2 逆風
ナナカは脱走の報を聞き、慌ててシェガードを呼び出した。
バモルドの監禁についてはシェガード親子に一任していたからである。出きればシェードも呼び出したかったが、現在は元ラルカット女近衛兵たちと行動を共にしている。ここに呼ぶことは不可能だった。
「しかし脱走とはな……」
「タイミング的には誕生会により警備が手薄になる最悪で最高のタイミングだったと言えるでしょう」
「バモルドの脱走により受ける被害を見積もるとすればどのくらいになると思う?」
それが一番の心配である。脱走したバモルドが己の身を削ってでも悪評を吹聴しまくれば、ナナカにまで罪に問われかねない。それぐらいにバモルドの元勇者という立場と消光の森火災の犯人という立場は危険な組み合わせである。もちろん普通に考えてバモルド自身に利があるとは思えない。火災事件とナナカを繋げることなど馬鹿らしいにもほどがあるからだ。しかし時期が悪すぎるのだ。バモルドと契約解除した時期と、乗り気でもないのに巻き込まれている王族争いが。宰相あたりがこの情報を手に入れればどんな悪用をするか考えただけで、現実世界ではないはずのアレが縮み上がる思いがする。
「だがお嬢。バモルドの奴にそんな度量があるとは思えねえぞ?」
「確かにバモルドが自分の身を危険にさらしてまで姫様を陥れるとは考えにくいですね。別ルートで情報を手に入れたりするものが現れたりしない限り、こちらに危険はないのではないでしょうか」
言われてみると確かにシェガードとカジルの言葉は的を得ている。バモルドと話した時間が短いナナカも身を焦がしてまで復讐をする人間には思えない。アレは自分の身がかわいいと思っている人間そのものである。自身の身を守ることと欲望に身を任せて生きる人間の行動しかとるとは思えない。復讐などはそれに比べればゴミ同然なのではないだろうか。そもそも復讐されるようなことを、こちらとしてはしていないのだから気にしすぎなのかもしれない。
「私の考えすぎなのか?」
「警戒するに越したことはねえが、意識を向けすぎるのは良くねえと思うぜ。お嬢にはやることが山ほどあるんだろ?」
「その通りです。姫様。与えられた領地は広大です。ベルジュの町だけを管理するだけの立場とは大きな違いです。些細なことに気を取られている場合ではないかと思われます」
「気にしすぎなのか。確かにそうかもしれないな」
だが勇者という存在がどうしても特別に思えてしまうのは夢の経験の影響なのだろうか。それが現在は実質、元勇者というなり下がったとはいえ、バモルドの存在価値を高く設定してしまう理由なのかもしれない。
「そういえば、マコトの奴はどうしているのだ? あまり話を聞かないが」
「勇者マコト様は地下都市に潜っているそうです」
「地下都市とは昔、人々が避難していたという場所か。そんなところに何の用があるというだ」
ナナカにとっては話しか聞いたことのない場所である。
大勢の人々が逃げ込んだというだけあって大きな地下都市だったことは耳にしても、想像が出来ない。
しかし今更そんな場所に向かったマコトの行動が読めない。勇者にとって魅力的なものでもあるのだろうか。
そのナナカの疑問に返答してきたのは業種の近い人間であるシェガードであった。
「あそこにはな、レリックと言われる旧時代の遺物が数々残されているからな。深いところでは魔物が巣くっている場所もあるとはいえ、冒険者を引き寄せるだけの魅力はあるのさ。それに浅い場所では今でも住民はいるんだぜ。特に大手を振って表を歩けない奴らにとっては良い隠れ家だ。まあ、なんにしてもお嬢には関わり合いない場所だろうな」
「そんな場所に行って大丈夫なのか。マコトの奴は」
普段は性別がどちらかわからない格好をしているマコトとはいえ、彼女は女性である。魔物に対しての強さは十分に理解しているが、人間はそれ以上に醜悪で狡猾な生き物であることはナナカは理解している。シェガードからまるで犯罪者の巣窟のような場所だと説明を受ければ心配になるのは当然と言える。
「じゃあそこに俺が行ったと聞いても、お嬢は心配してくれるか?」
「シェガードならその程度で心配は必要ないであろうに」
「ならマコトも心配ないだろうぜ。色々と秘密が多そうな女ではあるが、お嬢だって同じ戦場に立ったんだ。それくらい肌で感じただろう?」
同じ戦場に立ったとはいえ、ナナカには凄いという感想しか持っていない。シェガードのような単純な凄さではなく、神秘的な力を持っているように見えたマコトは理解の範疇を超えている。しかしシェガードがマコトの強さを自分に匹敵すると評価しているという限りは問題がないことだけはハッキリしているのだろう。
「ならば帰ってきてからの土産話を期待しておいた方が良いのかもしれなんな」
「そうですね。姫様。彼女なら大丈夫です。今はこちらの方が大変な状況なのですから、心配するのはマコト様の仕事ではないでしょうか」
言われてみれば確かにその通りだ。
今は他人の心配をしている場合ではない。まずは先ほど決めた通り、姉レイアに連絡を取り変える準備を急ぐべき時である。
しかしただ仲間の心配をしていただけのナナカに、まだ王都という難敵は手放してはくれなかった。
廊下で待機していたメイドの1人が扉を開けて、1人の客の来訪を告げたことで事態は変化したからである。
「姫様、どうやらメシェ様がいらっしゃったようです。何やらお急ぎの様ですが如何いたしましょうか」
昨日雇ったばかりの少年であるメシェの急な来訪は不吉しかなかった。だからと逃げることは許される立場ではない。そもそもそれを期待して雇った限りは聞く義務がナナカにはある。
「入れて構わん」
複雑な思いとは別に返答は短くする。望みは薄いとはいえ、良い知らせであることを祈りながら。
そして……入ってきたメシェは昨日と変わらず飄々として緊急を感じさせない。それが逆に恐ろしさを心の端に生まれさせる原因ともなった。
「何があったというのだ、メシェよ。緊急というからにはそれなりの知らせなのだろう?」
「事態の急変が起こりそうなんですよ。正直、ちょっとやばいかもしれませんね~」
「随分と勿体つける。ただでさえ色々問題が発生している。今は時間が金ほどに貴重なのだ。さっさと口を割ってもらえないか?」
先ほどまでバモルド如きに悩まされて時間を無駄にしていた自分自身を棚に上げ、メシェを急かす。
「ではお話しすると致しますね。2,3日中に第一王子ストレイさまが王座争いに動き出すことになると思いますですよ~」
第一王子ストレイ、病弱を理由に王座争いから離脱したはずの存在。誰もが戦線から除外していた人物である。だからこそメシェの口から生まれた想定は今後の王族争いに大きく変化をもたらす。まるで夏に向かい始めた生暖かいこの部屋の空気に、冬の冷気を流し込んだかのように。
時代は英雄を求めず、混乱を求めているだろう。ナナカは更にそこに巻き込まれていくことを予感した。