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人と生きるある霊獣の半生

作者: belgdol

 こてんこてんと銀の毛の塊が、思い思い寝返りを打つ。

 母らしき銀の獣……その姿はまるで銀色の柴犬のようだ……が自分の腹に頭をそろえて眠る仔らの毛並みを舐める。

 周囲は大樹の胎内とでもいうべき木の洞の中で、しっとりとはしていても中に居るものには心地よい。

 仔らを慈しむ母がピクリと丸みのある三角耳を洞の入り口に向けると、そこには雄でも愛嬌のある父獣が妻に差し入れるための獲物を咥えて入ってきた所だった。

 彼は顎に咥えた黒い毛並みの後脚が発達した兎のような獣を妻の前に差し出す。

 妻は夫の持ち込んだ獲物を、子供達を起こさないようにしずしずと食べ始める。


 彼らは霊獣ポーキュリアと呼ばれる獣で、人に良く懐き主人の生涯を見届けた後、野に還り仔を成し育てからまた新たな主人を探す。

 それを繰り返して長い時を生きる。

 霊獣と言うとさも貴重そうに聞こえるが、彼らは自らの主人を自分で選ぶ。

 ともすれば可愛らしいといえる姿だが、無理に服従させようとする相手には勇敢に戦う闘志の持ち主でもある。


 そんな彼らは長い寿命に比例するように成長が遅いという事も無く、一年で兄妹との遊びで戯れを学び、親に狩りを習いその懐を巣立って行く。

 長い寿命と早い成長によって数は爆発的に増えそうな種族に思えるが、そうは行かないのもポーキュリアである。

 時に主人を守るために、時に主人の願いを叶える為に。

 自らの命も顧みずにこの世を去ることになる個体もいるのだ。

 なので彼らは非常に珍しいというわけでもなく、かといって街で石を投げれば当たるというほどには居ない。

 現実の犬の血統書付きくらいの珍しさで世界を歩いて行く。


 これはそんなポーキュリアの中の一個体の半生を追う物語。


 ぽてぽてと街道と呼んでいい馬車のすれ違える広さの幅に整えられた道筋を、森から出たばかりのまだ全体的にまるまっちい印象を受けるポーキュリアが歩く。

 人通りのあるその道では彼、雄であるポーキュリアを行き交いざまに少し構ったり、干し肉を削ったものを与えたりしながら追い越し、あるいは交差している。

 一応、ポーキュリアは主人を守ろうとする性質から縁起物として扱われ、邪険にされることは無い。

 その対応の中にこっそりと自分を飼い主と定めてくれないかなぁという下心があるにせよ、彼が旅をするのには快適な状態が作られていた。

 これらも全て営々と祖先から続く先達のおかげである事を彼は知っている。

 だから自分もポーキュリアという種が悪印象を抱かせないように、じゃれ付いてくる大人に連れられた行商の子供や、ポーキュリアは好まない鉄の匂いをうっすらと漂わせる流れの鍛冶の子供にも愛想よくじゃれ付いた。

