8 敗北の中の戦い(前編)
既に敗北が決定してしまった中、近衛兵リーダーのペレスは妖艶な花を思わせる紫色の髪を揺らし闘技場の中央へと歩を進めつつも、現在の状況の整理を行う。出てくる答えは「いったい何故こんな状況になってしまったのだろうか?」という思いからの連鎖思考。
確かに初戦の相手である土子族の子供については舐めていた。それは自覚した上でもリズが負けるとは思っていなかった。例え、近衛兵の中では最年少のあの子でも、これだけやれると言う証明するために送り出したのである。
だが結果はどうだろうか。戦いは紙一重だったとはいえ、こちらの負け。ごく最近になって剣術を習い始めたばかりだと言う少年相手にである。実際に戦いを見ていても度士族の少年の戦い方は不格好だった。だから最初はリズが遊んでいるのではないかと思ったほどだった。ただその延長線上にあったのは紙一重であろうと負けである。
それでもその後の自分とラミリアが勝てば格好はつく。出来れば完全勝利を自分達の主に捧げたかったが仕方がない。そう思う事で一旦乱れた平常心を取り戻す事に集中した。
しかし……蓋を開けてみれば次の戦いも開始された瞬間に、その思いすらも吹き飛ばしてしまった。
最初は体格的に不似合いとも言える武器を構えたメイド姿のままの相手を見た時、ナナカ王女陣営はそこまで人材不足なのかと目を疑ったくらいだった。それがどうだろうか。いざ武器を交えた場面が訪れるとペレスには未来が見えてしまった。自分達近衛兵の負けが決定される未来が。
恐らく、武器を交えた本人であるラミリアもそれは十分に理解したのだろう。攻撃の手を緩めれば、その瞬間が負けの決定なのだと。つまり攻め続けた状況はそうせざるを得なかったとも言える。最後の敗北宣言は遅かれ早かれ訪れるのは当然の結果だったのである。
私達の2年間の証明は、この程度でしかなかったのだろうか?
もちろん決して自分達が最強だなどとは己惚れていたつもりはない。城内の騎士達は自分達よりも長く訓練を積んでいるし、金で動く傭兵たちであっても戦場で命を削りながら己を磨いている。自分達よりも上のなのは間違いない。それでもそのレベルに近づいている自信はあった。だから名を轟かせる、あの傭兵親子さえいなければ何とかなると思っていた。
だが結局、3戦目を残して自分達の負けは決定してしまった。それも自分達よりも幼い少年と、仕事の途中で参加したかのようなメイドに負けたのだ。これで近衛兵とはチャンチャラおかしい。ラルカット王子に恥をかかせてしまっただけである。城内で噂される通り、まさに自分達はただの”お飾り”で”おもちゃ”だった。
だからこそ……私だけは負けられない!
問題は自分の相手は騎士ではないが、明らかに場数を踏んでいる傭兵である事だろうか。それは騎士とは違い、動きやすさを重視した軽装な装備と、その装備に残る多数の傷が物語っている。力は先ほどのメイドと同等、いや、それ以上と見て間違いない。果たして勝つ事が出来るのだろうか。言える事は自分は師に力を認められてリーダーの地位についている。実際、近衛兵の中で自分に勝てる者はいない。その自分まで負ける事があっては笑いものである。腕の一本くらい引き換えにしてでも勝たなければ、主の名まで汚す事になりかねない。もはや後はないのだ。
そんなこちらの思いも知らないのだろう。傭兵とも思えないほどの優男はペレスの神経を刺激する言葉を吐いてきた。
「随分と可愛いお嬢ちゃんだな。噂じゃあ、このお遊びの後はお役御免になるって聞いているぜ。次の就職先は色町か? なんなら店の名前を教えてくれれば、お得意様になってやるけどどうよ?」
許せない言葉だった。だが現実になる可能性は高い。あの宰相ならそれくらいの処分を考えてそうだからだ。直接その未来に繋がらなくても、いずれは辿り着く終着点かもしれない。だがそれでも今は主の近衛兵であるプライドがある。だからこそ……許せない。
「おっと、気に障ったか? こいつはすまないな。でも坊主やメイドにも勝てない近衛兵なんて、まさに”お飾りのおもちゃ”じゃねーか?」
「貴様っ!」
目の前の男は口にしてはならない言葉を吐いた。例え周囲の噂は耳にしていて自覚しているとはいえ、面と向かって言ったのはこの男が初めてである。それが私を開始の合図を待たずに切りかからせる原因となった。
選んだ攻撃は喉元への刺突。当たればタダでは済まない容赦のない一撃。
相手は唐突に繰り出されたに驚きの表情を浮かべながらも、その手にもつ細身の短剣で弾き返してくる。
だがそれはもちろん予想通りの反応。この程度では許されない事を口にしたのだから終わってもらっては困る。
私は弾き返された剣の勢いをそのまま殺さず、体を回転させる事で更に威力を加えながら水平に攻撃を繰り出す。
しかし……既に相手は同じ場所には居なかった。こちらが回転している間に次の攻撃を読んだのか、有効範囲の外まで移動していた。いや、それだけではない。体を大きく沈みこませて一気に距離を縮めてカウンターに出る寸前だ。
「くっ!」
感情に流されて無鉄砲な攻撃を仕掛けた自分の失態を悔やむように言葉が漏れる。
そして空振りした事で流れたままの体を無理やりに引き戻そうとする。だがこのままでは間に合わない。この状況で対応するには方法は1つしかない。だから体の中の魔力を一気に高めて、魔力機構を一気に開放。世界は遅行する。
本来ならば間に合わない筈の回避行動だが、この世界に突入すれば別である。己の体に吸い込まれるように男の右腕から伸びてくる攻撃に対して、まるで蜘蛛の糸を振り払うかのように柔らかく受け流す。それにより生まれたのは、がら空きとなった男の脇腹。その隙を私は見逃さず、カウンターに対するカウンターを加える。
次の瞬間……予想していた未来とは違う結果を私の瞳は見せられた。
脇腹への攻撃は男に致命傷を与えるつもりの一撃だったはずだった。
この一撃であっさりと勝負はつくはずだったのだ。
だが、その一撃は受け流がされて宙を彷徨っているはずの男の剣で完全に受け止められている。
「いやー、危なかったぜ。ところで武器を2つ使っちゃダメなんて言ってなかったよな?」
言葉通りだ。いつの間にか男の左腕に収まる、もう一本の短剣がその存在感を露わにしていた。
「その剣は一体どこから……!?」
「お嬢ちゃん、隠せる場所があるのは女だけとは限らないんだぜ?」
男は言葉と共に、戦いの場には不釣り合いとしか感じられない、とても爽やかな笑いを返してきたのだった。