8 帰還すべき場所
ナナカが王都から離れて2日が経過していた。
すでに己が本来居るべき、ベルジュの町の館の執務室に籠っていた。
戻ってきて疲れた体をベッドに沈めたい気持ちはあったものの、ナナカを追う数々の問題がそうさせてくれなかった。もちろん、カジルはまずは体を休めるべきだと主張していたが、ナナカが「片づけるべき荷物を既に担いでしまっているのに腰を下ろせない」と言うと、何時ものごとく苦い表情を浮かべながらも納得してくれた。決してイエスマンではないものの、己の主張を口にしながらもナナカの意見を尊重してくれる。カジル以外が執事であったならナナカはこうも自由な時を過ごしていなかっただろう。ありがたい存在である。
しかし今はその気持ちに浸っている場合ではない。
第一王子ストレイはメシェの情報通りに正式に王座争いに名乗りを上げた。ただ宰相には動きは見られなかった。裏では何かアクションを起こしている可能性はあるが、こちらとしては現状、大きな問題とはするつもりはない。クライフの話が正しければストレイの第一子が生まれるまでは10カ月ほどの猶予がある。宰相も動きがないのなら今すぐにどうこうするほどの事ではない。
そして王都の事は姉であるレイアにほぼお任せで人材確保までお願いしてきた。最初はナナカから離れることを良しとしなかったが、代償として一つだけレイアの願いをナナカが聞くと話をしたところ飛びついてきた。願いはその場では口にしなかったために、現在は保留中である。どんな願い事を言われるのか心配ではあるが、味方の少ないナナカとしては仕方がない代償であろう。
また脱走したバモルドについては放置という選択に至った。もちろん気にならないわけはないが現在の問題山積の状態で気にかけている余裕がないというのが本音である。今は一段落したら……とするしかなかったのだ。
兎にも角にも、今向き合うべきは元ソルガド領主ファンである。
執務室には知恵の全てを出すべく、情報収集に向かったメシェ以外の主要メンバーが揃っていた。
ナナカは全員の顔を見渡すと開始の合図となる言葉を口にする。
「相手はいつ動くと思う?」
この場合の相手とは当然、ファンの事である。絶対に出兵してくると決まったわけではないが常に最悪を想定しておくべきだとクライフから言われている。
「普通に出兵することを想定するなら2週間はかかるだろうな。出兵ってのはピクニックみたいに出かけるぞって言って、はい、喜んでって、わけにはいかねぇ。同じ国内とはいっても食料を確保するだけでも簡単じゃねぇからな」
傭兵らしくシェガードがもっともらしい言葉を口にした。
形的には単なる派閥争いだとしても兵を出す限り、食との関係は切って切れるものではない。それは大食糧生産地であるソルガドとて同じことである。
「時間的なものは兎も角として、相手が仕掛けてくるものとして対策を練るという事でしょうか?」
「そりゃ、そうなるだろ。準備のできていない相手ほど楽な相手はいねぇぞ。何もせずに両手を上げるような行為だからな。仕掛けてくるものとして待つべきだ」
カジルも珍しく積極的に意見を出している。それに対してシェガードは現実を突きつけたようだ。
「もうこの際は何も起きないことを想定するのはやめておこう。どうにも私の運命の女神は悪い方へ、悪い方へと指をさしたがるらしい。だから今回だけは良い方向へなどと考えるのはやめておこうじゃないか。それに何も起きなかったら起きなかったで何もない平穏が続くだけの話じゃないか」
そう、きっと今回も想定通り悪い方向へ流れる。そんな気しかしない。それにクライフは自身への言葉への自信が強く感じられる。今回はそれを信じてみて何も起きなければ笑ってやり過ごせばいい。
「それで相手は2000人もの兵を投入してくるとしてだ。こちらはどれくらい用意できそうなんだ?」
続けてナナカは最大の問題を口にした。
それは王都に居るから問題になっていた一番知りたい情報である。