 餌をくれる人には祝福がありますようにという意味と、厄を払うと人の間で伝わっているらしいわん!という元気な鳴き声を投げかけて。

 しかる後に旅の行く末が良い物になりますようにとペロリと差し出された手を舐める。

 人の傍で生きるポーキュリアは愛想のいい生き物なのだ。


 こういった風に旅をする彼は時折すんすんと鼻で匂いを探る。

 彼は父母に自分たちの一族は主とすべき人の匂いを感じ取れる、そう教えられていた。

 だから彼はポーキュリアなら誰もが誇る自慢の鼻で、くんくんと主人となるべき人の居場所を探るのだ。

 そうして出会えるのは何時になるかは解らない。

 主人となるべき者が定住していれば気長に見積もっても数年旅をすれば確実に出会える。

 しかし主人も旅人ならば、互いの移動速度に差があれば、行き逢うまでにさらにかかる事もないではないのだ。


 だから彼は焦らない。

 今日もぽてぽて、進めるだけの道のりを進んで、夜になれば自らの縄張りを示す為に街道の周囲におしっこを匂いを振りまく。

 この世界には魔性と呼ばれる暴れ者がいて、時に旅する人を害することがある。

 そういったものもポーキュリアの臭いのする場所には近づかない。

 なぜなら彼の一族の牙と爪は魔性に属するモノをゼリーのように容易く引き裂く、破魔の力を持つからだ。


 焦ったりするのは人間の仕事だ。

 なにせポーキュリアと旅路を共にすればかなりの危険を減ずることが出来る。

 だが、ポーキュリアの脚にばかりあわせてばかりの旅もできない。

 それは食料だったり、水の調達であったり、理由は様々だ。

 そんな状態でも人はポーキュリアの周りを団子のように進む。

 共に居られる人々は限界まで共に。

 そんな団子状態が終わるのは、ポーキュリアが主人の匂いに惹かれて街道を外れた時か。

 あるいは街が近くなり、ポーちゃんばいばいという時だ。

 ポーキュリアは主人とは滅多に離れないが人との別離はとても多く経験する。

 旅をするのが生涯の一環であるなら、それは仕方の無い事だが。


 そうして彼はふらりふらりとさすらう内に、ある街に辿り着いた。

 彼にはあずかり知らないことだけれども、その街は斜め四方を山脈と山脈の切れ目とする交通の要。

 四方の内北東と北西の高山から雪解け水が作る川が流れ込み、南に流れて行く流れは土の恵みを南方に運び豊かな穀倉地帯を形づくる恵まれた都市だった。

 人と物が流れ込めば必然として動く金も流れ込み、その金を目当てに様々な娯楽も発展していた。

 まごう事無き大都市だった。


 彼はその街の、貧民街と呼ばれるような区域から色濃く主人の匂いを嗅ぎ取っていた。

 貧民街は街の南西部と東南部の二箇所にあり、彼が向かったのは南西部の日無し区と呼ばれる区画だった。

 治安の悪い貧民街といえど、基本的に彼をどうこうし様という人間は居ない。

 同じ人間なら身ぐるみも剥げる、もっと希少で主を定めない獣なら売り飛ばすし、希少でなければ即座に解体されて力のあるごろつきの食卓に上るだろう。

だがポーキュリアを殺して良いことは何も無い。

 むしろ見守り、巧く居つけば……つまるところ主人を見出したりすれば、近辺を縄張りにすえ、病魔も退く縄張りを築く。

 どちらが得かが解らぬほど、学が無くても貧しい人々も愚かではなかった。


 といった次第で彼は街中でも特に妨害無く歩を進めることが出来た。

 街の出入りに関してもそこを見張る番兵は、単身のポーキュリアの出入りには気を払わない。

