7 ドミノ倒しは突然に
久々の自由な時間を過ごして戻ってきたナナカを待っていたのは皆の笑顔でも歓迎でもなかった。
ここ数日の流れからも予想はしていたが、ナナカの部屋で待っていたのはメイド達とカジルの慌てた顔だった。
「ナナカ様……大変にございます!」
……やっぱりか。
部屋に入るか入らないかの場所で報告を始めたカジルの姿がそこにはあった。
そりゃそう来るだろうとは思っていた。
悪い知らせは悪いタイミングで来るから悪い知らせなのだ。実際、良いタイミングで悪い知らせが来たところで問題にはならない。体勢が崩れているところに来るから、うまく受け身が取れずダメージにつながるのである。つまりは今のナナカ陣営はあまり良い体勢とは言えない。こういうときは受け身が難しいものだ。どうやら負の連鎖は鉄の鎖となって、ナナカの足をガッチリと固定してしまったようだ。犯罪者でもないのに嫌な状況である。もっともその錯覚が見えているのはナナカだけかもしれないが。
「どうしたというのだ?」
「それがその……」
「重い口は相手の心にも重りを落とすぞ」
「申し訳ございません。ですがこれをなんと申してよいのか」
伝え方すら分からないとは妙な問題のようである。カジルがそこまで困る姿を見たことがない。
一体何が起っているというのだろうか。
その疑問に応えたのは別の方向からの声だった。
「ソルガドから宣戦布告でもされたのでしょう。しかもナナカ様を背後で操る大人達……差し詰めシェガードさんやカジルさん、居るかどうかも分からないナナカ派閥の貴族を排除することを名目とした、救出作戦とでも書いてある書状が届いた、違いますか?」
背後からの声に振り返ってみると、そのめちゃくちゃな話を口にしていたのはクライフだった。
メシェも突然現れることが多い気がするが、学友だったクライフも負けじと神出鬼没である。
カジルが不思議な顔を浮かべてクライフに問いかけた。
「なぜ分かったのですか……?」
「それはね、人は追い詰められ時には普通は考えもしないことを思いつく生き物だからですよ」
「その普通は考えもしないことを読んだクライフを同じ生き物ではないか」
カジルの質問に対するクライフのもっともらしい言葉に、ナナカはクライフも同じことを思いつく同じ人間であることを指摘しておく。その言葉を聞いたクライフはニヤリと満足そうな表情を浮かべている。少々その笑みにヒヤリとするものを感じた。同じ笑みでもシェガードやメシェと違う、別の生き物のような笑みに見えたからだ。
しかし今はそんなことを気にしている場合ではない。事態はとんでもない方向に進んでいることは間違いない。ただの宣戦布告でも大問題だがナナカの救出作戦とは意味不明だ。どこぞの貴族の傀儡になった覚えもなければ、ただの執事であるカジルがナナカを支配するような事実などないし、シェガードなんて放置主義の保護者のような存在である。誰もナナカの背後に立つ人間なんていない。居ないからこそいつも先頭に立つことになっているのだ。
「それでそんな寝ぼけた書状が本当に届いているのか?」
「あ、は、はい。こちらに」
ナナカの言葉を受けたカジルが慌てた様子で、その無茶苦茶なことが書いてあるという書状を差し出してくる。ナナカはそれを左手で受け取ると馬鹿らしい書状に目を通す。
内容は長々とナナカがどう操られているか書いてあり、今回の領地移譲もナナカの意思に関係なく、裏に立つ大人たちの策謀によるものであると。ソルガド元領主であるファンは、そんなナナカを救助すべく、そんな大人たちの排除を口外しているようだ。あくまでも救助目的でナナカの支援についても大貴族である自分が後ろに立つべきである事の正しさを書き綴ってある。簡単な話、自分が傀儡の主になりたいだけの事である。
まあ領地移譲については確かに大人たち……主に前王の暴走が原因である。ソルガドの領主ファンは前王の単なる暴走だと認識していないのが怖いところではあるが、大人たちの策謀というのは間違っていないかもしれない。なかなかに鋭い(?)。問題はそのズレた矛先が本当は居ない背後に立つ貴族やカジル、シェガードに向いていることだ。
