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血を狩る者、宿命の輪に抗う  作者: Asutorufu
第一巻:開幕
12/28

第十二章:初戦

ジャックはその男の言葉を聞いた瞬間、背筋を冷たいものが這い上がるような感覚に襲われた。彼は何とか平静を装いながら、こう返した。


「……そうみたいだ。ここは、俺の知っているロンドンとは少し違う気がする。」


男は微笑んだ。しかしその微笑みには、どこか不穏な気配が漂っていた。


「ここは古く、そして神秘に満ちたロンドンだ。お前のような迷い人を、魅了してやまない。……だが、俺が導いてやろう。もし、お前がそれを望むのなら。」


その言葉にジャックの胸はざわついた。男の言葉には、何か引き込まれるような力がある。しかし同時に、それが奈落へと続く誘いのようにも思えた。


「……あんた、誰だ?」


男はさらに深く微笑みながら、帽子を軽く押さえた。


「俺は……答えを探し続ける者。迷宮を彷徨い続ける、探求者さ。そしてお前──」


男は手を広げ、血に濡れた街並みを指し示した。


「お前は、俺の傑作を目の当たりにした。……そして、その瞳に宿るものを見逃すほど、俺は愚かじゃない。お前は特別だ。この“逃れられぬ迷宮”に相応しい、至高の獲物となるだろう。」


男は静かに帽子を取り、優雅に一礼すると、次の瞬間、どこからともなく三本の短剣を放った。


「──ッ!」


ジャックは本能的に身を翻し、その刃を辛うじて避けた。だが、振り返ったその時には、男が既に目前に迫っていた。


「ぐっ……!」


咽喉を掴まれ、そのまま壁へと叩きつけられる。壁に激突した衝撃で、ジャックの口から鮮血が迸った。


男はゆっくりと歩み寄ってくる。その顔には、歪んだ愉悦の笑み。


「そうだ、それだ。その血しぶきを、もっと……もっと見せてくれ──!」


「──ああ!なんて素晴(Great)らしい!今の君は……とても美しい!」


男の瞳は狂気に染まり、ジャックを見つめながら陶酔したように続けた。


「混じり合った魂のその姿……実に魅力的だ!見せてくれ、君の内側を──!」


「味わわせてくれ、君の“恐怖”を……!」


その場の空気が冷たく、ねじれていく。男は両腕を広げ、まるで祈るかのように天を仰いだ。


「嗚呼……我が敬愛する聖母(Saint)マリア(Maria)よ……あなたの慈愛はすべての人々に降り注ぐ。こんな“罪人”の僕でさえ……あなたの加護を受けられるのだろうか……」


男は静かに微笑みながら、まるで呟くように囁いた。


「──My fair ladyマイ・フェア・レディ……」


男は狂ったように笑い声を上げながら、意味不明な言葉を口走っていた。


だが、ジャックにとってその意味はどうでもよかった。

──今は、考えている余裕なんてない。

このまま何もしなければ、ここで死ぬ。それだけは確かだった。


「……ああ、思い出した」


彼の脳裏に浮かぶのは、あの時の自分──

薇エルを軽く吹き飛ばし、法廷で即座に傷を癒したあの身体の異変。


(今の俺には……あの時とは違う“力”がある)


肩に刺さったままのナイフを思い切って引き抜いた。

血が勢いよく噴き出すが、彼の瞳に怯えはなかった。

ジャックはそのまま、自らの体を引き剥がすように敵の手から抜け出し──


「……ッ!」


渾身の力を込めて、肩に突き刺さっていたナイフを相手に向かって投げつけた。


だが──


「ふんっ」


男は、まるで踊るような優雅さで、わずかに身を翻しナイフを回避する。


「ダメだよ、そうじゃなきゃ……獲物は反撃しちゃ──」


その瞬間、彼の視界からジャックの姿が消えた。


「……ほぅ?」


男は少し目を見開き、愉悦の笑みを浮かべた。


(最初はただの臆病者かと思ったが……これは、俺を油断させるための“演技”だったか)


(ナイフも狙いは俺じゃない、視線を逸らさせて──その隙に逃げるため……)


男は口の端を歪め、ゆっくりと舌なめずりした。


「フフ……面白い獲物じゃないか」


「今頃、お前は俺が逃げたと思ってるんじゃないか!?」


男がくるりと振り返ったその瞬間──


「──っ!?」


ズドンッ!!


