≪天使の追憶Ⅳ≫ 運命
がきぃぃんっ、と鈍い音が剣先を遮った。いつの間にかアルメスは剣を手に持ち、笑いながら鍔迫り合う。
「無駄だよ。君の攻撃は届かない……何故なら……君の事を一番知っているからさぁっ!!」
突如アルメスは力の込める向きを逆に変える。俺の剣は前のめり、視界一杯に禍々しいオーラを放つ剣が広がってくる。
だが、避けられないものじゃねぇ!
紙一重で避けながら音速すら超えるスピードで応戦した。
だがそれすら嘲笑うようにアルメスの剣は寸分の狂いなく受け流してくる。
「っっつぁあああああああっ!!」
周囲に天聖力を爆発させ、大きく飛び退いて一旦体勢を立て直した。
俺は人生で初の息切れと言うものを体験しながら問いかけた。
「なんで…てめぇは…天使でもねぇのに…天界に居られたんだぁ!!?」
「決まっているじゃないか。僕も天使だからね。」
「ふざけんなよてめぇっ!!天使が世界を壊すようなこと出来るわけが…」
「それが出来るのさ。」
アルメスはやれやれといった感じで首を力なく振る。
「ま、この世界では…避けられない災厄……なんて呼ばれた時代もあったけどね……運命の天使アルメスは……本当の名前はアンゴルモア。君も知ってるだろう?この世界は僕によって破滅する運命にあるんだ。」
「アンゴル…モアだと…!?」
アンゴルモア。天界の中でも知らない奴はおそらく居ないだろう。
ノストラダムス『予言集』百詩篇第10巻72番「『恐怖の大王』が『アンゴルモアの大王』を蘇らせに天から来るだろう」
だが、この予言は確か外れて忘れ去られた物語の一つだったはずだ。
アルメス……と偽っていたアンゴルモアは俺の察する様子に苦笑して応える。
「ふっ…まさか……恐怖の大王が…このアンゴルモアを復活させる前に殺されてしまうなんて思わなかったよ。…自力で目覚めるの大変だったんだから。おかげで予言は少しずれちゃった。」
天聖力で生み出した光線を駆け巡らせるが、アンゴルモアの周りにある黒い霧のようなものが全てを打ち消していた。
思わず舌打ちをしながら剣を力の限り振り切る。
「そんならぁ!…てめぇをここでぶっ殺せば!その予言は完全に外れるわけだなぁぁああ!!」
「無理だよ…この世界は滅ぶ…それは運命として定められているんだ…このアンゴルモアの手にかかってね。」
「ってめぇえええええええっ!」
天聖力を限界まで剣に込め、力の限りブーストをかけながら剣を横なぎに打ち払うが、まるでそこに見えない壁があるように攻撃は届かない。
刹那ですら表現できない速さで、アンゴルモアの掌に禍々しい力が収束され、俺の体に殺到する。
無様に地上に巨大なクレーターを造らされ、攻撃をぶち込まれた翼はほぼ残っていなかった。
「…っ!…ふふふふふふっふふふふはははははははははあはははははあはははははははっはあはははははははっはあははははっ…」
空中で一瞬、アンゴルモアは目を限界まで見開くと、突如弾ける様に、あるいは壊れたように延々と笑い始めた。
地上で吐血しながら見上げるように睨むと、笑いを堪えるような顔でアンゴルモアはこちらを見返した。
「ふふふっちょっと聞いてよルシフェル!僕の配下ってばとっても有能なんだよ…この世界で生きてる人類は…もうそこにいる彼女以外皆殺しちゃった。」
ひなたを咄嗟に見ると、目を大きく見開き、続けて頬につぅっと涙が伝った。
「…っうぅ…お母さん…お父さん…うぅ…うぁぅ…」
その雫が地面に落ちたのを観た瞬間、体がかっと憎悪と殺意に満たされ、痛みを忘れて力が渦巻いてくる。
「…てめぇだけは…てめぇだけはぁぁあぁ!!」
殺意に身を預け、一心不乱に剣を振りかぶる。だがアンゴルモアはそれをまるで赤子を相手するように容易に受け流しながら溜息をつく。
