5 それは扉の向こうからやって来る
変化は突然やってきた。
まるで先ほどのメシェの言葉を待っていましたとばかりに。
「ナナカ様っ! 大変で御座います!」
そうやって、ノックもなしに掛け声と共に入室してきたのは、メイドの中でも一番若いミーヤである。
おっちょこちょいな所がある彼女だが、この慌てようはナナカも見た事があまりない。
「そんなに慌ててどうしたと言うのですかっ!?」
メイド長が感情を込めた声で応答した。
これもなかなか珍しい姿だろう。
部外者と呼べる者がメシェくらいしかいない状況とはいえ、ここは王都だからである。ベルジュの館にいる時とは違って作法には十分に気を使うはずの長が、ミーヤの雰囲気に只事ではないと判断した結果なのかもしれない。
「えっ、あ、はいっ。ひ……人が……たくさん来ていますっ!」
「人? たくさん? 貴方は何を言っているのですか?」
説明になっているようでなっていないミーヤの言葉はメイド長を益々混乱させているようだ。
しかしナナカには、その人がたくさんと言う言葉が意味ありげな、メシェの言葉と絡み合った気がした。
「メシェ。もしかして、お前が火をつけたという言葉と関係があるのか?」
「ですね」
ナナカの質問に、メシェが否定も確認もしないであっさりと認めた。となればやってきた人間達がどんな人間かは推測が出来る。きっと火をつけられて加熱した”人材という資源”。恐らくメシェがアクションを誘発させたに違いない。どんな火種を使ったのかは分からないが仕込みとやらは上手く行ったのだろう。ただし、ミーヤの慌てようからすると問題はその数である。
「一体どのくらい藁と着火点を設けたのだ?」
「藁は結構設けましたよ。もちろんどうやって設けたかは企業秘密です。着火点については……そうですね……僕一つと言った所でしょうか」
「つまりは自分が私に雇ってもらえる事は想定済だったという事か、食えぬ奴だ」
「いえいえ、本当は今から来る”彼ら”を手土産に雇ってもらうつもりだったのですよ。でもナナカ様は僕を雇う事について既に心にお決めになられていたのではないですか~?」
メシェの言う通りだ。ナナカは既に雇い入れる事を心の中で決定していた。それは魔物達との闘いで石を使ったり、アルコールを使った事をメシェが知っていた時点で決めていた事である。
何故ならどのように戦ったかまでは前王は公表していないのに、メシェは”知っていた”のだ。例えばこれが討伐直後に公表されたのであれば、今日まで期間は十分にあったであろう。しかし公表されてから数日しか経過していないにも関わらず、これを知っているとすれば相当な情報収集能力があると見ていいからだ。もしかすると宰相との件に関しても調べつくしている可能性すらある。
だとすれば評価しないわけにはいかない。
通信方法が多数あった夢の世界とは違って、この現実世界で迅速な情報収集能力はそれだけで力になるのだから。そしてこれはナナカが夢の世界で情報と言う物が、どれだけ大事なのかという事を十分に理解させられたからの結果かも知れない。
ただメシェが手土産を用意してきた事から考えると、情報という物の価値を現実世界は正しく評価してもらえないからこそ、それを準備してきたのかもしれない。
「面白い。お前の力を私の下で発揮してもらおうではないか」
「ナナカ様っ! 宜しいのですか!?」
ナナカの了承の言葉に驚きの声を上げたのは言葉を向けられたメシェではなく、姉であるメルだった。
「何か問題があるのか?」
「弟は……いえ、メシェは修学院を落第どころか退学させられそうになっている人間なのですよ!?」
「退学か、確かにそれは大変だな。だが……”それがどうした?”」
自身の弟に赤点を付けた姉に向けて、ナナカは久々にお気に入りの言葉を告げた。
確かに学歴と言う物はあるに越したことはない。しかし絶対条件などではない。それは夢の世界でも優先されていた馬鹿げた履歴社会でも感じた事である。
そもそも中身のない学歴を得た所で現場で役に立たない事の方が多いのだ。しかも何年も学生として得た経験よりも現場での数か月の方が圧倒的に役に立ち、そして成果が出る。つまりそれだけ緊迫感のない状況で与えられるだけである学生というのは薄い時間を過ごしているのではないだろうか。
それに何よりも実際にメシェは退学処分にされそうになっていても、ナナカが必要だと思える能力を既に示している。恐らく学習院とやらでは学ばない知識をである。ならば退学になろうが問題はない。既に必要なものは手に入れている事を本人も自覚しているであろう。
「畏まりました。ナナカ様がそうおっしゃるのでしたら、これ以上口を挟みません。ただし、メシェに問題がある時は言ってくださいませ。責任をもって、わたくしが”処分”いたします」
メルの「処分」という言葉には随分と力強さを感じるが、メシェは小さな頃から姉から圧力を受け続けてきたのだろうか。ならば王族の前に出ても物怖じしない姿も納得できるというものである。
「というわけだが、良いか?」
「はい、わかりました。ではお姉さまに処分されない程度に、もちろん同時にナナカ様を飽きさせない様に努力致しますですよ~」
「いいだろう、期待させてもらうとしよう。だがその前に仕掛けについてだが……」
「姫様っ。もう時間がありませんっ!」
メシェとの会話を続けようとしたナナカの言葉を、ミーヤが限界だとばかりに上げた声が切る。
その行動の意味を証明するかのように、次々とノックを繰り返す門兵達が至急の面会書状をもって入室して来る。それは正に悪夢にうなされる程の大量の書状の山を城築上げていく。気づけばいつの間にか煙のように消えていなくなったメシェの代わりに、大勢の人間と面接を繰り返す時間が夕食まで続いたのであった。
追伸
悪巧みしている時のメルと最後のメシェ行動は、彼らが姉弟である事を納得させられるには十分だと感じたのは私だけではない筈だと言っておく。