10 選択肢
一つの苦しい戦闘が終わり、一つの大きな力が加わる。
しかし姉に対する疑問がナナカの心に一つの不信感を湧き上がらせる。
近づいてくるナナカに対して、いつものように柔らかな優しい表情を見せる姉レイア。その姿には焦りも疾しさも感じられない。何故、妹のナナカが厳しい目で自身を見ているのか不思議に思っている様子すらあった。
「お姉ちゃん。さっきの説明の続きを教えてほしい」
「いいわよ。でもそうね……、一緒にあの丘の向こうに一緒に行ってもらった方が2度手間にならないかもね」
姉の差す先に視線を流すが丘の向こうはここからでは見えない。ただし、その丘は消光の森の方面になる為、危険な状況も考えられた。
「二人で大丈夫なのか?」
「大方のケリはついていると思うから安全だとは思うの。念の為にと言うのなら、あの勇者さんは疲れを見せていない様だし、一緒に来てもらえばいいんじゃない?」
突然、会話に混ぜられた勇者という言葉に、嫌がる様子も見せずに勇者マコトからは頷きが返ってきた。
「大丈夫そうね。じゃあ向かうの」
完全にレイアのペースで進められる状況に納得は出来ないものの、ナナカは歩き出すレイアを追いかける。そのレイアは丘の場所まではナナカとは話すつもりはないらしく、無言のままに魔物や人間の死体の転がる戦場を颯爽と進む。
ナナカにとっては初めて見る人間の死体のある戦場跡だった。先程の傭兵ミゲルの時も、まともに歩けないほど動揺していた事は自身でも分かっていた。しかしここに散らばる死体はそれ以上だ。
魔物に食い荒らされた人間だったものが、現在は大量の残飯に成り果てている。最初に見た死体と同じく硬いからか? 美味しくないからなのか? やはり顔は綺麗に残されたままだった。それだけにその表情は人間の絶望の全てを含んでいた。
そんなナナカが歩き続ける事が出来た理由は隣を歩く勇者マコトが小さな王女の手を強く握りしめていてくれたから。戦場の恐怖と冷たさをその手で温め続けてくれているから。
(ありがたい)
手を握られる事にこんなに感謝する事は、夢の中の29年の経験を合わせてもなかった。そのおかげで戦場を跡を少しだけ冷静に見る事も出来た。
(おかしい。ここで死んでいる人たちは武器らしきものを持っていない)
どの死体を見渡しても近くに転がっている様子すらなかった。何よりも夏が近づきつつあるとは言っても、あまりにも薄着過ぎた。その姿は初めてあった時の土子族の姉弟に似ていた。
「着いたの。これがナナちゃんの質問に対する答えになるかしら?」
先に丘の上に辿りついたレイアからの言葉に心臓の鼓動が高鳴る。自身の悪い予感を予感で終わらせてほしいと言う希望がそうさせたのだろうか。気付けば心臓の鼓動に合わせる様に脚の動きも早くなる。
(まさか……まさかっ!)
