≪天使の追憶Ⅱ≫ それぞれの探し物へ
少女の髪は一瞬金髪かと錯覚したが、よく見ると太陽が反射した明るい茶髪で、キラキラと輝きを放っていた。
暫くそうしていると、腕の中の少女は頬を薄紅色に染めながら視線を少しだけ背け、遠慮がちに言った。
「あ、あの……あんまり見つめられると……恥ずかしいかな…」
「あ?…あぁ…わりぃ…」
……何故俺がこいつから目を離せなかったのか…それは全く分からなかった。
「…立てるか?」
「う、うん……」
俺がゆっくりと少女を立たせ、自転車少年を仲間と思わしき少年達に預けると、何人もの大人がガヤガヤとやってきてなにやら大ごとになってきた。
出来れば面倒なことは避けたい。そう思った俺は、足早にこの場を離れようと足を進め始めたのだが…
「あ、あの!待ってっ!」
少女の制止する声に思わず足が止まる。……くそっ出来れば人間に関わりたくねぇんだがなぁ…
「…何だよ?」
思わずぶっきらぼうな言い方になってしまったが、まぁ別にいいだろう。だが、それに対する少女の反応は、…全てを照らすような優しい笑顔だった。
「…ありがとう。あなたが助けてくれなかったら…多分、私は死んでた。」
「…まぁ…そうだな…じゃあ俺が救った命、精々大切にしてくれや…んじゃあな…」
再び歩こうとすると、少女は後ろから俺の右手を素早く掴んできた。思わず舌打ちしかけたが、日ごろの行いがよかったせいか、心の中だけに押し留めることが出来た。
「あの、……さっきは本当にありがとうございます!何かお礼をさせてください!」
「は?…お礼?」
ぐぅうう~と、見計らったように俺の腹が低い唸り声を上げた。あぁ…そういや飯食いに行くとこだったなぁ…
少女は目をキョトンとさせると、すぐさまクスリと笑った。
「じゃあ…ご飯食べに行く?」
そういって少女は、隣に立って笑顔を振りまきながら歩き始めた。
「……………なぁ」
「うん?あ、…大丈夫!私持ちだから安心していいよ。」
「…いや、そうじゃなくて……」
「??あ、私の名前?…そういえば言ってなかったね。…全く、うっかりしてたよ。私は、東雲ひなた(しののめ・ひなた)よ。よろしくね!」
「あ、あぁ…よろしく…………いや、そうじゃなくてだな…」
「うん?……あ、あぁっ!?」
俺が繋がっている手を前に上げて見せると、東雲は今更ながらに頬を紅潮させながらパッ!と素早くその手を引っ込めた。
「ご、ごごごごごごごごめんっ!!全く全く全く全く!いきなり手を繋いだままとか!ななな何やってんだろ私ー!?全く全く全くぅ!」
東雲は頬どころか耳まで真っ赤に染め、激しく動揺しながら「全く全くぅ!」を連呼していた。…何故か俺は、そんな様子を見て頬が緩んでいた。
「ま、俺は別にいいけどよぉ…」
「私が駄目なのっ!全く!分かってないね君は!」
…………人間の心はよう分からん。そもそも何で俺は今怒られてんだぁ?