 ポーキュリアが街に入る程度は良くある事、出るのも同じ。

 それこそ明確な物品を運ぶ個体なら調べられるだろうけれど、彼は首輪も身に付けていないまっさらな身体なのでちらりと見られてハイ終わりだったのだ。

 だから彼は、潰れかけの、あばら家というより辛うじて四方を木の板で支えて、穴だらけの蓋をしたという風情の家の前に立っていた。


 彼はちょうつがいも外れて立て掛けているだけといった風情のドアの隙間に潜り込み、家への潜入を果たす。

 果たして、中に居たのは小さな酒瓶を抱えて床に寝転ぶ、みすぼらしいぼろを着て、ひげの手入れもしていない。

 辛うじて家があるだけの浮浪者といった風情のくすんだ金髪をぼさぼさにした男性だった。


 男性が何事かを寝言で呟くが、その内容はポーキュリアの彼には解らない。

 ただ、続いて男性が発した唸り声が低く、長く、どんよりとしたものだったのは解ったので。

 彼は異臭を発する男性の髪を鼻先でまさぐった後、いつの間にか文字通りの泣き寝入りをし始めた男性の頬をちろりちろりと舐め始めた。

 涙を一舐めされるたびに、見ている夢も安らかな物になって行ったのか。

 程なくして男性は先ほどとは打って変わって安らかな寝息を立て始めた。

 そうして、先ほど呟いたのと同じ音を発したその表情は、伸ばし放題の髪とひげに隠れながらも、どこか安らいでいるようだ。

 落ち着いた男性から後悔と罪悪感が薄れたのを感じ取ると、男性のすぐ傍らでくるりと丸まって彼も眠り始めた。

 旅を始めて幾ヶ月か、彼はようやく主人の下に辿り着いたのである。




「!! !!! !!!!!」


 彼の主人との朝は喧騒から始まった。

 主人と定めた人の雄が自分を怒鳴りつける大声だ。

 大方出て行けとか、そういったところだろうと彼は辺りをつけたが、さらりと言葉の暴風を受け流して。

 ポーキュリアの一族として教え込まれたように三回主人の前で回ってわんと泣き、主人を見上げた。


「・・・ ・・・・・・ ・・・・・・」


 酒びたりでも理性は残っていたのか、男性はそんな彼を見て二度、三度被りを振って。

 肘と膝をつき四つんばいになり顔を覆いながら嗚咽を漏らし始めた。

 主人の涙の理由も、人の言葉もポーキュリアには解らない。

 ただ、傍に居て、彼は毛むくじゃらの顔を舐め続けた。




 うずくまり泣いていた男性も、涙を流しきった事で落ち着いてきたのか。

 幾分涙で潤み、あばらやの隙間から射す陽の光で輝く、淀んだ目でポーキュリアを改めてみた。

 彼はそんな主人をじっと見つめる。

 見詰め合う一人と一匹、先に目を逸らしたのは主人の方だった。


 気まずげに顔を逸らしたぼろの男性は食事も取らずに、朽ちた扉を開いて外にでる。

 当然、彼もその後に続く。

 そんな彼に対してぼろの男性はあっちへいけというように手振りを示すのだが、彼はぺろりと舌をだして、へっへっと息をつきながら主人の後に続く。

 いくら歩いただろうか、街外れの貧民街より内側にある、一般市民用のごみためまで着いたころにはぼろい主人の方が諦めたのか。

 もしくは無視することに決めたのか、彼に構わず男性はゴミをあさり始めた。


 彼はそんな主人の背中をじっと見つめて、男性がより分けだした物の臭い。

 それを覚え汚れた辛うじて水入れには使えるだろうという瓶や、埃塗れになってカビだらけになったパン、街の下級階層……この場合はスラムの民とは違い、貧しいながらも街の住人として認められている人々指す……でも使わなさそうなものを咥えて集め始める。

