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愛を模した縄を掛ける

作者: 鳴海

 彼女は喪服姿だった。

 真面目な人だ、と思う。同時に、事故から丸一年経ってもなお変わらぬ愛を見せ付けられたような気がして、胃の底が焼け付くような嫉妬に駆られた。


「義姉さん」


 後ろから声をかけると彼女はゆっくりと僕のほうを振り向いて、疲れたような顔で笑った。


「久しぶり。背、伸びたね」


「うん、そっちは」


「見ての通り、変わらないよ。何も」


 目を伏せる彼女。墓には既に花が手向けてあった。僕は紡ぐべき言葉を見つけられず、無言で持ってきた線香の束に火をつけた。

 香る煙が、兄の死を僕に思い出させる。兄は去年の今頃、残暑の夜、車に跳ねられた。即死だった。

 突然の訃報に衝撃を受けたが、それよりも、葬式で聞いた彼女の慟哭が未だに記憶に焼きついて離れないでいる。慎ましく強かな彼女が、あんなにも取り乱している様を僕は初めて見た。

 愛されていたのだ。否、彼らは愛し合っていたのだ。

 記憶の中でいつも僕は、桶の前で泣き崩れる彼女を、少し離れた場所から見つめている。


「……もう一年か。早いもんだね」


 沈黙に耐えかねた僕が、言葉を漏らす。


「そうね。早いもんね」


 しみじみと、彼女が答える。


「早すぎるよ。こんな調子で、私、どんどん一人で年を取って、すぐにしわだらけになっちゃう。あの人はずっとここで、変わることなく眠ってるっていうのに」


 彼女の赤く腫れた瞼が震える。僕はたまらず唇をかみ締め、沈黙する墓石を睨みつけた。

 最低だ。彼女を幸せにするって、言っていたじゃあないか。何故、死んだんだ。

 黙りこむ僕を気遣ったのか、彼女は無理に笑ってみせる。その表情がまた、痛々しくて。

 僕なら絶対に、こんな顔させなかったのに。


「……義姉さん」


 やりきれない想いが溢れていく。

 蝉が一匹忙しなく、鳴き続けていた。


「義姉さんも、死んでしまいたいとは、思わないの」


 僕の予想に反して、彼女は別段驚いたような素振りも見せず、ただ悲しそうに俯いたが、その顔にはやはり自嘲めいた笑みが浮かんでいた。


「何度も思ったわ。でも、なかなかそうもいかなくて」


「じゃあ、心中でもしようか」


「君と?」


「そう」


 僕をまじまじと見つめる彼女。半開きの口からは何の返答も出てこない。


「心中が無理ならいっそ、夫婦になろう」


 僕も彼女ももう既に、死んだようなものなので。

 今更怖いものなど無いと開き直って、十年近く言えなかったことをよりによって今、伝えてしまう。

 ある意味兄への復讐でもある。


「それは無理」


 僕の真剣な提案をあっさりと拒んだ彼女、しかしその顔は本当に可笑しそうに緩んでいて、先ほどまでのほの暗い表情ではなかった。


「でもそうねぇ、心中ねぇ」


 状況に似つかわしくない彼女の間延びした口調につられて、数年は忘れていたような笑みで返してしまう。


「そう、どっかの文豪みたいに、二人で川に飛び込もう」


「私、冷たいのはいやよ」


「じゃあ、首でも吊ろう」


 線香と供え物を入れていた袋から麻縄を取り出してみせると、彼女は呆れたように呟く。


「最初からそのつもりで?」


「義姉さんが拒んだら、そこで引こうと思ってた」


 でも、拒まないから。

 墓地の周りに鬱蒼と生茂る木々から、具合の良い一本を選んで縄を結びつける。彼女は黙ってそれを眺めていた。

 縄の先端を円状にして、墓地に置いてあった桶をいくつか拝借して台にする。これで準備は整った。

 振り向いて、手を差し出す。

 彼女の白い手に触れた瞬間、全てが手に入ったような気がした。


「名前で呼んでもいい」


 お互いの首に縄を通してから、小さく訊く。一瞬たじろぎながらも彼女がうなずいたので、僕は彼女の耳元で、その名をぽつりと呼んでみた。彼女が震える声で微かに兄の名を口にしたのを聞いて、たまらず彼女を抱きしめる。

 そのまま、足場を蹴った。からん、と空虚な音を立てて桶が転がる。

 彼女を抱いたまま、一瞬にして薄れゆく意識の中で様々な思案をする。視界の端に映った兄の墓、腕の中にはその妻、僕の想い人がぐったりとしていて、蝉の鳴く声は遠く、遠く、あぁ、

 何かが間違っているようで、実のところ、全てが間違っている。


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― 新着の感想 ―
[一言] 文芸屋さんとの企画作品と伺い、拝見しました。 文芸屋さんが短く抽象的な作品であるのにたいして、鳴海さんは設定のしっかりとした具体的な作品で、非常に面白く感じました。 繊細な言葉選び、丁寧で贅…
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