さっぱり分からん。この世界は分からないことばかりだ。
…………ただ、繋がっていた手には…まだ温かさが残っていた。
※ ※
店の見た目は街路樹に隠れるように建てられていた。他の建物と比べて少し古風な印象があり、店内は俺たち以外客はゼロだった。
東雲はまるで自分のうちのように奥の席へ俺を座らせた。そしてその右隣に当然のように東雲が腰掛、店員に(といっても一人しかもともといなかったが)「いつものっ!」と元気よく頼んでいた。
※
恐る恐る目の前の物体を、フォークと呼ばれるもので軽く突いて見る。先端部は物体の外表部分を容易く突き破り、中から透明な液体が染み出してきた。
「……こりゃあ、食べ物かぁ?」
「全く…知らないの?ハンバーグって言うんだよ。」
…このタウロスの肉を焼き焦がしたような物体が食べ物?信じろって言うのか?………まさか、俺のことを試そうとあえて食べ物ではないものを食わせようとし…
「むもごぉっ!?!」
突如口の中に突っ込まれたフォークに、俺は目を白黒させた。
突っ込んだ張本人は楽しそうに、かつ悪戯っぽく笑っていた。
俺は思わず隣に座っていた犯人に向き直って叫んだ。
「いきなり何すんだお前っ!」
「全く……早く食べないと冷めちゃうでしょ!…それでどう?美味しい?」
東雲は頬をつきながら優しい笑みで返事を待っていた。
………まさか、天使が人間に不覚を取るとは。
だが俺はゆっくりと咀嚼して飲み込んだ次の瞬間には、この世界に来て初めての感動を覚えていた。
「…………これが……美味しいという感情か……マジすげぇ…」
「ふっふっふ…そうでしょう!そうでしょう!ここのお店は私が知る中で一番美味しいハンバーグが出るの!」
……………………そもそも天使は、食事なんて取らなくても生きていけたので、美味しいという感情は始めて知ることが出来たのだが……これからは必要性に関係なく飯はとることにするかねぇ。
その後も何やら色々なものを東雲が勝手に頼んでは俺に食わせてきたが、どれも腹を美味しいという感情で満たすには十分過ぎるものだった。
※
とりあえず食べる動作にも一段落つくと、東雲は改めてこちらに向き直り、深々と明るい茶髪を下げた。
「今回は、本っ当に、ありがとうございました!この命大事にします!」
「…何度言えば気が済むんだよぉ……」
つか、命を大事にするって……
「お前さぁ…あの少年のこと助けようとしたんだろぉ?」
「そうだよ。」
「何故だ?」
「何故って?」
「あの人間は自分のせいで死に掛けた自業自得だぞ?お前が危険を冒す意味が理解できねぇんだが……」
東雲はキョトンとした後、本当に分からないといった感じで言った。
「え?困ってる人は助けるのが当然でしょ?」
「は?」
あまりにも率直に、いや愚直に、自分の信念を信じて疑わないその声に、天使である俺は絶句するしかなかった。
東雲は少し笑みを強めながら続ける。
「だって…生きている間は…楽しいことを探せるでしょ?皆が楽しく生きていけるなら、私は何でもするよ!」
「……お前は……他人のために人生を捧げるのかぁ?」
俺が呆れるように言うと、東雲は笑顔のまま首を振った。
「他人じゃないよ。だって皆の中に、私も入ってるもんっ。私だって今を精一杯楽しんでるよ!」
「………なるほど……つまり、お前の中じゃあ…楽しいことを見つけるのことが幸せってことかぁ?」
「うん!人生は楽しければ全てよし!が私の座右の銘だもんっ!」
むんっと誇らしげに胸をそらしながら微笑んだ。こいつと居ると、何だがこちらまで楽しくなって来る気分に陥った。
「………ふっ」
「あ、今笑ったでしょ!?」
「わりぃ、何だか可笑しくてな。」
そう言った瞬間に東雲は頬を膨らませながら可愛らしく怒る。
「分かった!コイツ馬鹿だなー、とか思ってたんでしょ!全くぅ!私は真面目なんだよ!大真面目なんだよー!」
「……お前は、本当に、楽しそうだねぇ」
「むむむぅ……全く……怒っているのに楽しそうって言われたの初めてだよ…」
むーと頬を膨らせている割には上目遣いでこちらを見つけている。だが、その顔は次の瞬間には笑いを抑えるので精一杯になっていた。それに合わせて俺の顔も笑みがあふれそうに…
「ぷぷっ…」
「…ふっ」
いや、こぼれてしまった。しかも二人して同時に。