 ぼろを纏った主人はちらとその様子を見たが、もう何も言わなかった。


 そうして集めた物を主人は当然の顔をして自分の物として歩き出す。

彼はそれを不満ともおもわず歩く、ただ、耳をくりくりと動かして周囲の様子を探りながら、目はじっと主人を見つめている。

 周囲を油断無く見回しながら進む主人とは時折目が合うのだが、ふん、と鼻息も荒く脚を早め、すぐに息切れを起こして彼に追いつかれる。

 これを繰り返す。


 主人と彼の仲は険悪そのものだが、それは一方的なもので。

 主人の側が一方的に彼を遠ざけているのだ。

 ポーキュリアである彼にあるのは、ただ主人を守ろうという意思だけ。

 街行く人がみすぼらしい姿で彼を連れているのを見て眉をひそめるのをぐるっと唸って威嚇する。

 それを見て主人は彼を蹴った。


 彼が蹴られたのを見て、周囲の人々が驚き、憤る。

 自らを慕うポーキュリアを蹴るなど、この世界では常人のすることではないのだ。

 その証拠に短気な若者が蹴りを入れた男性に殴りかかろうとするが、誰もとめようとしない。

 それどころか周囲ははやし立てる雰囲気すらある。


 だが、そんな若者の前に素早く立ちあがった彼が立ちふさがり、吼える。

 そんな彼を前にうろたえる若者、周囲も彼の習性を思い出したのか、声を抑える。

 ただ彼が守った主人は、そんなものにも目もくれず手に入れたガラクタや食べ残しのゴミを抱えて歩いて行く。


 彼はしばらく周囲に唸った後、再び主人の後についてある種の愚かささえ感じさせる無防備な顔で主人の後を付いていった。

 そして、それが数週間続いた。


 こんな不毛な関係が続いたある夜のことだ、月も雲に隠れ、街が寝静まった時間。

 何時もならすでに酔いつぶれて寝転げている主人が、長い前髪に隠れた思いつめたような瞳で、彼を見つめていた。

 彼も嬉しげに舌をだして息をつきながら主人をじっと見つめ返す。

 そこに在るのは信頼と友愛。

 ただそれだけ。


 だが意を決したのか、主人は衰えて枯れ木のようになった手を彼の首に掛けた。

 ポーキュリアの主人となった幸運な男に、周囲の人間はしなれては適わないと様々な差し入れをした。

 だが彼は頑としてそれを受け入れず、自分の糧は自分であさろうとした。

 しかしそんな行動が周囲に反発を招かないわけが無い。

 差し入れをするからお前はもうゴミ漁りを禁じると、街の顔役に直に言われた上で、街に続く道に見張りが立ちその行く手を阻まれてしまえば、それまでだった。

そして、この男性はなおも差し入れには手をつけなかった。

 故にその手は彼が来る前よりもほそまっていた。

 そんな指を、男性は彼の首に掛けたのだ。


 彼は騒がなかった。

 ただ男性の、枯れ木のようになってもまだ力は入る指を受け入れる。

 じっと、男性の眼を見据えて。

 瞳には恐怖も、嫌悪も無く。

 貴方が望むならそうすればいいという甘受の姿勢だけを示して、彼は大人しくしていた。


 徐々に詰まる息に自然な反応として、体が呼吸を求め鼻がひくひく動く、体が震える。

 それでもなお、彼は男性に攻撃する事も、逃げることもしない。

 彼のその態度は、男性の心の何かを挫いた。


 締める手を離し、慟哭を上げながら彼を抱きしる。

 彼が発する言葉を訳するならば次のようになる。


「何故もっと早く来てくれなかった」

「何故いまさらになってきた」

「何故かみ殺してくれない」


 続く、何故とそれに続く様々な言葉。

 だがその内容は彼には理解できないし、解るのは彼の主人が泣いているという事だけ。

 深い悲しみがそこにあるという事だけ。

 彼はそんな主人の涙を流す頬をただ舐め続ける。

 舐め続ける。

 舐め続けて、いつしか主人が泣きつかれて子供のように眠り込むと、自らも寄り添って眠った。




 次の日から、主人はそれまでの態度を一変させ、彼を可愛がり始めた。

 差し入れられる食べ物も分かち合い、徐々に家の外に出歩き、彼を散歩させる。

 そして彼の縄張りを少しずつ、少しずつ広げて行く。

 身なりを整えようとはしなかったが、酒を止め、きちんとしたものを食べ、広い街を出来る限り歩く。

 主人は徐々に元気になり、彼を可愛がる。

 彼にとっての幸福が続いた。


 いつしかポーキュリアを連れ歩く襤褸の男は街の風物詩となり、上流階級や中流階級の人々に苦いものを感じさせたものの、下層の人々からは憧憬を集めた。

 その一日は、差し入れられた食べ物を彼と主人で分け合い、昼食分を包んで一日をかけて街全体を囲うように彼に縄張りを作らせる。

 たかが散歩で一日というかもしれないが、馬車などの乗り物も使わず、現代で言えば一辺が五キロメートルはある街の外周を徒歩で回るとなればそのくらいの時間は掛かってしまうものだ。

 むしろ、年老いてからもこの習慣を続けた男性はかなり体力的に恵まれていた方だろう。

 ただ、周囲から見れば毎日散歩をするだけで暮らせるように見えるのも確か。

そういう意味では下層民には憧れの的だった。


 こうして日々を過ごした彼らだが、ついには別れの時がやってくる。

 主人の命数が尽きるときだ。


 結局、彼と共に過ごすようになってからも最低限のものしか求めなかった老人は貧民街の住人の大多数から惜しまれながら逝った。

 その命が尽きる瞬間、あまり鳴かない彼が、街に響くような大きく、哀しい声で、時を告げる鐘の様に繰り返し鳴いた。

 それから後、彼は主人が葬られるのを見届けると再び旅の空に戻った。

 自らが育ったような森を過ごし、そこで番となる雌のポーキュリアを探して子を成し、次代に繋ぐのだ。


 そしてその後は再び新たな主人を探して旅をする。

 ポーキュリアとは、そういう生き物なのだ。

 彼の出会いと別れが永久になるのは、まだまだ先の話だが。

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