第1話:【縞瑪瑙の教会】
第1話:【縞瑪瑙の教会】
「現世は夢、夜の夢こそまこと――」
江戸川乱歩の言葉を、僕は放課後の教室で反芻していた。
視線の先には、丸めてゴミ箱の隅に突っ込んだ数学の小テストがある。
返却されたそれには、平均点にも届かない無情な数字が記されていた。
この世界は、あまりに不平等だ。
「せめて、夜の夢の中くらいは、僕に最強の手札を配ってくれないと、収支が合わないよな」
誰に聞かせるでもなく独り言ちる。
「また難しいこと言ってるなー。フィクションにマジになんなよ。
俺なら、もし最強になれたら、とりあえずハーレム作るわ」
隣の席の佐藤が、教科書をカバンに詰め込みながら能天気に笑う。
「……それ、美少女に生まれ変わりたいって言ってるのと変わらなくないか?
自分の意志じゃない『借り物の力』で何を手に入れても、それは君の勝利じゃない。
単一のチート能力なら最強じゃなくて穴だらけだ」
「はいはい、ご立派。
白河さんの見た目なら、それだけで人生イージーモードなんだからさ、そんな理屈っぽくなんなくてもいいじゃん」
不意に、視線を感じた。教室の入り口付近。
クラスの、いや学園の「華」である白河さんが、こちらをじっと見つめていた。
僕と目が合うと、彼女は一瞬だけ驚いたように瞬きをし、首を軽く傾げた。
佐藤の言う通りだ。
彼女のような「選ばれた人間」に配られた手札に比べれば、僕の持ち札はブタ同然。
遺伝、環境、才能。人生という名の運ゲーは、最初から勝負がついている。
その夜、僕は縞瑪瑙の夢を見た。
背中に伝わってきたのは、暴力的なまでの硬さと冷たさだった。
目を開けると、そこは荘厳な教会の礼拝堂だった。
だが、何かが決定的に歪んでいた。空間を支える巨大な円柱。
その表面を指でなぞると、大理石とは比較にならないほど滑らかで、底冷えがする。
漆黒の石材の中に、同心円状の白い縞模様が浮かんでいた。
それが無数の蠢く「眼」に見えて、背筋に冷たいものが走る。
「……縞瑪瑙か?柱一本を削り出すのに、どれほどの原石がいるんだ」
「おや。材質に目を向けるとは、君はなかなかに鋭い観測者だ。
光栄に思うよ、迷える子羊くん」
祭壇の奥、影が揺らいだ。
そこから現れたのは、重力を無視したような足取りで進む、異常に細長い黒衣の男だった。
顔は整っているが、その瞳は夜の湖のように底が見えない。
「星の智慧派教会へようこそ。私はナイ。
宇宙の深淵より愛を込めて、君の魂を導く者だ」
「神……なのか?」
「神、管理者、あるいは単なる隣人。
呼び名に意味はない。だが、救済には形が必要だ。
今、この宇宙は『魂の流出』という重大な罪に直面している。
仏教徒なら輪廻転生くらい知っているだろう?
異世界という偽りの楽園に魂が流出し、輪廻の聖なる循環から脱落する不届き者が増えすぎた。
人口爆発に対し、魂の供給が追いつかない。
このままでは、空っぽの人が溢れる『無魂の時代』が到来するだろう。
それは嘆かわしい。あまりに悲劇的だ。ゆえに私は、深淵なる慈愛をもって――」
「長い。三行でまとめろ」
神父の仰々しい、芝居がかった演説を僕は遮った。
ナイ神父は一瞬だけ表情を凍りつかせ、それから粘りつくような笑みを深めた。
「三行かね?短気なことだ。
だが、効率を重んじる君の性質は嫌いじゃない。よろしい。
一、異世界でチートに溺れる転生者を、説得して地球へ連れ戻せ。
二、合意書にサインをさせ、魂の帰還契約を結べ。
三、君には協力者をつける」
神父が指を鳴らすと、影の中から一人のシスターが歩み寄ってきた。
僕は息を呑んだ。白河さんと瓜二つの少女。
だが、彼女は僕を見ると、ゴミを見るような眼差し。鼻で笑われた。
「……何よ、その情けない顔。
ナイ、本当にこいつでいいわけ?空っぽの器にしか見えないけど」
彼女は首を軽く傾げた。
「彼女はシスター・クロカワ。
君の知り合いに似ているかな?だが、ここは幻夢境だ。
猫の軍隊が月まで跳ねるような場所で、姿形の真実味を論じても意味はないよ。
他人の空似、……そうだろう?」
クロカワ。確かに白河ではない。
僕は、彼女を「白河さんの姿を借りた偽物」だと断定した。
偽物相手なら、僕は最強になれる。
「そもそも、なぜ僕を選んだ?」
「単一のチート能力なら最強じゃなくて穴だらけ、そう昼間おっしゃっておられたので」
ナイ神父とクロカワが愉快そうな顔をしている。
「2Pカラーの協力者はいいが、成功報酬を要求する。
僕に『予知夢』の権利をよこせ。
現実で僕が有利に立ち回るためのカードだ」
「いいだろう。君の最初の標的――『未来視』のチートを解体できたなら、その『報酬』を授けよう。
……できないなら、そこの窓から飛び降りてくれたまえ。
すぐに目覚められる。虚無の底へ、永遠にね」
未来視のチートの穴はどこか、考えてみてください。




