1 相対する空間で
「なんだというのだっ! あの小娘は!」
自分以外は居ない部屋で宰相バールは騒ぎ立てていた。
その部屋には調度品がこれでもかというほど並び、使用者が宰相と言うよりも王族ではないかと見間違うような豪勢さである。もっともそれらの調度品など目に移らない程、部屋の主の心はここにはなかった。
「これでは私は王宮内での笑いものではないかっ!」
怒りの矛先は先日やられた相手であるナナカへと向いていた。
もちろんバールとしても警戒していなかったわけではない。3カ月もの眠りから覚めたと聞いた瞬間に直ぐに偵察隊を走らせ、場合によっては多少の手出しも構わないと言う方向すら示していた。ただ実際の所、手出しする前に森で異変があり、ベルジュの町自体が壊滅するかもしれない程の騒動に発展したらしい。バールとしてはそのまま町ごと消えてくれても構わなかったとも思うが、そうはならなかった。どうやらシェガードという傭兵達と子飼いの勇者等が対応に当たり、事なきを得たらしい。全く運のいい王女である。
噂の甲殻竜のトドメはナナカ王女が刺したと報告では上がっているが、実際は死骸に剣を突き立てた程度であろう。それを勝利の形として終わらせた。きっと民衆から見ればナナカ王女が倒したように見えた事だろう。良くある話である。
「しかし、あのシェガードとやらが鞘に収まる事を良しとするとはな……」
バールとしても全く知らないわけではない。前王の隣に並び立ち、戦場を駆けまわった一人だと聞き覚えはあった。それが運良くその場に居たのは奇妙なタイミングである。更に本来は常駐していないはずの勇者まで訪問していたとは驚くべき偶然だと言える。恐ろしい幸運の持ち主だ。そしてそれが先日の闘技場までのバールの評価だった。
しかし――
「運だけと侮って油断しておったわ」
本当の事を知っている者たちからすれば実際は運だけではない。ナナカのメイド達が聞けばモーニングスターを片手に殴り込みをかけてきそうな言葉である。実際は戦術を立て、それを行動に移し、常に戦場に立ち続けてきたのは間違いなくナナカ自身である。ただ、あまりに行き過ぎた話は尾ひれの付いた噂話としか捉えられないのが人間なのだ。そこに現実派のバールが含まれていたとしても仕方がない事だった。
「しかし次は油断せぬ。子供の言葉遊びは遊びの場でしか通用せん。これ以上は踏み込ませぬよ。まずはナナカ王女陣営がこれ以上強化されないように手はずを取らねばな」
バールはナナカ王女への警戒度を一段引き上げると、同時に周辺から邪魔者のいなくなったラルカットの今後について思考を廻らせ始めたのだった。
◇◇◇
「おい、カジル。どうなっているんだ?」
ナナカは自身の部屋で己の赤髪を小さな手で搔き乱しながら、カジルへと不満をぶつけていた。
「と言われましても……」
「王都ならベルジュの数十倍も人材がいるのではなかったのか」
「そのはずなのですが……」
不満の原因は人材確保についてだった。何しろ下働きはいくらでも集まるのに、これと言った陣営の力になれるような人間は全くと言っていいほど来なかった。もちろん、ナナカとてシェガードやマコトが特別な人間である事くらいは分かっている。戦闘に特化しているとはいえ、同クラスの人材は望めないであろう事は理解はしているのだ。ただ幾ら何でも今の状況は納得できない。文字の読み書きが出来る程度の人間すら来ていない。これでは妙な格付けが書かれた紙を張られただけの中身がない紙の城の王女である。もっともその城を現実としてナナカは所持していない。だが不釣り合いな地位を与えられなければ、これほどに人材確保を急ぐ必要もなかったはずだった。王都に到着した時と変わりつつある状況に陣営が付いていけていないのだ。ただ原因は他にあるように思えた。
「やはり宰相からの何らかの邪魔が入っていると思ってよいのか?」
「否定は出来ませぬ。しかし幾ら何でも徹底され過ぎてはいないでしょうか」
それはそうだ。いくら宰相が手を打ったとしても王都関係者くらいだろう。貴族や商人の三男や四男、そこに兵士見習いや学習院出まで入れれば相当の人材が王都には溢れているはずなのだ。それなのにその影すらも見えない現状は不可解というより他ない。
「まだ暫くは王都に居る事になると思うが、その間に変化はあると思うか?」
