第十五章:火の海
少年は酒場の店主と共に、手紙に記された住所へとやって来た。
ここが、彼らの新たな生活の始まりの地となる。
悲しみは未だに胸に残っているが、それでも彼らは――別の形でこの痛みと向き合い、乗り越えていくことを決意した。
「エルウィン叔父さん、ここで大丈夫ですか?」
ジャックは手にしていた荷物をそっと脇に置きながら、酒場の店主――エルウィンに尋ねた。
「ん、そこに置いといてくれ。あとで片付けるからな。」
エルウィンは荷物を部屋の隅に運び終えると、新しい家となるこの場所の掃除を始めた。
紙片に書かれていた住所に到着した彼らは、懸命にこの場所を整え、温もりのある空間へと変えていった。
エルウィンの兄は二人の境遇を知ると、開店したばかりのベーカリーの経営をエルウィンに任せることを決めた――それが、彼らの新たな生活の第一歩となったのだった。
あの少年は――以前よりもずっと強くなっていた。
姉がもういないという現実も、ようやく心の中で受け入れられるようになった。
彼は知っている。
――もし姉が今もそばにいてくれたなら、きっとこう言ったに違いない。「もっと幸せになって」と。
今も道は決して平坦ではない。
だが、それでもこの少年は、確かに人生の新たな一歩を踏み出していた。
──数日後。
二人のベーカリーはついに正式オープンした。
店内からは焼きたてのパンやお菓子の甘い香りが立ち込め、入り口には心を込めて作られた看板が風に揺れている。
並んだ商品はどれも美味しそうで、見た目も華やかだった。
ジャックとエルウィンは、毎日汗を流しながら懸命に働いた。
焼きたてのパンを提供し、顧客一人ひとりに真心を込めた接客をする彼らの姿に、周囲の住民たちはすぐに心を開いた。
やがて評判は広まり、店は徐々に繁盛していった。
小さな店の中には、温かな雰囲気が満ちていた。
この場所は、近所の住民たちにとって憩いの空間となり、
そしてジャックとエルウィンにとっては、過去を越え、再び前を向くための――新たな人生の出発点となった。
時は流れ――数年が経った。
ベーカリーは今やベイカー街でもっとも人気のある店となっていた。
かつての少年も立派に成長し、その姿はすでに「青年」と呼ぶにふさわしく、すらりと伸びた体躯と物腰柔らかな立ち居振る舞いは、紛れもなく一人前の紳士の気品を纏っていた。
「この何年か、よく頑張ったな……ジャック。」
カウンターの奥で、エルウィンは手にしたカップを拭きながら、静かに語りかけた。
「そんなことないよ、エルウィン叔父さん。」
ジャックも店内の掃除を手伝いながら答えた。二人の間には親子のような温かい空気が流れていた。この数年、二人はすでに家族同然の絆を築いていたのだ。
「じゃあ、今日はもう閉店しようか。もう遅いからな。」
エルウィンが片付けを終え、店の扉を閉めた。今日も一日が終わる。
ジャックは頷き、扉を閉めた。二人は店の片隅に座り、新しく開発したパン菓子を味わった。エルウィンはジャックを見つめ、その瞳には慈愛と誇りが溢れていた。
「お前、本当に大きくなったな、ジャック。まさかここまで来られるとは思わなかったよ。」
ジャックは微笑んだ。かつての暗い影は、時の流れの中でゆっくりと薄れていった。彼はエルウィンに感謝していた。自分を救い、そして今やかけがえのない存在となったこの人に。
夜は静かに更け、星々が穏やかな夜空を彩っている。ジャックは少し疲れを感じ、散歩に出かけることにした。馴染みのある街並みを歩きながら、夜の静けさに身を委ねていた。
