第3話:【市民の義務、あるいは全能の暗転】
第3話:【市民の義務、あるいは全能の暗転】
時間停止、一撃必殺、万象反射。
夜の教会を訪れるたび、僕はそんな仰々しいラベルの貼られた「最強」たちを解体し続けていた。
チートの隙間を突き、欠陥を暴く。
そのたびに隣でシスター・クロカワは
「また陰湿な勝ち方ね」
と毒を吐くが、僕はそれを勲章のように受け取っていた。
現実(学校)での生活も、驚くほど好調だった。
予知夢によるシミュレーションは、僕に無限の余裕を与えていた。
例えば小テスト、出題傾向さえ分かれば対策は容易だ。
例えばサッカーの試合。
僕は泥臭くボールを追いかけたりしない。
予知で見えた「終了直前の逆転特異点」
――そこにボールが転がってくる瞬間だけを狙って動き、最小限の動きでゴールを奪う。
「さっきのシュート、凄かったね!狙ってたんでしょ?」
駆け寄ってきた白河さんが、陽光を弾くような満面の笑みでハイタッチを求めてくる。
「……まあね。あそこにボールが来るのは分かってたから」
彼女の柔らかな手のひらの温もり。
予知という裏口入学で手に入れた称賛。
(予知夢さえあれば。これさえあれば、僕は配られたカードの差を埋め、彼女と同じステージに立てる)
思えば合理性を重んじていたはずの僕が、最も非合理な「借り物の力」に魂を依存させ始めた瞬間だった。
ある日の放課後の図書室。
窓際でテスト勉強をしていた白河さんに、僕は思い切って声をかけた。
窓から差し込む斜陽が、彼女の横顔を非現実的なほど美しく縁どっている。
「白河さん、なんだか……機嫌が良さそうだね」
僕の言葉に、彼女はペンを止め、ゆっくりとこちらを振り向いた。
「あら、わかる? 最近、とっても夢見が良いの」
彼女はいたずらっぽく、首を軽く傾げた。その仕草一つで、僕の心拍数は跳ね上がる。
「そう言えば、昨夜の夢に君も出てきたのよ。 夢の中の君は、ずいぶん口が悪かったけれど」
夢に君が出てきた、ということは一歩前進したか?
一緒にテスト勉強をすることになる。
陽気に当てられた僕は、いつの間にか眠りに落ちていた。
視界が、不吉なほど鮮明な「予知」に切り替わる。
図書室の静寂を切り裂き、一人の男が歩み寄ってくる。
彼はこの世界の法も物理法則も超越したような、圧倒的な「強者」のオーラを帯びていた。
男が短剣を振ると、僕を支えていた予知の感覚が、薄氷のように砕け散る。
「チートキラー」――あらゆる異能を無効化し、存在を否定する暴力。
心臓を貫かれた瞬間、熱い痛みと共に、僕の「予知夢」が指先から砂のように崩れ落ちていく。
チートを手に入れたから、異世界の神のチート狩のターゲットになった?
ナイ神父と同じことを異世界の神がしても、不思議はない。
(嫌だ、失いたくない。これがない僕は、ただの――)
「……くん。ちょっと、大丈夫?」
肩を揺さぶられ、意識が現実へと急浮上した。
目の前には、心配そうにこちらを覗き込む白河さんの顔。
冷房の音。まだ、僕は刺されていない。
だが、全身が嫌な汗で濡れ、指先が激しく震えていた。
そして、僕は絶句した。
図書室の入り口。今しがた夢で見た男が、全く同じ足取りでこちらに向かってくる。
夢の中で見た通りだ。
彼は周囲の学生たちを「背景のモブ」とすら思っていないような、傲慢で大物感に満ちた足取りで、真っ直ぐに僕を目指してくる。
予知夢という「カード」があれば、余裕を持って対処できるはずだった。
しかし、今の僕を支配しているのは知略ではなく、圧倒的な喪失への恐怖だった。
もし、あの短剣で「予知夢」の恩恵がすべて消去されてしまったら?
これがない僕は、再びあの「平均点以下」の、配られた札に絶望するだけの無能に戻るのか?
(失ったら惜しい、と思っているのか?僕が?
借り物の力で調子に乗っている連中を嘲笑していた僕が、あいつらと同じ「依存症」になっていたというのか)
愕然とした。自分の内側に広がっていたのは、全能感という名の腐った闇だった。
男の手が、コートの懐に伸びる。
「白河さん、伏せて!」
僕は叫びながら、全力で近くの壁にある非常ベルを叩いた。
けたたましい警報音が図書室に鳴り響く。
同時にスマホを取り出し、震える指で110番をタップした。
「警察ですか!図書室に刃物を持った不審者がいます!早く来てください!」
数分後。校舎にパトカーのサイレンが近づき、駆けつけた警察官たちが男を取り押さえた。
そこにあったのは、もはや「異能の強者」の姿ではなかった。
「おい、離せ!貴様ら、私が誰だか分かっているのか!」
地面に組み伏せられ、無様に喚き散らす男。
その姿は、あまりにも矮小で、情けない「小物」そのものだった。
警察官に「いいから黙れ!」と一喝され、手錠をかけられる男を、僕は遠巻きに眺めていた。
(……ああ。鏡を見ているみたいだ)
この男は、自分の「力」が通じない世界では、ただの不審者でしかない。
「チートキラー」――あらゆる異能を無効化し、存在を否定する暴力も、チートを持たない警察には無力。
そして僕も同じだ。
予知という後ろ盾がなければ、ただの足の震えが止まらない高校生だ。
大物ぶって世界を攻略した気になっていた自分自身を、この男という「戯画」を通して突きつけられた気がして、僕は激しい嫌悪感に襲われた。
「……君、すごい判断力だったね。怖かったでしょう」
白河さんが隣でそっと囁く。彼女の瞳は、僕の震えをじっと観察しているようだった。
「……いや。情けないよ」
僕は自分の手を凝視した。
僕は特別な力に頼らず、現実的な手段(警察への通報)で勝利したんだ。
神に配られたカードは、神のさじ加減一つで消える。そんな力には頼らない。
今夜、あの縞瑪瑙の教会に行かなければならない。
借り物の力ではなく、自分の言葉で、あの神父から「主導権」を取り戻すために。