「…あのさ…もう止めない?どうせ君はこのアンゴルモアに敗れる。そういう運命なんだよ。」
「くそがっ!ならその運命、俺がてめぇごと消し飛ばす!」
そう叫んだ瞬間、急にアンゴルモアの雰囲気が冷たいものへと変化する。周囲に禍々しい空気が満たされ、吐き気すら感じた。
気づくと、腹部は背後からの剣で貫かれていた。痙攣する手でその剣先に触れようとすると、次々と全身のあらゆる部位に剣が貫かれていく。
「がぁ…うぉ、ぐぉお…」
「……落ちなよ、天使ルシフェル。」
アンゴルモアの掌がどす黒い光を放ち、俺の体を塵芥の如く吹き飛ばした。
飛ばされた方向は、自分が張った結界の壁で、ひなたがいる空間事態が大きく震えた。
天使の姿なのに重力に抗うことすら出来ずに地面に落下すると、俺の天聖力の低下と共に結界が解けてしまった。
視界がぼんやりと浮かぶだけで定まらない。指一本すら動かせず、ただ手足が勝手にビクビクと痙攣するだけだった。
初めて感じる。死という感覚に、体が蝕まれていく。
ひなたが懸命に俺の体を揺すっている。瞳から滂沱の涙を流しながら何かを叫んでいた。意識すら浮遊して何も聞こえない。大好きな人の声すら…聞こえない。
突如、ひなたの背後にアンゴルモアが実体化した。ひなたは俺の体を抱きしめながら叫ぶ。
「 ぇ!」
ひなたの声は聞こえない。いよいよ天使に死神の鎌が迫ってきたのを感じる。
「お願 よぉ!」
落ちてくる涙が頬を何度も打ち付ける。…俺は…死ぬのか…
嗚咽と悲鳴交じりの声が、突如鼓膜にぶち込まれてきた。
「お願いだから死なないでよぉ!るーちゃんがいないと駄目なんだよぉ!私を置いていかないでよぉ!!」
「!!!!!っ」
脳を突如雷鳴が駆け巡る。そうだ…俺はまだ…コイツのためにも…死ぬわけにはぁ!
「いかねぇんだよぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
全身から再び天聖力が溢れ出す。まだやれる!負けるわけにはいかねぇんだよ!!
「……ほう…大天使になったか…」
アンゴルモアは感心するようにこちらをじっと見つめている。だが驚愕は少しも見られない。
「…うぅ…るーちゃん…るーちゃんの…ばかぁ…」
胸にひなたのの体が飛び込んでくる。顔はあいかわずぐしゃぐしゃに濡れていたが、もう彼女に悲しみはなかった。
そっと頭を撫で、俺は立ち上がる。
「…全く…お前は天使を見ても何の反応を変えないなんて…どうかしてるよぉ…」
へたり込んだままひなたは優しくはにかむ。
「だって…私が大好きなるーちゃんであることは…変わらないもん。」
その言葉に、俺はふっと笑って返す。それだけで俺たちは十分だった。
「始めようぜぇ…愚王様よぉ!…この世界は好きにさせるわけには…いかねぇんだよぉぉおおおおおおおおお!!」
貫かれていた部位が瞬く間に回復し、翼はより大きく広がる。勝利以外に俺達の道はない。
アンゴルモアはふっと呆れるように肩を落とす。
「何で決まりきった運命に抗うのかな……」
今まで感じたことのない圧倒的な天聖力を纏いながら、剣を振りかぶる。
剣先は漆黒の霧を霧散させ、アンゴルモアの禍々しい黒剣と激しく鍔迫り合う。衝撃とエネルギーの奔流が周囲を混沌の光へといざなった。
アンゴルモアは失望を露にしながら呟く。
「何故だい…何故運命に抗うんだい…もう君達は死ぬしかないのに…」
「俺は運命なんか信じねぇ!俺の道はぁ!俺達の道はぁ!俺達が決めんだよぉ!!」
アンゴルモアが腕を水平に振ると、見渡せる限り全ての方向に剣の海が広がり、狂いなく俺にめがけて一斉に降り注ぐ。
力を逆向きに放出し、全力で空を蹴って後ろに下がる。
「……仕方ない……運命っていうのものを分かりやすく説明してあげるよ。」
油断なく俺は剣を構えながら睨みつける。それを気にする様子もなくアンゴルモアは言葉を紡ぐ。