ジャックの渾身の一撃が、男の顎を正面から捉えた。鈍く響く衝突音。

その拳は確かな手応えをもたらし、男の身体を宙に浮かせ、石畳の路上へ叩きつけた。


「やった……!」

ジャックは心の中で小さくガッツポーズを決めた。


(成功した……この調子なら……俺は、勝てる!)


「クク……」


男はすぐに立ち上がった。

唇の端から血を垂らしながら、異様なほど楽しげな笑みを浮かべている。


「ハァ……ハァ……」

ジャックは肩で息をしながら、対峙する。


男の視線は、まるで獲物を狩る獣のように鋭く、異様な興奮に満ちていた。

「……こんな面白い獲物、初めてだよ」


次の瞬間、男が地を蹴った。

風を裂くようなスピードで、ジャックの懐に入り込む。


(くそっ、速い……!)


拳が稲妻のように迫る。

ジャックは本能的に身を逸らし、かろうじてかわす。だが相手は止まらない。


視界が大きく揺れ、霧の中、攻防が繰り広げられる。

ジャックはまだ戦いの素人。だが、その身体には確かな「変化」が宿っていた。


「……はっ!」


渾身のカウンターを狙って拳を繰り出すジャック。

だが──


「甘いっ!」


男はまるで舞うような動きでジャックの拳を回避し──その腰元から、何かを抜き放つ!


「……ッ!?」


路地に設置されたランプが、一瞬だけその「刃」に反射した。

ジャックはその閃光を見逃さなかった。


(あれは──ナイフ!?)


男の両手に光る、2本の短剣。

その刃先が、ジャックへと狙いを定めてくる──!


彼の奇襲を、ジャックは何とか避けた──だが、次の瞬間。


「……っ、がっ!?」


ドスン──!!


視界がブラックアウトする。


「う……あ……」


胸に、鋭い痛みが走った。

下を向いたジャックの目に映ったのは、己の胸を貫く「手」。


その手は、先程の男の左手だった。


「がっ……ぁ……っ!」


呼吸ができない。空気が肺に入らず、目の前の景色がぐにゃりと歪んでいく。

苦痛と共に、意識が急速に遠のいていった。


男は冷酷な微笑を浮かべ、囁くように語り出す。


「君の感覚……非常に鋭いね。腰の光に気づいた時点で、私は確信したよ」


「君は普通じゃない──肉体も、感覚も」


「だが、残念だったね」


男の右手にあったのは──ただの“ガラス片”。


「ふふ、君が壁にぶつかったときに砕けた窓の破片さ。それで注意をそらし……君の意識を“右手”に集めた」


「そして──“何も持っていない左手”こそが、君の死因さ」


ギリ……ギリリ……。


男の左手が、今度はジャックの首を締め上げてきた。

痛み。呼吸困難。視界が赤黒く染まっていく──。


「くっ……ぅ……」


(ダメだ……息が、できない……っ!)


冷たく光る男の瞳。その右目から放たれる赤い光は、魂を見透かすようだった。


「美しい……なんて美しいんだ……」


「恐怖でも絶望でもない……その魂は、まるで──異質な、混沌の色だ」


その言葉が、遠くに聞こえ始めた。


意識が、消えかけている──。


(……こんなところで、終わるのか……?)


その時──


──英雄殿堂。

──カアルラ。

──降霊の儀式。


(そうか……ここは、“儀式”の中……)


「う、うぉおおおおおおおっ!!」


ジャックは、残された全力を振り絞り、手を伸ばした。

その手は、男の顔に触れる──!


「ッぐ、がああああああっ!?」


その瞬間、黒紫の魔力が男の身体に流れ込んだ。


「なっ、なんだこれはっ……があああっ!!」


苦悶の悲鳴と共に、男はジャックの首を放した。


「ッは……!はっ、はああっ!」


ジャックは激しく咳き込み、ようやく呼吸を取り戻した。

胸の傷はなおも痛む。だが、彼の眼差しは再び強さを宿していた。


「……“儀式”だ。ならば、俺は……」


「生きて、出るしかないだろ!!」

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