第六章:転変 - 下
「そういえば、君の今の状況は非常に特殊で、立場もかなり厄介だ。」
ヴィエルは肩をすくめ、壁にもたれかかりながら、少し困ったように言った。
「上層部はすでに君のことを把握している。普通の人間の体内に、ハンターの血清とヴァンパイアの毒液が同時に存在するなんて、前例がない。君は今や、彼らにとって最大の関心事だ。」
ジャックは水を一杯持ちながら俯き、言葉を失った。突然の変化は彼の世界観を根底から覆した。伝説と思っていた存在が、一瞬のうちに現実となったのだ。それは彼にとって大きな衝撃で、すぐに受け入れることは難しかった。
ヴィエルは続けた。
「今、上層部は君に対して二つの考えを持っている。ひとつはすぐに処刑することだ。君は数え切れない不確定要素を抱えている。君がまだ理性を保っているのは血を飲んでいないからだ。だから、完全にヴァンパイアになる前に殺してしまおう、と。狩人としての戦績にもなるしな、ハハ。」
ジャックはそれを聞いて少し言葉に詰まった。自分はただの普通の人間なのに、こんな複雑な状況に巻き込まれ、しかも生死の瀬戸際に立たされている。全てが突然すぎて、どうしていいかわからなかった。
ヴィエルはジャックの戸惑いを察し、慰めるように言った。
「慌てて絶望するなよ。上層部のもうひとつの考えは、君を育ててハンターとして使うことだ。ヴァンパイア狩りの手助けをしてもらうわけだ。当然、訓練も住むところも面倒を見る。」
ジャックはまだ迷っていた。できるなら普通の生活に戻りたいと思っている。しかし現実は厳しい。
「それと、もし普通の生活に戻ることを選べば、君と君の家族、友人は監視されるだろう。誰も君がヴァンパイアの誘惑に抗えるとは保証できないからな。無辜の人間を傷つけさせないためにも。」
ヴィエルの口調は平静だったが、その裏には諦めの色もあった。自分もできればこの少年を危険な世界に巻き込みたくはない。しかし現実はそう甘くない。選択はジャックの手に委ねられているのだ。
「もし俺がハンターになったら、普通の世界に戻れるチャンスはあるのか?」
ジャックの問いにヴィエルは考え込んだ後、ため息をついて答えた。
「あるよ。でも決して簡単じゃない。ハンターになれば訓練を受けて、ヴァンパイアの力を制御する術を学ぶ。仲間になれるわけだ。その過程で、君が信頼できる存在であり、欲望を抑えて人類を守れることを証明しなければならない。成功すれば、上層部も引退ハンターとして普通の生活に戻すことを検討するだろう。」
「だが、それは容易ではない。ヴァンパイアの誘惑は常にあるし、君が裏切らない保証も必要だ。つまりチャンスはあるが、挑戦に満ちた道だ。よく考えた方がいい。」
ジャックは話を聞いて、自分の置かれた状況が簡単ではないと悟った。だが加入しなければ普通の生活は永遠に失われることもわかっていた。少し間を置いてから言った。
「俺はハンターになることを試みる。誰かのためじゃない、自分のために。たとえ普通に戻れる確率が1%でも、掴みたいんだ。」
ヴィエルはその答えに笑った。
「もう決心したのか、なかなかやるじゃないか。」
……
「え?午前中に話したばかりなのに、午後には退院できるのか?」ヴィエルが不思議そうに尋ねた。
「わからないけど、体の自己治癒力が強いみたいだ。午前中はまだふらふらしてたんだ。」ジャックは自分の手を見つめ、不思議そうに呟いた。
ヴィエルは頷き、ジャックと共に街を歩き出した。だが、血まみれの制服姿のジャックは周囲の視線を集め、疑問と好奇の目が向けられた。
突然、路地から車が暴走して一人の小さな女の子に向かってきた。ジャックとヴィエルは即座に察知し、同時に女の子へ駆け寄った。ジャックは片手で彼女を抱き寄せ、もう片方の手で車を止めた。
轟音が響き渡り、車の前部は大きくへこみ、後部が持ち上がった。運転席の窓が下がり、不安そうな中年男性が顔を出した。彼は恐怖と罪悪感に顔を歪め、周囲を見回して額の汗が滴った。ジャックはその視線に釘付けになった。
群衆が一気に集まり、スマホで撮影する者も多かった。誰かが驚きの声を上げた。ヴィエルは心の中で呟く。
「まずい、血を見られた。」
すぐに人混みに突っ込み、ジャックの飢えた目を見つめた。
「ジャック、落ち着け。」
ヴィエルにできることは、ジャックの理性を呼び覚ますことだけだ。成功するかはわからないが、試すしかない。もし発作を起こせば、周囲の人々が犠牲になり、ヴァンパイアの存在が世に知られてしまう。それは大混乱を引き起こす。
ジャックは飢えた狼のように男を睨みつけ、荒い呼吸を繰り返し、唾液が抱いた少女の顔に垂れた。彼の目は凶暴そのものだった。唯一の考えは、この男を殺し、生き血を啜ること。
ヴィエルはポケットから何かを取り出し、素早くジャックの耳に投げ入れた。
全力で叫ぶ。
「ジャック!聞け!深呼吸して、冷静になれ!」
しかし、周囲の誰にもその声は聞こえなかった。ヴィエルの口は動いていない。ただ心の中でジャックに語りかけているだけだった。
それでもその声は轟音のようにジャックの耳に響き、ジャックの体は小さく震え、理性へと戻ろうと必死に抗った。彼の目は暴力的なものから迷いの色に変わり、一筋の冷や汗が額を伝った。
ヴィエルは続けた。
「お前はヴァンパイアじゃない。まだ人間だ。自分をコントロールしろ。血の誘惑に負けるな!」
ジャックの体は震え続けたが、視線は次第に落ち着きを取り戻した。抱かれた少女の泣き声が解放のように響き、男も車から逃げ出した。
ヴィエルはほっと胸を撫で下ろした。難を逃れたのだが、これは警告でもあった。ヴァンパイアの存在は秘密にしなければならない。さもなければ、悲劇は止まらない。
「ありがとう!娘を助けてくれて!」
一人の中年女性が群衆をかき分け、少女を強く抱きしめながら感謝の涙を流した。ジャックはやっと我に返り、自分の不確実な運命とヴァンパイアの恐ろしさを改めて実感した。
二人は現場を離れ、ジャックの胸に不安が渦巻いた。彼は血への渇望の恐怖と自分の身体に起きた変化に怯え、先の見えない未来に恐怖を抱いた。
ヴィエルはこの事件を上層部に報告し、ネット上で波風が立たないよう抑えるように努めた。そしてジャックを励ました。
前方には未知の道が続く。危険と挑戦に満ちている。二人はヴァンパイアの脅威と、ハンター組織の上層部の決定に立ち向かう。新しい生活は波乱に満ち、ジャックは不確かさの中にいたが、一つだけ確かなことがあった。
「もしハンター組織に入らなければ、やがて自分は周りの人間の悪夢になってしまう。無実の血を汚すことは絶対に避けたい。たとえ希望が薄くても、いつか普通の生活に戻るために、俺はハンターの側に立つしかないのだ。」