「例えば…ここに一冊の本があるとしよう。内容は…そうだな、冒険物だ。
その本の中での主人公は、素晴らしい仲間とであったり、強大な敵と戦ったり、大切なものを手に入れたりするんだ。
…でもそれってさ…起こるべくして起こった運命だよね?だってそう書いてあるんだもん。筆者がそうなるように書いた物語なんだもん。
この世界もおんなじさ。もう破滅することは物語上避けられない。読み進めれば進めるほど、それは避けられなくなる。
この世界は読み進めてしまったのさ。破滅と書かれたページまでね。」
……決まりきった運命だと?……ふざけんなよ、くそったれが。
「…てめぇの言いたいことはわかった……この世界が破滅の道を進んじまったのも理解した…」
「…ふぅ…やっと分かってくれ…」
「けどなぁ!!理解できたからって…そんな運命とかいう糞つまんねぇもんでぇ!!俺達が死ぬ道理はねぇんだよぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
「な!?この力は!?」
剣に全てをこめ、光の渦をぶちまけながら加速して、世界がスパークするほどの全天聖力をぶちかました。
絶対この一撃で決める。必ず…俺は!あいつだけは守ってみせる!!
「うぉおおおおおおおおおおおおぁああああああああああああっ!!」
圧倒的なエネルギーが天地を鳴動させ、視界をアンゴルモアもろとも全てを消し飛ばした。
周囲から燐光が消え、周囲には俺とひなた以外誰も存在していなかった。アンゴルモアはおろか、街並みや化け物たちでさえ、今は影すら残っていない。
自分が喉を鳴らしながら何度も短い呼吸を繰り返している事に気づく。おそらくもう天聖力はほとんど残っていないだろう。
「……てめぇに勝ったよ…アンゴルモア…俺達は…運命を超えたぞ…」
太陽のような眩しい笑顔が美しい彗星を頬に描きながら俺を迎える。俺はそれに対して同じく笑顔で返した。
青天の空が背中を大切な人へと、大好きなひなたへと運ばせる。俺達は運命に抗い、乗り越えた。これからもずっと二人で生きていける。
そう信じていたからこそ、
俺は大切な人を
目の前で失った。
どっ、という音が周囲の静寂のせいで耳にとても大きく響き渡る。
「君達は…運命を変えることは出来ないんだよ。悲しい事にね。」
ひなたの背中から、禍々しい形をした剣先が無数に現れ、真っ赤な鮮血を奔らせた。
ひなたは自分の貫かれた腹部に弱々しく顔を向ける。苦悶の表情を押し殺し、彼女は無理やり笑みを作りながらこちらに手を伸ばした。
「るーちゃん……私は…るーちゃんと…いら…れて……とっても…幸せ…だったよ……大好き…です…」
命をすすっていた剣が一斉に引き抜かれ、俺の大切な、大好きな、人間は、力なく倒れた。
「ひな…ひなたぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」
崩れそうな精神で必死に駆け寄り、抱き寄せて壊れそうなほど揺する。
彼女は穏やかな笑みを浮かべたまま、瞳を開けることは叶わなかった。
「…冗談だよ……ひなた…さっさと起きてさ…遊園地行こうぜ…楽しいこと…探しに……」
溢れる涙が言葉と思考を遮る。それを拭ってくれる人は、もうこの世から消えてしまった。
「うぅうわぁあああああああああああああああああああああああああぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁ…ぁああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」
俺達は必死に足掻き、もがき、運命と闘った。
でも俺はひなたを失い、全てを失った。
運命には、勝てなかった。




