9 ギミック2
「ただ、面白いと」
クライフの返答は実にあっさりとしたものだった。
しかしそこにはすべてを詰め込んだような強く重い感情を詰め込んでいたように感じられた。
まるでこれからの自分の人生全てを言葉に乗せたような。
それでも……
「たったそれだけか?」
「それ以上に何か必要なのですか?」
「大道芸人でもないのだから、面白いとの評価で一喜一憂するわけにもいかんだろうに」
それでは壁のオブジェになっている男と初めて会った時と同じではないか。別に芸人事務所を作っているわけでもないのに「楽しそうだ」「面白そうだ」などという評価ばかりが並んでいくのは、クライフの発言に反比例するようなものだが、こちらとしては少々面白くない。
「それにそちらは勝手に私の観察日記は完成したつもりになっているようだが、それを使って何をしようというのだ? まさか修学院新聞にでも掲載したいとでも言いだすんじゃないだろうな?」
「修学院新聞……? 聞いたことがない言葉ですが確かに面白そうな発想ではありますね。ですがわたくしの目的とは相違があります」
「目的か。それが変な欲望や野望に変わったりしないだろうな? 例えば情報を金に換えるなんてな」
その言葉を聞いて動きがあったのはクライフではなく、オブジェに徹していたはずのシェガード。その顔には笑みが浮かんでいた。
何かナナカがおかしいことでも言っただろうか。
ナナカの気も知らないで……いや、この場合はナナカの内心を見透かしたうえで、この男シェガードは実に楽しそうにしているのだ。きっと、その頭の中では碌でもない事を考えているに違いない。
……ますます面白くない。
「お嬢、このパターンにそろそろ慣れたほうがいいぜ?」
「なんだ、そのパターンとやらは。変な方程式を作るんじゃないっ」
「数字の苦手な俺でも、このパターン方程式は直ぐに解ける。そういう分野のものだぜ?」
壁男の言葉に他の2人も納得の表情を見せた。
こうなってくるとナナカとしても、ある予感が沸き上がってくる。
一般的にデジャブというのだっただろうか。夢の世界の言葉だがこちらで通用するかどうかは疑問ではあるが、この光景は先ほどと同じく確かに経験のある--
「まさか……」
「はい。わたくしもこちらで雇って戴きたいと思います」
「えーーーーいぃ! なぜそうなるっ!?」
「メシェは良くて、わたくしはダメなのですか?」
クライフの言葉は静かながらも、メシェは良くて自分はダメだという事に納得出来ていないように怒気が含まれているように感じられた。まるで駄々っ子だ。メシェよりは大人びて感じられていたものの、やはり学生の身で子供の領域を出ていないらしい。2人は一見似ていないように見えるが、真の部分は類似点があるのかもしれない。
……まあ、今はそんなことよりも
「こちらとしても人材が不足しているのは確かだが、誰でもホイホイと土足で家に入れるほど馬鹿ではない! メシェは能力を示したから雇うことを決めたのだ! 雇ってもらうことを前提にしているかのような話はさすがに飲めん!」
「では能力を示せば雇ってもらえるという事でよろしいのですね?」
「ふんっ、いうではないか。だが口先だけで能力なきものを雇う余裕などないぞ?」
「はい。言質取りました。メシェ。貴方も聞きましたよね?」
「あ~あ~、こうなるのが見えていたから連れてきたくなかったんですよ~」
……あれ? なんかおかしい。
別に試すとかしないの話について問題はないのだが、知らぬ間に相手のペースに乗せられている気がする。手玉に取られている感じが気に入らない。まだ大人になり切れていないはずの2人に夢の記憶を持つはずのナナカが押されているのは、所詮は夢の経験だからか、それとも才能の差なのか。どちらにしてもなんとなく結末が見え始めた自身の予知の能力の高さだけが小さなプライドを守ってくれている気がした。
もっとも視界の端に映る、先ほどのよりも楽しそうにしているシェガードの表情が、ナナカのギリギリのところで生まれたプライドを紙やすりで磨くように削っていったことは言うまでもない。見張りのためにいるわけではないとは思っていたが、楽しむためにいるだけらしい。ある意味でこの男らしいともいえるが、そんならしさを今は必要としていない。
……くそっ、裏切者め。いつか仕返ししてやる。
「で、どうやって能力をカウンターに並べるつもりだ?」
「そうですね……ではカードゲームなんていかがでしょうか? もちろんどんなゲームでも構いません。先に10勝すれば、わたくしの勝ち。雇っていただくという事でいかがでしょう?」
一見馬鹿にしたような採用試験だが、ゲームと言えども選択肢をこちらに与えたうえで勝ち越すのは簡単ではない。幸い現実世界にもトランプは存在しており、遊び方も夢の世界とほぼ変わらない。ナナカとて簡単に負ける気はしない。それにゲームとはいえ、相手との駆け引きが大事なトランプで、ある意味で人生経験豊富なナナカが負ける要素は少ないはずである。気になることと言えば何故10勝もの長期戦を選んだかだが、その理由は終わった後に理解させられた。
30分後ーー
「これで10勝。わたくしの勝ちという事でよろしいですね?」
「あ、ああ、約束だ。お主も採用することにしよう……」
言葉の通りだ。ナナカは10敗した。圧倒的だった。まさに完敗。例えカードゲームだったとしても、その能力を認めしかない。神経衰弱、大貧民、ポーカー、それどころかババ抜きまでやったが全くダメだった。途中からメシェやシェガードまで混ざったにも関わらずである。つまりクライフは文字通り先に10勝どころか10連勝したわけだ。認めないわけにはいかないだろう。もしかすると何か仕込んでいた可能性もあるが、それならそれで見破れなかった時点でこちらの負けである。今、大事なのは結果だけなのだから。
「しかし修学院はどうするのだ。退学目前のメシェと違って、私に雇われるという事は自主退学することになるのだろう? 親にはどう説明するつもりだ?」
そう、成績不良の問題児メシェと違って、問題がなさそうなクライフが就職先を探す必要性を感じられない。本人の意思がどうであろうとも親を説得するのは並大抵のことではないだろう。ナナカ陣営としては優秀な人材が手元に来ることはありがたいのだが、学べる場を捨ててまでやることとは到底思えない。下手をすれば貴族の間で学習院を卒業もしていない人間を引き抜く青田刈りのレッテルを張られることだろう。それでは修学院や貴族とも関係が悪化して、今後の人材確保に影響しかねない。現在のナナカ陣営が、そんなことを言っている場合ではない状況だとしても、時限爆弾を作るべきではない。
「やはりメシェからは何も聞いていませんでしたか」
クライフの存在自体が今日知ったくらいである。当然ながら何も聞いているわけがない。何やらメシェは相談はしておき、私に会う機会を餌に知恵を落としてもらっておいて逃走するつもりだったようだ。情報収集能力は高いくせに計画がずさんすぎる。雇ったのは失敗だったかとナナカの頭に不安が過るのは仕方がないだろう。
「何も聞いていないな。なぜ秘密にしていたか聞きたいところだな」
問いかけるようにジロリと視線をメシェに移した。
「あれ? ぼく言ってなかったでしたっけ??」
そう惚けるメシェの顔には薄い笑顔が浮かんでいたのだった。