5 頭上の空
あれから3日がたとうとしていた。
やるべきことも終わり、本来であれば帰路についても可笑しくないだけの時間は経過していた。
しかし色々と問題を抱えていており、あまりに周りの動きが目まぐるしく、それが逆に安易に動き出せない状況を生み出していた。ナナカとしても早く自分たちの居るべき場所に帰りたいのは山々であったが、情報が一番集まってくる王都から出るのは早いとクライフとカジルの助言により待機状態となっていた。今の状況はそれだけ微妙な足場だと判断されたわけである。方向性すらも見失いそうなほどに。
だが人は大変な時ほど、じっとして至られない生物でもある。これはもちろんナナカも該当した。
「よーうやく、ようやくだ! ようやく暇が出来た! 城下へ出かけるぞ!」
だから待ちかねたようにそう、ナナカが言葉を発したのも当然の結果ではないだろうか。
「ですが危険ではありませんか?」
何時ものごとく隣に立つカジルが至極当たり前の言葉を発したのも当然の結果だろう。
「シェガードが居れば滅多なことがない限りは大丈夫であろう。そもそも王都にいる間に害があったとなれば宰相も責任追及されるだろうから返って安全という考え方まである」
そうやって言い訳はしてみるが、そもそもカジルは今までナナカのすることに反対をしたことはない。少々苦々しい表情を浮かべるも今回もその言葉に従い、カジルは出かける準備を始めてくれたのだった。
―――――――
城下町は馬車で通って城に入ったはずではあったが、自分の足で歩いてみると感覚は全然違った。
特に大通りから外れると生活の匂いが鼻につく。ベルジュの町も生活の匂いがしないわけではなかったが、なんというか城下町は人の匂いが密集していた。汗の匂いだったり排便のような匂いも濃い。つまりあまりいい匂いではない。
ただそれでも護衛役のシェガードは表情すら変えずに笑みを浮かべている。まるでその生活臭を楽しむが如く。
「城下町というから奇麗なイメージしか持っていなかったが一歩裏に入ればこんなものか」
「まあ、普通王族は裏通りには入らねえからな。気づかないもんさ。一部、お嬢みたいに妙な部分に足を突っ込みたがる人間もいるわけだがな。それに俺は人間臭さが滲み出ている、この雰囲気が嫌いじゃねぇぜ」
表情から既に分かり切っている評価を口にする辺りがシェガードらしい。
ちなみにカジルは来ていない。連絡を受ける人間として城にて待機してもらっている。
ただ代わりにオマケが一人後ろについてきているわけではあるが。
「こんな街並みの中を歩く、ナナカ様のお姿を目に出来るなんて僕は幸せです~」
夢の世界のアイドルの追っかけをしている、オタクのような発言をしたのはメシェである。出かける話をどこから聞きつけたのか、城から出た門のところで待ち構えていた。街並みの匂いとは違い、こちらはストーカーチックな匂いを漂わせている。変なところで情報網を駆使しないでほしいものだ。
「お前は何のためについてくるんだ」
「ただ付いていきたいからです~」
堂々とストーカー発言をしたメシェに溜息しか出ない。現実世界ではストーカー行為規制法などないからやっかいである。シェガードが追い返してくれれば問題は解決しそうではあるが……あい変わらず笑みを浮かべている様子からして期待するだけ無駄であろう。
「なぜ私の周りは変な人間ばかり集まるんだろうな」
「そりゃ、お嬢が変わっているからだろう?」
そう言われてしまっては返す言葉もない。ナナカは夢の世界の常識が身についてしまっていることは自覚している。逆に現実世界の常識は記憶と共に抜け落ちているのだ。ほとんど夢の世界の常識しか持たないナナカは間違いなく変わった人間であり、異物であろう。反論する余地があるはずもない。
「ペットだとでも思って諦めるか……」
「はい。ペットで十分ですよ~」
あっさりとナナカの言葉を受け入れたメシェにナナカは完全に諦めた。
それよりも今回の外出には明確な目的があるのだ。もちろん少しばかり興味がなかったとは言えない。サプライズプレゼントがなければ最優先にしたいくらいだったのである。実際、領土などというものを渡されたことで現実世界の情報収集は更に重要になっている。知らないままでは何に足元を掬われるかわからない。メシェにその役割を期待しているとはいえ、自らの体験と他人から聞くのでは大きな違いがある。だから城下町を見回るというのはその意味でも重要だった。
