編集者と、原稿。
*3
出版業界に携わる生き物は、世間一般でいうところの「長期連休」をとても嫌う。なんでかっていうと、連休に入ると印刷所が閉まるので、単純に〝とても忙しくなる〟からだ。
「シャノン! 貴女が担当してる先生の原稿はまだ!?」
「そ、そのぅ……。電話はおろか、メールの返事もかえってこなくてぇ……!」
「音信不通なんて〝当たり前でしょ〟!! 押してもダメなら、押し切ったり、こじ開けたり、捻ったり締めあげたりして、とにかく続き書かせなさい!」
「ひ、引くという手はないんですかぁ!?」
「ウチみたいに弱小に、そんな余裕はないわ!!」
――まぁ、余裕がないと、必然的にピリピリする。
シャープなフレームメガネを掛け、スーツ姿が様になる「譲葉美鈴」編集長に、今年入った〝新獣人〟の「シャノン・ロッテ」さんは、
「す、すみません、が、がんばって原稿もぎとります……っ!」
ぺこぺこ、頭を下げていた。
小柄で、きつね色のしっぽを震わせた彼女は、こういっては悪いけど、やっぱりちょっと、小動物っぽくもあって、
「――平野っ」
「はい」
給水場にいた僕は、薄いパーティションを隔てた先から顔を出す。
半々の確率ぐらいで、こっちにも声がかかるかなと構えていたので、リアクションはいつも通りだ。
「リーアヒルデ先生の原稿の進行は?」
「できてます。後は先生に最終確認の了解をいただくだけです。イラストの編集も終わってるので、了解がもらえ次第、印刷所に回します」
「そう。でも最後の最後でなにかあるかもしれないからね」
「その時は対処してみますけど、たぶん、大丈夫かなと。あ、編集長もお茶飲みますか。玄米茶ですけど」
「頂戴」
譲葉編集長はすばやく応えつつ、指先で「アレにもね」と示す。
「はぅぅ~! はやくお返事ください先生ぇ~~っ!!」
シャノンさんは自分のデスクで両手を合わせ、全身全霊で、モニターに向かって念を送っていた。
僕は湯呑をあわせて三つ盆に乗せ、まずは譲葉編集長に渡し、それから残る二つをシャノンさんのところに持っていく。
「メール、返事こないんだって?」
「あっ、平野先輩っ! そうなんですよ~っ!! 一緒に神様に祈ってくださぁい~っ!!」
「祈る前に、一つ質問させて」
ふぅ、と息を吹きかけて、自分のお茶を一口飲む。
「担当してる先生って、五十五歳でウチの新人賞取った人だったよね」
「そうですっ! エルフのおじいちゃん先生ですぅっ! 緻密な軍事描写と古代魔法兵器群のディティールが無駄にすげぇ! と一部で大評判な〝オレと魔道列車兵器な彼女〟を書かれているお方ですぅ~!!」
「研究肌の先生だよね。メールの返信来なくなったのって最近?」
「はいっ! 新刊用の、最後のラスト一章なんですけど……それまでは、ちゃんと締切守ってくれてたのに突然……」
「なにか要望出したりした?」
「いいえ。いつも通り、細かい誤字の修正点と、ちょっと説明描写が長いところを、省いた方がいいと思いますって……一度は〝了解しました〟って返信来て、それっきり……」
「そっか。もしかしたら、こっちのやり方に不満があるのかもね」
「えぇっ!?」
シャノンさんの耳としっぽが、ぴーん! と反応する。
「作家さんってね。実は表向きには出さなくても、内心はネットの評判とか、読者さんの傾向を、ものすごく気にしてたりするんだよ」
「で、でも先生は、そういうの気にしてませんよって……」
「うん。そういうことを言う人はね。ほぼ間違いなく、気にしてるから」
最近の傾向とか。流行すたりとか。売れ線とかね。
「下手すると、僕ら編集の人間よりも、視点が先に行ってたりするよ。だから次にメールを送る時は、何かこちらに不手際や、気になる点がありましたでしょうか、って聞いてみるといいかも」
「わ、わたしっ、お仕事はちゃんとやってますっっ!!」
しっぽが、ゆーらゆら、揺れる。
シャノンさんの場合、これは「わたし、怒ってます!」のサインだ。
「うん、シャノンさんが真面目にやってることは、僕も知ってる。でもね、この場にいない作家さんには、やっぱり伝わらないんだ。
だからここは、先にプライドを捨てたもの勝ちだよ。質問の軸をすこし逸らして、なにか新しいアイディアがありましたら、教えてくださいとか。お体の具合は大丈夫ですか、なんて聞くのも意外に効果あるよ」
「で、でも、メール見てないかも……」
「大丈夫。これまでしっかり締切守ってくれた人なら、絶対見てるから」
ここだけは念を押しておく。
「わ、わかりました。わたしっ、やってみます!! 〝オレ魔道〟の先生の原稿は、わたしも大好きなので! 女の子があまりあざとくなくて、ちょっと色気ないところは気になりますけどっ!」
「あぁ、ライトノベルの難しいところだよねぇ」
しみじみ頷いたりして、僕もデスクに戻る。
「ん、僕の方もメール来てる」
玄米茶をもう一口飲みつつパソコンのモニターを確認すると、受信箱には新規のメールが一件。
僕が担当させてもらってる作家さんからの「問題ありませんでした」という返信だった。ただちに「ありがとうございます、ではこのまま作業を進めさせていただきます」と返信した直後、今度は電話が鳴った。
「――はい。こちら『異世界軽小説編集部』です。お名前とご用件をどうぞ」
コール音が鳴りやむよりはやく、受話器を取って。
僕の一日は過ぎていく。