「どうでございましょうか。変化とは無風では起こらないものでございます。現状はその風を遮る何らかの壁があるようですし、待つだけでは何も変わらない可能性は高いかと……」
「望んで手に入ったわけではない地位の為に陣営の強化を図らなければいけないとは、なんとも滑稽な話じゃないか。まさに形だけの地位だと言われているようなものだ。実はその地位も宰相の奴が、私に対する嫌がらせの為に準備したのではないかと思えてきたぞ」
行き過ぎた考えである事は承知しているが、流石にそう思いたくなるのも仕方がない。ただこの件については王座に興味がないナナカだからこその言葉であり、それを知らない人間達にとっては理解出来ない馬鹿な話である。それでもそう思いたくなるほどに搔き回されて、周辺から見張られている感覚は拭えない。恐らく宰相側としては、ナナカ達にそんな風に言われているとは思っても居ないだろう。
「宰相バール様が姫様を良く思っていない事については間違いがないとは思われますが、やはり別の方面から何らかの動きの結果が今の状況を生み出しているのではないしょうか」
「その別の方面とやらの影は見えているのか?」
「残念ながら私の専門分野から外れております」
ナナカに比べれば、この世界の事をなんでもかんでも知っているように思えてしまうカジルだが、あくまでも執事である事を忘れてしまいそうになる。後はシェガードやシェードに頼るしかないのだが、こちらも傭兵だという事は忘れてはいけない。こうなってくると自分達の人材不足が益々浮き彫りになって来る。人材確保の為の人材が足りないなど冗談にしては出来すぎである。
「せめて今何が起こっているかだけでも分かれば多少は対策の練りようもあるのだがな」
「なるほど、確かに何が起こっているか少しでも分かれば対策の取りようはあるかもしれません。例えば、あちら側にいた人間達なら私達よりは知っている事は多いのではありませんか?」
「あちら側……彼女達か」
現状は無知で無策の自分達よりも情報を持っている可能性が一番高いと言える。
だが――
「……今は彼女達を巻き込みたくない」
「ですが姫様……」
「これは決定事項だと思ってほしい」
表に立たせないとしても関与したと思われれば、多少の無茶をしてでも宰相が動く可能性は捨てきれない。だから今、自分達の都合に巻き込んでしまっては助けた意味がなくなってしまう。人材を確保するために人材の身を削るなど愚か者のする事である。
「しかしそうなると……」
カジルとしてもナナカの内心は理解していながらの苦渋の選択だったに違いない。決定事項だと言われれば彼女達を再度会話に出してくる事はないが、代案がないとなると渋い声を出すしかないのだろう。
ただもちろん全く方法がないわけではない。最悪の手段として姉レイアを頼る方法も残されてはいるのだが、既に護衛について助けを借りている。そこから更に助けを請う事に不安がある。というのも、レイアから向けられる姉妹愛というには過ぎた行為が、どうにもナナカには怖く感じる時があるのだ。続けて行けば、ナナカ自身がラルカットのように傀儡として扱われるのではないと思える程に。そしてそれはカジルも感じているからこそ、この場でレイアの名前が出ていないのだろう。
考えれば考える程に選択肢はなくなってくる。
それに伴い困り果てた2つの影に困難という霧がかかった。
お陰で打開策が見つからずに時計だけが回るかのようにも思える時間が過ぎていく。
しかしその時計のゼンマイに意外な人物が手を伸ばそうとしていた。
それを告げるように扉がノックされる。
「入って構わない」
ナナカの許可を得て入室してきたのはメイドの1人、メルだった。
彼女はメイド達の間の色々な問題に顔を出してくる、いや、問題のない所ですら火を起こすとまで言われる、ちょっとした噂のメイドである。それだけにこの突然の出現は新たな問題の匂いすら予感させた。
「申し訳ありません! ナナカ様! お客様……えっと、違うかな? 訪問者……? 違う。あっ、面接者がいらっしゃいました!」
「面接者だと?」
面接者と言えば今話をしている問題の部分としか繋がりは見えない。しかしそんな予定は聞いていないし、カジルの顔を見ればカジル自身も把握していないと書いてある。では一体……
「はい……あのその……私の弟なんですけど……」
「へ? お、おとうと??」
その思わぬメルからの言葉に、ナナカはカジルと共に間抜けな声を漏らしたのだった。