『大正解』のプレゼント
こんにちは。ここまでおいでくださり、ありがとうございます。
この物語は短編小説ですが、知人から提案された三つのお題から書いたものです。お題は、「片メガネ、赤ペン、ビル」です。
それでは、どうぞ――。
「あ、上野さん」
水飲み場の水をちょろちょろと出して、日差しに反射して光るのをながめていたら、反対側に人が立った。日差しをさえぎられて少しむっとしたのだけど、顔をあげたら優しい笑顔とぶつかった。
上野さんは片メガネ、かっこよく言えば「モノクル」をかけた女の人で、実を言うと、「おばさん」なのか「おばあさん」なのかよくわからない。
初めて話したときは、どっちで呼ぼうか迷って「片メガネさん」と呼んだら、「上野です」と笑顔で言われたから、そっちで呼んでいる。
「こんにちは。今日も会ったわね」
「そうですね」
「今日も宿題があるの?」
「はい」
「そう。じゃあ私は、本を読むことにしようかしら」
三つあるベンチのひとつに二人で並んで座って、私は宿題、上野さんは読書を始める。
ランドセルをテーブル代わりにして黙々と計算問題を解く。やわらかな日差しと、隣で紙がこすれる音が、私をのんびりとした気持ちにさせた。
私がマル付けをする頃になると、上野さんも本をしまう。そして、私の手元をのぞきこんで、あれやこれやと話しかけてくる。そんなのを聞いていると、やっぱり「おばあさん」なのかな、と思ったりする。
でも今日は、違かった。赤ペンを取り出したら、
「赤ペン、新しくしたの?」
と聞いてきた。
「インクが切れちゃったので」
私が答えると、これ、私も買ったことあるわ、と言うのだった。
上野さんが私と同じものを買ったことがあるなら、上野さんはやっぱり「おばさん」の方かな、と思った。
穏やかな風がほっぺたをくすぐっていく。
「・・・・・ねえ、今から私のお話をするから、マル付けしながら聞いてくれる?」
人の話を何か違うことをしながら聞いてもいいのかな、と思ったけど、上野さんの顔がいつもよりずっと真剣だったから、なんとなく逆らえなかった。素直に解答をひっぱりだして自分のと見比べ、赤ペンでマル付けを始めた。
「あなたの赤ペンはね・・・私が娘にあげたのと、同じなのよ。私は夫を娘の小さい頃に亡くして、私一人で娘を育てるためにたくさん働かなければいけなかったから、あまり娘に構ってやれなかったの。赤ペンも、それが初めてのプレゼント。本当は、私が娘の宿題のマル付けもやってあげられなくて、自分でやってねっていう意味で買ったのだけど、とても喜んでくれて。ありがとう、大事にするって」
あたたかな声が、ほんの少し、さみしそうに聞こえた。
「でも、娘は、あの子は、――そのあとすぐに、交通事故で死んじゃったの」
赤ペンのシャッという音が止まったのに、上野さんは気付かないフリをした。
「本当に、事故だったのよ。運が悪かったの。たまたま雨が降っていて、あの子はとても急いでいたのか、飛び出してしまって。その日は私の誕生日だったのだけど」
上野さんの声がちょっと湿る。
「家には赤ペンでおめでとうって書かれたカードがあって、はねられたとき娘が持っていた紙袋には封筒が入っていたの。――お誕生日カードをプレゼントしてくれようとしたのね・・・」
上野さんは涙をこらえるように目をみはると、赤ペンを持ったまま黙っている私にそっと微笑んだ。
「ねえ、一緒に来てほしいところがあるの」
「何を買ったんですか」
茶色い紙袋を大事そうに抱えた上野さんはにっこり笑って歩き出した。
特にさようならは言われてないのでついていくと、さっきの公園に戻ってきた。
同じベンチにまた並んで座って、いそいそと紙袋の中身をとりだす上野さんの手元を見つめる。
けれど、「あとで見せるわ」と向こうを向かれてしまったので、仕方なくぼうっと待っていた。
この、三つのベンチと水飲み場、それとブランコしかない小さな公園は、建設途中の灰色のビルがずらっと立ち並ぶ中に、ぽつんとある。
何度来ても、一か所、ここだけが寂しそうに浮いている――というか沈んでいて、可哀想だと思う。
つまらない灰色が続く中で、この公園に申し訳程度に植わっている植物は心を落ち着かせるには十分で。
それで毎日来ていたら、上野さんに会った。
そして今日、上野さんの娘さんの過去を「共有」した。
・・・「親密になる」のがこんなにはやくてもいいのだろうか。よくわからないけれど。
雑に「遠い目」なるモノをして、この公園に通うようになってからいっこうに変化のない真正面のビルをながめていたら、上野さんからお呼びがかかった。
「出来栄えを見てくれる?」
上野さんの、たくさん使い込まれた、みたいな手にのっていたのは、リボンとかハートとかがちらばっているかわいらしいカードだった。
にこにこしながら差し出されたそれを、
「開けてもいいんですか?」
「開けて、見て」
ということで、開く。
『お誕生日おめでとう、奈穂子ちゃん。いつもいっしょにいてあげられなくてごめんね。お母さんは今も元気でやっています。お誕生日のカード、ありがとう。お母さんは菜穂子ちゃんのこと大好きです』
習字みたいにきれいな文字と、赤ペンで書いた大きなハートマーク。
「今日は、娘の誕生日なのよ」
「おめでとうございます・・・!」
「ふふ、ありがとう」
もう一度カードを見る。文字を囲むハートはちょっとゆがんでいたけれど、線はしっかりしていて、とても力強かった。
「何回も何回も娘の誕生日をひとりで過ごしたけれど、何もできなかった。悲しい、悲しいって思ってばかりだったの。今年、やっとカードのお返しをしてあげられたわ」
そういって上野さんは、水にきらめいていた光のようにあたたかく笑った。
「きっと、あなたのおかげね」
「え」
私の顔を見て、今度はおかしそうに笑う。そしてまたやわらかな笑みに戻して、
「ねえ、あの子は喜んでくれるかしら?」
私はちょっとの間どう言おうか考えた。
「上野さん」
「私だったら――赤ペンの大マルだと思います」
上野さんはモノクルの奥の目を見開いた。そして、泣きそうな笑顔で、
「・・・ありがとう」
そっと言った。
私はつとめてさりげなく上野さんから顔をそらし、すんだ宿題をもう一度とりだしてランドセルにのせた。ちらりと見えたすみれ色のハンカチの布端は視界から追いやる。
ふと思い立って、ノートの紙を一枚やぶりとる。
ランドセルのでこぼこにむっとしながら、文字を書き込んでいく。
『ハッピーバースデー、奈穂子さん!』
最後に、買ったばかりの赤ペンで分を囲むように大きくマルを描いた。
持ち上げてかざしてみると、正面の灰色のビルは、
ちょっぴり華やかに見えた。
お疲れ様でした。最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
本作品はここで書いた二作目となります。もしお読みでなかったら、ぜひ一作目もご覧ください。
前書きの通り、この小説は三つのお題のもと書いたものです。
なにか、このお題で短編を書いてほしい、という要望がありましたら、喜んで受け付けます。
それでは、三作目もよろしくお願いします。