「…さぁて…俺そろそろ行くわぁ…」
「あ、もう行っちゃうの?…何か用事でもあるとか?」
「いや…特に無…」
ピピピッ!!とポケットの携帯が震える。「わりぃ」と一言だけ謝って通話ボタンを躊躇い無く押す。どうせ相手はわかってる。
『待ってルシフェル。…今彼女との距離を縮めることは出来そう?」
「あぁ?距離?まぁ縮められるが?……ほらよ…」
俺は少し体を東雲に寄せながら、会話する。隣からは「ひゃうっ!?」という小さな悲鳴が上がったが、意味はよく分からなかったので無視した。
アルメスは「そういう意味じゃないけどね。」と苦笑するような声を漏らして続ける。
『《愛》を探すには、そっちの世界の人間の助けが必要っていうわけさ。』
「なーるほど…」
俺はチラリと横で東雲を見る。その頬は何故か赤く染まっており、それでもとても幸せそうな笑みを浮かべていた。
「つまり、こいつと一緒に探せとぉ?」
『まぁ…そうなるかな…』
「却下断るふざけんなぁ。俺は自分のことで人間を巻き込みたくねぇ。」
俺は思わず終話ボタンをタッチして、アルメスとの対話を断ち切った。
ポケットに携帯を入れると、東雲が首をかしげながら尋ねてきた。
「友達?」
「……まぁ友達っちゃぁ…友達…だなぁ…」
「へぇ…君って友達いたんだ。何か意外!」
「意外って何だ、意外ってよぉ…」
「ふふっ…私、君のこと……気に入ったっ!」
「あぁ?何言ってん…っておいこら何してんだお前はぁ!?」
突如、東雲はぎゅっと俺の右腕に絡み付いてきた。それと同時に優しい香りがふんわりと俺を包み込んだ。
引き剥がそうとすればするほど力を強く込められ、離れようとしない。…マジ人間意味わかんねぇ…
「全く全くぅ~!君となら人生がもっと楽しく出来る気がするんだよ~。」
「ちょっと待ておい!まず状況を説明しやがれ!」
東雲は楽しそうな笑みを浮かべたまま腕をとりあえず解放した。
「簡単に言うと……付き合ってください!」
「…………………」
東雲は楽しそうな顔で手を差し出してきた。俺は咄嗟のことで思考が追いつかない。……付き合うって……何の話だぁ?
その疑問をぶつけようとした瞬間、東雲ははっとしたような顔を浮かべ、刹那にして頬を赤く染める。……感情がころころ変化してせわしない奴だなぁ。
「わ、わわ私と一緒に楽しいことを探してくださいって意味だからね!別にそのっ!恋愛してくださいとか…そういうのじゃ……なくて…」
途中で完全に俯いて沈黙してしまった。こっから見ると、恥ずかしさからか、もう茹であがっているようにしか見えないんだが。
…………もしかしたら…《愛》っていうものを見つける手がかりにもなるかも知れねぇ…か……はっ…これじゃあアルメスに言われた通りみたいじゃねぇかよ。
……だが俺は…こいつの笑顔を壊すことだけは、絶対にしたくなかった。
なら、こいつのやりたいようにさせるさ。
「…分かったよぉ…お前に付き合ってやるよぉ…その楽しいこと探し。」
俺が降参するように両手を挙げながら言うと、東雲は心底嬉しそうにとびきりの笑顔になった。
「うんっ!こちらからもよろしくね!…………えーとぉ…」
「あぁ?どうした?」
東雲は手を差し出した直後、瞬時に困ったような顔を作っていた。
「…ごめん…君の名前……まだ聞いてなかった…」
俺は暫く言葉を失ったが、やがて腹の底から盛大に笑い転げていた。
こいつは、名前すら知らない奴と一緒に笑い、一緒に楽しいことを見つけろって言っていたのだ。これが笑わずにいられようか。大変な滑稽である。
それゆえに、俺はこいつが好きになったのかもしれない。
涙が浮かんだ目じりを拭い、俺は一度深呼吸して彼女を見る。
名前を言おうとして、ふと思う……ルシフェルはヤバイよな………なんか人間っぽい…名前は…
「……天川瑠雨」
「ふむふむ…瑠雨ね…うん、覚えた!それじゃあ瑠雨!張り切って行こー!!」
最悪に近いネーミングセンスだと思うのだが、東雲は全く気にしていないように笑顔のままだった。
俺はそんな顔を見て、苦笑しながら頭をかくと、何だかこちらまで楽しくなってきた気がした。
「じゃあ、楽しいこと、探しに行くかねぇ!」
俺は、面白くて可笑しくて最高な人間の名前を初めて口に出して、意気揚々とその手を取るのだった。




