第十九章 訓練・其の一
「立て!」
ヴィエルは手にした木剣を強く握りしめ、倒れ込むジャックを見下ろしていた。
その声は冷たく、そして揺るぎない。剣先はジャックの喉元に突きつけられ、彼の瞳には一片の情けもない。
ジャックは壁に手をつき、苦しげに息を整えた。額には汗がにじみ、服はすでに汗でぐっしょりと濡れている。背中の筋肉は焼けるように痛み、全身が悲鳴を上げていた。
「まだ……いける!」
深く息を吸い込み、鼓動を感じながら、全身に走る痛みを押し殺す。
落ちていた木剣を再び握りしめ、剣を杖代わりにして無理やり立ち上がる。
その一挙一動がまるで自分の肉体との戦いのようで、筋肉の疼きが炎のように燃え上がった。
ヴィエルは荒い息をつくジャックを見つめ、口元にわずかな笑みを浮かべる。
――まるで時が巻き戻されたようだった。
自分がハンター訓練に参加したばかりのあの日も、今のジャックと同じだった。
全身傷だらけで、それでも決して退かなかった。
流した汗も、刻まれた痛みも、全てが限界を超えるための触媒だった。
あの頃の訓練も、容赦なく極限まで追い詰められるものだった。
ヴィエルは知っている――それは単なる肉体の鍛錬ではない。
死を恐れず、痛みに屈せず、恐怖をも飲み込む――
真のハンターの心を鍛えるための試練なのだ。
二人の木剣がぶつかり合う音が、雷鳴のように訓練場に響き渡る。
以前のジャックなら、最初の一撃で倒れていたことだろう。
だが今の彼の身体は、あの日――血清と吸血鬼の毒を受けた瞬間から、確実に変わっていた。
ジャックは深く息を吸い、目を閉じて周囲の空気の流れを感じ取る。
ヴィエルの心臓の鼓動が、鮮やかに響いていた。
「今だっ!」
その瞬間、ジャックの木剣が勢いよくヴィエルへと打ち込まれた。
手は震え、力は荒々しい――だが、彼はなおも体勢を崩さなかった。
手のひらに伝わる衝撃と痛み。
ヴィエルの手の内にも痺れが走る。
力だけを比べれば、明らかにジャックの方が勝っていた。
だが、技術においては、幾多の修羅場をくぐり抜けたヴィエルの方が一枚上手だった。
普通なら、その瞬間に木剣を握り締めるだろう。
だがヴィエルは一切の迷いなく手を離した。
ジャックの力に押され、木剣は彼の手を離れて宙を舞う。
空中で弧を描きながら落ちていく――その軽い音が、まるで戦場の空気を一変させたかのようだった。
ジャックの視線が一瞬で逸れた。
本能的に、飛んでいった木剣の軌跡を追ってしまう――。
だが、そのわずかな隙こそが、ヴィエルにとっては十分な機会だった。
ヴィエルは素早く身をかがめ、地面すれすれに身体を滑らせる。
その瞳は刃のように鋭く、狙いは正確だった。
注意を逸らしたジャックの前で、ヴィエルの拳が疾風のように三度閃く。
それぞれの一撃が、まるで計算されたかのように急所を撃ち抜いた。
最初の拳が、ジャックの腹部を抉るように突き刺さる。
激痛が瞬時に走り、ジャックは思わず身体を折り曲げた。
反応する間もなく――
二撃目が胸を打ち抜いた。
焼けつくような痛みが全身を駆け巡り、呼吸が止まりかける。
肺の奥に残った空気が絞り出されるように漏れ、膝が崩れそうになる。
そして、三撃目。
ヴィエルの拳が容赦なくジャックの首筋を打ち抜いた。
その瞬間、呼吸が途切れ、喉が圧迫される感覚が走る。
身体は抗えず、後方へと吹き飛ばされた。
「そこまで!」
鋭い声とともに、場の空気が一変する。
カルラが静かに拍手を打ちながら、二人の間に歩み寄ってきた。
その姿はまるで冷たい風のようで、さっきまでの激しさを一瞬で鎮めた。
「悪くはなかったわ。」
カルラの瞳に、一瞬だけ光が宿る。
だがその声は依然として冷静で、揺るぎない威厳を帯びていた。
「ジャック、あなたの力は確かに強大ね。けれど、まだ粗い。
力に頼りすぎれば、すぐに死角を作る。
ヴィエル、あなたの技術は見事だけど――自信が過信に変わる瞬間が、一番危険なの。」
カルラは手を軽く振り、二人に姿勢を正すよう示す。
「訓練の目的は、相手を倒すことじゃない。
自分の“限界”を知ることよ。」
彼女は二人の間に立ち、特にジャックへと視線を向けた。
その眼差しには、言葉にできない何かが込められていた。
「ジャック、あなたの身体はもう普通じゃない。
けれど、最も重要なのは――その力じゃなく、あなたの“意志”よ。
自分を制御できなければ、力はただの凶器になる。」
カルラは一拍置き、静かに続けた。
「血清と吸血鬼の力が、あなたに強靭な肉体を与えた。
だが同時に、それは“不安定さ”をも生んでいる。
――感じるでしょう、自分の中の力の揺らぎを。
制御できなければ、あなたはいつ爆発してもおかしくない“時限爆弾”なの。」
その声には責めるような響きはなく、
ただ圧倒的な威圧感と説得力があった。
カルラの視線が今度はヴィエルに移る。
「そしてあなた。技の冴えは確かよ。
けれど、あなたは“決めの一撃”に頼りすぎる。
本当の戦いとは、相手を圧倒することではない。
相手の“耐久”と“精神”を削り、最後の瞬間を見極めて仕留めるものよ。」




