はミドアースがその「巣」に選ばれたのと考えられる。
ここまでは、それほど問題がない。
問題は獣蜂が産卵した、それらが羽化する時。
ミドアースは「巣」としては安全ではあっても、羽化したばかりの幼虫の「餌」としては向いていないという事。ではどうするのか?
餌場へと「巣」を移動すればよい。
つまりは「巣」であるミドアースを移動させればよいのだ。
方法は寄生虫の名に相応しいもの。
産卵は尾の部分で行われており、羽化が始まると寄生された生物の肺へと掘り進むようにして体内を移動する。1万を超える幼虫の大移動による痛みは絶大で、寄生された生物は興奮状態に陥り攻撃的になる。更に幼虫達は移動中に血液中から栄養を貪り続けるために「巣」は飢餓状態をも起こしてしまう。
馬が鞭で尻を叩かれながら、ニンジンを目の前に吊るされて走らされているようなものだろうか? ことわざ的には「飴と鞭」か? いや「空腹と鞭」というのが近いのではないか。
とにかく孵化してしまえば羽化までは近い。
強制的に良い餌場を求めて「巣」は勝手に大移動をしてくれる。
そして、餌場に着く頃には孵化した幼虫は羽化して成虫として肺から飛び立ち、安全かつ効率的に餌を捕獲し始める。
つまりはナナカが先ほど考えていた「仲間」でも「共存」でもなく、まさしく寄生されているという事。
本来は森から出る事などは、ほとんど考えられないはずのミドアースの今回の大移動は獣蜂が原因という事である。そして今回選ばれた餌場は自分たちの町ベルジュ。
「お嬢。今回ばかりはダメかもしれねぇ。万だぜ。万の単位が相手じゃ、ここにいる数十人程度じゃ話にならねぇ。それに、あの状態のミドアースでは足止めすら難しいな」
説明を聞いているだけでもナナカも理解できる。
ここまでだって限界以上の戦いをしてきた。ただ、今回は30m級の魔物と万単位の獣蜂。言葉や作戦で何とかできるレベルを超えている事は明白だった。
誰もが言葉を失い、その場に膝を着くものが現れ始める中でナナカ達の方へと向かう土埃を上げる集団が視界に入る。
(あれは――!?)
集団の先頭に立つ、その姿が瞳に映りに何故か瞳が揺れる。
こんな絶望の中で人間が出来る事はもうないと言える。
しかし心に生まれる、とてもとても小さな光が温かさを発生させる。
誰が来ても意味があるとは思えない。
ただ、何故か熱いものが心を満たす。
もう言葉も届く距離に達したそれは、ナナカがこの数日間で一番顔を合わせたであろう人間―――カジルだった。
2015.9.26
描写と表現の変更修正を致しました。




