≪天使の追憶Ⅲ≫ 仕組まれたⅩday
そこから先は夢のように過ぎていった。…まぁ…そのうち気が向いたら…思い出に浸るとするさ…
とにかくアイツといると、全てが楽しくて仕方がなかった。
※
全てを焼き尽くしてしまう程の熱波が降り注ぐ夏。二人で海へと出掛けたその日は、快晴でキラキラと太陽を反射する波が浜に命を送り、東雲をより一層引き立てていた。
『うわっ!冷てぇ!んだこれぇ!?』
『ほぉ~瑠雨ちゃん!海知らないんだぁ!?全く全くぅ!……それじゃあ……えいっ!』
『ぬぉ!おい!?かかったじゃねぇかっ!!』
『だってかけてるんだも~ん!』
『…………はっ!いいだろう!…後悔させてやるよぉ!!』
割と本気で水を無茶苦茶に前方で微笑む彼女へと連射する。
『うひゃぁ!?瑠雨ちゃんいきなり過ぎるよ!全く…へへっ!負けないもんねぇ!うりゃぁあああっ!!』
互いに笑いが浮かぶ第1次水かけ戦争の結果は、天使の大敗だった。敗因は知っている。…あの眩しい笑顔には勝てなかった。それだけだ。
※
全体に景色が落ち着いた空気が包み、世界を彩る紅葉が美しく舞い乱れていた秋。少し肌寒かったが、隣から暖かさが伝わってくるの問題なかった。
『あ、あのさ…る、瑠雨ちゃんっ!』
紅葉の並木道を二人で散策していると、意を決したような顔つきで俺の顔を真っ直ぐに見てきた。
彼女と視線が交差すると、何故か病気でもないのに自分の体温がかぁ、と上昇していった。
『……何だよぉ…』
『…えっとぉ……………手、…繋いでいい?』
『…………………』
『あっ……うん……温かい……ありがとう。瑠雨ちゃんの手…とっても…温かいよ。』
気が付くと俺は、その温かくて綺麗な手を握っていた。
幸せそうに微笑むその顔はどんな紅葉よりも鮮やかで、俺の心をひきつけていた。
馬鹿……俺は温かいどころか…熱かったんだよ……
※
そして、大地を真っ白く化粧染めさせ、刺さるような寒さが覆い尽くしていた冬。俺たちは公園で遊んでいた幼い子供達と共に雪で思いつく限りの遊びをこなした。
全員の息が切れるほどに巨大化させた雪だるま。彼女は一生懸命に雪だまを転がしていた。もちろん俺も一緒にだが。
雪を丸め、相手にぶつけあう遊び、いわゆる雪合戦は俺とあいつの二チームに分かれて行われた。雪合戦自体の結果は無論、完全完敗。でも彼女の笑顔が見れたので結果的には引き分けだったのだろうか。
だだっ広い広場に移動し、カマクラを造り上げた時は生きてきた中で一番大変で、達成感があった。
子供達と別れると、俺たちは人気のなくなった公園で二人きりになっていた。
東雲は買ったココアを飲みながらベンチに腰掛けたので、隣に俺も座る。
『…ほふぅ……瑠雨ちゃん、今日も楽しかったね…』
『あぁ……確かに楽しかったなぁ…』
『…………』
『…………』
暫くの沈黙が場を支配し、雪の落ちる音すら聞こえそうなほど静かだったが、心地よい時間だった。
彼女は夜空を微笑みながら仰いでいた。俺も同じ場所も見ていたくて、反射的に同じく見上げていた。
『……ねぇ瑠雨ちゃん…いいかな?』
『…何だよぉ?』
『……変なこと聞くかも知れないけど……瑠雨ちゃんは幸せ?』
『………唐突だなぁ………そもそも幸せってなんだよ?』
俺が呟くように言うと彼女は目をキョトンとさせたあと、俺をいつもの温かい笑みで迎えた。
『それはね………私でも分かんないや。』
『んだそりゃ…』
『でもね…瑠雨ちゃん…私が思うに……それを探し続けることが幸せを掴むことに繋がるんじゃないかな~って思うよ。』
『ふぅん?…そんなもんかねぇ…』
『そうだよっ!少なくとも私は…君と居られて…とっても……』
『…………ん?とっても…何だよ?』
『……全く…鈍感すぎるのも考え物だね……じゃあ教えてあげるから……………目を閉じて…』
『目ぇ?……何でだよ……ほら、これでい…!!!!?』
唇に柔らかいものが押し当てられ、反射的に目を開くと、彼女の顔がぴったりとくっ付いていた。思わず後ずさろうとすると、首にがっちり腕を回され、ねぶるように、あるいは何かを確かめるようにゆっくりとキスされた。
やがて彼女は、紅潮しきった顔で微笑んだ。
『瑠雨ちゃん……とっても…あなたのことが…大好きです……あなたといられて…私は幸せ……もう一度言うよ?…大好き。』
こいつから…彼女から…ひなたから『大好き』と言われた瞬間、俺の中で何かが弾け、生まれていた。
…きっとそれが……愛だった。
『………全く、…ドストレートだねぇ…お前は…』
いつの間にかひなたの口癖が移っていたが、構わず俺は……大好きな相手に言葉を紡いだ。
『……俺も…お前のことがっ、ひなたのことが大好きだ!!絶対一生!お前のことを守ってやる!』
その時、ひなたは…最高の微笑みで返してくれた。全てを与えてくれたいつもどおりの最高の微笑みだった。
『…これからも…よろしくね…瑠雨ちゃん…』
『あぁ…これからもずっとお前の傍にいる。約束だ。お前は俺が必ず守るよ。』
※ ※ ※
だが、約束を果たし続けることは……俺には出来なかった。
あんなに…愛していたのに。
あんなに…大好きだったのに。
あんなに…守るって決めたのにっ!!!