「で、お嬢は何が見たかったんだ?」
「見たいものはいくらでもあるが……最優先は市場だ」
「いいねぇ。俺も好きだぜ。活気のある場所は」
「場所は分かるのか?」
「傭兵なんて流れ者だぜ。大体どこの町も自分の庭のように案内できるさ」
「人だかりの中に突入することになるから護衛は大変になるだろうが大丈夫か?」
ナナカの心配を笑い飛ばすようにシェガードは口を開いた。
「誰に物を言ってんだ?」
どうやらブロンズ級傭兵は伊達ではないようである。もちろんもう一人の方は、はぐれてしまっても問題ないから確認の必要はないだろう。
シェガードに連れられて歩くと主道とは違った意味で活気のある場所に出た。
連なるような簡素な手作りの屋根が視界遠くまで続いている。夢の世界の祭りでも見かけた覚えのないレベルの屋台の数である。そこに群がるような人、人、人。王都の半分以上の人間が今ここに集まっているようにさえ感じる光景だ。ナナカも思わず当初の目的を忘れてはしゃぎ回りたい気分に浸りそうになる。
……すごい! この世界の中心に来たみたいな感覚だ!
実際に王都なのだから、この国で一番の人だかりであろう。時間も太陽が一番高いところを通過した辺りで人の熱気と共に気温も上がっている。その勢いに汗が背筋を流れ落ちる。メシェがはぐれる心配などしている場合ではない。このままだとナナカ自身がはぐれてしまいそうである。
不安が顔に浮かんだのを見て取ったのだろうか。シェガードがナナカの両脇に手を入れると、ヒョイと空へ持ち上げた。視界が人だかりの山の渦から人々の頭の絨毯が見える位置にリフトアップされる。そしてそのまま大男の肩に乗せられた。そう、これは肩車の構えである。
……シェガードはデカいデカいと思っていたが、いざこうやってもらうと本当にデカいんだな。
なんだか本当に7歳の子供になった気分である。いや、実際に7歳ではあるのだが夢の中での大人であった時の記憶があるからか、少々気恥ずかしさが先行する。が、そこはグッと抑え込んで合理的な現在の肩車の形を受け入れる。心の中で自分は7歳の子供であると言い聞かせて。
いったん受け入れてしまえば肩車はとても良い選択だったと認識した。実際に周りでも小さな子供たちが父親らしき人間に同じようにしてもらっている光景も見て取れる。シェガードは父親ではないが、保護者というものは考えることが同じなのかもしれない。シェードも小さなころに父親であるシェガードに同じようにしてもらったのだろうか。今は別行動をしている女傭兵の過去が少しだけ見えた気がした。
「お嬢、行きたいところがあれば指させよ。連れてってやる」
「それは助かる。しかし本当にシェガードは大きいな。何を食ったらこんな大きくなれるんだ?」
「肉だ。肉を食えば大きくなる。今度、イノシシでも取ってきてやるから、お嬢も食って胸を大きくしろ」
「む、むね!?」
普通にセクハラ発言をする男である。現実世界にセクハラをいうものがあるとは思えないが、レディに対して気遣いのない言葉であることは分かる。そもそも夢の世界で男だった自分に将来、2つの胸が発育している光景が思い浮かばない。なんだか妙に滑稽な未来にしか思えない。
しかしシェガードはこちらのそんな動揺を別の意味での動揺と捉えたらしく。ニヤリと大きく笑みをこぼした。シェガードなりの冗談だったらしいが、ナナカとしては複雑な心境である。
「ナナカ様は今でも十分に魅力的ですよ。ぼくが保証します」
その声の主が後ろから援護(?)してくれた。あまり意味のない援護である。というか、まだついてきていたのか、この人だかりの中でご苦労な事だ。さっさとはぐれてくれた方が楽なのだが、ストーカーというものは簡単には離れてくれないもののようである。ストーカー被害の届けを出す人の気分が今ならわかる。
「ただでさえ暑いのにまだまだ暑くなりそうだな」
思わず出た、ナナカの呟きは騒音の中にかき消されるのだった。