第24章 悪意
深夜の空気は、まるで凍りついたように静まり返っていた。
ジャックは重い夢の淵から、溺れる直前のように一気に飛び起きた。胸は激しく波打ち、額からは冷たい汗が途切れることなく流れ落ち、背中のシャツは既に汗で張り付いていた。
心臓の鼓動は、まるで耳元でドラムを叩かれているかのように荒く、到底“寝起き”のそれではなかった。
夢の残滓が、まだ脳裏で暴れ回っている――
燃え盛る炎、血の霧、砕け散る叫び。
顔のない何かが暗闇から手を伸ばし、圧倒的な絶望が喉元を締めつける。
激烈な戦い、ケイルの堕落、アーサー王の叫び。
心臓を貫かれる瞬間のあの痛みさえ、まだ身体に残っている気がした。
ジャックは息を整えようと、深く深く呼吸する。
そのとき――背筋をなぞるように、もっと冷たい“現実”が忍び寄ってきた。
幻覚でも、恐怖でもない。
――殺気。
刃物の冷たさが首筋に触れたような、あまりにも鋭利な殺意。
「……誰だ……?」
瞳孔が一気に収縮し、身体中の毛が逆立つ。
ジャックは静かに、しかし鋭く周囲の気配を読み取った。
吸血鬼の毒と狩人の血清が混ざった彼の身体は、感知能力が常人とは比較にならないほど研ぎ澄まされている。その“殺意”は単なる敵意ではなかった。獲物を確実に仕留めるために研ぎ澄まされた、本物の殺しの意志。
思考より先に身体が動いた。
ジャックは床を蹴り、窓へと飛び込むように転がり込む――
その瞬間、部屋の内部が白光に飲み込まれた。
轟ッッッ————————!!
爆発音が、静かな夜を切り裂く獣の咆哮のように響き渡った。
小屋は一瞬で火に呑まれ、衝撃波がジャックの身体を大きく弾き飛ばす。空中で数度転がり、地面を滑って五、六メートル先でようやく停止した。
耳鳴り、熱風、焼ける匂い――
世界が爆発音に支配される。
ジャックは血を吐きながら、片腕で上体を支え、火光を睨む。
炎の向こうから、一つの影が歩み出てきた。
灰を踏む音すら乱れない、整った足取り。
黒いスーツはまるで煤一つつかず、白い無表情の仮面は、炎に照らされて不気味なほど冷たい。まるで死刑執行人そのもの。
「残念だな。」
面の奥から、失望したような声が漏れた。
「爆発で死んでくれれば、手間が省けたのに。」
ジャックは乾いた唇を舐め、呼吸を整える。
「……俺、お前に恨まれるようなことしたか?」
炎のゆらめきの中。
男は足を止めた。
「お前は今回の選抜試験で最も危険な“黒馬”だ。素性不明、実力不明、そして吸血鬼の毒を宿した存在……そんな怪物に負ける可能性があると思うと、気分が悪い。」
声が凍てつくように低くなる。
「それに……吸血鬼の毒に触れた者が生き残っているなんて、狩人として許せないんだよ。ここで殺しておく。――これは正義だ。」
そして銀の短剣を抜く。炎光を受けて、不吉に輝いた。
ジャックは息を整え、身体の再生を加速させながら低く言った。
「……もういい。話す気はないんだろ。」
戦意が弾ける。
黒衣の男は影のように消え、次の瞬間にはジャックの喉元へ匕首を突きつけてきていた。
「速っ……!」
ジャックは身を翻し、ギリギリのところで刃を避ける。だが男は一歩で間合いを詰め、死角から再び刃を滑り込ませてきた。
「ッ……!」
受け止めた手のひらが、焼け付く痛みに悲鳴をあげる。
銀――それだけで吸血種にとっては毒。
「ほら見ろ。銀が触れた瞬間に動きが鈍る。」
男は愉快そうに笑う。
ジャックは痛みを押し殺し、肘で男の胸を殴り飛ばした。
「……っ!」
だが、男は微かな後退で体勢を保つ。
その手には、吸血鬼狩りの装備がこれでもかと揃っていた。
銀の短剣。
聖銀のボルト。
金の十字架。
銀釘入りの炸裂弾まで――完全な“吸血鬼殺し”の装備。
男は袖口から、三本の聖銀ボルトを射出した。
破空音が蜂の羽音のように鋭い。
ジャックは転がり避ける――が、矢は空中で軌道を変えた。
「追尾!?くそっ!」
肩を掠めた瞬間、皮膚が黒く焦げ、尋常でない痛みが走る。
「ボルトの後ろには銀糸がついてる。逃げ場なんてないんだよ。」
男は火の中を歩きながら嘲る。
「銀で再生も封じられる。お前はもう、ただ死んでいくだけだ。」
ジャックは歯を食いしばり、拳を固めた。
「……まだ、終わってねぇ!!」
だが男は更に取り出した。銀釘の詰まった炸裂弾。
「じゃあ……終わらせてやる。」
轟ッ!!
銀釘の嵐が襲いかかる。
逃げきれず、ジャックは腕で頭を庇うしかなかった。
刺さる。焼ける。肉が焦げる。
「……ッ、くそ……!」
視界がちらつく。
男はゆっくり近づく。
死刑を宣告するように。
「聞こえるか?それは、お前の肉が銀に溶かされる音だ。」
匕首を心臓へ向け、静かに言う。
「これで終わりだ。」
しかし――
ジャックはまだ膝を折らない。
「――ッ!!」
焼けただれた右手で、男の手首を掴む。
男が初めて目を見開いた。
「お前……!」
「俺は――ここで死なねぇッ!!」
ジャックは左手で焦げた木梁を掴み、
渾身の力で男の面を叩き割った。
バキィンッ!
仮面に亀裂が走る。
男は数歩後退し、呼吸が荒れる。
「……チッ、本当に……化け物め。」
そのとき――
ピィィィィィ——ッ!!
遠くから口笛と怒号。
「巡回隊だ!火を見たぞ!」
「周囲を確認しろ!爆発の可能性あり!」
男の動きが止まる。
しばらく沈黙ののち――
「……お前は、皆にとって厄介な存在だ。
だが……まだ終わりじゃない。」
一言だけ残し、影のように姿を消した。
ジャックは崩れた柱に手をつき、荒い呼吸を繰り返す。
身体の中で、銀がまだ肉を焼いている。
それでも倒れない。
火の中で、彼は呟いた。
「……誰だよ……俺を殺したいなんて言う奴は……」
熱風が廃墟を揺らす。
――選抜試験前夜。
闇の嵐が、静かに幕を開けた。