そこに待っていましたと言わんばかりにクライフが口を開いた。
「そこはわたしの領分ですね。まず傭兵についてですがシェガードさまから確認したところ、思った以上に集められそうです。およそ200人。1万人しかいないベルジュの町としてはかなりの数字ではないでしょうか」
「しかし相手は2000人もいるというのにこちらは200人では話にならんのではないか」
そう、それでは相手の10分の1の兵である。傭兵である限り武装で負けるなどという事はないとしても数がそこまで圧倒的に差があると厳しく思える。前回のように武器を持たない魔物たちとは違う。相手も武器を携えてくるのである。
「そうですね。傭兵たちだけでは無理ですから町の人々にも協力してもらいましょう」
「戦いに慣れていない町の人々では被害が拡大するだけではないか!?」
ナナカは思わず声を荒げた。
なにしろ魔物たちの戦いで傭兵達が傷つくだけで苦しい思いをした。それに民衆を守るための戦いだった、あの戦いと違って、今回の争いの根源はナナカ自身である。民兵を募って個人のために盾にするなど考えたくもないし、何かが違う気がする。
「相手が街中に侵攻してくればどちらにしろ少なからず被害は出ます。もちろん最初から降伏を選択するのならばそうはなりませんが、そちらを選択なさりますか? それに協力と言っても志願者だけを募ります。やる気もない人間が争いの場に立っても、ただの空気と変わりませんからね」
「それでも……それでも誰かが傷つき誰かが地に伏すんじゃないか!?」
「ナナカ様、争いで人が死ぬは当然です。それとも傭兵は死んでも民が死ぬことは許せませんか? それに人はいつか死にます。それが50年先か1秒先かの小さな違いでしかありません」
クライフは当たり前のように50年と1秒を小さな違いと言い放った。
平和な世界の記憶があるナナカにとってはやはり争いは未だ別世界の話に感じている。そんなナナカを否定するように人の人生を軽く扱うクライフに少なからず畏怖を覚えた。
50年あれば一つの歴史さえ作れる人間もいるというのに、その可能性を潰し、切り捨てる恐ろしい発想である。一体、目の前の少年はどんな人生を過ごしてそうなったのだろうか。
「私にはクライフの50年と1秒を同等に扱う考え方が分からない。例え50年恵まれない人生を送るとしても、その中で幸せな一瞬を感じ取れるような可能性がある限りは、簡単に人を数字に置き換えるような真似は出来ぬ」
「ですがその50年は1秒後に死ななかった人間だけに与えられる権限です。ソルガド勢がベルジュに迫ったときに同じことをナナカ様は口に出来るでしょうか」
「……!!!」
「はっきり申し上げますがどれだけ強力な軍であろうとも10倍もの戦力差があっては一溜まりもありません。ナナカ様はそんな戦いに「お前たちは金で雇われたのだから命を捧げろ」とでも言いますか。彼らも決して金が第一ではないのですよ」
ナナカはその言葉を聞き、シェガードへと視線を移した。
シェガードはその視線に対してクライフの言っていることが正しいと認めるように首を左右に振った。
確かにそのとおりである。
シェガード達が居れば何とかなると思い過ぎていた部分があった。ナナカにとっては物語に出てくるような英雄だという意識があったのだ。彼らは強い。彼らはいつでもナナカの味方で居てくれる。もしかしたら今回も何とかしてくれるのではないだろうかと、心の隅で期待していた自分が居た。
だが彼らは不死身ではないし、金を稼ぐために傭兵をやっているのだ。そこには生活があり、家族があり、思い人もいるだろう。そんな彼らだけを戦場に向かわせようとするナナカは間違っているのかもしれない。それでも……
「戦うすべを持たない者たちを戦場に出すのは納得できない……」
「それがナナカ様の考えなのですね。わたしの求める主としては非常に好感を持てます。ですが……それがどうした!」
それまで静かな語り口調だったクライフが突然吠えた。