「よ、よかったなシェガード。お前は裏で暗躍する政治屋らしいぞ……ぷふっ!」
ナナカは単なる自由奔放なだけのシェガードが裏で暗躍する姿を思い浮かべてしまい、思わず失笑が漏れた。それとももしかすると闇夜で生きる暗殺者とでも思われているのだろうか。笑いしか出ない。
シェガードが「政治屋なんぞ勘弁してくれ」と首を振る姿が新鮮だ。
「で、カジルも私を操る、差し詰め悪の手先か……あはははっ!」
あまりに突飛すぎる書状の内容と現実の差に笑いが止まらない。
カジルも冗談じゃないとばかりに右手で頭を抱え込んでいる。
全く笑わせてくれる書状だ。
「ナナカ様、お笑いになるのも無理はありませんが一度暴走した馬は簡単には御せませんよ」
もはや冗談で終わらせようと思い始めていたナナカに向かって、一時停止のボタンを押したのはクライフだった。
「でもこんなでっち上げで内乱なんて起こしたら、罰せられるのは間違いなくファンの方じゃないか」
「これがでっち上げでも救出という言葉を使って、現在の派閥を非難する声明を出す。こういう形になってしまうと周りの人間にしてみれば単なる派閥争いです。しかもファン自身が財産を守るために必死な様子を見れば、行動に移す可能性は十分に……いえ、確実に挙兵してベルジュの町に圧力をかける事でしょう。実際に彼にはそれを可能にするだけの力が現在ならば残されています。それに王も派閥争いとなれば首を突っ込むことはしますまい。逆に派閥争いを御せよ、と言ってくる可能性の方が高いと思われます。それこそ王座争いの”力を示せ”という言葉とおりに」
無茶苦茶なストーリー構成の物語である。ナナカが全く身に覚えのない傀儡となっているだけでなく、それを御することを強要されるとは、お陰で馬鹿笑いが失笑に変わるまでに、さほどの時間は必要としなかった。それくらいにぶっ飛んだお話だ。こんなことまで王座争いの一部にされるとは本当に馬鹿らしい。ファンの奴めがそこまでを考えて実行に移しているのかどうかは分からないが、クライフの見立てによると避けられない争いが勃発しそうである。しかし実行に移されるとなれば……
「ベルジュの町を取り囲んで圧力を掛けてくると言うが、どれくらいの数の兵を出してくると思う」
「これまでの行動から考えてみると2000は出してくるのではないでしょうか。ソルガド元領主は甘い蜜の味を忘れられないのでしょう。それを奪われまいと後先を考えずに出兵してくるに違いありません。1万の民しかいないベルジュの町では抵抗すら難しいかと思われます」
「2000か。それが本当だとすると洒落にもならないな。なんとか穏便に終わらせる方法はないのだろうか」
ナナカとしてはそれが形としては戦争ではないとしても争いは避けたいところである。それだけ多くの人が動くとなればきっと怪我だけでは済まない。少なくない人が死への道を辿ることになるのは簡単に計算できる。しかもそれが馬鹿な派閥争いの結果だとすれば死にゆく人間になんと説明すればいいのだろうか。
「穏便に済ませたいのであれば、ソルガド元領主の求める傀儡の主となるしかありません。その場合はカジル様やシェガード様はもちろんの事、ナナカ様を裏で操っているという、居もしない貴族の代役を立てて十字架に張り付けることになりますが、それでもよろしいという事であれば、その選択も悪くはないと思われます」
クライフは淡々と語った。まるで人の死などでは自分の感情は動かないと言わんばかりに。それが本当の姿なのか、それとも演技なのかは分からないが語っている未来にズレが無さそうであることは分かった。つまりは穏便に済ませようとするという事は今の人間関係も強制的に終焉を迎えるという事だ。そしてその結果、ナナカは本当の傀儡となるのだろう。
「だったらベルジュの町にいる人たちの半分くらい対抗して立たせることが出来れば兵を引くのではないか」
「半分となれば女子供や老人も立たせることになりますが、相手がそれを見てどう思うかですね。わたしには脅威になるように見えませんが、ナナカ様にはそれを強敵に見せる魔法でもお持ちですか?」