しかし、しばらく歩いたところで、突然、異様な煙の匂いが鼻を突いた。彼は素早く振り返り、自分のパン屋の方角をじっと見つめた。胸に緊張が走り、急いで店へと駆け出した。
足音が近づくにつれ、煙が立ち込め、心臓の鼓動は早まった。店の前はもう火の海だった。炎はかつて安全だと思っていた場所を激しく飲み込んでいる。
「エルウィン叔父さん!」
ジャックは叫びながら店内を探したが、火は激しく燃え広がり、煙で視界はほとんど遮られていた。
彼は躊躇なく火の中へ飛び込んだが、その瞬間、巨大な爆発が街区を揺るがせた。衝撃波に叩きつけられ、ジャックは地面に倒れ込み、火花が四方に散った。
必死に起き上がると、店は既に廃墟と化し、燃え盛る炎はかつての夢を焼き尽くしていた。ジャックは必死にエルウィンの姿を探したが、目に映るのは残骸と煙だけだった。
「エルウィン叔父さん!」
彼の叫びは夜空に響いたが、応答はなかった。その夜、パン屋は灰燼に帰し、ジャックの心は火のような痛みで焼き焦がされた。
災害の残骸の中、ジャックは必死に立ち上がった。心の奥底にある痛みはやがて果てしない怒りへと変わった。焦げた廃墟を見つめながら、彼の胸は憎悪と悲しみで満たされていた。
人ごみの中、ふとジャックの視線は見覚えのある顔に止まった。かつて姉の葬儀に出席していた女性だった。彼は足を止め、疑問と困惑の表情を浮かべた。
「まさか…?」
ジャックは呟き、言葉にできない感情が胸を締め付けた。その顔は姉の葬儀で見たことがある女性で、年齢も姉と同じくらいだった。後にエルウィンに聞いたところ、その女性はあの酒場のウェイトレスだということだった。
「なぜ、ここに…」
そう考えているうちに、その女性の姿は人ごみの中に消えてしまった。
ジャックは追いかけようとしたが、人の波でなかなか見つけられなかった。不安と疑念が胸を渦巻き、彼はその謎を解く鍵を必死に探していた。
やがて、遠くにその女性を見つけた。彼女は急ぎ足で歩いている。ジャックは一歩一歩加速し、切迫した感情に駆られながら追いかけた。
「待ってください!」
ジャックが声をかけるも、女性は立ち止まらない。彼はさらに速度を上げ、ついに彼女に追いついた。
「あなたは…あの葬儀に来ていた女性ですよね?」
女性はジャックの手を振りほどき、驚きと困惑の声で叫んだ。
「なぜ?!」
眉をひそめ、不信感が滲んでいる。
「なぜ生きているの?なぜあの家にいなかったの?」
女性はジャックの首を掴み、呟いた。
「あなたもあなたの姉も死ぬべきなのよ!なぜいつも幸せなの?あのバカ女はエルウィンの愛を受けて、あなたは!なぜ彼と一緒に暮らせるの?」
彼女は力を強め、ジャックは必死に抵抗するも、女性の力は強烈で息苦しさを覚えた。咳き込みながら、彼は答えようとした。
「わかりません。なぜ私たちをそんなふうに扱うのですか?私たちはあなたに何もしていません。」
女性の瞳には狂気が宿り、感情は制御不能の様子だった。彼女は叫んだ。
「あなたたちは私の運命の災いなの!あなたの姉はエルウィンの愛を奪い、あなたは生き残り、彼の家族になった!」
もがきながら、ジャックは必死に言った。
「僕たちはただの普通の人間だ。なぜそんな仕打ちをするんだ?」
ジャックはまるで歪んだ幻覚の中にいるようだった。女性の姿は次第に歪み、異様な色彩を帯びていく。彼の目に映るのは、生身の人間ではなく、深く不気味な色合いを持つ抽象的な存在だった。
その奇妙な光と影の中で、ジャックの意識は激しく揺らぎ、謎めいた力に引き寄せられるようだった。彼の魂はその歪んだ幻覚の中で震え、目前の出来事に言葉にできない迷いと恐怖を感じていた。