まさに草食動物の皮を脱ぎ捨てた獣のように。
しかもナナカのお株を奪うような”例の言葉”で。
「ナナカ様はこの町でとても慕われています! それはナナカ様が町を守り、人々を守った証だと聞いております! ですが今回もナナカ様が先頭に立ち、犠牲者を傭兵だけに強いますか! ええ、そのやり方でも町からは文句は出ないでしょう! 傭兵たちも金で雇われる身、同じく文句は言わないでしょう! ですが今回は破綻します! そんなやり方が通じるのは綺麗ごと並べた物語の中だけです。現実ではもろく崩れるんですよ!」
「そんなことは分かって……」
「いえ、わかっておりません! そんな事をしてもナナカ様はきっと後悔します! 傭兵たちの屍の上で泣き崩れることになるのです! 最後に残されたナナカ様だけが苦しむような選択をしてはいけません! それにナナカ様が傀儡となれば苦しむ民はきっと多く出ることを忘れないでください! 彼らにも”自分達の責任”を負わせてあげてください!」
「責任……」
クライフが熱せられた鉄のような勢いの言葉が突き刺さる。
ナナカは完全にそれに圧倒された。
大人しい性格の少年だと思っていたのにどうやら違ったようである。彼の心の中には熱いものが流れていることが今ようやくわかった。そして同時に市民に被害者を出さない事ばかりを考えるあまりに、これまで一人で背負い過ぎていたことを理解させられる。今までやってきたことは領主としてではなく、ただナナカ個人として納得するために行動していただけだったのかもしれないと。
「あははははっ! 小僧、てめぇもなかなかいうじゃねぇか。ちょっと見直したぜ。お嬢も完全にやられたな。まあ、1人で飛び出し気味のお嬢には、これで少し頭を引っ込めてくれるとカジルも楽出来るだろ?」
「ちょっと驚きましたが、確かに姫様が何もかもを背負おうとする行動には私も困っておりました。少し荷を私たちや民にも分けてくれて構わないんですよ」
「そうでございますね。姫様は頑張り過ぎでございます」
シェガードのクライフへの肯定にカジルが賛同し、珍しくメイド長まで同意した。これではナナカ1人で全員を相手している格好である。こうなれば白旗を上げるしかない。
「ああああ、もうわかった! わかったからそんなに責めないでくれ。これからは皆にも責任を負ってもらう。私だけで荷を抱え込もうとしないから勘弁してほしい。それでも……相手の力に屈して、私が犠牲になることで皆が救われるとしたら、その選択を許してくれるだろうか?」
「そんなことがないように、わたしが知恵を絞りましょう」
クライフが自信ありげにナナカの言葉に返答した。
自分には秘策があるとでも言わんばかりに。
いや、そうであってほしいというナナカの気持ちがそう思わせただけかもしれないが、今はそうであってほしい。
それよりも先ほどから気になっていることが一つある。
もちろんクライフが発したあの言葉についてだ。
「しかし誰からさっきの言葉を聞き出したのだ?」
「さっきのと申されますと?」
「”それが……”のアレだがな」
「ああ、アレですか。もちろんメシェからですよ」
よりにもよってこの場に唯一いないメシェだとは。一体どこで仕入れた情報なのだろうか。
……ナナカの口撃手段まで調査済とはメシェめ、恐ろしいストーカーだ!
「そうか……できれば是非とも忘れてもらいものだ」
「無理です。気に入りましたから」
「ぶっはっ! 小僧、おめぇおもしれえ奴だったんだな!」
どうやらクライフとシェガードは仲良くなれそうである。もちろんナナカとしては納得できない部分はあるが、陣営の結束が固まったことだけは吉としておく。ただしメシェに関しては今度と顔を合わすことがあれば、この仕返しは必ずするべきであろう。どこかで歯止めをかけておかないと今後更に問題が発生する。そんな気がするのだ。
そんなナナカの笑えない心境に反して、ツボに嵌ったシェガードの笑いが収まるまで会議は一時中断となったのであった。