4 1ヵ月と2年の狭間
サンは遠慮のない相手であるリズの剣の軌道から逃れるだけで精いっぱいの状態だった。
現在の所は劣勢そのもの。全く攻撃を返す余裕はない。
自身がどれだけ素人レベルなのかをハッキリと線引きをされた気分である。
ある程度の予想はしていたが、やはり1カ月程度では相手の2年という訓練期間を超える事は簡単ではなく、更に女性だとはいえ、年齢差による体格の違いは攻撃の重さにも現れていた。
恐らく、このまま攻撃を受け続けていれば先は見えている。それくらいはサンでも理解出来る。いや、誰が見ても同じ判断をするのではないだろうか。
ただ、師匠たる傭兵親子はそんな結果の見えた戦いに自分を送り出すだろうか?
サンは昨日言われていた事を思い出す。
シェガード師匠はこう言っていた「とにかく試合を長引かせろ」と。
その意味を理解出来ていたわけではないが、今の所はなんとか実践できているかもしれない。
ただ、その先に何があるのかは見えてこない。
それどころか下手をすれば今にも負けそうな状態である。
しかし相手も剣先がなかなか届かない事に違和感を覚えたように額に汗を浮かばせているのが見えた。同時に相手の雰囲気がなんとなく変わったように感じる。それが何なのかは考えるまでもなく、次の攻撃が答えを与えてくれた。
それは鋭さを含んだ刺突。
今までは力任せに相手をねじ伏せる為の剣だったのに、当てる為の攻撃に変えてきている。
もしかすると自分はある程度認められたのだろうか?
少々の自惚れを自覚しながらもサンは躱す。
それを最初から予定していたかのように相手は次の攻撃へと移ろうとする。
恐らく相手は現状のままではケリがつかないと変化を加えてきたのだ。
普通の素人なら、その変化に戸惑ったかもしれない。
もちろん、プロである傭兵親子や義手の傭兵なら問題にもしないレベルではあろう。
それでもサンのような子供には十分だと判断した結果がこれなのかもしれない。
そして次の少女の攻撃――
それは発生しなかった。
いや、元々攻撃ではなく相手のフェイント。
恐らくは当てるつもりのない誘導を混ぜた攻撃。
ただ、その危険の含まない意志がサンには”感じ”取れていた。
お陰でここまで防戦一方だった状況から反撃の隙を見出す。
短い期間だったとはいえ、今日まで1ヵ月繰り返してきた剣の軌道をなぞる。
リズも初めてと言っていい少年の攻撃に表情を強張らせ、体を半回転させるようにして躱す。
とても綺麗だとは言えない剣筋だったが空気を換えるには十分な効果が生まれた。
「はぁはぁはぁ……、”見えたよ”」
整わない呼吸の語尾に少しの嘘を付け加える。
サンはリズの考えが見えていたわけではなく危険がないのを感じただけだ。
それをあえて攻撃を読んだかのように”見えた”と口にした。
これは義手の傭兵から教えてもらった”騙し”である。
ミゲル先生は傭兵親子ほど体格に恵まれているわけでもないし、飛びぬけた強さがあるわけでもない。
しかし、駆け引きに関しては相当強いらしく、賭け等にも負けた事はほとんどないらしい。
そのミゲル先生から「圧倒されるほどの戦闘力に差が無ければ、駆け引きが決め手となる」と聞かされていた。
そしてサンは名男優とは言わなくとも、エキストラ程度の演技を表現してみたのだ。
「見えた……ですか。今まで必死で逃げ続けてきた男の子の言葉とは思えませんね」
「……っ」
痛い所を突かれる。
ただサンとしても本気で騙せるとは思ってはいない。
相手に僅かでも”もしかすると”という選択肢を増やす事が大事なのだ。
「では、わたしも力でねじ伏せるのは止めさせて頂きます。技術の差をキッチリと見せつけて勝たせて頂きます」
「確かに僕は経験不足かもしれない。でも、そんなに簡単に負けるわけにもいかないんだっ!」
普通に考えれば勝てる勝負ではない。
だが恐らく師匠達は何か期待をして送り出したはずだ。
それに気づいていたとしても、きっとナナカ様は不安な顔で自分を見ている事だろう。
自分はそんな思いをナナカ様にさせる為に頑張ってきたわけじゃないっ!