ナナカの予想は的中していた。
「あああ……ああ……。なんで、こんなことに……?」
「ナナちゃんの事だから気付いてるんじゃないの?」
3人の立つ丘の向こうに広がる光景。それはここに来るまでに見たものが、姉レイアの作り出した戦場の一部であった事を思い知らされる光景。
ここに来るまでに何度も膝を折りそうになりながらも、それでも前に進み続けてきたナナカ。その膝を折るに十分な現実に、立ち続ける事を体が拒否する。
「姫様! あぶないっ!」
完全に倒れる前にマコトから延ばされる手に助けられたが、その手がなければ膝を付くどころか手のひらを付く事になっていたのは間違いがないだろう。
「ナナちゃん。戦いに犠牲はつきものなの」
何かを言い返したくても震える体が言葉を上手く紡ぎだしてくれない。目の前に広がるのは、先程の戦場の倍以上に生命の散った後の赤い花々。体内にあるモノというのは普通の人間が思っている以上に腐るのが早い。時間の経過からか鮮やかさは失われ、紫の色が混ざり始めたモノすらあった。
しかし、それだけではない。何種類かの魔物が餌の取り合いを演じたのだろう。魔物同士が争った跡と、その敗者の死体が餌以上に無数に残されていた。自分達よりも少ない餌を取り合った結果。つまりは先程まで戦っていた魔物達はここでの勝者。バトルロワイヤルの生き残り。
「ここにある餌は本来は刑を待つだけ囚人たちだったの。それを取り合って魔物達が争ったの。餌場の森から逃げる様に追い出された魔物達に脅威にならない餌を与えて、そこに何種類かの魔物達が集まれば争いを始めるのは必然なの」
動きを奪う体の震えよりも、怒りによる心の震えがナナカに言葉を口に出来るだけの力を与える。
「……あっちも! こっちも! 無抵抗な人間を運んだのは、おねえちゃんなの!?」
「私は運んでいないわよ? 状況確認の為に遠巻きに見てはいたけどね」
「じゃあ!誰がこの人たちを!?」
「私は囚人たちを言葉と一緒に町から送り出してあげただけなの。消光の森まで逃げ切れたら、罪を消し去って何もなかった事にしてあげるわってね」
「魔物達が町に向かってきている事を、この人たちは知っていたのですか!?」
ナナカの怒りのこもる質問が続いてもレイアからは、いつも笑みが消える事はなく、教える必要があったのかと両の手でジェスチャーが返ってくる。
「いったい、どれだけの人を犠牲にしたのですか!?」
「ナナちゃん。50人対500匹の戦いなんて最初から無謀なの。どこかで誰かが犠牲になるの。いえ、普通に戦えば勝てるわけがないの。ここで200匹以上の魔物の数を減らしたの。そして餌を食べている間の時間も作れたの。もし餌がなかったら、さっきの戦場で休む時間も取れないままで50人対250匹の戦いになっていたの。つまりは、そこで終わっていたの」
レイアの説明はナナカにも理解出来た。確かに50人対250匹は絶望的な数字だろう。魔物に対して複数で戦う事で優位を保ってきたことは、ここまでで十分に見てきた。しかし理解と納得は別の話だ。
「他に何か……何かあったはずだ!」
「ナナちゃんも分かっているはずよ? そんな方法はないって。そして命の選別が必要な状況なら価値の低いものを先に選ぶべきだってね」
姉の「価値」という言葉に引っかかるものを感じて背筋に冷たいものが流れる。目の前に散らばるそれらは、ベルジュの町の規模は1万人程度なのに対して死に値するほどの犯罪者にしては多すぎる気がする。
(それ程に簡単に死刑が決まってしまうのだろうか?)
ナナカの胸の内の疑問の答えは少し離れた場所にあった、それは1つの死の花。それが答えを導き出す。
死の花を咲かせていたのは間違いなく大人になりきる前の土子族。そして姉レイアが言った「価値」という言葉。
「まさか……!?」
ナナカは姉にぶつけた事がない強い感情が渦巻くのを感じた。
「気づいちゃった? そうよ。足りない分は”買って”きたの」
力の入らなかった全身に今まで感じた事のない力が湧き上がる。
「姫様ダメですっ!」
言葉と共に、それまでナナカを支えていたマコトが無意識に姉に飛びかかろうとする小さな王女の体を両腕で包み込んでいた。
「ナナちゃん。私が憎いならそれでもいいの。でもね、やっぱり何度同じ選択に迫られても同じ答えしか辿りつけないの。力がないだけで選択肢は減るの。同じ選択を迫られるのが嫌なら強くなるしかないの」
姉の口から出た「強さ」の意味の前に、ナナカは自身の「力の不足」と言う言葉が浮かび、頭と心の中を埋めていく。
そして、ナナカの心と反する様に風向きは変わった。ここに至ってようやく魔物が当初の絶望的な残数から希望の見える数字へと変わり始めたのだった。
ここで4章「ベルジュ防衛戦」前編が終了です。
次章は「ベルジュ防衛戦」後編となります。