そんなものはない。
それどころか魔法に関しては他人の魔力なしでは発動しないのがナナカの現状だ。もちろん魔法を使えたとしても、5000人近くの人間を化けさせる魔法など聞いたことも想像することさえも難しい。当然、クライフもそれを分った上で聞いているのだから太刀が悪い。
「なら、同じ数の2000人だけでも……」
「無駄です。戦闘の装備を整えた兵士2000人と、クワや鎌を持つ2000人では同等と見られません。それともどこかに立派な装備をお隠しになっていますか?」
クライフがこれでもかと現実を叩きつけてくる。
形の上だけの領主では元領主にも到底及ばない現実を。
「ならばどうするというのだ?」
「戦うしかありません」
「だが戦いになれば数的にも不利な上に人が死ぬのではないか!」
「そのためにわたしがおります。それに人はいつか死ぬものですよ」
「馬鹿を言うな! 生を全うできずに死ねと命令するのか!?」
「それが現実です。戦わなくても誰かが犠牲になりますし、ナナカ様の心も殺されることになりますよ」
「誰かが死ねば悲しむ人間が生まれる! それは私の心も傷つけるとしてもクライフは戦いを良しとするのか!?」
ナナカは消光の森での火災により人が死ぬのを既に経験している。
あの時はそれしかないから命令を下し、何人もの人間が犠牲になった。
しかし今回はナナカ自身の問題で争いが起きようとしている。前回とは全く理由が違う。
「ではナナカ様はソルガド領主の傀儡になっても構わないというのですか。わたしはそんなつまらない選択をする人間に付いたつもりはないのですがね。そもそも奴隷推進派のファンが傀儡の主になれば、ナナカ様の可愛がっている元奴隷たちは元の奴隷に戻されることは間違いありません。更に兄上から譲り受けた元近衛兵の彼女たちも同じ道を辿るでしょう。それでもナナカ様は傀儡になる道を選びますか? それは今までの事が全て無駄だったと自分でいうのと同じ選択ですよ?」
「くっ……!」
クライフの言葉に返却する言葉が見つからず、口惜しさ交じりの言葉がナナカから洩れた。
確かに争いは嫌だが、全く関係のない彼らや彼女らが傷つく姿を見るのも嫌だった。しかもその状況を生み出したのもナナカ自身なのに無責任にそれをなかったことにするのはありえない。いや、あってはいけない。つまりナナカだけが犠牲になれば争いが生まれないのではない。既にナナカは彼らの人生も背負ってしまっていたのだ。しかもベルジュの町の人間もナナカに対して柔らかである。みんなナナカに向けて笑顔を向けてくれるのだ。そんな人たちを裏切っていいものだろうか。カジルやシェガードも同じである。ナナカと一緒になって犠牲を被ってくれとはとても言えない。もはや争いという現実がナナカの体に覆いかぶさってくるのは避けられそうにない。
「私は犠牲を階段にして上に上がっていく運命の人間だという事か……」
……やりたくもない王座の争いに巻き込まれ、自分の意思を貫こうとすれば犠牲が生まれる。王族とはまるで呪いの血族ではないか。
「ナナカ様。ナナカ様が歩む事を辞めぬというのであれば、ここにいる人間は誰も反対もしないし、力を貸すことに疑問も持たないでしょう。そしてもちろん私もそこに含まれます。犠牲者を全く出さないというのは無理であるとしてもそれをより少なくする努力をいたしましょう」
クライフのそれは犠牲が出ると確定した言葉だった。
しかしその言葉に周りの誰も反論しない。
先ほどまで慌てた素振りばかりだったカジルは真面目な表情に戻っており、ナナカをただ見つめていた。
いつも笑みを崩さないシェガードがいつも通りの笑みをナナカに向けている。
メイド達もナナカの次の声を逃すまいとするかのように待ち構えている。
ナナカ以外の人間は既に覚悟が出来ているのだった。
恐らくナナカがどんな決断をしようとも笑って受け止めてくれる。そう思えた。
……ならば自分を曲げるわけにはいかない。
だからナナカは言葉を行動させる。せめて人々が納得できる決断をしようと。
「帰ろう! 私たちベルジュの町へ!」