自分はこのまま無様に負けるわけにはいかないっ!
サンは守られる立場から守る立場に生まれ変わるために剣を握る手に力を込めた。
相手のリズも素人のような子供に負けるわけにはいかないと思ってか、少女だった顔から瞳を細くして獲物を見つめる狩人のような表情へと変える。
それまでと違った空気が双方に流れる中で先に動き出したのは、やはりブルーショートヘアの少女だった。
何かに引っ張られるようにサンに迫る剣。
明らかに威力はないものの鋭さは増している。
これは躱せるレベルではないと判断すると己の剣で受け止める。
だがそれで攻撃は終わらない。
重さを失ったとはいえ、繰り返される剣戟に本当の少女の力を見せつけられる。
ただサンも防戦を強めながらもやられてばかりではない。
相手の攻撃に危険を感じなかった時は反撃に転じる。
その的確なタイミングは相手の警戒心を強めるには十分だった。
お陰でリズも決定的な一撃を繰り出す事が出来ず、膠着状態が生み出される。
ただただ、鉄と鉄が混じり合う音と汗の匂いだけが闘技場を満たしていく。
しかし、そのまま続くかと思われたこの状態を思わぬ第三者が破壊する。
「リズっ! それでも王子の近衛兵ですか!? さっさと終わらせなさい!」
声を上げたのは少女近衛兵リーダー格のペレスだった。
彼女としては相手の少年にリズがここまで手間取るとは思ってもいなかったに違いない。
それは実際に戦っているリズとて、最初は同じだっただろう。
だが少年の”見えた”という言葉が心へと刻み込まれたように積極性すらも失われていた。
そうでなければ勝利はリズの手に収まっていたかもしれない。
「くっ! ……少年! 遊びはここまでのようです!」
遊びと口にしてはいるが、それが本心でない事はサンでも理解出来た。
ただし、次の攻撃はこれまでにない決意を込めた危険なものになるであろう事も感じ取れる。
「僕は……負けるつもりはない! 姉を……そしてナナカ様を守る盾となり剣になる! だからここも譲れない!」
そう、サンは強くなるつもりだ。
姉を守り、ナナカ様も守る為に。
この場を設けられたのも、きっとナナカ様には必要な事のはずだ。
それにどんな理由や目的があるのかは理解しているわけではないが、その道の先陣に立たされた限りは倒れるわけにはいかない。
次の一撃で決めると言うのであれば、自身もそれに合わせるだけの話である。
そして――
リズの剣が太陽の光を遮る様に頭上から繰り出される。
これまでで一番早く重さを加えられているであろう、キメに来た攻撃。
今のサンには正面に迫るそれを躱せそうにない。
正に受けようとする剣もろともサンをねじ伏せようとする一撃。
だが同時に分かりやすい”軌道”
ミゲル先生と練習してきた成果を出すのはここしかないっ!
サンは1か月の間に何度も注意されてきた事を実践するために、剣を真横にして自分の前に構える。
受け止める為でなく、”受け流すために”
次の瞬間――
金属がぶつかり合う音が擦れ合う音へと変化して響き渡る。
サンは相手の攻撃を横へと受け流した事で振りかぶる様な形になった姿勢から、1カ月続けてきた素振りの軌道を再現するようにリズへと切り込む。
それは自分の全ての思いと成果を求める金属の流れ星。
寸止めなどという言葉など全く含まれていない一撃。
リズも一瞬で理解できたのだろう。
この少年は寸止めなんて余裕も技術もない、ただ必死に目的に向かう本当に素人。
つまり自分はその素人にやられて、ここで死ぬかもしれないのだと。
今、ただガムシャラになって突き進む少年と、その全てを引き受けさせられた少女は悲劇的な終末を迎えようとしていたのだった。