俺は!!約束一つすら守ることが出来なかった。
約束を果たせなくなったのは、ひなたと約束してから、僅か一ヶ月程度の春。
……ちょうどその日は、俺とひなたが出会ってから丸一年たった日だった。
日曜日、俺たちは七時に駅に待ち合わせて、遊園地へと行く予定だった。……まぁ当然、楽しみだったので六時頃に待ち合わせ場所に行ってしまったのだが……何とひなたはもっと早い五時半から待っていたらしい。曰く、「瑠雨ちゃんのことだから六時くらいには来ていると思った」らしい。…コイツには何でもお見通しだったわけだ。
手を繋いで遊園地に向かおうとした時、悲劇は始まった。
空はどす黒く染まり、ブラックホールのような歪みが空をポッカリと穿った。
その中から幾万もの魑魅魍魎共が聴覚そのものを不快で振るわせる音で雄たけびを咆哮しながら世界へと飛び広がっていった。
その化け物たちが周囲の人々を喰らい始め、世界を一瞬でパニックの渦へと飲み込んでいた。もちろん天使である俺も、例外ではない。
ただ一つ理解できていたことが、
「っっ!!走るぞっ!ひなたっ!」
ただ、こいつだけは死なせてはならない。ということだけだった。
恐怖に怯える顔は、俺の顔を一瞬だけ見ると即座に頷き、手を繋いだまま走ってくれた。
あらかた周囲の人間を喰らい尽くした化け物のうち一体がこちらに気づき、牙から鈍く滴る血液を光らせ、歪な翼を広げながらこちらに襲い掛かってきていた。
徐々に詰められていく距離。絶望的な速さに俺は選択を迫られていた。
天使ということを明かしてこいつを倒すか、死に物狂いでこいつから逃げるか。
だが、後者はほど不可能だろう。腐臭のようなものが背後にすぐ迫るこの距離を伸ばす方法は人間のままでは存在しない。
……やるしかない…
そう俺が決断しかけた時、聞き覚えのあることが響いてきた。
「駄目だよルシフェル。君はまだ愛を捨てるわけにはいかないんだから。」
背後で一瞬閃光が迸り、化け物の低い断末魔が届く。そこには、長年俺をサポートし続けてくれた天使であり、同時によき友である、アルメスが後ろ向きで立っていた。だがひなたがいるせいか、翼は仕舞っており、天聖力も抑えられている。……今思うと、これが本来の彼の姿だったのだが。
「行って!ここは食い止めるからっ!」
「おいアルメス!これはどういう状況だ!!」
「今この世界は外部からの侵入者より攻撃を受けている!それだけ言えば分かるよね!?」
俺はチラリと隣を見て頷く。…分かってる!!今はこいつを守ることだけに専念する!
「すまねぇ!あとで必ず加勢するっ!!」
「…一ついいかなっルシフェル!」
「…何だ?」
周囲には化け物がいないことを警戒しながら応答する。
だが、アルメスが振り向いた瞬間、どんな化け物よりも悪寒が走り、汗が滲んだ。
「君は…愛を……見つけられたかい?」
「…ア、ルメス…?」
思わず後ずさろうとすると、腹の辺りから鈍い音が響いた。
「……え……瑠雨ちゃん…瑠雨ちゃんっ!?あぁ…ああっ!!」
背中から胸を何本のもの剣が俺を貫かれ、隣から悲鳴と絶望に染まった声が轟く。
「……ぬぉぁ……」
声すら上げられない痛みに思わずたまらず目を見開いて呻く。
アルメスがにやりと頬を引き上げると、勢いよく剣が抜け、俺は支えるものを失って力なく倒れこむしかなかった。
「ふふふふっ…君の負けだよ…愚かな天使、ルシフェル」
アルメスがゆっくり、だが確実にこちらに歩み寄ってくる。アルメスは間違いなく敵だった。
「…く、…そがぁ…」
「瑠雨ちゃんしっかりして!瑠雨ちゃんっ!!」
涙を溢れさせながら必死に俺の体をひなたが揺する。
……わりぃな…もう、お前と共に歩むことは出来なくなるかもしれない。
でも…それで…コイツを守れるなら!!
「うぉ…うぉおおおおおおおおおおおおおおっ!!!」
全身に力を込め、長く眠っていた天聖力を呼び覚ます。傷が一瞬で癒えていくのを感じ、背中に真っ白い翼が生えた。
「……瑠雨…ちゃん?」
ひなたがその場でへたり込んだまま呆然と俺を見つめる。無理もない、俺はもう人間の姿じゃない、天使なのだから。
このとき俺は、ひなたとの関係が途切れてしまったことを確信してしまったのだが、彼女の瞳を覗くと、そこには恐怖も拒絶もなく…ただ
「…よかった…瑠雨ちゃんが…生きてて…」
涙が美しく輝く笑顔があった。ひなたにとっては…ただ俺が生きているということだけで十分だったらしい。
……全く…そういうところが…俺は…大好きなんだよ。
「ひなた、待ってろ…必ず……お前は守るから。」
「…うん…うん、うん!…私…瑠雨ちゃんのこと信じてる。これからも…ずっと…」
俺は腕を一振りし、ひなたの周りに天聖力の結界を張る。
「おい……確認だがぁ…この化け物共をこの世界に呼んだのは…てめぇか…」
アルメスは全てを恐怖に落とすような笑みを貼り付けて答えた。
「うん、それが?」
刹那、俺は腰から天聖力が満ち溢れる剣を抜刀し、翼を羽ばたかせて距離を詰め、倒すべき敵に力の限り腕を振り下ろした。




