第21章:血の薔薇の咲く刻
訓練場の風は金属と土の匂いを運んでいた。
夕陽はゆっくりと落ちる刃のように、地面に長い影を切り刻む。
カローラは訓練場の端に立ち、冷たい石壁にもたれかかっていた。細くしなやかな指先で煙草を挟み、燃えさしはまるで檻の中の獣のように赤く瞬く。
「ふう――」
彼女は顔を上げ、煙を空に吐き出す。白い霧が宙に漂い、高く、騎士団の厚い城壁を越えそうに舞う。
しかし、カローラの視線は空ではなく、場内を交錯する二つの影に注がれていた。
鋼のぶつかる音が絶え間なく響く。
ヴィエルの剣勢は法典のごとく正確で、刃は審判のように鋭い。足取りは冷静で落ち着いている。
それに対し、ジャックの動きには一抹の奔放な狂気が漂い、振るうたびに運命の枠を裂き切ろうとするかのようだ。
火花が散り、土塵が舞い上がる。
最後の鈍い音とともに、一時的に勝敗が分かれる。
ヴィエルは肩の埃を払うだけで、衣の裾が少し汚れた程度。
しかしジャックの腕、側腹、頬には擦り傷が残り、まるで運命が刻まれたかのようだった。
カローラは目を細め、地面を見下ろす――
訓練場の床には、剣気と足跡によって裂かれた痕があった。
しかしその裂け目の中で……何かが蠢いている。
深紅色。微かに光る。
カローラは身を屈め、表情の油断を捨て、指先を床に触れさせる。
太陽の光が血の跡を照らし、濃厚で鮮烈な赤は、まるで今摘み取ったばかりの薔薇の花弁のようだ。
「……ジャックの血……?」
光はさらに強く揺らめき、生き物のように蘇ろうとしている。
カローラは体を止め、無意識に光を遮ろうとした。
しかしその紅い光はなおも渦巻き、呼吸をするかのようだった。
血の滴から、柔らかくも鋭い花弁がゆっくりと生まれる。
妖艶で異形。まるで鮮血から育まれた薔薇――
血の薔薇。
「……花……?」
カローラは左手を差し伸べ、銀の手袋が光る。
魔力に導かれ、銀の糸が生き物のようにうねり、深紅の花弁に触れる。
刹那、空気が微かに震える。
魔力と血液が絡み合う波動は、野火のごとく燃え上がろうとしていた。
カローラの瞳に冷たい光が走る。まぶたがわずかに震え、眉が珍しくひそめられる。
「血の魔術……いや、この形……」
彼女が花弁に再び触れると、花は瞬時に縮み、裂け、無数の細かな血光へと砕け散る。まるで吸収されたかのように消失する。
地面にはわずかに乾いた痕跡が残るのみ、まるで最初から存在しなかったかのようだ。
カローラは煙草を捨て、視線を再び場内へ向ける。
ジャックの姿を見つめながら、心中で思う――
「高位吸血鬼の血魔術に伝わる禁術。自らの血を種として薔薇を咲かせ、棘や爆裂罠として媒介にする……危険で優雅、残酷で致命的。」
多くの血魔術を見てきたカローラでさえ、これは……
“成長”と“寄生”の特性を持つ、極少数の純血者しか扱えない形態の血の花だった。
しかし、その花は完全には開き切っていない。
ジャックは立ち上がり、体の埃を払い落とす。
ヴィエルは一瞥し、静かに、しかし確かな声で言った。
「痛みを恐れるな。本当の騎士はここで倒れたりしない。」
ジャックは短く沈黙した後、屈託のない、明るい笑みを浮かべる。
「誰が倒れるって?俺は……ウォームアップが終わっただけさ。」
夕光が二人の横顔を照らす――
孤独の鋭さと、まだ名前を持たぬ絆が、静かに育まれていく。
――そして足元、血の薔薇は静かに咲き誇る。
予感させる、不可逆な未来の到来を。
訓練が終わり、漆黒の夜に明月が浮かぶ。
騎士団での生活で、カローラはすでにジャックの居住環境を手配していた。
彼の特殊性を考慮し、他者と同室にはせず、まるで一人暮らし用のワンルームのような単独宿舎だ。
ジャックは窓辺に座り、外を眺める。
心に、ふとした郷愁が浮かぶ。
その時、部屋の扉が叩かれた。
ノックは彼の思いを現実に引き戻す。
扉を開けると、ヴィエルが一缶のビールを手に立っている。
二人で一杯やろう、という仕草だ。
しかし明らかに、ジャックはその気はない。
ヴィエルは肩にもたれながら、彼の硬くなった肩や浮かぶ悲しみを見て、微笑む。
「故郷が恋しいか?」
ジャックは深呼吸し、視線をそらす。
「……少しな。」
「嘘だろ。さっき、泣きそうになってたじゃないか。」
ジャックは一瞬戸惑い、頭をかく。
「そんなにわかるか?」
ヴィエルは肩をすくめ、低く穏やかに言う。
「あの日、巻き込んでしまって悪かった。無意味に振り回してしまったな。」
ジャックは首を横に振る。
「大丈夫さ。あの日は、好奇心が勝っただけだ。」
ヴィエルは何かに気づいたように、ジャックを見つめる。
「吸血鬼を狩るとき、俺たちは結界を張る。中の音は遮断され、外からは見えない。
……なのにお前はどうして……」
言葉を止め、柔らかい口調で続ける。
「いや……才能があるのかもしれないな。魔力、もしくは生まれ持った感覚で、感じ取れたんだろう。」
ジャックは苦笑し、窓の外を見ながらため息をつく。
「今さらそんなこと言っても仕方ない。正直、少し緊張してる。選抜ってどんなものか、まだわからない。」
「怖くても構わない。お前が立つだけで、誰よりも強い。」
ヴィエルはビールを一口で飲み干し、低く声をかける。
「行けよ、証明してこい。」
ジャックは唇を噛み、低く呟く。
「俺は、自分を証明するためか、それとも……人間であることを証明するためか。」
ヴィエルは息を呑み、ジャックの肩をそっと叩く。
その触れは軽くとも、心の奥に温かい流れを滑り込ませる。
「お前はジャックで十分だ。他の答えは、最後まで辿り着いてからでいい。」
「ありがとう、ヴィエル。本当に。」
ヴィエルは頬を赤らめ、小さく呟く。
「感謝しすぎるな。誇りに思うぞ。」
その場の空気は和らぎ、ジャックがこの数日で感じた数少ない温もりがそこにあった。
しかし遠く廊下の屋根の影から、冷たい視線が二人を静かに見つめていた。
蛇のように潜み、獲物が仕掛けられた狩場に足を踏み入れるのを待っている。




